『ジェーン・ドゥとドラクルおじさん 孤独の華 編』
■ジェーンさん:白いゴスロリの魔法使い。
見た目は小学生。
女難の相あり。←多分自業自得。
※絶賛スキンヘッド中
今生名:瑠璃堂院月子
■セブンさん:ジェーンが【運命の方翼】と呼ぶ女。輪廻の中でジェーンと親子だったり恋人だったりと切っても切れない中。
セブンにはその記憶は無い。
※絶賛里帰り中
■那須さん:ジェーン大好き。女装男子→女。
中国拳法と東洋医術を修めている。
推しの幸せは...私の幸せ...
■不老転生体:
殺さない限りは死なないが、死ねば数年から数十年の間を開けて人から生まれてくる。
同族により特殊な武器で首をはねられると消滅、転生できなくなる。
同族殺しを行ったものは力を得ていく。
ジェーンはこの戦いに否定的であるため魔法と口先で逃げ回っている。
※※※※※※
【ドラクルの遺骨】は特級呪物だ。
その界隈では知らないものなどいない代物であり、形状は首飾、中央に血を思わせる赤い宝石があしらわれていて、それは金で飾られている。
そしてそれらは白い素材を台座として使用されていた。
この素材こそが、「ヴラド・ドラクレシュティ」という15世紀前半の人物の骨である。
芸術品としても価値の高いこの首飾りは、表の世界では【ワラキアの赤い星】と呼ばれ高額で取引されていた。
しかし、中央の赤い宝石は持ち主を転々とする中で消失し、今では別の石がジェーンによってはめられている。
そんな首飾りに宿っているのが、ドラクルおじさんこと「ヴラド・ドラクレシュティ」
彼はかの有名なドラキュラのパパなのであった。
【ドラクルの遺骨】は特級呪物であるため取り扱いは厳重に管理しなければいけない。
ジェーンは彼(ドラクルの遺骨)を眼帯の下に隠した右目の中へしまい込んでいた。
この右目は【魔法・目蔵】によって不思議な空間につながっており、それを倉庫として使うことができるのだった。
彼はそんな倉庫の中で己を振り返っていた。
《俺は最近どうもあの魔女に影響されてる気がする》
彼は思念体であるためこれより先の記述はおかしいかもしれないが、あえて表現するなら、胡坐をかいて腕を組んで首をひねっていた。
《昔はただ誰でも彼でも憎くて、当たるが幸いとばかりに呪ってきた》
彼を手に入れたもののほとんどは、様々な不幸に見舞われていた。
無事だったのはすぐに転売した者たちと、ジェーンくらいだった。
《はっきりとしない意識の中で、ただ憎くて憎くて……ただ俺を手に入れただけの奴らを不幸にした》
目を閉じて彼が不幸にしてきた者たちの顔を思い受けべる。
そこには幼い子供も含まれていた。
《……》
胸を押さえる。
《おかしいだろ》
違和感は徐々に育ち、胸を締め付けるまでになっていた。
《俺は呪の首飾りだぞ!?なんで……》
言葉に詰まる。
その言葉を口にしたら、認めてしまうことになる気がして。
《あの魔女のせいか?聖職者などとほざく異教の魔女のせいなのか!?》
いつか言っていたジェーンの言葉を思い出す。
『人を憎むことも生きていればあるじゃろうよ。誰かを傷つけることもあるじゃろう、それでも誰かのために祈り、誰かを笑顔にする、それが人間というものじゃ……』
『お前もか?』
『おうともよ』
『聖職者なのにか?』
『聖職者に生まれたわけではない、聖職者であろうと生きているだけじゃ……お主とて同じじゃ』
瞼に浮かぶ今まで呪ってきた人たちの顔。
それを一人一人思い浮かべていく。
彼は【特級呪物】だ。
《クソ!クソ!くそぉお!》
死して後、約600年……こんな感情を抱いたのは初めてだった。
※※※※
学園某所
薄暗い4畳半の部屋に入りきらないほどの人が集まっていた。
エアコンも扇風機もないこの部屋で彼らは汗だくになっている。
彼らは受けた仕事が失敗続きであることを鑑み、総力戦を挑もうとしていた。
「諸君!まずはこの暑い中集まってくれたことに感謝する!」
部屋の最奥でやせたメガネの男がそう声を張り上げ、労を労う。
ひとしきり挨拶をした彼は「ことの経緯は副団長から説明してもらう」と言って場を譲った。
隣に立っていた公安の制服を着た男が眼鏡をいじりながら、話し出す。
「今月初頭 我々は2つの依頼を受けた……この2つは全くの別物であったが、ターゲットが同一個所に通う女生徒であったために比較的少ない労力で達成できる見込みであった」
副団長は手に持った資料を近くの団員へ渡し1部を取って後ろへ渡すように指示しながら話を続けた。
「仕込みに1週間、張り込みに1週間……そして6人の脱落者」
「6人!?」「6人も脱落したか!?」「いったい誰が!?」「ターゲットは誰だったんだ!」
団員たちの間に走った衝撃の大きさを物語るように、あちこちで声が上がる。
「静粛に!……脱落したのは、念写のタツ、配達員のアキナ、ボロチャリのヤマ、透けブラのハッシー、階段下のデニー、そして大浴場のヨーコだ」
「そんな馬鹿な!!」「その6人は我らの中でもエース級の者たちだぞ!」「相手は誰なんだ!」
「先輩、あの……「なんとかのなんとか」って人たちは有名なんですか?」
この場に集まったメンバーの中で1番若い男子生徒が隣に立つ男にヒソヒソと声をかけた。
男はテニス部のユニホームを着ていたが、どう見てもスポーツマンには見えなかった。
「あん?……なんだ、新入部員か……さっきの6人は撮影成功率上位の者たちだ。特に「大浴場のヨーコ」は大物狙いで有名だな」
「女子寮の?」
「ああ、女子寮にあるという大浴場へ潜入し、見事生還する強者だ」
「大浴場……」どんな戦果なのかを想像し生唾を飲み込まずにはいられない新入部員だった。
「我々の努力をあざ笑うかのように無に帰し、我々の親愛なる仲間を地獄へ叩き落した憎きターゲットは……この2人だ!」
部屋の壁にその二人の写真をたたきつけるように張り付ける。
登校中の那須幸男を盗撮したであろう写真と、カメラ目線でピースサインのジェーンの写真。
「念写のタツはもう二度と念写することができないほどにやられた。大浴場のヨーコは弁天寮を追放されもう2度とあの楽園へ足を踏み入れることはできないだろう」
副団長は沈痛な面持ちで団員たちを見渡す。
そこには動揺を隠しきれない者たちばかり。
脱落した6人は彼らの中でも仕事の成功率が高く、今まで一度も脱落したことがないものばかりだったからだ。
副団長から、やせたメガネの男へ変わる。
「諸君……偉大なる先人はこう語った『全てのシャッターチャンスはカメラを構えた者のみに与えられる』……諸君!安全で退屈な人生を望むか?それとも、危険でスリルに満ちた生を望むか?」
この言葉に場は冷静さを取り戻していく。
「諸君!宝の地図は既にある!先ほど副団長が配ったものがそれだ!お宝を目の前にして歩みを止める冒険家がいるだろうか!頂を目の前にして引き下がる登山家がいるだろうか!シャッターチャンスを目の前にしてシャッターを押さないカメラマンがいるだろうか! 否!」
やせたメガネの男――団長――は、彼が中学のころから使っているカメラを手に静かに、そして熱く言葉を続ける。
「我々は探検家だ、我々は冒険家だ、我々は登山家だ、我々は写真家だ……宝の地図を手にし、お宝を目の前にして引き下がれるのか?」
やせたメガネは団員たち一人一人の顔を見て確信を得たようにこぶしを突き上げる。
「断じて、否である! 我々はいかなる犠牲を払おうともこの依頼を遂行する!報酬のためでも名誉の為でもない!我々が我々であるいうただ一つの誇りのために!諸君!カメラを構えよ!」
「応!」団員たちが気炎を上げて答える。
「諸君に!シャッターチャンスがあらんこと!」
「シャッターチャンスがあらんことを!」
彼らは【投稿生活団】……青春を謳歌する、犯罪者と犯罪者予備軍たちであった。
※※※※
笛野の森 九重の屋敷
葉車九重の私邸であるこの屋敷は、学園生徒からカラクリ屋敷、人形屋敷などと呼ばれている。
広大な敷地内には日本庭園をはじめ、いくつもの離れや庵が存在している。
離れには使用人たちが住み暮らしていて、母屋には九重をはじめ葉車一族が生活出来る様になっている。
もっとも、新町にある葉車タワーが再建されてからは九重を除く兄弟姉妹たちはそちらへ戻ってしまって、ここには九重のみとなっている。
