そしてもうひとつのはじまり
■天野遥:航空部と海洋冒険部に所属する飛行機バカ。彼女のティアを大切に大切にしている。
イラストは
らぬきの立ち絵保管庫
から
その少女はあまりにも無防備に立ち尽くしていた。
南部密林のとば口、普通の生徒はあまり立ち寄らない場所。探検部員が装備を固めた上で、十分に注意を配りながら踏み込む場所のはず。
それなのに少女は通常の制服のまま、のんびりした表情で目を閉じている。
「おい、そんなところで何をしている?」
空は思わず声をかけた。
少女はぱちりと目を開くと、にこっと笑う。
「風が気持ちよくて、ちょっとのんびりしてました」
「は?」
空は一瞬唖然としてしまった。
「お前、ここがどこかわかってるのか?」
「ここって‥‥」
少女は子供のような所作でことんと首を傾げる。と、その表情が曇った。
「そう言えば、ここはどこなんでしょう?散歩してたらいつの間にかこんなところまで‥‥」
「はぁ?」
彼女の言葉は、完全に空の理解を超えていた。何を言ってるんだ、こいつは。
「いったいどうやって南部密林の入り口まで散歩できるんだ!」
「歩いてです」
平然と答える少女に、空はついかっとなった。
「お前、俺をからかってるのか!?」
「からかう?どうして?」
少女の表情は心底不思議そうで、空がなぜ怒ったのか本当に理解していないようだった。
「お前‥‥」
なんなんだ、こいつは?訳がわからない。入学したばかりの1年生だって、南部密林の危険さは教えられているはずだ。
「いいか、ここは南部密林のとば口だ」
「そうだったんですか!知らなかった。ありがとうございます」
少女はあくまで真面目に頭を下げる。本当に知らないのか?
「南部密林って何なのかわかってるのか?」
「いえ、知りません。南部密林‥‥南の、ジャングル?」
「そのままだろうが!」
思わず怒鳴ってしまった空は、額に手を当てて大きく息をついた。
「お前、1年生か?」
「いえ、2年です。2年癸卯組」
「2年生がなんで南部密林について知らないんだ」
「まだ教えてもらってないので」
「よくそれでこの学園で生きてこれたな」
空はため息をつきながら首を振る。この学園の常識をここまで知らないとは。
「どこから来たんだ?」
「日向荘です」
「ああ、新町の寮か。帰れるか?」
「道がわかりません」
一瞬もう放っておこうかと空は思った。が、ここまで何も知らない少女を放り出すのも気が咎める。
「‥‥学食横丁まで送って行ってやる。さすがにそこからなら帰れるだろう?」
「はい!ありがとうございます!」
学食横丁で路面電車を降りたとき、少女の表情がぱっと輝いた。
「あっ、ハルカ!」
「え?」
聞き覚えのある名前にぎょっとしたとき、ばたばたと1つの影が駆け寄ってきた。
「どこに行ってたんだよ、ティア!探したんだぞ!」
「ごめんなさい、ハルカ。道に迷って、この人に送ってもらったの」
「そうか。ありがとうございます‥‥って空!?」
「遥‥‥」
「どういうことなんだ!?」
男2人の声がそろった。
とりあえず、とあるカフェに入って情報交換することにした。
ティアのことは上陸しかかったストク配下のアンデッドからかろうじて逃げたところを遥に保護された女子生徒で、その恐怖から記憶があいまいになったとした。もちろんそこは、ティア自身とも口裏を合わせてある。
元は自意識を持ったAIが周辺の善意と統合し、エステルと接触したことでストクと対立する意志を持ち、さらに何らかの奇跡で肉体を持ってしまった存在など、軍事機密以外の何ものでもないし、誰に狙われるかわかったものではない。
ほいほいとSSにばらせるような情報ではない‥‥たとえそれが空であっても。
「‥‥で、自分の名前もわからなくなってるから俺がティアって名づけたんだ」
「ほぅ」
明らかに疑っている表情。それはそうだ。学防軍のカバーストーリーを鵜呑みにしてしまうようでは、SSで大尉になどなれないだろう。
カバーストーリーのほうもお粗末だ。遥がアンデッドの上陸阻止チームに入る意義などない。遥の腕ならば、ストク改に対応するのが当然だ。
しかもストク改への対抗戦力には、巨大化した副会長や普段学食横丁にたたずんでいる「T」の他に、見たことのない可変メカの存在すら報告されている。
執行部とは何かと縁の深い遥のことだ、その可変メカに乗っていたと考えるのが一番現実的だろう。
