年を除(わ)ける夜
■天野遥:航空部と海洋冒険部に所属する飛行機バカ。彼女のティアを大切に大切にしている。
イラストは
らぬきの立ち絵保管庫
から
■天野高円
遥の父。岡山県倉敷市にある寺彩雲寺の住職。実は蓬莱学園OB。
■天野茜
遥の母。高円とは学園で知り合って卒業後すぐに結婚した。
遥は複雑な表情をしていた。
怒っているような、困っているような、それでいてどこか嬉しそうな。
その視線の先には封筒が5枚並んでいる。その中身はすべて同じ、2種類の書類。
生徒会から1セット、航空部から1セット、日向荘寮長から1セット、そして面白がったらしい生徒会長と光から各1セット。
片方は台東区に、そしてもう片方は学園に提出する婚姻届であった。
「提出するのは1回なんだから、複数あっても仕方ないだろうに。生徒会からの1セットだけでいいんだよ、まったく。そもそもまだ‥‥あ、そうだ」
ぶつぶつ言っていた遥は何か思いついたのかキッチンに向かって声をかけた。
「ティア!年末年始にちょっと旅行に行かないか?」
「旅行?」
菜箸を持ったままのティアが顔を出す。養母である鉄華の薫陶のおかげで、ティアはそれなりに料理ができるようになっていた。
「どこに行くの?」
「うん、ティアを俺の両親に会わせたいと思ってさ」
「ハルカのお父さんとお母さんに会うの?」
「そうだよ。鉄華さんにはいつでも会えるけど、俺の親にはまだ会ったことがないだろ?」
そう言うと遥は日本地図を持ち出してきた。
「この地図には載ってないけど、宇津帆島がこのあたり」
東京のはるか南方の海を指さして、その指をすっと瀬戸内海あたりまで動かす。
「俺の実家はこの辺。東京から新幹線に乗ってざっと4時間ぐらいかな」
「実家って何?」
首を傾げるティア。彼女にはまだその概念はわからない。
「あ、そうか。えーと、学園に来る前に俺が住んでた家だよ」
「学園に来る前‥‥」
ティアの表情が一瞬曇る。マッドサイエンティストがアジトにしていた島、そして失われた姉妹たちを思い出したらしい。
「じゃあ、私には実家はないのね」
ぽつんと落ちた寂しそうな呟き。遥は思わず彼女の肩を抱き寄せた。
「ここがティアの実家だよ。いつだって俺のいるところがお前の居場所だからさ」
「ハルカ‥‥うんっ!」
12月30日。
JR品川駅に2人の姿があった。
2人とも学園制服の上に、遥は黒いダウンジャケット、ティアはベージュのダッフルコートを着込んでいる。
「本土って寒かったのね」
「そうだな。俺もすっかり忘れてたよ」
羽田まで制服姿で来た2人はあまりの寒さに驚き、空港のショップであわててジャケットとコートを購入したのだった。
「ここから新幹線に乗って、岡山で乗り換えだ」
「乗り換え後も新幹線?」
「いや、乗り換えは在来線だよ」
遥は自分の荷物はリュック1つ、それにティアのキャリーカートを引いていた。ティアは小さめのショルダーバッグ1つを斜めがけにしただけである。
実家なので遥自身の衣類はほとんど必要ない。そのため、ティアの荷物を代わりに扱っているのだった。
もっとも遥なら、自分の荷物が多かったとしてもティアの荷物も持つと言い張っただろうが。
「さ、乗るぞ」
空いている手でティアの手を取る。
「ハルカ、手が冷たい」
「あ、ごめん。これならどうだ?」
つないだままの手をポケットに突っ込む。
「うん、あったかい」
2人はそのまま、指定席車両に乗車していった。
「ねえ、ハルカ」
「何だ?」
「お父さんって、どんなものなの?」
ティアの言葉に遥は一瞬どきっとした。
彼女には本当の意味での両親はいない。そもそも人間として生まれていない。
超能人型決戦兵器、機械仕掛けの大鬼神「超能機神ストク」。その姿勢制御AIとして創られた名もないプログラム。ただ製造番号で「トゥエルブ」と呼ばれていた。
それが多くの魂を吸収するうちに、自我が生まれた。
学園生徒との戦いの中、エステルの言葉から生命の光を感じ取り、パイロットを脱出させてから暴走を避けるために自ら海に沈んだはずだった。
ところが作成者である女性マッドサイエンティストの干渉によって、ストク内部の怨念が強化されてしまう。
ストクのコントロール権を失ったAIは、搭載機であるウィングのAIに自身を複写した。
ナノマシンを結合して仮初の肉体を作り上げる技術を得たAIは、そこで遥に遭遇する。