そんな屋敷に普段は女子寮に住んでいるセブンこと、葉車奈菜も寝起きしていた……正しくは引きこもっていた。
しかしだからと言って、屋敷に2人しかいないわけではない。
そもそも使用人たちは九重の身の回りの世話をし、護衛をするためにいるのだ。
彼女ら彼らにとっては、母屋そして九重の周りが仕事場だ。
だからこそ、今、1つの扉の前で土下座するスキンヘッドの女子小学生を遠巻きに眺めているメイドたちがいても、何ら不思議ではないのだった。
個人宅としては広い屋敷も、コミュニティとしては大きなものではなく【女子小学生が奈菜様の部屋の前で土下座している】という噂は瞬く間に広がっていた。
「あれって……ジェーン様じゃない?」
「奈菜様に会いに来る小学生なんて、一人しかいないし、間違いないわよ」
「えぇ?……確かに、背格好や服装はそうだけど……髪型……」
「髪形はほら、土下座してることからもわかるんじゃないかしら?」
「あーなるふぉど……じゃぁ噂は本当だったんだ」
「きっとそうよ。学校でも何度も聞いたしきっとそうよ」
廊下の端からメイドたちがのぞき見しながらうわさ話に花を咲かせている。
そこへ後ろから声をかける者がいた。
「どんな噂なのですか?」
メイドたちは振り向きもせず、好奇の目を土下座する少女へ向けていた。
「なんでも、あの白い藪医者は女なのに女癖が悪くて次々手を出しては関係を持ってるっていう噂なのよ」
「そうそう、それでその中の一人が奈菜様なんだけどね、その話を知った奈菜様がお怒りになってああやって引きこもったのよ」
「本当ですか?」
「噂だからねぇ、それでも私としてはあんまりここへは来てほしくないわ」
「どうしてですか?」
「だって九重様にそんな噂がたったらいやだもの」
「……そうですか」
「そうですかってあなたねぇ」
メイドが振り返るとそこには白い花――月下美人――が描かれた浴衣を着た九重が立っていた。
「九重様!?」
「私を心配してくれるのはうれしいですが、たかが噂程度で人を判断してはいけませんよ。それに噂程度で判断していたら……私たち一族は今頃どうなっていたでしょうね?」
メイドは世に流れる葉車についての噂を耳にしたことがあった。
葉車財閥は産院から寺院まであらゆるものを扱う巨大企業の集合体だ。
だからこそそれを面白くな思わない連中も多い。
特に、九重はその発明から財閥にとっては欠かせない人物であり、だからこそ目の敵にされることも多い。
彼女たちメイドは、そんな噂や悪意から彼女を守るために九重に仕えているのだ。
今のところ彼女たちの仕事は順調であり、主である九重を守り通せている。
九重は彼女たちの仕事について知っているからこそ、日ごろから感謝をして、それを伝えることを惜しまない。
九重からすれば『自分たちに向けられる噂を気にせず葉車の一員でいてくれる彼女たちが、すこし焦点がずれただけで噂を判断材料としてしまっている』ことに驚いていた。
「あ!九重様どちらへ!?」
「もちろん、お姉様とジェーン様にお会いしに行くのですよ。客人をもてなすのは屋敷の主の務めですからね」
いつもの笑顔でそういうと『とととと』という擬音が似合う早歩きでジェーンのそばに行き彼女へ勢いよく飛びついたのだった。
※※※※
時間は少しさかのぼる。
笛野の森 九重の屋敷 正門前。
未だ照り付ける太陽の下『ひんやり魔法』で汗をかかない二人が、厳めしい門を見上げて足を止めていた。
「どうします?私もついていったほうがよくないですか?」
「……いや、儂1人で行くべきじゃろう」
「でもセンセェ……葉車の人形屋敷ですよ?中に入って生きて帰ってきた者はいないっていう……人形にされるって噂ですよ?」
ジェーンはその人形屋敷、つまり九重の屋敷に行ったこともあるし、なんならお泊りだってしている。
そんなジェーンが初めて聞くその噂に、笑いがこみあげてくるのは仕方ないことだと言えよう。
「カカカカッそんなことは気にせんでよい。わしは何度も遊びに行っとる」
「じゃぁセブンへの説明とか……私も一緒のほうがよくないですか?」
「セブンには儂1人で会ったほうがよかろう。先に寮へ帰っておれ」
「……わかりました。センセェがそこまで言うなら……でも必要ならすぐ連絡ください。飛んできますから」
二人の話が付いたタイミングで城門のようなそれが、重厚な音を立てながら開いていく。
そこにはジェーンもよく知るメイド長の大名東が、美しい立ち姿で彼女を待っていた。
「ようこそ ジェーン様」
「儂が来るのを知っておったのか?」
「いえ、たまたまでございます」解けば腰までありそうな髪をシニヨンに纏め眼鏡をかけた彼女は、本当かウソかわからない笑顔でそう答えた。
「今日はセブンに会いに来たんじゃが……会えるかの?」
「アポイントメントは取っておられますか?」
ジェーンの後ろで重厚な音を立てながら門が閉まっていく。
「……いや……とっておらんの」
「奈菜様は……この半月ほど、誰ともお会いになられておられませんので「なんじゃと!?」」
ジェーンは驚きのあまり大きな声を出してしまったことを恥じた。
「ご存じなかったのですか?」大名東は1流の護衛にしてその指揮官であり、そして1流のメイドである。
そんな彼女が客に対して失礼に当たるような態度を出すはずがない。……はずがないが、ジェーンにはその言葉にとげがあるように感じたのだった。
「先ほど、門の前にいらっしゃった女性が浮気相手の那須幸男……ゆき様ですね?」
「……浮気……そこは、セブンに説明させてもらうとして、確かにあれが『ゆき』で間違いない」
「確かにお綺麗な方ですね」
「うむ」
「だから浮気したんですか?」
「……そこはセブンに「会わせてもらえると思っているのですか?」」
ジェーンの心臓が一瞬跳ね上がる。
言葉を詰まらせる。
ひんやり魔法で快適な温度であるはずなのに、いやな汗をかいていることに気が付く。
先ほどまでと変わらないはずなのに、蝉の鳴き声がやけにうるさく感じた。
「……お伺いを立ててきます。別の者がご案内しますのでそちらでお待ちください」
そういってメイド長は一礼し踵を返す。
待つことしばし、別のメイドが庭に面した一室へ案内してくれた。
何度も来たことのある部屋なのにいつもよりも、雰囲気が固いような気がする。
廊下を挟んで見える庭でさえ、ジェーンを拒んでいるような……。
出されたお茶とおはぎをいただきながらここでもしばし待たされた。
大名東が戻ってきてこう告げた。
「お会いしたくないそうです」
「……そうか……何とか会うことはできんじゃろうか?」
「私は一使用人にすぎません。お答えできかねます」
「そうか……では日を改めて伺うとしよう」
そうしてジェーンが席を立った時、一人のメイドがやってきてメイド長へ何やら耳打ちをして下がっていく。
「奈菜様からです。『話だけは聞いてやる』とのことですのでご案内します」
話さえ聞いてもらえないかと思っていたところへ、この知らせを受けて安堵し胸をなでおろす。
そして、案内されたのがセブンの部屋のドアの前。
メイド長は此処まで案内した後、失礼しますと言って去っていった。
試しにドアノブを回しいてみるが、鍵がかかっていて開けることはできなかった。
「会ってはくれぬが話を聞いてくれるっていうのは……こういうことか……」
固く閉ざされたドアがセブンの心そのものなのだと思えた。
ドアにそっと触れて「そこにおるのか?」ドアの向こうにいるであろうセブンに声をかける。
答えはない。
ジェーンはただ扉に向かって、その向こうにいるはずのセブンに語りかける。
セブンのことが一番大事だということ。
未だに襲撃者が絶えないこと、だからまだ避難していてほしいこと。
セブンのいない毎日がつまらなくて寂しくて、セブンでないとだめだということ。
そのうえで、ジェーンがどれだけ那須幸男に感謝しているかということ。
彼女の望みがなんであるかと言うこと。
ジェーンにはそれをかなえる術があること。
セブンのことが本当に大事だということ。
一日でも早く以前のように一緒に居れるようにしたいということ。
思いつく限りの言葉を使って胸の内を伝える。
ジェーンの魔法を使えば扉の向こうにセブンがいるかどうか、そして、魔法を使ってセブンの意思を操ることだってできる。
けれど、彼女はそうしない。
心のつながりを大事にしたいからだという。
