After a storm comes a calm.
■天野遥:航空部と海洋冒険部に所属する飛行機バカ。彼女のティアを大切に大切にしている。
イラストは
らぬきの立ち絵保管庫
から
それはどちらも悪くない。
その朝、焦燥感に包まれた遥から事情を聞いた宴夜はそう思わずにいられなかった。
ティアが姿を消した。
まだ学園内部をあまり把握できていないティアがどこへ行ってしまったのか。
遥は一晩でやつれてしまっている。
事の起こりは、ちょっとした言い争いだった。
いや、言い争いですらない。怒っているティアを遥が必死でなだめていた。
「ハルカは私が好きじゃないのね!」
「好きに決まってるだろ!」
「じゃあどうしてキスしてくれないのよ」
「それは‥‥」
「ほら、答えられない。やっぱりハルカは私が好きじゃないんだ!」
「そんなことない!俺はティアが大好きだ!」
「じゃあどうして!」
堂々巡りである。
ティアにはティアの理由があった。
兵器から人になったばかりのティアは人間関係の右も左もわからない。頼れるのは養母である鉄華と恋人である遥だけ。しかし遥は恋人らしいことをほとんどしてくれない。大切にはしてくれる。手をつないだり、語り合ったり。寝るときに彼女が心細がれば添い寝もしてくれる。だがそれだけでしかない。
額や頬へのキスはしてくれる。しかし彼女が一番望んでいるキスはしてくれない。
何も知らないとはいえ、ティアも日向荘‥‥別名カップル荘の女子生徒たちからいろいろな話を聞いていた。主に彼氏自慢として。なので、「恋人同士」というものが何をするかの知識は、いささか歪んではいるものの持っていたのである。
そして遥にも遥の理由があった。
幼児よりも無垢なティア。誰よりも彼を信頼しているティア。そんなティアに手を出せば、必ず傷つける結果になる。結ばれるなら、彼女がもっといろいろなことを学んで「普通の女の子」になってから。そう考える遥が彼女に対して一番強く感じていることは、「大切に守りたい」だった。
だからこそ、時々頼りなくなってしまう自分の自制心を必死で繋ぎ止めているのである。
「‥‥そりゃ、遥もティアちゃんも悪くねえよなあ」
宴夜は煙草の煙を吐き出した。
「どっちが悪いかじゃないんだ。この際、悪いのは俺でいい。見つけ出せさえすれば‥‥」
憔悴した遥が消えそうな声で呟く。
たった一晩、されど一晩。ティアを探して一晩中駆け回っていた彼には永遠にも等しかった。
「でもティアちゃんの知ってる場所なんて限られてるだろ?」
「ティアの知ってるはずの場所は全部探したけど、見つからないんだ。知らない場所に行ってしまってるみたいで‥‥」
「あちゃー‥‥」
頭を抱える宴夜。
「うちの連中を動員してもいいんだけどよ、外見も中身もチンピラだからなぁ。ティアちゃんを怯えさせかねねぇ」
と、後ろから輝美が顔を出した。
「自動車部に声かけてあげようか?バイクなら小回りきくよ」
「ありがたい!お願いします、輝美さん!」
遥の目に少しだけ光が戻った。遥1人で徒歩と路面電車だけ使って探していたのでは限界がある。人手が多いに越したことはない。
輝美がスマホを操作してから数分後。隣の部屋のドアががちゃりと開き、加代子が顔を出した。
「輝美さん、ティアさんがいなくなったって?」
「ああ、そういえば加代子さんって自動車部でしたね」
「そうよ。あの木炭自動車のときからね」
宴夜に答えてから、加代子はじろりと遥をにらんだ。
「遥先輩、何やったの?」
「俺は‥‥」
「あー、やったって言うかやらなかったって言うか‥‥なあ、遥」
「ああ、そういうことね」
宴夜の助け舟だけですべて察したのか、加代子はあっさりとうなずいた。
「確かにティアさんって、守ってあげたくなるものね。それ自体はわかるけど‥‥遥先輩、ティアさんは子供じゃないのよ」
「うん、そうだな‥‥」
ぽつんと答える遥に加代子は少しだけ肩をすくめると、
「とにかく行ってくるわ。多分バイク10台は出せると思う」
と駆け出して行った。
バイク12台で1時間。そろそろ時刻は昼近い。しかしティアの手掛かりはまったく見つからなかった。