ただのAI、プログラムに過ぎない自分に「ティア」という名前を与え、「人間だ」と断言し、マッドサイエンティストの心ない言葉から最後までかばい続けた遥。
そしてどんな奇跡が起こったのか。
気づくと、彼女は本当の生命を、人としての肉体を得ていた。
遥の想いが起こした奇跡。彼女自身も含め、そこにいた者たちはすべてそう信じた。
「‥‥普通の人は、お父さんとお母さんがいるから生まれてくるのよね」
「うん」
「私はハルカがいたから生まれることができたから‥‥私に生命と身体をくれたのはハルカだから、ハルカが私のお父さん?」
「げほっ!」
遥は飲みかけていたコーヒーに盛大にむせてしまう。
「違うぞそれは、ってあながち間違ってもいないけど、でも違うぞ。俺はティアのお父さんじゃなくて、その、」
頬が赤くなり、言葉に詰まる。気が早くも「夫」とか「旦那」とかいう単語が頭に浮かぶが、気恥ずかしくて口に出せない。
「彼氏よねっ」
察したのかティアが微笑んで助け船を出した。
「そ、そうだよ」
穏当な表現に巡り合えた遥は大きく息をついて、コーヒーを飲みなおす。
「‥‥でもな、ティア。普通のお父さんとお母さんが自分たちの子供に持つ気持ちとは違うけど、俺は誰よりも一番ティアが大切だからな」
「うん、ありがとう」
そのうちに、新幹線が滑るように走り出す。車内にいる遥たちにとっては音もなく。
「電車って意外と速いのね」
車窓を眺めながら、ティアが声を弾ませた。
「ああ、ティアは学園の路面電車しか乗ったことがなかったな」
運転手によって大きく違うものの、無理やり平均を取れば路面電車の時速はおおむね30km。それなりの車体と体力があれば自転車でも追いつける。
「本土の電車は普通列車でも最大90kmぐらいは出すからな。しかもこれは新幹線だ。場所によっては300km出るぞ」
「そんなに出るの!」
ティアは驚いたように目を瞬いたが、いたずらっぽく首をすくめると
「でもハルカのF-14のほうが速いわよね」
「そりゃ音速戦闘機と比べちゃダメだろ」
「ふふっ」
在来線に乗り換え、数駅。
電車を降りた2人は、手をつないだまま住宅街を歩いていた。
ティアの目の前を白い小さなものがかすめて飛ぶ。
と、それはどんどん数を増し、空からひらひらと舞い降り続けてきた。
「あ、ハルカ、雪!」
「ほんとだ。冷え込むと思ったら降ってきたか」
遥はポケットの中のティアの手を握り直し、少しだけ足を速めた。
「この勢いだと積もるぞ。急ごう」
「うん」
大きな門の前で、ティアは目を丸くしていた。
「‥‥ここが、ハルカのうち?」
「うん、俺のうち」
瓦葺の屋根を持つ門など、ティアは見たことがなかった。夕方薄暗くなった時間帯のせいか、大きな木戸は閉じられている。
「こんな大きな戸を開けなきゃ出入りできないの?」
「いや、この門は朝に開けたら夕方まで開けっぱなしだよ」
答えると遥は『彩雲寺』と記された大きな表札が掲げられた門柱の脇に回った。そこには普通のドアと同じくらいの大きさの通用門がある。
「こっちこっち」
ぎぃときしむ音を立てて通用門が開き、2人は中に足を踏み入れた。
「大きい‥‥」
本堂を眺めて、ティアが呟いた。
「それにいくつも建物があるのね」
「寺だからな。ほとんどは仏様のための建物だよ。俺たちが住んでる家そのものはあれだ」
そう言って遥が指さしたのは、敷地内に建つごく普通の一戸建てだった。
がらがらっと今では珍しくなった引き戸を開くと、
「ただいまー!」
と遥が声を張り上げた。
「あら。お帰り、遥。案外早かったのね」
「乗り換えがうまくいったからさ」
エプロンの端で手を拭きながら、1人の女性が小走りにやってきた。その顔立ちは遥によく似ている。
「初めまして、北大路ティアです」
遥の隣でティアがぺこりと頭を下げる。
「ティアさんね、初めまして。遥の母です」
「おお、早く上がってもらえ。玄関は寒いぞ」
奥からかかった声に、
「あれが父さんだよ」
と遥が笑った。
「改めて‥‥北大路ティアです。よろしくお願いします」
正座したティアがきちんと頭を下げた。
長方形のこたつの長辺に遥とティア、その向かい側に遥の両親が並んで座っている。
遥の父は坊主頭で、輪袈裟をかけていた。この彩雲寺の住職なのである。
「父さん、母さん」
