暗殺の章
ご注意
この物語は
作中第87話
で登場した月光洞内で発行されている雑誌に掲載されている作品であり、ゲーム世界内におけるフィクションです。
登場する人物・団体・国名などは架空のものであり、キャンペーン内に存在するものとは関係ありません。
主な登場人物
■遥:大南帝国皇子。自分と向き合う努力をしつつも、本当の気持ちからは知らず知らず目をそらしている。
■蒼:白風地方の領主夢包の息子。幼い頃の空にそっくり。
遥がその少年を見かけたのは、確かに偶然だった。
侍従長のそばに立ち、緊張した面持ちで指示を聞いている少年。黒髪に黒い瞳、黒ずくめの服‥‥もっともこれはじきに使用人のお仕着せに着替えることになるのだろう。
その少年は、幼い頃の空にそっくりだった。
お仕着せを抱えた少年が一礼してその場を離れる。着替えに行くのだろう。
遥は侍従長に声をかけた。
「あの少年は?」
「これは殿下、ご覧になっておられたのですか。あの者は白風地方の領主、夢包の息子で蒼と申します。8歳になりましたので行儀見習いのため皇宮での仕事に参りました」
「ふむ‥‥私付きにすることはできぬか?」
何の気なしに言った言葉だったが、口にしてみると素晴らしい名案のように遥には思えた。
それを知ってか知らずか、侍従長は微笑んでうなずく。
「はい。2週間ばかり見習いをして皇宮に慣れた後、殿下のお傍付きとなることが決まっております。殿下の御年に近うございますから、ちょうどよいかと」
「うむ。では楽しみにしているとしよう」
空に似た少年が自分付きになる。遥はとても楽しみだったが、ふと気づいた。
あの少年が空に似ているから楽しみなのではなかろうか。言い換えれば、あの少年を空と同一視している、いや、空の代わりにしているのではなかろうか。
だとすればそれはなんというエゴか。
あの少年‥‥蒼は蒼であって、空ではない。代わり扱いするのは蒼に対しても空に対しても失礼なことではないのか。
しかし蒼が2週間後に遥付きになることはもう決定している。自分の感情で断ることはできない。それは白風地方に対し、謂れのない不服を突き付けることとなる。
解決策は1つ。
遥がきちんと区別すればよいのだ。蒼は蒼、空は空。似てはいるが別の人間。似ているからと言って特別扱いせず、普通の侍従と同様に扱えばよいのだ。
「簡単なことだ」
口に出して自分に言い聞かせる遥。
「は。殿下、何か仰いましたか?」
「いや、何でもない」
遥の呟きを耳にした侍従が尋ねてくるが、遥は小さく手を振った。
2週間はあっと言う間だった。
見習いの服から正式な侍従の服に着替えた蒼が侍従長に連れられ、遥の部屋へやってくる。
「お初にお目にかかります、殿下。夢包の子、蒼と申します。本日より殿下のお傍付きを仰せつかりました」
「蒼と申したな。私が皇太子、遥だ。励むがよい」
「ありがたき仰せにございます。力の及ぶ限り、お仕えいたします」
「では私はこれで」
蒼を遥に引き合わせて挨拶がすむと、侍従長は去っていった。部屋には遥と蒼が残される。
「蒼と申したな。白風地方とはどのようなところだ?私は幼い頃に一度しか行ったことがないのだ」
「はい、殿下。白風地方は霧深き地でございます。その霧ゆえに、風さえも白い。それで白風と呼ばれていると伝えられます」
「そこの民はどのように暮らしているのだ?」
「はい、主に農業で生計を立てております。霧が深いということは逆に言えば水分が豊かだということです。白風地方には水源がいくつもございますので、他の地より農作物も豊かでございます」
「なるほど、霧だけ見ていては気づかぬ豊かさがあるのだな。霧深き地と聞いて、勝手に貧しい地方だと思い込んでいた。すまぬことをした」
「いえ、とんでもないことでございます」
蒼と話すのは楽しかった。蒼は遥の知らない地方の出身で、そこの産業や風習などに詳しい。初めて聞く話も多く、遥は軽く興奮していた。
しかし。
何かが物足りない。そう、何かが。
この少年が空ではないことは十分わかっていた。蒼は蒼として、一生懸命遥に仕えている。それもよくわかった。
しかし物足りない。もしも蒼が空とは似ても似つかぬ容姿だったならば、このようなことは思わなかっただろう。
遥が抱えるその物足りなさは、蒼に対する引け目に姿を変えた。
遥は何かにつけて蒼を呼びだし、取るに足らない用事であっても命じた。時には「自分と共に勉強せよ」などという侍従に対する命令としては完全に型破りなことを命じたりもした。
それは外から見ると明らかに贔屓であり、眉をひそめる者もいないではなかった。しかし多くは遥が蒼を「弟のように」可愛がっていると好意的に捉えており、いつでも遥の呼び出しに応えられるよう蒼の仕事の分担を減らすことさえしていた。
「蒼よ」
「は、何でございましょう」
「そなたは市井の暮らしを見聞きしたことはあるか?」