「ティア‥‥腹も減ってるだろうに、どこ行っちまったんだ‥‥」
ぽつりとこぼす遥に、宴夜が表情を変えた。
「腹減ってる、そうか!輝美、バイクの連中を学食横丁に行かせろ!念のために1人か2人、学食にも!」
「学食に?いくらお腹すいててもそれはないでしょ?」
不審げな輝美。しかし宴夜は首を振った。
「遥、お前ティアちゃんに学食のこと教えたか?」
「いや。俺たちはたいてい横丁で食ってるから、必要ないと思って教えてない」
「わかった!でもそれって大切なことよ、遥くん。ちゃんと教えとかなきゃ」
「うん‥‥」
遥は暗い表情でうなずく。が、突然その表情が変わった。
「そうだ!1ヶ所だけ行ってない、いや、行けない場所がある!」
「行けない?」
「ああ。俺1人で探してたら、絶対に行けないところだ」
「あ、わかった!」
輝美が大きくうなずいた。
「鉄華さんの部屋ね!」
「ああ、確かにティアは昨夜からうちにいるよ」
スマホごしの鉄華はあっさりと答えた。
「でも、このまま帰らせるわけにゃいかないねぇ」
「どうしてです!」
「天野くん、うちの可愛い娘を泣かせたね?」
鉄華の声が冷える。遥のそれとは比較する理由も意味もないが、鉄華もまたティアを大切に思っているのである。
「女を泣かせる男は最低だ。それはわかるね?」
「‥‥わかります」
「つまり今のあんたは最低の男なんだよ、天野くん」
「俺は‥‥」
遥は言葉に詰まった。原因など関係ない。遥がティアを泣かせた、それだけが事実だった。
「ティアと話をさせてもらえますか?」
「それはティア次第だね。ちょいとお待ち」
鉄華が通話口を手でふさいだらしく、そのあとは何かしゃべっているとしかわからない。
じりじりと時間が過ぎた後。
「ハルカ‥‥」
スマホからティアの声が流れ出した。少し湿っている。
「ティア。俺に不満があったんだよな。悪かった。俺はお前を大切にしようとばかり思ってて、肝心のお前の気持ちを考えてなかった」
「ハルカ、私ね。ただ仲よくしたいだけなの。もっと仲よくしたいの」
「うん、わかった。俺が悪かったよ、ティア。ごめんな」
「ちょいと借りるよ」
鉄華の声が割り込んだ。
「天野くん。あたしとしちゃ、可愛い娘を最低の男に任せたくない。だからテストさせてもらうよ」
「テスト?」
「あんた自身がティアを迎えに来な」
「俺が、弁天寮に!?」
「そうだよ。あんたが自分で来るんだ。誰かを迎えによこすような真似したら絶対にティアは返さないし、あたしは一生あんたを軽蔑する」
「わかりました」
遥は間髪入れずに答えた。スマホごしに鉄華がくくっと笑うのが聞こえる。
「いい返事だ。でも返事に見合う行動をするんだね」
「わかってます。ティアに伝えてください。必ず俺が迎えに行くと」
「はいよ」
笑いを含んだ鉄華の声を残し、通話は切れた。
「俺がティアを迎えに行く。それがティアが帰ってくる条件だ」
遥の表情は引き締まり、声にも張りが出ていた。
「弁天寮にか?どうやって行くつもりだ?」
「一応3つ方法を考えた。まず許可を得る方法。幸い生徒会にツテはあるが、どこまで通用するかわからないのが難点だな。次に忍び込む方法。自分で言っといてなんだが、これはほぼ不可能だろうと思ってる。3つめは‥‥あまりやりたくないが、どうしようもなければやる」
「何をやるんだ?」
「女装だ」
宴夜と輝美が同時に吹き出した。しかし遥は真剣な表情をしている。
「でも遥くん、背が高すぎない?180ぐらいあるでしょ?」
「はくばさんなんか200超えてる。俺は179cmだ、なんとでもなるだろう」
「服はどうするんだ?180近い女の服なんてそうそう手に入らんぜ?」
「自販機横丁で制服を買う」
「使い捨てにするにゃちょっと高いぜ?」
「ティアが帰ってくるなら10着でも100着でも買うさ」
「よし、よく言った!」
宴夜が遥の背中をぱんっと叩いた。
「まずはエステルの旦さんに話つけてみようぜ。それで片がつくなら手間がかからん」
「うーん、難しいね」
エステルの返答は渋かった。