遥が真剣な表情でこたつの天板に両手をついた。
「俺、この娘と結婚する」
遥の両親は一瞬顔を見合わせると、くすくすと笑いだした。
思いもよらぬ反応に、遥の表情が真っ白になる。
「すまんすまん、血は争えんと思ってな」
「私たちも蓬莱にいたときに知り合ったのよ。結婚は卒業してからだけどね」
今度顔を見合わせるのは遥とティアの番だった。
「学園にいたのは知ってたけどさ‥‥」
「お2人も学園で知り合ったんですか!」
複雑な表情の遥と素直に顔を輝かせるティア。
「まあ、遥が女の子を連れて帰ってくるって時点で見当はついてたさ」
「今まで彼方以外の女の子に目もくれなかった遥がねぇ」
「しかたないだろ!‥‥彼方より可愛い女の子に初めて出会ったんだから」
そっぽを向く遥。その耳が少し赤い。彼はティアに会うまでかなり重度のシスコンだったのだ。
「それより」
遥は座りなおして表情を改めた。
「ティア、父さんと母さんには話しておきたい。いいな?」
「ええ」
うなずくティア。その表情は少しだけ固い。
「この話は彼方も知らない。生徒会執行部以外で知ってるのは航空部と海洋冒険部の上層部、それと当事者だけだ」
「なんでそんな話をお前が?確かお前は大尉だっただろう?」
「それは夏ごろの話だろ。今の俺は中佐だよ」
「数ヶ月で2階級って‥‥あんた、何やったの?」
「それがティアに関わる話なんだ。そして俺も当事者なんだ」
遥はこたつの中に手を入れ、ティアの手を握る。力づけるように。
「ティアは普通の人間じゃない。いや、今はもう普通の人間なんだけど、生まれが普通じゃない」
息を吸い込んで、
「ティアを人間にしたのは、俺だ」
一気に言い切った。
それからストクの一件を語る。ゆっくりと、考えながら。
「‥‥ストクは錆びついて崩れていき、飲み込まれていた魂たちも天に還った。そしてティアは、肉体を得て俺の隣に現れた」
そう締めくくる遥。
沈黙が落ちる。
やがて。
「ティアさん」
遥の母が真面目な表情でティアに向き直った。
「は、はい」
ティアは思わず背筋を伸ばす。何を言われるのだろうか。緊張するティアに、遥の母は微笑んだ。
「遥を救ってくれて、ありがとう。あなたがいなかったら遥はきっと実験動物にされて、ぼろぼろになっていたわ」
「そ、そんな!救われたのは私です!ハルカがいなければ私は、ウィングの制御さえ奪われて消滅していたはずです!」
「それでも、遥を救おうとしてくれたのは事実だろう」
遥の父が口を開いた。
「仏の教えには、善因善果という言葉がある。よいことを行えば、よい結果があるという意味だ。遥を救うというよい行動が、君の肉体というよい結果になったわけだ。遥はその一押しをしたにすぎんよ」
「仏の教えですか‥‥」
その概念はティアにはまだよくわからない。難しい顔をしているティアに、遥の父はうなずいた。
「そうややこしく考えることはない。自分や周囲にとって、何がよいことかを考えて、それを実行していけばいいんだよ」
「それなら私は、ハルカを大切にして、仲よくすごしていきたいです」
「ティ、ティア‥‥」
赤くなる遥に構わず、ティアは無邪気に笑って宣言する。
「そうすれば輝美さんも宴夜さんも、加代子さんも光さんも、笑っていてくれます。みんなが笑っていてくれると、私も嬉しくなりますから」
「そうだね。みんなが笑う、ティアさんも笑う。そうしてみんな幸せになる。とても大切なことだ」
そう言うと、遥の父はティアに向かって頭を下げた。隣で母も頭を下げる。何も言葉を発しないのに、そのタイミングはぴったり同じだった。
「ティアさん。息子をよろしくお願いします」
「ときどき情けなくなる子だけど、面倒を見てやってね」
翌朝、遥が目を覚ましたとき。すでにティアの姿はなかった。
時計を見ると午前10時過ぎ。久しぶりの実家でくつろいで寝坊してしまったようだ。
「あれ、ティア。どこに行ったんだ?」
居間に行くとこたつの上に1枚のメモがあった。
「ティアちゃんと買い物に行ってきます。朝ごはんは冷蔵庫の中」
あわててサンダルをつっかけて外に出ると、父がうっすらと雪の積もった境内を竹ぼうきで掃いていた。
「と、父さん!母さんにティアを取られた!」
「何を言ってるんだお前は」
掃き掃除兼雪かきの手を休めず、父は苦笑する。
「それよりそんな恰好じゃ風邪を引くぞ」
