過去からの追撃
■小村加代子:元仕事人。本土で仕事に失敗し、面が割れたため学園に逃亡してきた。
イラストは
らぬきの立ち絵保管庫
から
■小村掃部:加代子の兄。加代子を始末するため、本土から追ってきた。
イラストは
らぬきの立ち絵保管庫
から
ことん。
それは小さな音だったが、加代子の訓練された耳はしっかりと捉えていた。
日向荘の玄関にある集合ポストではなく、ドアポストに何かが入れられた音。
加代子は警戒しながら確認しに行った。
「何これ‥‥」
それは1枚のハガキ。ただし、周囲に黒い枠がつけられている。
「長女 加代子 儀 先日の仕事失敗により ×月×日 永眠いたしました‥‥って、今日の日付じゃない!」
加代子がそのハガキを読んだのを見ていたかのようなタイミングでスマホが鳴る。知らない番号。
「‥‥もしもし?」
「そのハガキは必ず実現させる」
聞き覚えのある、いや、決して忘れられない声。冷たく、事務的な声。加代子を追い続ける声。
「兄さん‥‥」
加代子の兄、小村掃部は感情の感じられない声で言った。
「甘くなったな、加代子。大切なものを作るなど」
「!」
加代子の脳裏に1つの顔が浮かぶ。加代子にとって、誰よりも大切な顔が。
「まさか兄さん‥‥」
「違う。人質などは我々の流儀ではない。ただそれがお前の甘さだと言うだけだ」
「‥‥」
「今のうちに別れを惜しんでおけ」
ぷつり。通話が切れた。
加代子は素早く身支度すると、日向荘を飛び出した。
いくつかある隠れ家を回ってドアポストを確認する。が、そのすべてにあのハガキが入っていた。
「逃げ場所はないってことね。さすが兄さんだわ」
ハガキの表書きは何も書かれていない。つまり郵便ではなく直接ドアポストに入れられたということである。
こんなときのために、複数の身元は持っている。「小村加代子」という姿を捨てて、別の人物として学園生活を続けることはできる。しかし。
「先輩‥‥」
そう。来馬進に想いを寄せているのは「小村加代子」。別の身元の少女ではない。
躊躇なく捨ててしまうには、「小村加代子」は重く、大切なものを持ちすぎてしまった。
確かに兄の言う通り甘くなったのかもしれない。だがそれは、仕事人としては甘くなったということだ。もう殺しはしないと誓い、普通の少女となった加代子にとっては当然のことでしかない。
しかし。
仕事人の掟「正体を知る者は消せ」。それは例えば偶然彼らの正体を知ってしまった一般人に対しても変わらない。
「‥‥ってことはもしかして!」
学園生徒にも数人、加代子の過去を知る者はいる。宴夜、有海、流水、おそらくは執行部の3人。ヤクザ研の上層部も知っているだろう。
もしかして、彼らも知ってしまったが故に掃部に狙われるかもしれない。それは加代子には耐えられないことでもある。
人質は取らないと掃部は言った。彼の性格や仕事人としての流儀からそのことは信用できる。しかし、加代子の過去を知る者を消さないとは言っていない。そして今の加代子にとってそれが大きなダメージになることも計算済みだろう。
いつの間にかうずくまっていた加代子は立ち上がった。
「守らなきゃ‥‥あたしが」
どの隠れ家にも置いてある、ブローチの針。それを1本ずつ丁寧に研ぎなおす。同時に頭の中も研ぎ澄まされていく。それは加代子の精神統一方法でもあった。
「ごめんね、海都。今回だけは誓いを破る。兄さん相手に不殺なんて言ってられないもの」
不殺を誓った弟に謝罪しながら、加代子はブローチの針を研ぎ続けた。
旧校舎群。
普通の生徒はめったに足を踏み入れないそこに、加代子の姿があった。
風が吹き、生い茂った雑草がざっと音を立てる。
「やはりここを選んだか。人通りのない場所を選ぶのは鉄則ではあるが、お前の場合は他の生徒を巻き込まないためだろう。やはり甘いな」
風の音に紛れ、掃部が近づいていた。
「久しぶりね、兄さん」
「お前に兄さんと呼ばれる筋合いは最早ない」
「血縁自体は消えないわ。兄さんには忌々しいかもしれないけど」