「何らかの理由で寮内の視察をすることはできる。でもそれが天野くんである必然がないんだよ」
「それは‥‥確かに」
遥が所属しているのは航空部と海洋冒険部。寮の視察とは関係がない。
一応エステルや左門の護衛という名目もできなくはないが、それは普通に考えて巡回班や銃士隊の仕事になる。
敢えて言うなら弁天寮の1フロアを占めている銀河帝国領事館に関連性を見いだせなくもないが、弓子が目立った動きを見せず、
ラクアフルが自分の宇宙船で生活している以上視察自体の意味がない。
「この方法は使えないか」
「ごめんね、協力できなくて。何らかの埋め合わせはするから」
「いえ、無理を言ったのは俺ですから。気にしないでください」
遥はエステルに頭を下げると、副会長公室を後にした。
「‥‥必然的に第3の方法になったわけだな」
遥は小さくため息をつく。
「正直やりたくはない‥‥でも、ティアのためだ。スカートでもなんでもはいてやる!」
ぐっとこぶしを握り締めた目の前に、大ぶりな包みが差し出された。
「遥、買ってきたぞ。女子制服XXL。身長170~190対応だ。38,000円な、ちゃんと払えよ」
「わかってるよ」
財布を出して宴夜に支払いをすませる。そのとき、加代子が顔を出した。
「遥先輩、その制服そのまま着るつもり?」
「そのままって‥‥ほかに何があるのか?」
「あるわよ。男と女じゃシルエットがまるで違うんだから。手直ししなきゃ着られないわよ」
「そ、そうか。さすが手芸部だな」
「それと、まさかとは思うけど女子用の制服着たらそれで女装完了だなんて思ってないわよね?」
「そ、それは‥‥」
実はそのまさかなのである。加代子はあきれたように首を振った。
「手芸部のツテで美容同好会の人紹介してあげる。遥先輩は完全に男の顔なんだから、ちゃんと加工が必要よ」
加代子が連れてきたのは身長165cmぐらい、顔立ちの整った美少年‥‥いや、美少女だった。男子用の制服を着こみ、それがまたごく自然にマッチしている。
「僕が美容同好会の神原珪だ。ケイって呼んでくれればいい。それでメイクしたいってのは誰だい?」
声もややハスキーで中性的な響きを持っている。一見して性別のわからない、そんな少女だった。
「俺だ」
「ふぅん‥‥」
ケイはじろじろと遥を眺めまわした。
「顔はいいんだけど、カッコいい系だね。可愛い系に持っていくのはちょっと苦労しそうだから、サバサバお姉さまの路線で行くよ。喉仏は‥‥うん、目立たない。ラッキーだったね、うちの喉仏ガードはなかなか苦しいらしいんだ。僕は使う必要がないからわからないけどね」
苦しいって、押しつぶすのか?遥と宴夜は顔を見合わせる。喉元がなんとなくむず痒い。
「で、髪だけど‥‥元が茶髪だから暗めで行こう。髪の色と長さが変わるだけで印象はだいぶ変わるから。サバサバ系となると、ポニーテールかダウンテールがいいかな」
言いながらケイは大きなバッグを開いて小瓶や平たいケースをいくつも並べ、ウィッグが乗ったスタンドも何個も出してくる。いったいこのバッグはどれだけ入るのか。遥や宴夜がバッグを見つめていると、視線に気づいたケイが手を止めてにやりと笑った。
「狂的科学部謹製のバッグだよ。中で空間がねじれて見かけ以上の容積を作り出しているらしいんだ。詳しいことは聞かないでよ、僕にもわからないんだから」
「狂科のバッグって、爆発しないのか?」
「爆発した時には中に入ってる化粧品やウィッグ、メイク用品なんか全部狂科に弁償してもらう契約だから大丈夫。さて、イエベかブルベか‥‥」
一方の加代子と輝美。
「体型の補正と言っても、遥先輩にブラさせるのはさすがに気持ち悪いわよね」
「そりゃそうよ」
けらけら笑う女子2人。ティアのことは気になるが、鉄華のところにいるならとりあえず心配ない。それよりも玩具‥‥ではなく、生贄‥‥でもなく、素材の仕上がりが気になる2人だった。
「じゃあ補正はブラウスに入れるわね。ベストとブレザーを着れば目立たなくなるはずだわ。それよりウエストの絞りをどうしよう?」
「遥くんって、あれで意外と腹筋薄いのよ。ウエストニッパーが効くと思う」