言われて遥は、自分がまだパジャマ姿なことに気づく。途端に寒さが押し寄せてきた。
「彼方は中学くらいから部活に打ち込むようになって母さんと買い物に行かなくなったからな。久しぶりの“娘との買い物”が嬉しいんだろう」
「そっか」
うなずいてくしゃみを一つ。
「とりあえず俺、着替えてくる」
「見て見て、ハルカ!」
やがて帰ってきたティアはコートを脱ぐと、両手を広げて遥の前でくるりと回って見せた。
到着したときの制服姿とはうって変わり、白いタートルネックセーターにクリーム色のカーディガン、デニムのロングスカートという姿になっている。
「へえ、よく似合ってるな。可愛いぞ」
「えへへ。茜お母さんが選んでくれたの」
その呼び方に思わず遥は笑みをこぼす。
「そっか。仲よくなったんだな」
「うんっ!他にもいろいろ買ってもらったの」
嬉しそうなティアの後ろから、遥の母が顔を出す。
「ティアちゃんはスタイルがいいから、選びがいがあるのよ」
「でも母さん、冬服ばかり買っても宇津帆島では使えないぞ?」
「いいじゃない。これからお正月はこっちで過ごすんでしょ?」
「航空部と海洋冒険部、両方で非番が取れればな」
あっさりした息子の言葉に「あら冷たい」と大げさに嘆いてみせる母をスルーして、遥は一度自分の部屋に戻った。
青系のチェックのネルシャツ、白のVネックセーター、ジーンズに着替えてダウンジャケットを手に取る。
「ティア、今度は俺と出かけないか?この辺を案内してやるよ」
ところが。
「ごめんね、ハルカ。茜お母さんと一緒におせち作る約束したの」
あっさり爆死を遂げてしまう。
「う‥‥そ、そうなのか」
にこにこしているティアの後ろで、母があかんべをする。遥は一瞬あかんべ仕返しそうになったが、ティアの前なので思いとどまった。
「それより遥。せっかく着替えたんだから卵と白菜買ってきてよ。あと鶏肉とネギとお蕎麦もね」
「なんだよ、さっきまで買い物してたんじゃないのか?」
「ティアちゃんの服を買ってたに決まってるじゃない」
「あ‥‥」
確かにそれでは食料品を持つ余地などないだろう。遥はため息をつくと、
「買い物メモ作って」
と無条件降伏するのだった。
その夜、すなわち大晦日の夜。
しっかりと着込んだ遥とティアは、除夜の鐘を撞こうとする人々の列に並んでいた。
「ハルカ、除夜の鐘って何?」
「えーと。人間には百八つの煩悩‥‥つまり心を悩ませたり苦しませたりするものがあるんだけどさ」
「うん」
「それを消し去るために、お寺の鐘を鳴らすんだ。だから全部で百八回撞くんだよ」
その説明を聞いて、ティアは不思議そうに首を傾げる。
「でもここに並んでる人たちは一回ずつしか撞かないのよね。煩悩も一つしか消えないの?」
「音を聞くだけでもいいんだよ。でもお参りの気持ちを持って撞いたり、単に記念のために撞く人も多いね」
「そうなんだ。じゃあ“除夜”ってどういう意味?」
「除夜の“除”は“分ける”って意味なんだ。古い年と新しい年を“分ける夜”ってことだよ」
遥も一応は寺の息子である。このぐらいはすらすらと答えられる。
そのうちにも列はゆっくりと進み、やがて遥とティアの順番が回ってきた。
「ティア、俺の真似をして」
そう言うと遥は合掌して鐘に向かって一礼した。そばでティアも真似をする。
それから遥は撞木に下がった綱を引き、ゆっくりと鐘を撞く。
ごぉ~~~~~~ん‥‥
腹の底に響くような音が、街に鳴り渡る。
「鐘を守るために少しだけ待ってから、同じように撞くんだ」
「うん」
響きが消えるまで待ってから、ティアも鐘を撞く。
それから二人はもう一度合掌して一礼してから、次の人へ順番を譲った。
玉砂利を踏む音が耳に心地よい。
甘酒の振る舞いに集まる人々のざわめきから少し外れたところで、遥はティアに向き直った。
「どうしたの、ハルカ?」
「うん。ごめんな、今まで当然のことだと思ってて口に出してはっきり言ってなかった」
「何を?」
聞き返すティアの顔を真剣な表情で見つめる遥。
思わずティアも姿勢を正す。
「ティア、愛してる。ずっと一緒に希望の空を飛ぼう。俺と結婚してくれ」
「‥‥はいっ!」
答えると同時にティアは遥の胸に飛び込む。
そんな二人を、百八回めの鐘の響きが包んでいった。
最終更新:2022年10月18日 23:54