他人ではない大事な人だからこそ、その思いも強い。
どれくらいの時間がたっただろうか。
自分なりに言葉を尽くした。
けれども、セブンの声は聞こえない。
扉の向こうからは見えることはないとわかっていても、心から自然とその場に土下座する。
どうすればいいかわからない。
何を言えばいいのかわからない。
いうべきことは言ったのだから。
その思いが、態度に出たのだ。
頭を下げ続けるジェーン。
そこへ「ジェーンおねー様!」と飛びついてくるものがいた。
セブンの妹の九重だった。
土下座の上から飛びのられた側としてはたまったものではない。
まだ子供とはいえジェーンよりも体が大きな九重が飛び乗ったのだから。
潰れたカエルのような悲鳴をあげてうずくまる。
「あはははは!そーれ!」
九重はそれをあえて無視してジェーンのあちこちをくすぐる。
「カカかははは!あはははは!やめ!やめぇ!」
九重は執拗にジェーンをくすぐり続ける。
痺れた足も相まって逃げることもできずされるがままの状態だった。
そんな2人の笑い声が――1つは悲鳴に近かったが――辺りに響き渡り……そして、固く閉ざされていたセブンの扉をほんの僅かだけれども開く。
「今です!」
そう声を上げて袂から取り出したのはカラクリ人形の『たじからおくん』
身長15cm程の相撲取りのような人形で、開いたドアの隙間にスッと入り込んだかと思えば、みるみる大きくなりドアを完全に開き切ってしまった。
そしてそこには突然の事に呆然とするセブンの姿があった。
※※※※
那須幸男は門の向こうに消えるジェーンを見送る。
そのまましばらくは門をじっと見ていたけれど、問題はなさそうと判断し、言いつけ通りに先に寮へ帰ることにした。
笛野の森には九重の屋敷以外にも、学園の施設が多く存在する。
しかし、森と言われるのはそれだけ自然が豊かだからに他ならなかった。
そんな森の中を弁天寮方面へと歩いている。
「夏場と違って暗くなるのが早くなった気がする……先生も言っていたし、早く帰ろう」
もとより生い茂る木々のせいで日が差しにくいのだ、予想以上に暗くなるのが早かった。
幸男はジェーンから『女になったのだから夜道には注意するよう』言われていた。
さらに『性別による骨格の違いや筋肉のつき方も違うから荒事は当分の間控えるように』とも言われていた。
けれど、幸男には自信があった。
『最強』とまではいわないが、学園でも上位の腕っぷしだと自負している。
八卦掌という拳法を修め、今まで幾度も修羅場を潜り抜けてきた。
それが、油断へとつながった。
(……囲まれている?)
気が付いたのは完全に包囲されてからだった。
相手が何者かは分からない。
けれど、相手は一人ではないことから計画的だろうと思われた。
(センセェの客かしら?それとも、私のかしら?……あるいは葉車の?……何にせよ、まっとうな客じゃないことは確かなのだし、一人でも多く減らす。それがセンセェの隣に立つということ!)
客の姿は見えない。
日の光の届かない森の中で、影よりも暗い気配だけが迫っていた。
※※※※
弁天寮 ジェーンの部屋
銀髪金眼の幼女が所在なげにベッドに腰かけていた。
絹のような銀髪は緩いカーブを描き、金色の瞳は猛獣のような力強さを持っていた。
白いゴスロリを纏い、眼帯こそつけていないもののその姿はこの部屋の主、
ジェーン・ドゥをさらに幼くしたような姿だった。
ジェーンは見た目だけで言うなら小学校高学年の少女である。
それに対してこちらは幼女である。
未就学児童である。
顔、全体像、雰囲気に至るまでジェーンの昔はこんなだったろうなと思わせる人物だった。
姉妹あるいは血縁関係にあると言われれば『なるふぉど』と納得させられる。
そんな幼女は部屋の主が帰ってくるのをベッドに座って待っている。
ふと窓の外を見ると、遠くの空に黒く大きな雲がその姿を現していた。
どうやら、台風が近いようだった。
キッチンから食欲を刺激する香りが漂ってくる。
ダークブルーの髪を括りコンロへ向かっている彼女は朋田千穂。
ジェーンの婚約者(自称)である。
彼女の作っているのはスパイシーな香りを漂わす、カレー鍋。
留守の間、幼女の世話を頼まれて来たのだが、来てみればすでにジェーンの姿はなかった。
スマホの電源を切っているのか連絡が付かないまま、コミュニケーションを取ろうとするも、名前の時点から要領を得なかった。
『えーっと……名前はなんていうのかな?』
『身の上を話すことを禁じられている』
『いや、名前だけでもいいんだけど』
『名前は……まだない』
これには事情があるのだが、この時点で千穂が知る由もない。
第130話『AIがとまらない』by銀砂を参照
(本当にジェーン様は何を考えてるのでしょうか……何を考えてあの子にあんな事を吹き込んだのでしょう……まぁ帰ってきてから詳しく聞かせていただくとしましょう)
「しかし……これでは私、この子のママですわ」そんな冗談を口にしながら料理を続ける。
鍋に食材を足しながら、その味を褒めてもらうことを想像し、笑みをこぼす。
自然と鼻歌を歌っていた。
歌の内容は知らない。
ジェーンが歌っていた歌を耳コピしただけのその歌は、なぜだか、とても幼女の心に深く響いた。
「……ママ」
※※※※
目蔵の中でドラクルは己の持ち主である、ジェーンの行いを見ていた。
セブンを迎えに行けとは確かに言った。
だが、なぜ、彼女が魔法も使わずいたずらに時間をかけるのか、彼には分らなかった。
呪いの首飾りとして、人の精神を蝕み不運を招き入れ不幸にしていく、特級呪物としては。
しかし、それは今までの彼であればの話だ。
ジェーンの影響を、精神、存在エネルギーともに受けている今の彼には、言葉にはできないけれどもわかるような気がしていた。
《非合理的だ。時間の無駄だ。……しかし、必要だと魔女が判断したということなんだろうか?それとも、感知できないだけで実は魔法の儀式だったりするんだろうか?》
己の中の【分かる】を言葉にしようとしてできずにいる。
《ガキがセブンの部屋のドアを開けて、その姿を確認できたときの魔女の感情……あれほどの強い【喜び】と【不安】は初めてだ……なんなんだ……そこまでのことなら魔法を使えばいいじゃないか》
【ドラクルの遺骨】は考える。
彼は生前、家族を愛し祖国を愛し、そのために戦い、そして敗れた。
そして、失ったものの大きさ故に人を呪う感情だけが残り、呪物へと成ったのだった。
彼の中に生前持っていた感情が、恨みによって抑え込まれていた感情が、ジェーンという人物を通して再び芽吹こうとしていた。
それは、彼のものではないかもしれない。
ただ影響を受けてコピーされただけのものかもしれない。
それでも彼は、その芽を摘もうとは思わなかった。
ジェーンの視界を通して見えるセブンは、髪の手入れもせずぼさぼさで、もちろん化粧もしていない。
愛用のパジャマのまま着替えもせず、もしかしたら昨日は風呂へ入っていないんじゃないかと思われた。
ジェーンの感情が伝わってくる。
普段なら、彼女はその感情を読まれないように魔法的処置をしているはずだった。
それなのに、彼女の感情がいまドラクルには手に取るようにわかる。
その感情をなんと呼べばいいのか思い出せないが、不快ではなかった。
むしろ、心地よいとさえ思えた。
彼を構成する何かに、大きなひびが入ったような感覚を覚える。
《ああ……【呪物】として在る俺は、人を呪えなくなった時点で俺ではなくなるのか……俺の復讐は終わってはいない……けど、もうそろそろ潮時かもしれないな》
これまで多くの人を呪い、不幸にしてきた。
その報いを受けるべきだと思えた。
《これが【karma】ってやつか……俺はどうせ地獄に落ちるんだろう……だけど、叶うなら、誰かの幸せを祈って朽ちていきたいものだな……異教の神でもいい……どうか俺に機会を与えてほしい……》
ひびが、さらに大きなひびが、ドラクルという存在に入っていく。
※※※※
神戸 葉車本邸
庭の樹木が色づき、夕方の空気が秋を感じさせる。
庭を彩る落ち葉が焼き芋を焼く季節が近いと告げている。
各方面から上がってきた報告に目を通しおえて、千夜重はそんなことを考えていた。
(昔はよく庭で焼きいものを焼きましたねぇ……あの子たちが帰ってきたら焼き芋パーティでも開こうかしら)