しかし空は、そのお粗末な作り話に敢えて乗ってやることにした。もっとも、少しいたずら心が動いたのも事実である。
「なるほど、それで助けられて恋に落ちたというわけか。王子様だな、遥。あ、いや、実際に大南帝国の皇子だったか」
「やめてくれ‥‥」
たちまち遥の表情がげんなりする。
大南帝国の皇位継承権を持っているのは事実だし、政治上「皇子」と名乗ったほうがうまくいくケースも何度もあった。
しかし彼自身はごく普通の家庭育ちであり、自分が「皇子」であることにはどうしてもくすぐったいような落ち着きのなさを覚える。違和感しかない。
「でも、ティアの王子様ではありたいな」
ぼそっと漏らした呟きはしかし聞こえていたらしく、空の失笑をかってしまった。
カフェを出た時点で、空は拠点に戻るつもりだった。しかし。
「私、空さんともっとお話ししたいな」
無垢な目で見つめられて、思わずたじたじとしてしまう。
「だってハルカのお友達なんでしょう?ハルカの小さい頃のお話、聞きたいです」
「小さい頃と言っても、俺と遥が会ったのはたった1日だけだぞ」
「それでも聞きたいです。私は何にも知らないんだもの」
見かねた遥が、
「俺が話すんじゃだめなのか?」
と口をはさむが、
「他の人から聞きたいの。物事はいろいろな角度から見なきゃだめだって輝美さんが言ってたし」
言われてみればもっともな理由で却下されてしまった。
「‥‥仕方ないな」
なぜかこの少女の言うことには逆らえない気がする。不思議に思いつつ、空はうなずいた。
公園のベンチに場所を移して、語り始める。
「あれは俺たちが7歳のころ。小学1年から2年になる春休みのことだった‥‥」
目を輝かせて聞き入るティア。
「‥‥ということがあって、俺と遥は友人になった。で、俺は引き取られた親戚がたまたまここのOBだったんで、ここに入学した。そして遥に再会したわけだ」
「ふぅん、そうだったんですか。じゃあ空さんはパイロットになるのはやめたの?」
「え?」
「だって、航空部に入ってないでしょ?私も航空部なのに空さんに会ったのはこれが初めてだから」
空は内心慌てた。自分がSSだと知られるのは避けたい。秘密保持という点でもそうだが、なぜかこの少女に知られたくない、敵視されたくないという気がしたのだ。
「別に航空部に限らないだろう。飛行委員会でだってパイロットにはなれるぞ」
助け船は意外なところから来た。
「遥‥‥」
「航空部だと軍用機に乗せられちゃうからな。卒業して就職するときのことを考えるとあまり向いてない」
「そっか。そうよね」
納得するティアの横で、にやりと笑ってみせる遥。明らかに「貸しイチな」と言っている表情である。
空は苦笑すると、
「まあそんなわけで遥との再会も遅くなった。この学園では所属してる団体が違うと、なかなか会えないからな」
「でもすごい確率ですね!子供の頃1回会っただけの相手に、この学園の10万人以上の中からまた会えたなんて!いいなぁ」
少し遠い目をするティア。ストクの贄とされた40,000の姉妹たちに想いを馳せているのだろうか。
そんなティアの肩を抱き寄せる遥に、空はなんとなく面白くないものを感じた。
「おい、見せつけるなよ」
ことさらに冗談がましく言うと、遥の顔がさっと真っ赤になった。
「あ、いや、その、何と言うか‥‥」
「さては俺の存在を忘れてたな?」
「そ、そんなことは!‥‥あったかもな」
「許さん!」
ふざけてボディにパンチのふり。遥もそれに合わせて、大げさに苦しむふりをする。
楽しそうに笑うティアの姿が、なぜか空にはとてもまぶしく見えた。
第一印象は、変な奴。
その次は手のかかる面倒な奴。
そしてその次は‥‥
空は自室で目を閉じた。なぜか無邪気に笑う少女の顔が頭から離れない。
純真。無邪気。無垢。そういった自分がどこかに置き去ってきたものを、彼女はすべて持っているような気がする。
「北大路ティア、だったな」
写真がほしい。
そう思った空は、自らに驚いた。自分がそこまで誰かに興味を持つなんて。
誰かに会いたい、そう思ったのは幼い日の遥以来だ。そして今抱いている感情は確実にそのときのものとは違う。
「ふむ」
今、空は確かにティアに対してプラスの感情を抱いていた。
それが恋愛感情であるかは、自分でもわからない。これまで持ったことのない感情だから。
だが、もしそうであるならば。
「遥は二重の意味でライバルになるわけか。これもまた奇遇なことだ」
最終更新:2022年10月18日 23:59