「ああ、確かに忌々しい。血を分けた妹が血を分けた弟を手にかけ、そして今またその妹を俺が手にかけねばならないなど、忌々しい以外のなんだと言うんだ」
加代子は驚いた。掃部の声に不快感がにじんでいる。彼女が知る限り、兄の言葉に感情が込められたことなどなかった。
「兄さん‥‥」
「あのとき、お前の追撃を海都に命じたのは俺だ。直接あいつを手にかけたのはお前だが、俺が殺したも同然だ」
これほど苦渋に満ちた兄の声を、加代子は聞いたことがなかった。
「そして今、その責任も含めて、俺がお前を殺さなければならない。弟も、妹もだ」
「兄さん、もしかして‥‥」
「ああ。お前は知らなかっただろうが、俺は俺なりにお前たちを大切に思っていた。だからこそ今の状態が忌々しい」
ぐっと加代子を睨みつける掃部。
「お前を殺さなければならない俺が、あの日にお前と海都を仕事に参加させることを止められなかった俺が、心底忌々しい!」
吐き捨てるように言った掃部は、握った手を自分の口に近づけた。
それを見た加代子は後方へ飛び退る。
兄の含み針の射程距離は知っている。それより離れれば、どうと言うことはない。
しかし。
「えっ!?」
加代子の肩口を、極細の針がかすめて飛んだ。
「あれから何ヶ月経ったと思っている。俺が訓練していないとでも思っていたのか?」
続けて後方へ飛ぶ加代子を追うように、針は飛び続ける。
「お前のブローチは近接戦用だ。針を飛ばす機構はあるが、俺の含み針より射程は短い。機構による射程だから訓練で伸ばせるようなものでもない。つまりお前に勝ち目はない」
加代子は内心歯噛みした。兄の言うことは何一つ間違っていない。
掃部の飛ばす針をかいくぐって接近したところで、次の針が飛んでくるだけ。しかも距離が近づいている分、命中の確率は上がる。加代子にできることは、避けることしかない。
極細の針は視認性が低く、それを避けるためには全神経を集中しなければならない。自分から攻撃する余裕など、どこにもないのだ。
「くっ!」
含み針の1本が、加代子の袖口を引き裂いた。辛うじて身体には刺さらなかったものの、加代子の動揺を誘うには十分だった。
加代子は必要以上に遠くへ飛び退る。その姿を見てにやりと笑った掃部は、再度口のそばに拳を近づけた。
「しまった!」
口中の針がなくなった瞬間が、掃部の隙になる。補充しなければ、掃部の攻撃手段は断たれるのだから。
その瞬間に肉薄するしか、加代子に勝利の目はなかった。しかし加代子は自ら、その目を潰してしまったのだ。
加代子はまた回避に専念しなければならなくなる。掃部はタイミングや方向をランダムに変えて攻撃してくる。加代子は次第に消耗していった。
「あきらめろ、加代子。今ならまだ苦しまずにすむ」
「‥‥いやよ!あたしはここで、普通になれたの!ここでなら、普通の高校生として生きていけるの!あたしはここで生きたいの!」
その瞬間。
ぱぁん!
ぱぁん!
炸裂音が2回響いた。
加代子と掃部が振り向くと、拳銃を構えた2人の少年が立っていた。
「大丈夫ですかい、加代子さん」
「事情は知らないが、目の前で学園生徒を殺させるわけにはいかないな」
「宴夜さん、遥先輩!」
「おや、援軍か」
掃部は肩をすくめた。
「君たち、こいつが何者か知っているのか?」
「薄々はな」
宴夜が応じる。
「過去がどうあれ、今の加代子さんは堅気なんだ。いざこざに巻き込もうったってそうはさせねえよ」
「おやおや。この学園は殺人に禁忌のない連中の集まりなのかな?」
皮肉を込めた掃部の言葉に、遥がもう一度発砲した。
「禁忌がないわけじゃない。ただ必要な時にはためらわないだけだ。例えば大の大人が女の子を殺そうとしてるときなんかがそうなるな」
「やれやれ。俺の針でもさすがに拳銃相手には分が悪いな。ここは一度退こう」
そう言うと掃部はポケットから出した袋に口中の針を吐き出した。
「加代子。ここは退くが、俺はお前を認めたわけではない。いずれ始末するからそのつもりでいろ」
翌日。
新任の講師が紹介された。
「小村掃部、専門は飛翔体空気抵抗学だ。よろしく」
最終更新:2022年10月18日 23:56