そんなところへ、九重の屋敷から知らせが入る。
その報を受け、ついに来たかと緊張が走る。
内容は『奈菜お嬢様、ジェーン様と面会』とあった。
千夜重は親として、葉車の陰を支えるものとして、二人の仲が修復されることを祈っている。
親としてはもちろん子の幸せを祈ってのことだ。
もう一つの理由、ジェーン・ドゥという超常の存在。
彼女を意のままにすることなど無理だというのは分かっているが、それでもつながりを持っておくのは葉車にとって有益であるはずだ。
千夜重の力の及ばない、葉車にとって脅威となる何者かが現れた時、彼女はきっと役に立つだろう。
その【ジェーン・ドゥ】というカードを失うわけにはいかなかった。
このカードは偶然にも葉車の下へ舞い込み、そして娘の一人と深い絆を結んだ。
そして、そこから兄弟姉妹とも縁をもった。
千夜重はこのカードを、葉車を守るためのジョーカーだと考えていた。
もし、攻めのために使えばこのカードはそれっきりどこかへ消えてしまうだろう。
1度しか使えないのは勿体ないと、持っているだけでも役に立つならそっちのほうが費用対効果が高いと計算していた。
とはいえ、そんなことは後付けの理由でしかなかった。
娘が好きになった相手が同性だとなれば、一族から二人の仲を認めないものが必ず出てくる。
それを黙らせるために、ジェーンには強力なカードでいてもらわなければ困るのだ。
それはなにより、娘の幸せのために。
しかし、遠く離れた宇津帆島での出来事に神戸からできることは多くない。
確かに多くはないが、現地の葉車に指示を出して環境を整え、この状況を作り出すことはできた。
(五葉と六花の二人はきっとうまく現場を回してくれることでしょう……八重と九重は……まぁ大丈夫でしょう……大名東達なら間違いはない……)
「あとは邪魔さえ入らなければ……」
そう、やれることはやった。
まさに『人事を尽くして天命を待つ』といったところだ。
千夜重はデスクの引き出しから編みかけのマフラーを出して続きを編んでいく。
末娘の十美恵への贈り物だった。
目を一つ編む度、この子が幸せでありますようにと思いを込めていく。
窓の外を見やる。
夜の帳が降り始め、街の明かりが人の営みを写し始めていた。
※※※※
九重の屋敷のセブンの部屋
ジェーンだけが残されていた。
セブンはジェーンを前にして、乙女心だろうか「風呂に入ってくる」といって出ていってしまった。
九重は『たじからおくん』の膨張速度が気に入らないといって、縮小させた『たじからおくん』を持って工房へこもってしまった。
さっきまでセブンがいた部屋……しばらくすれば、セブンが戻ってくる部屋。
ドアをノックする音が聞こえる。
ジェーンは「はて?」と疑問に思う。
「セブンならノックなどせずとも入ってくるはずじゃし、九重ちゃんならノックをせずに飛び込んできそうじゃし……メイドさんは来ないようにしておくってセブンが言っておったしの」
再びノック音が響く。
疑問に思いながらも「九重ちゃんの屋敷じゃし、九重ちゃんの身内じゃろう、どれ」とドアを開ける。
「お久しぶりですわ、ジェーンさん」
「お久しぶりですね、ジェーンさん」
そこには、赤い華を染めた白い着物と、赤い華を染めた黒い着物の双子が立っていた
無言のままドアを閉めようとするジェーン。
「お待ちなさい!お待ちなさい!」
黒い着物の女がドアを閉じさせまいと踏ん張っている。
白い着物の女がその攻防を尻目に口を開く。
「ジェーンさん貴女、うちの奈菜を泣かせましたね」
「あ……それは……違う……違わないけど……そうじゃないんじゃ……その……」
ジェーンはドアを閉める力を失ってドア開閉の攻防は黒い着物の女の勝利となった。
白い着物の女(姉の五葉)と、黒い着物の女(妹の六花)とジェーンは、セブンのいない部屋で向かい合って座っている。
部屋の空気が……雰囲気が変わったような感じがする。
まるで、深山幽谷のような……そういえば、この2人と余人を交えず会ったことがないのを思い出した。
(3人きりじゃとこうも雰囲気が変わるのか……)
この時のジェーンはそう思っただけだった。
特に何を言うでもなく、ただ二人はジェーンのことを見ているだけだ。
ただそれだけなのに、なぜだか全てを見られているような……ジェーンという存在の全てを詳らかにするかのように……それはまるで、全裸で四方八方から凝視されているかのような居心地の悪さだ。
自然と背筋が伸びる。
「もしや……なんぞ、術を使っておるのかの?」
「さて?何のことでしょうか?」
「さてさて、何のことでしょう?」
白と黒の二人は寸分たがわぬ薄い笑顔をジェーンに向ける。
(なんじゃ?この2人は以前より只者ではないと思っておったが……なんぞ、憑いておるのか?)
一連のことに関して魔法を使わないようにしているジェーンではあったが、もし、セブンの身内によからぬものが憑いているとなれば話は別だった。
閉じていた第六感覚――第六感。あるいは魔法覚などと言われる魔法使いが獲得する必須の感覚――を開き、二人を凝視するも何も見えなかった。
(なんじゃ……気のせいか……)ほっとしたのもつかの間。
『『諦めの早いこと』』
そらした視線を驚愕とともに戻すも、二人の様子は変わらず。
(……いま、確かに聞こえた……が、双子が言ったのか?……気のせいか?)
ジェーンはその手に汗を握りながらも胸中を悟られまいと微笑みを浮かべる。
(…………念のためじゃ……)
第七感覚――第七感。上級魔法覚などといわれ精霊や超常の者などとの意思疎通に必要となる――でも何も見えてこない。
第八感覚――第八感。超越者などと呼ばれるものが持つ感覚、神覚と呼ばれることもある――ここにきて初めて二人の後ろに在るものが見えてきた。
それは、二柱の白い狐。
「な!?……なん…じゃと!?」
白狐といえば稲荷の【神使】であり、稲荷といえば宇迦之御魂大神であり超大物だ。
二人の後ろに在るのは、その超大物の眷属であり、また自身も【神】である。
古代の女神の愛娘と呼ばれるジェーンは【人】であり【巫女】にしか過ぎない。
その格の違いに自然と床に手を突き平伏するジェーン。
面を伏せる彼女のそばに神気が二つ、音もなく近づいてジェーンを見下ろすように立ち止まる。
気配は彼女を労わるように手を添える。
その瞬間、ジェーン・ドゥことウル・アスタルテは理解した。
かつてセブンの兄嫁にあたる百地忍のことで相談を受け屋敷を訪れたことがあった。
その際に専門外だと判断し手を引いたものの、敷地内にある稲荷の社を大事にするようにとアドバイスを残したことがあった。
それからというもの、葉車の者をはじめ、葉車所縁の者達は最寄りの稲荷社を大切に扱うようになり、さらにその行いを見たその家族たちも同様に神社に参拝するようになったという。
そのことを二柱は感謝しているというのだ。
そして、葉車を守護しご利益をもたらす【神】として、ジェーンに赦しを与えるという。
ジェーンは赦された。
外ならぬ神に許された。
母と慕うイシュタルに……その存在を信じながらも、会ったこともない己の神にではなく、第二の故郷とまで愛する日本の神に赦された。
イシュタルへの信仰はゆるぎない。
けれども今、彼女に必要なのは答えてくれることのない神ではなく、赦しを与えてくれる他神だった。
堰を切ったようにあふれ出す涙。
止めることのできない嗚咽。
3000年を生きる彼女の人生の中で、このように泣いたのは初めてだったのではないだろうか。
師を失い泣いた時は悲しくて、不安で泣いた。
同族の友を失った時、初めて死を理解して悲しみと恐怖と不安で泣いた。
悲しみや不安で泣いたことはあっても、嬉しさ、安堵で泣いたことなどなかったのだ。
そして、ひとしきり泣いて落ち着いた時、その記憶は消えた。
赦されたという安堵感をのこして。
セブンが風呂から上がり部屋に戻ってみると、ジェーンが姉二人を前に土下座して泣いているではないか。
声をかけることができずにただその場で立ち尽くすしかなかったが、ふとジェーンが静かになると部屋の空気が変わったのを感じた。
先ほどまではまるで神域のような、セブンとしては以前経験したことあるような気がする雰囲気から、いつもの自分の部屋へ変わったのだ。
(ジェーン……あんなにも反省しているのか!)