「そんなのいつ見たの?」
「スイカ割りのとき」
「あ、なるほど」
女性陣が奮闘すること約1時間。
遥は見事にカッコいい系お姉さまに変じていた。
ダークブラウンのポニーテール、ぱっちりした目、濡れたような唇。スタイルもややスレンダーながらメリハリが効いている。
「化けたもんだなぁ」
宴夜が感心したようにうんうんとうなずく。
「ありがとう、みんな。これで目的が果たせそうだ」
「こっちこそ、なかなかいい素材をありがとう」
そう言ってケイはにやりと笑う。
「できれば今度手芸部とやるウェディングショーに出てもらいたいところだな‥‥もちろん花嫁で」
「それは勘弁してくれ」
笑いあっているところへ、宴夜が真面目な顔で口を開いた。
「遥。それなら行けるな?」
「ああ、行けるはずだ。必ず連れて帰ってくる」
弁天寮の近くまでは、輝美と加代子が一緒に来た。
「‥‥じゃあ行ってくる」
「ちょっと待って、遥くん。力が入りすぎよ。それに歩幅が広すぎ」
「あと遥先輩って軍にいるからどうしても姿勢がよすぎるのよね。少し意識して背中を緩めたほうがいいわ」
「わ、わかった」
ややぎくしゃくしながら、寮の入口へ向かう遥。
「大丈夫だと思う?」
「誰かに見られなければ大丈夫だと思うけど‥‥」
「運ね」
「運だわ」
幸いなことに、鉄華の部屋に着くまで誰にも会わなかった。
遥はほっと息をつきながら、インターホンのボタンを押す。
「誰だい?」
「あ、あ、天野です」
極力高めの声を出そうと思ったら、声がひっくり返った。ドアの向こうで爆笑している声が聞こえる。
「カギは開いてるよ、お入り」
ドアを開けて滑り込むように入ると、さらに大きくなった爆笑に迎えられた。
笑い転げる鉄華の脇で、ティアが目をぱちくりさせている。
「ハルカ‥‥なの?」
「ああ、俺だ。ここは女子寮だからな、男が入るわけにいかないんだ。でも俺が直接ティアを迎えに来るって約束だから、こうするしかなかったんだ」
「他に方法を考えつかなかったのかい?」
「生徒会に掛け合う方法と忍び込む方法を考えましたがね。結局これしかなかったんですよ」
鉄華の問いに、遥は肩をすくめる。
「いやいや、よくやったよ。女装して潜り込むまでは誰でも考えつくだろうけど、まさかここまで化けるとはね」
「いや、これは‥‥輝美さんと加代子のおかげですよ」
一瞬言いよどんだが、ここは正直にぶちまけることにする。
「最初俺は、女物の制服を着ただけで来るつもりだったんです。そこに加代子の突っ込みが入って」
「そりゃそうだよ。普段のあんたはどこからどう見たって男だからね」
「それで服は加代子と輝美さん、メイクは加代子のツテで美容同好会にやってもらいました。正直、俺は何もしてないんです」
「いや、あんたはとても大きいことをやったよ」
「え?」
首をかしげる遥に、鉄華は笑顔でうなずいた。
「あんたがやったのは、決意だよ。自分でこの子を迎えに来るって決意さ。だからこそ、みんな手伝ってくれたんだろうさ」
「あ‥‥それじゃ‥‥」
「ああ、合格だよ。ティア、天野くんのとこに帰んな。天野くんはきっと、あんたを幸せにしてくれる」
「お母さん‥‥はいっ!」
「あーっ、緊張したぁ!」
女子用制服を脱ぎ、メイクも落とした遥は飛び込むようにベッドに転がった。
そのすぐそばにティアがちょこんと座る。
「お疲れ様、ハルカ。ありがとう‥‥ごめんなさい、わがまま言って」
「ティアはわがままじゃない。わがままは俺だったんだよ。ティアを守る、大切にするとか言いながら、ティア自身がどう思ってるかなんて考えてもいなかった。だから悪いのは俺だ。ごめんな、ティア」
起き上がった遥はティアに向き直った。
「昨夜ティアがいなくて、本当に辛かった。もうティアがいない生活なんて考えられない」
「私も、ハルカと一緒じゃなきゃ嫌」
そのままティアを抱きしめ、その耳にささやく。
「好きだよ、ティア。愛してる」
ティアがそっと目を閉じた。顔が重なる。
それが、遥とティアのファーストキスだった。
最終更新:2022年10月18日 23:58