「はい。白風は農業の盛んな地ではございますが、物が多いということは商人もまた多いということでございます。私は‥‥」
蒼はそこで少し言葉を切り、やや恥ずかし気に耳のあたりを赤くする。
「私はこっそり館を抜け出し、市場で商人に紛れて動いていたこともございました」
「ほう。では市井の言葉遣いもできるか?」
「多少でございますが」
「では市場で一番面白かった話を、市井の言葉で語ってみるがよい。商人の話を直接聞くことはできぬが、直接聞いている気分になることはできるであろう」
それは考えに考えた、遥が自分自身をごまかすための詭弁だった。
蒼に市井の言葉で話させたい。それは彼をより空の姿に近づけたいというエゴにすぎないのだが、遥はそれが蒼にも空にも失礼なことになるという自覚はしていた。
しかしそれでもなお、蒼と空を重ねたい気持ちは抑えがたかった。蒼を通じて空の姿を見たい。その気持ちは遥自身も気づかないうちに制御できないほど大きくなっていた。
そこで遥は考えた。これは蒼と空を同一視しているのではない。市井の話をより生き生きと聞くためには市井の言葉で語るのがふさわしい。だからこそ、蒼に市井の言葉で語らせるのだ。決して空が語っていたからではない‥‥
しかし心の奥底では遥にもわかっていた。それがあくまでも詭弁に過ぎず、つまりは蒼の姿から空を見ようとしているのだと。
そのため遥の声は上ずり、態度もそわそわとしていた。蒼に見とがめられるほどに。
「殿下、お加減がよろしくないのでございますか?もしそうであれば私はこのまま下がり、侍医をお呼びいたしますが‥‥」
「いや、加減は悪くない。このまま話をしてくれ。臨場感のため、市井の言葉遣いでだぞ」
「‥‥かしこまりました」
慌てる遥に小さくため息をつくと、蒼は語り始めた。
「あれは俺が市場に行くようになって3日めぐらいのころだった。俺はそのとき、1人の爺さんと知り合った‥‥」
「蒼から連絡だ」
「どう?うまく行っている?」
「ああ、予想通り、皇子に気に入られているらしい。ときどき遠慮がちにしているそうだが、おそらく蒼と空を同一視していることに気が咎めているのだろう」
「それも計算通りね」
「そういうことだ。白風まで養子に行かせた甲斐があったな」
「それにしてもよくあそこまでそっくりに育ったものね」
「まったくだ。偶然の産物とは言え、皇子の目ももう曇っていることだろう。そろそろ決行してもいい頃合いだ」
ある日遥は遠乗りに出かけた。
通常であればお傍付きの侍従たちは徒歩で騎乗の遥を追いかける。そのため遥はあまり速度を出すことができず、乗馬の爽快感が得られない。
しかし蒼は地元で鍛えていたため、乗馬もできた。そこで遥はそれまでの慣例を破り、徒歩の者はそのまま、蒼だけに騎乗を許して出かけたのである。
「泊りがけが許されるなら、そなたのいた白風までも行けたのだがな」
「殿下、泊りがけとなっては私だけでは殿下をお守りしきれませぬ」
「心配するな、そなたの責任になるようなことはせぬ」
「ありがたきことにございます」
馬で早駆けしながらの会話。それは遥にとって初めての経験だった。空とはしたことがない、蒼とだけの経験。遥の中で、「蒼」が「空」から少しはみ出した。
「殿下、この先に丘がございます。そこからの景色は格別でございますよ」
「そうなのか。では行くとしよう」
蒼が鞭を持って指し示した丘に登ると、遥と蒼は馬を降りた。中腹に生えていた木に馬をつなぎ、徒歩で頂上へ向かう。
「ほう!確かにこれは見事だ!」
ゆるゆると波打つ草地に白っぽい光が降り注ぎ、ときに青くときに銀色に反射している。青や銀色の反射はざわりざわりと波打ちながら、どこまでも広がっていた。
「反射の色が違うのは、草の色が違うのだろ、ぐっ!」
後ろに控える蒼を振り向こうとした瞬間、脇腹に痛みが走った。
脇腹に突き刺さった短剣を握りしめた蒼が、硬い表情で遥を睨みつけている。
「そぅ‥‥」
「やっとこの時が来たよ、遥皇子。この時のために、俺は白風みたいなど田舎で耐えていたんだ」
「ど‥‥いう‥‥」
「これが俺の仕事だったんだよ。皇子は何も気づいてなかったんだろうがな」
蒼の声は表情と同じく、硬く冷たい。
「‥‥それじゃあばよ。わざわざ逃走用の馬まで準備してくれるとはありがたき幸せだ。この次はあの世で会おうぜ」
そう言い捨てると、蒼は突き刺した短剣をそのままに丘を駆け下りて行った。
遠くなってきた耳に、馬のいななきがかすかに聞こえる。
蒼‥‥蒼はやはり空ではなかった。空なら、たとえSSであろうと、空ならこんなことはしない。空なら堂々と正面から立ち合いを求めてくるはずだ。
そうだ、違う。蒼と空は違う‥‥違うんだ‥‥
消えかける意識の中で、遥は何度も違う、違うと繰り返していた。
最終更新:2022年10月19日 00:11