そう、セブンから見たジェーンは反省、いや猛省しているように見えた。
髪を坊主にしただけではなくさらに短いスキンヘッドにしているし、今こうやって姉二人に土下座をしている。
そのジェーンが、あの気丈なジェーンが声をあげて泣いていたのだ。
先ほどはドア越しではあったけれどセブンへの愛も本気だと語ってくれた。
幸男の件は、完全に許したわけではないけれど、力あるものとして、幸男のためにその力をふるうために必要だったとなれば……まぁ……しかたない……百歩いや、万歩譲って仕方ない。
そう思ったら行動に移すのがセブンという女である。
ジェーンの隣へ駆け寄って双子の姉に対して土下座をした。
3人は口々にその行動へ驚き静止の言葉を発するも、セブンは構わず己の思いを口にする。
「心配かけてすまねぇ!ジェーンがどうであれ俺はこいつが好きだ!愛してる!こいつが浮気しないよう俺がしっかりするから!だから!許してやってくれ!」
「奈菜ちゃん、落ち着きなさいな」
「落ち着きなさいな、奈菜ちゃん」
「お主が土下座なぞ!」
「五葉ねぇ!六花ねぇ!頼む!この通りだ!」
セブンは3人のいう事を聞かずさらに続ける。
「こいつは優しい奴なんだ!だから!自分のことより誰かのために自分を犠牲にしちまうんだ!説明が足りなかったり相談が足りないのは俺がそれに値する器を示せてなかったんだ!これからは2人で考えて話し合って、それでも答えが出ない時は相談させてくれ!ジェーンを責めないでやってくれ!」
双子がアイコンタクトの後、優しくこう言った。
「いいでしょう。でも条件があります。その条件がのめないならこの話はなしです。良いですね?」
「ああ!」
双子は菩薩のような慈悲深い笑みを浮かべてその条件を口にする。
- お父様とお母様に自分で説明すること。
- 素行を改めること。
- 月に何度か家族と過ごすこと。
- ジェーンが浮気したら、お見合いさせる。
- 料理の練習で五葉六花の家でご飯作る事。
- 家事手伝いとして五葉六花の家の掃除をすること。
- 五葉と六花の荷物持ちを
「まてまてまて!」
「あら?さっそく素行が悪いですわね?」
「あらあら、言葉に気をつけなさいね」
「……お姉様、その条件はおかしくないですか?てか、おかしいですよね?特に後半は本件と無関係ですよね?」
「おやおや?許しを請う側が出された条件に注文を付けようとしていますわ。こんな妹がいていいのかしら?」
「まぁそんな妹がいるんですの?顔が見てみたいわ!」
「どうぞ……って違いますわ!」
(いつものネタが始まるのかと思ったら、新しいのが始まった!?)
「お姉様、いくら何でもかわいそうですわ」
「まぁ!妹の突然の裏切りですわ!?」
(あ、やっぱりいつものネタになるんじゃな?)
「まぁ裏切ったのはジェーンさんなんですけどね?」
「うぐ……ぐ……この度はまことに、申し訳なく」
「五葉ねぇ!ふざけてないで話を進めてくれよ!」
「そっちは六花ですわ」
「え?あ、ごめんなさい!えっと……五葉ねぇ!」
「嘘ですわ、こっちが五葉ですのよ」
「え?え?あ!え?」
「「私が五葉ですわ!」」
混沌がその度合いを深めていく中で、ジェーンのスマホが鳴り響く。
着信の名前は「幸男」
「出ても構わんかの?」
場の空気はなごんでいるといってもいい状態だった。
だから大丈夫だと思った。
「誰からだ?」
「幸男じゃな」
「……ダメだ」
「……今日ここへきておるのは知っておるんじゃ、そのうえでかけてくるということは緊急事態の可能性がある。でてみねばわからんがの」
「だめだ!」
「奈菜ちゃん……ジェーンさんの言うと通りですわ」
「奈菜ちゃん……ジェーンさんが正しいですわ」
「……出るだけだぞ?」しぶしぶそう答えたセブンを横目に電話にでる。
『那須幸男は預かった。解放してほしければ【ドラクルの遺骨】と引き換えだ。30分後に不忍池の中之島へ一人で来い』
それだけ言うと電話は切れた。
「……」無言のまま立ち上がり荷物を手にする。
「なんだったんだ?」
「ラブコールじゃった」困ったような笑顔。
「はぁ!?ふざけんなよ!反省してるとか言いながら!目の前で浮気かよ!」
「……すまぬ」苦しそうな表情で頭を下げる。
「すまぬ じゃねぇよ!何もかも嘘なのかよ!」
「お主への気持ちに嘘偽りはない」セブンの眼をまっすぐに見て誠を口にする。
「そんなこと信じられるか!今!目の前であの男から電話があってのこのこ出ていこうっていうお前の言葉のどこに俺への気持ちがあるっていうんだ!」
「……すまぬ」
「ジェーンさん、奈菜ちゃんのことなら私たちが守ることを約束するわ。本当のことを話してくれないかしら」
「ジェーンさん、奈菜ちゃんが付いてこないようにっていう配慮なんでしょうけど、ちゃんと話してくれないかしら」
双子は呆れたように言う、しかし彼女たちの言うとおりだった。
双子の洞察力に驚きながらも、またセブンを置いてけぼりにするとこだったと反省する。
「お稲荷様の言う通りじゃ、実は幸男が人質に取られた。30分以内……25分以内じゃな、指定の場所に来いということじゃった」時計を見ながらそう告げたジェーンは胸のつかえがとれたように生々とした表情だった。
「なんだよ?ちゃんと話さないとわかんないだろ!」
セブンはイライラを募らせて言葉を荒げている。それを双子は優しく見守っていた。
「どう考えても罠じゃねぇか!」
「そうじゃの」
「いくな!行っちゃだめだ!」
「そうもいかぬ」
「俺と幸男とどっちが大事なんだよ!」
ジェーンはスマホの時計を見ながら窓へ歩み寄る。
「奈菜ちゃん、ジェーンさんと一緒にいるってことは今後も同じようなことがあるってことですわ」
「奈菜ちゃん、受け入れられないならここで別れなさい。今後も同じようなことがきっとあるのですから」
なごんだと思った空気は再び張りつめていた。
ジェーンが一言「いかない」といえば済む。
セブンが一言「いっていい」といえば済む。
けれど、それぞれの思いがそのセリフを押しとどめていた。
再びスマホが鳴る。
今度はメールが送られてきていた。
添付されたファイルを開く。
それを見たジェーンの体に紫電が纏い始める。
ジェーンの怒りが高まったときにおこる現象であったが、スキンヘッドの彼女がその状態なのはまるで【プラズマボール】を連想させた。
※※※※
時間を少し遡る。
幸男は笛野の森の中で、悪意に囲まれている事に気がついた。
包囲を脱するために道からそれ森の中を走り回り、気がつけばサッカー場ほどの広場に出ていた。
そこにはフードを目深に被った黒いローブの男達が13人。
さらには幸男を追って森から出てきた黒装束の男達が無数にいた。
「追い込まれたのね……油断が過ぎたわ」
日は沈み風が出ていた。
不思議なことに足元が淡く光を発して視界には困らなかった。
嫌な予感は収まらなかったが。
「那須幸男君……いや、今はユキさんといった方がいいかな?」
ローブの男が一人進み出て幸男に興味深そうな視線を向けてそう問うた。
「人違いだと言ったら、信じてくれるかしら?」
幸男を囲む追手の男たちに一瞬の動揺が走ったが、フードの男のセリフによって払拭されることになる。
「あの魔女の魔力をこれほどに宿した贄がほかにいるなら、是非とも手に入れたいところだがね?残念ならが我々の網には君しか引っかかってないのだよ」
「何のことかわからないわ」周囲を警戒しながら惚けたようにこたえる幸男ではあるが、魔力云々は専門外の為、本当に何のことかわからないでいた。
「わからなくてかまわないさ、我々が用があるのは君のその身体なのだから」
「セクハラを甘んじて受ける女はいないわよ?」いつも服の下に隠している日月孤影剣の存在を確かめる。
「ははは!それはそうだ!」フードの集団から笑い声が上がる。
代表と思しき最初の男が後ろの仲間たちを睨みつけるが笑いが収まる様子はない。
「はぁ……まぁいい、君の意思を尊重してあげたいのはやまやまではあるが、この状況からもわかってもらえると思う」どこか芝居ががったかのように包囲陣を睥睨して見せた。
「そう……まずは説明してもらえるかしら?場合によっては協力できるかもしれないでしょう?」
「……なるふぉど、だが、きっと、君には理解してもらえないだろうと思うよ」
「あら?聞いてみないとわからないじゃない?」
「君もつくづくあの魔女の女だな、この状況を用意した我々がそんな風に思っているわけないだろう?」
「あの魔女の女ってどういうことかしら?」
「巫山戯た女ってことだよ」
「ふざけたってのは否定しないわ、だってこんな状況、まともじゃないもの」肩をすくめながら言葉を続ける「で、魔女って誰のことなの?」
「今更だな……君もよく知っている、我らが悪魔大侯爵に仕える魔女!ウル・アスタルテのことさ!」
「……いや、だれ!?」ユキはジェーンのことを「瑠璃堂院月子」だと知っている。魔法を使うことも知っている。しかし、悪魔だとかウルなんとかなんて聞いたことがない。
フードの集団に動揺が走る。
「どういうことだ!?まさか人違いか!?」
「いまさら、人違いでしたでは済まないぞ!」
「間違いないはずだ!ずっと監視してたんだぞ!」
その動揺につけ込むために幸男は口を開く。
「人違いとわかったところで、寮へ帰してくれないかしら?そろそろ寮へ帰らないと公安の友達が心配して捜索隊を出しちゃうわ」
もちろん嘘だ。それに、その嘘に騙されたとしておとなしく帰してくれるかといえば、きっとそうもいかないだろう。
けれども、やれることは何でもやる。きっとセンセェならそうすると信じて。
「ジェーン・ドゥっていう禿でチビで藪医者で性格悪くて女たらしな化け物を知ってるな?」
「ふざけんじゃないわよ!センセェは素敵な人よ!髪だって私のためにああしてるだけで禿じゃないし!背は低いけどこれから伸びるし!腕は確かで名医だわ!性格だって正義感があって責任感があって弱い者には優しくて!人にはない能力を持っているけど!それを人のために使う正しい人よ!化け物なんて言わせないわ!」
「女たらしってとこは否定しないんだな」
「…………」
「そのジェーン・ドゥが【悪魔大侯爵に仕える魔女ウル・アスタルテ】だよ、我々が敬愛すべき大先輩ってわけさ」
「……れ」
「なんだって?」
「黙れ!」
「ははは!君は騙されているのさ!あの魔女は君の体で実験を行ったに過ぎない!」
「黙れって言ったのよ!!」
「あの魔女が仕えるのは、古代の女神でも何でもない!悪魔大侯爵!アスタロト様だ!」
「あしただか明後日だか知らないけど、これ以上センセェを侮辱するならただではおかないわよ?」先ほどまでの激高が嘘のように、紅潮していた顔は血の気が引き、その両の眼は冷静に標的を捕えていた。
フードの男は知ってか知らずか、さらに言葉を続ける。
「アスタロト様に仕える魔女はその身で【淫蕩】を現し、【戦争】を現す!まさに我らが敬愛すべぇえあ」
まるでボーリングの玉とピンのように吹っ飛び吹っ飛ばされるフードの男とその仲間たち。
それを合図とばかりに包囲陣が迫り、幸男vs謎の集団という大乱闘が始まった。
背後から振り下ろされる棍棒を半身で躱しそのまま振り向きざまてこの原理で相手の肩関節を痛める。
横合いから突きこまれるナイフを、上半身を退き躱して腕が伸び切ったところをさらに引き込み體を崩してこかす。
長柄を持った相手に包囲され一斉につきこまれるも跳躍してそれを躱し背後の男の、さらにその背後へ。背中から肺へ双掌を叩き込み咳を誘発する。
それは八卦掌を長年修めてきた彼女の努力の成果だったのだが……(おかしい!思うようにいかない!?)
幸男の頭の中では、関節は外れ、投げ飛ばして、呼吸を奪うはずだった。
(これがセンセェが言っていた、体の違いってことなのね!……センセェが『荒事は控えよ』って言ってくれてたのに!なんてこと!)
その荒事は当のセンセェのせいだということまで、今の幸男には頭が回らなかった。
相手を減らすことができないまま彼女はその体力を消耗させていく。
次第に肩で息をするようになり、ついには足を止める。
玉の汗は美しい顎から滴り落ち、乱れた髪は上気した肌に張り付いていた。
「どうやら、限界も近いようだね」
「……あら、蠅のように、つぶれたと思って、いたのに、案外、頑丈なのね」ここでも体格の変化の影響で思ったように打てていなかったようだ。
「まぁいいさ、この後君の体には役に立ってもらうのだから、これくらいの代償は払ってやるさ」
「適正価格は此処にいる全員の首なのだけど?」
「ははは!やはりあの魔女の女だ!いうことが物騒極まりない!」
「そうね……センセェの女……そう!私はジェーン・ドゥの女!お前らみたいなのにいいようにされたりしないわ!」
「そう来なくては!だが、こちらの準備も整った……おやすみ、我々のかわいい生贄」
フードの男が両手を高らかに上げると、淡く光っていた足元の光は眩いものとなり、あたりを包む。
この時の光は森の外からも光の柱として多くの人の目に留まったという。
「力が……抜け て……?」膝から崩れ落ち、倒れこむ幸男。
彼女を見下ろしながら、男たちは下卑た笑みを浮かべるのだった。
※※※※
「なんで……なんでなんだよ」
「言ったでしょう?ジェーンさんと一緒に生きていくなら覚悟が必要だと」
「言ったでしょう?覚悟がないなら別れなさいと」
あけ放たれた窓にわずかながら放電現象を見ることができる。
雷を纏ったジェーンがここから飛び出していったのだ。それは文字通り、飛んで行ったのだった。
セブンは見えなくなったジェーンを見ながら、何もできない自分を責めていた。
「奈菜ちゃん、一緒に行くことができないのはつらいと思うわ、けどそれなら」と五葉がいえば「それなら、せめてジェーンさんの帰ってくる場所になってあげるのが、あなたの務めじゃないかしら」と六花が言う。
「俺は幸男のやつがうらやましい……ジェーンと一緒に命を張れるあいつが、心底うらやましいんだ」
「それは……ユキさんも同じなんじゃないかしら?」
「ユキさんからしたら、奈菜ちゃんの立ち位置こそうらやましいのではなくて?」
以前、そんなことを言っていたことを思い出す。
そうかもしれない。
けれども、ただ待つしかできないのは悔しくて涙が止まらなかった。
※※※※
公園として整備されている不忍池の中央に浮かぶ島 中之島
東京にある――ここも東京ではあるが――不忍池同様に弁財天を祀った祠がある全長約500mの細長い島だ。
ボートで上陸できる様になっており、公園の一部である。
痛みで目が覚めた。
(何がどうなっているのかしら……そう言えば、センセェの敵と……体が動かない……)
どうやら手足は拘束されて地面に転がされているようだった。
手が酷く痛む。
指が鼓動と連動してずくずくと異常を訴えている。
風が強く肌寒い。
(服……センセェが褒めてくれた服が……)
肌に直接当たる地面の感触。
(まっぱ?……そう、男子校生だもんね……この代償は絶対支払わせてやるんだから!)
目が見えない。
(目隠し?……はされてる感じがしないけど……明かりは?)
声が出ない。
(喉が痛い……違和感しか無い)
とにかく全身が痛い。
まるで全身を切り刻まれた様な……。
幸男の中に初めて恐怖が生まれた瞬間だった。
【死ぬかもしれない】そんなことはどうでも良い。
【醜く生きている】かもしれない事が恐ろしかった。
センセェに嫌われたく無い。
もし先生の重荷になるとしたら……死を選ぶ。
しかし、それすら選ぶ事ができなかった時……それが1番恐ろしい。
幸男は死を恐れないが、愛する人の前では美しくいたいと思っていた。
彼は……いや、彼女はジェーンを思い浮かべていた。
※※※※
ポツリ
ポツリ ポツリ
空は暗雲が立ち込め、雨かと思った次の瞬間にはまるで、天の底が抜けたのかと思うほどの雷雨。
足下には米粒の様な黒いフードの男達が見える。
不思議な事に地面が淡く発光している。
そのおかげで連中が何処にどれだけ居るのか手にとる様にわかる。
フード姿の男達の足元に白い何かが見えた。
《魔女!あれは!?》
「あの阿呆どもめ!」
《待て!待てジェーン!》
「喧しいわ!」紫電を纏った姿で急降下する。
「あと10分ですね、大人しく来ると思いますか?」黒いローブの男が代表らしきフードの男へ声をかけた。
「来るさ、あれはそういう奴だよ」
「でも……こいつってもうゴミ同然ですよ?回収する価値なんて……」そう言って足元の幸男を踏みつける。
「ゴミとは酷いな、確かに触媒になりそうな物はあらかたいただいたが、まだ脳が残ってるだろう?それだけ有れば奴には十分だろう」
「それもそうですね!ははは!」
もう一度踏みつけようと上げた足は、幸男を踏みつける事なく、この世から消えた。
「この畜生どもが!殺すだけでは生ぬるい!儂が自ら地獄に叩き込んでやる!」
地面に衝突したかの様な着地を見せたジェーンは、その瞳を怒りに燃やす。
足を失って泣き叫ぶ仲間には目もくれず、代表の男は両手を上げて歓迎する。
「ようこそ!我らが敬愛する大先輩!ウル・アスタルテ!約束の物はお持ちいただけたかな?」
襲い来る黒装束の男達を、紫電で撃ち抜き、打ち込まれた魔法は魔法障壁で防いでいる。
まるでアクション映画のワンシーンの様に乱闘が繰り広げられていた。
「おーおー怒ってるなぁ!良いぞ!もっとだ!もっと解放しろ!」
足元の淡い光がその光度を増して行く。
「ぐ……おえ“ぇ”!」
足元の光はジェーンの力を吸って眩く光を放ったが、吸われっぱなしになる彼女でもなかった。
この一瞬の隙を突かれて、背中に魔法を受けた。
肉の焼ける匂いがする。
魔法障壁を改めて強化し再展開する。
(なんじゃこれは!?力がごっそり吸い取られたぞ!?内臓を掻き回された様じゃ!くそ!それよりもユキ!ユキ!)「ユキ!迎えに来たぞ!」
《落ち着け!俺を差し出せ!そしてこの場を切り抜けろ!》
「喧しいわ!こいつらは全員地獄送りじゃ!」
《いいから!俺に任せろ!あいつらは俺相手なら油断するだろう!そこで俺があいつの精神を操れば!》
「喧しい!どんな魔法か分からんが力が吸われとる!お前も同様に……」
ふと思い出す。
上空から見下ろした時、光る地面は魔法陣を象ってはいなかったか?
だとするなら……
《魔女!俺を渡せ!早く!》
「戦に王権!愛と美!そして豊穣を司る我が母!女神イシュタルよ!娘の願いを叶え給え!この地に一千年の豊穣を!今すぐに!」
乱闘の最中、ジェーンは母イシュタルへ祈る。
大地が揺れる。
足元の下草が脅威のスピードで生い茂り枯れて行く。
それはこの中之島全体で見られた。
下草だけでは無い。
樹木は実をつけ、実は地面に落ちて芽吹き成長してまた実を結ぶ。
ジェーンの祈りに応えて1000年分の植物が繁茂し始めたのだ。
中之島に1000年間放置された豊かな森が現れた。
中には大きく育った樹木に引っかかり降りれなくなったものもいた。
「これはすごい!さすが大先輩だ!この力が我らの物になると思うと感謝しても仕切れませんね!」
代表の男が興奮して叫んだ。
しかしすぐに異変に気づく。
そう、闇夜だ。
先ほどまで地面に仕込んだ魔法陣のおかげで、周囲はあんなにも明るかったのに!
「まさか!植物の成長を使って陣を崩したのか!?」
周囲で森が成長する音が聞こえる。
周囲の至る所で悲鳴が上がる。
ジェーンが手下を狩っているのだ!
次はお前達だと言わんばかりに悲鳴が近づいてくる。
手下の1人がスマホのライトで周囲を照らすと、我も我もと皆スマホのライトをつけ始めた。
次々に狩られていく手下達。
フードの男が照明魔法を使っても周囲は鬱蒼とした森に変じていて見晴らしは最悪だった。
誰かが叫ぶ。
「人質がどうなっても構わないのか!」
絶え間なく上がっていた悲鳴が止み呻き声が微かに聞こえる程度になっていた。
何処からともなくジェーンの声が響く。
「その状態で生きておるのか?」
「ああ!勿論だ!」
「ユキ?大丈夫か、ユキ?」それは先程までの怒りに満ちた、声で相手を殺そうとする様な声ではなく、慈愛に満ちた優しい声だった。
「ユキ?儂の声が聞こえるか?迎えに来たぞ」
「大先輩、交換条件だったはずだ!約束の物を渡してもらおうか!」
「ユキ?顔をみせておくれ、大丈夫かユキ?」
フードの男の事など眼中にないかの様に幸男に語りかける。
しかし返事が無い。
「おい!顔を見せてやれ!」
フードの仲間が掴み所のなくなった幸男の頭を持ち上げてジェーンに向ける。
「……」
幸男であろう人物は声を出せない様だった。
ジェーンがその人物を人だと理解した瞬間、雷雨はその激しさを増し周囲に落雷する。
木々が悲鳴を上げるかの様に燃え上がり倒れていく。
泥濘るみに足を取られてフードの男達は動けないでいる。
フードの男たちは己が崇拝する悪魔の存在を確信する。
なぜなら、眼前に現れたのは【常勝の戦神 イシュタル】の力を宿した存在だからだ。
金色に燃える瞳。怒気は紫電となって迸り、踏みしめる大地は罅割れ、雨は竜巻となって昇っていく。
「いいぞ!いいぞ!これこそが!我らDDDの悲願!アスタロトさまの召喚にまた一歩近づいたぞ! Eloim Essaim frugativi et appelavi!」
【神を呪う不届き者に神罰を】
それはジェーンから発せられたであろう言葉。
その言葉は音ではなく、耳ではなく、あたりへ響いた。
そして神罰が下される。
【神鳴】
それは観測史上最大の落雷であった。
※※※※
中之島に突如そして現れた千年の森は神罰によって、悪魔崇拝者とともに消滅した。
焼け野原となった中之島に2箇所だけ緑が残る場所があった。
1つは弁財天の祠。
もう1つはジェーンと幸男の周り。
幸男の近くにいたDDDの代表は倒れてはいたが息があった。
「ユキ……今、助けてやるぞ……」
幸男を抱き起こし膝枕に寝かせて、優しく優しく微笑んだ。
(センセェ……私、信じてましたよ……きっと来てくれるって)
「今、治してやる。儂を信じて待っておれよ」
(えぇ、えぇ……私は信じています)
「……ぐっ……ふぅ」
幸男の鼓膜には『ブツリ』という音と、ジェーンの荒い息が聞こえていた。
「……持ち合わせがあまり無いでな、取り敢えず……助けてやるからの」
(ありがとうございますセンセェ)
幸男の体に火傷しそうな熱と共に感覚戻っていく。
先ずは右足。
まるで足首から先が生え変わる様な感覚と痛みが幸男を襲う。
声が出ない事でジェーンに悲鳴を聞かれる事がなかったのは、彼女に取って救いだった。
ついで両耳。乳房。舌。喉。歯。
そして左手の指。
治療が進むにつれてジェーンの息が荒くなり今や息も絶え絶えと言ったところだ。
「センセェ、大丈夫ですか!?センセェ!」掠れた声で心配する声を上げる。
「かか……大丈 夫じゃ まだ、動けぬだろうが、何、日も登れ ば 誰ぞ見つけてく れよう」
身を捩ることも出来ない幸男が精一杯の主張を繰り返す。
「センセェ!もうやめてください!絶対無茶な事してるでしょう!私なら大丈夫ですから!」
「そう もいか ん……時間の……次が最後じゃ 眼を……」
幸男顔に滴が滴る。
「儂を……信じよ」
「…………はい、信じています。何よりも」
火傷する様な熱とあの感覚。
※※※※
眩しくて目を覚ます。
体が動く。
身を捩りジェーンを探す。
すぐ横に彼女はいた。
その姿に悲鳴上げそうになるが抑え込む。
おぼつかぬ手でそっと抱き起こす。
足を失っていた。
手を失っていた……幸男が取り戻した感覚の分、ジェーンはその部位を失っていた。
言葉にならない。
ただただジェーンを抱きしめてその名を呼ぶ。
雨はいつの間にか止み、強い風が昨夜の嵐を思い出させる。
雲が流れ朝日が垣間見える。
※※※※
《魔女……お前……》
ドラクルは全てを見ていた。
彼は人を呪うことしかしてこなかった。
だから、ジェーンがどんな理屈でここまでのことをしたのか、分からなかった。
けれど、その姿は彼の胸に深く響いた。
彼に入った亀裂はさらに大きくなり、姿を保てているのが不思議な位だった。
※※※※
「センセェ……どれだけ私のこと好きなんですか……こんなになって……セブンが……やきもち妬きますよ?」
動けないでいるジェーンを優しく撫でながら涙声でそんな事を言って、ふふふと笑う。
朝日が眩しい。
「センセェ?空が……世界はまるでセンセェの瞳の様に……綺麗ですよ」
笑った様に見える。
その姿が痛々しくて、彼女が払った代償の大きさを知る。
ふと影が落ちる。
振り返ると全身火傷を負ったフードの男――DDDの代表――がナイフを振り上げていた。
幸男は咄嗟にジェーンに覆い被さる。
悲鳴と怒号が響き渡り幸男は遂に殴り飛ばされる。
もとより回復しきっていない体では、縋り付くことすらままならない。
《ジェーン!俺をここから出せ!ジェーン!》悲痛な叫び声が目蔵の中で響く。
「アスタロト様を降ろしたその身体を手に入れれば、代わりのものなんて要らない!眼を!心臓をよこせ!」
よろめく身体をなんとか立て直しナイフを振り上げる。
《ジェーン!俺を解放しろ!解放するんだ!》
「センセェ!センセェ!……心臓なら私のを上げるから!もうやめて!」
ナイフが振り下ろされる。
ジェーンの胸に凶刃が突き立てられようとした瞬間、一機のドローンがそのナイフに体当たりして、それを弾き飛ばした。
ナイフを見失ってしまったフードの男はそのままジェーンに馬乗りになる。
「目だ!目なら素手で抉り出せる!」
そして、目蔵を封じている眼帯を取り払った。
封を解かれた右眼が朝日にも負けないほどの光を放ち、そこから【ドラクルの遺骨】が飛び出す。
「これは!?……ジェーンの目が手に入る今となっては……いや、あって困る物では無いか……」そう呟いて首飾りを握った途端、雷に打たれた様な電流が走り、そして煙を上げて頭から倒れた。
《やった!やったぞ!ジェーン!見たか!呪いの首飾りの俺が!聖職者を救ったぞ!》
亀裂は遂にその身体を破り、彼の身体は崩れゆく。
《ああ!神様!どの神様でもいい!俺の声を聞いてくれてありがとう!》
他者を呪うことでしか存在できなかった彼は今、確かに人の命を救ったのだ。
彼はもう特級呪物では無くなった。
そして朝日の中で依代である首飾りは、灰へと変わっていく。
《ああ!神様!やり残した事があった!このバカ巫女とその女の幸せを祈らせてくれ!》
祈りが通じたのか、それとも女神の気まぐれか……朝日の中でジェーンとユキの身体が復元されていく。
《ああ……これが……人のために祈ると言うことか……ジェーン……今ならお前の言っていたことが、わかる気がするよ》
その言葉を最後に首飾りは完全に灰になり、風に吹かれて消えていく。
《どうか……俺が不幸にした人々も……幸せになっ……》
ジェーンと幸男は起き上がれないまま肩を寄せ合って空を眺めている。
「センセェ、さっきの人は天使か何かですか?」
「天使か……そうかもしれんの」馬鹿野郎じゃがな、と寂しそうに呟いた。
遠くで人の声がする。
昨夜の異変を確認しに来たのだろう。
これで、うちへ帰れる。
長い夜だった。
※※※※
学園某所 今は使われていない教室の1つに彼らは集まっていた。
皆一様に興奮した様子で団長である【痩せた眼鏡】が口を開くのを待っている。
「……諸君、昨夜の出来事を覚えているだろう?」
首を横に振るものはいない。
「依頼は達成……このデータを依頼主に渡せば、達成だ」浮かない顔で続ける「しかし、諸君……昨夜の我々が見たものは、あの場に居なかった者に見せていい物だろうか?……私はそうは思わない」
彼方此方で首肯するものが見える。
そう彼らはジェーンと幸男のパンチラ、あわよくばそれ以上のものを盗撮するつもりで尾行し、ひたすら撮影に励んでいたのだ。
彼らがカメラに収めたものは、幸男がどの様にして戦い、捕らえられ、どの様に扱われたのか、そしてジェーン登場からの一部始終を。
「どうだろうか……依頼は失敗という事で」
「……しかし、それでは採算が合わない」
「その通りだ……しかし!我に必勝の策あり!」
「おお!?」
後日、投稿生活団名義で発売された「全編本番!アレもこれも丸見え!」というコピーの元に発売されたDVDがジワジワと売り上げを伸ばし損失分を大きく上回る利益を上げたのだ……が後日ジェーンと幸男によって訴えられその利益のほとんどを持っていかれるのだった。
「まぁ……ドローンの特攻で助かったというのにあるしの……」
「顔はモザイク、声は吹き替えでしたし……私はそんなに怒ってませんよ?」
「なぁに、出演料じゃ!カカカカ!」
※※※※
嵐の夜から数日後。
ジェーンの診療所。
「ユキさん以前に増して美しくなりましたね!」
「いや、美しいというか輝いて見えますよ!」
公安機動隊の隊長と有志連合の隊長が打撲で運び込まれて、幸男に手当を受けている。
「もう!そんな事より危ない事しちゃダメですよ!」
美しい顔を膨らませて2人を優しく叱る。
以前にも似たような光景が有った。
ジェーンはただそれを眺めている。
微かに寂しさを感じる。
(……ああ、あの煩いのがおらんようになったからか……しかし……どの口で『危ない事』などと注意するのか カカ)
※※※※
セブンが帰って来る!
寮の自室へ今日の午後、学校終わりに帰ってくる!
ジェーンは地に足のつかぬ様子で、一足先に寮へ戻りセブンの部屋を掃除して磨き上げた。
花を飾りセブンの好きな激辛鍋を作って部屋の壁には【お帰りセブン!】という横断幕まで用意していた。
久しぶりの2人きりじゃと、セブンを今か今かと待つジェーンの耳に、隣の部屋からの怒号が響く。
慌てて隣の自室へ壁抜けして戻ってみると、そこには帰ってきたセブンと、最初からいる幸男、ジェーンの幼女時代にそっくりなジェーン(仮)。
そのジェーン(仮)がママと呼ぶ朋田千穂。
「浮気だけじゃなくって子供まで産ませたのか!この淫乱巫女!色情狂!」
「カカ!カカカカ!」
「何笑ってやがる!少しは言い訳してみやがれ!」
まだ暫くは寂しいなんて言ってられそうになかった。
「カカカ!楽しいのぉ!」
「ジェーン!」
「センセェ!」
「月子様!」
「パパ?」
※※※※
宇津帆島上空
「カカカ……月見には良い夜じゃな……のう?」
しかし、その言葉は虚空へ溶けて消えた。
「馬鹿者め……また、儂を1人にしおって……」
ジェーンは不老転生体だ。
ある年齢以降老化せず、殺されなければ永遠の時を生きる。
人間とは生きる時間の違う生命体。
彼らは常に孤独だ。
何故なら、互いに殺し合うよう宿命づけられているのだから。
それ故、同族同士で馴れ合う事が非常に難し。
そんな中で、お互いを傷つける事なく同じ時間を過ごす事ができる存在は非常に貴重だった。
ジェーンにとってはドラクルがそれだった。
600年前、彼を見つけて話し相手とし、ここ数十年行方しれずだったが再会を果たした。
再会を喜ぶのは癪だったからそっけないふりをしていたが、どうにも浮かれてる様子が伝わっていたようだった。
「馬鹿者め……」
友を喪った悲しみが雫となって頬を伝う。
ポケットの中でスマホが鳴る。
電話の向こうでセブンが喚いている。
「さっさと戻って来て説明しやがれ!じゃないと今度こそ出ていくからな!」
そうだった!
寂しいなんて言ってる暇はなかった!
また暫くは慌ただしい日々が続く。
ジェーン(仮)の名前も考えなくてはいけないし、そもそもセブンになんて説明しよう?
ああ……忙しくなるな。
ドラクルめ上手く逃げおって……。
カカカカ!
落ちた雫は夜空を彩る大輪の花火となって、友を弔う献花となった。
※※※※※※
ジェーンさんとドラクルおじさん 孤独の華 編 おわり
最終更新:2022年10月19日 18:23