The Day After...(前編)
■天野遥:航空部・海洋冒険部中佐。大南帝国の正統皇位継承権を持つ。
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■小村加代子:元仕事人。本土で仕事に失敗し、面が割れたため学園に逃亡してきた。
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■
仙川郁:ペンネーム“カオル”。『遥かなる空』シリーズの作者。
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「困ったわね」
「困りましたね」
「うーん‥‥」
悩み深い視線の主は、性愛研部長の御子山馨、突撃報道班部長の天田信、そして漫研部長の占切破太郎。
彼らの視線の先には一通の封書。それは航空部部長の菅野直志と海洋冒険部部長のダラス・マンキューソの連名で出された、雑誌『Moon Light Dream』の販売差止請求だった。
つい先日完結を迎えたばかりの連載『遥かなる空』シリーズ。その主人公が特定の人物を想起させるためというのがその理由だった。
連載は完結したのだからと突っぱねることはできる。しかし学防軍の2/3を敵に回すのはどう考えても得策ではない。かと言って請求を飲んでしまえば単行本が発売できなくなる。もちろん、バックナンバーを含んだ雑誌の販売もできなくなる。渦中の『遥かなる空』シリーズ以外にも多数の人気シリーズを持つ『Moon Light Dream』の販売差止は非常な痛手だった。
「ちゃんとフィクションだって書いてあるのにねぇ」
「それはそうですけど‥‥」
「ちょっと設定がピンポイント過ぎますよ、さすがに」
『遥かなる空』シリーズの主人公は2人。大南帝国の皇子であり、空中戦の名手である“遥”と、90年動乱後月光洞に残留したSS残党の末裔であり、やはり空中戦に強い“空”である。
この“遥”が航空部と海洋冒険部を兼部している部員に酷似しているというのだが。
「それって誰だかわかる?天田くん」
「はい、調査してきました」
馨の問いに信がうなずいてメモ帳を開く。
「天野遥中佐。空母〈鳳翔〉所属の艦上戦闘飛行隊の隊長です。大南帝国の正統皇位継承権を所有している‥‥実際に皇子でもあります」
「え?月光洞出身なのか?」
破太郎が目を見開いた。確かにSG協定締結以来月光洞出身の生徒数は増加の一途をたどっているが、帝国の皇子が編入してきたとなると騒ぎにならないはずがない。しかしそのような騒ぎなど、彼らは聞いたこともなかった。
「いえ、違います。何でも大南帝国に伝わる如意片に選ばれたとか」
「ふうん、皇族の血を引いてるってわけじゃないのね」
「そこは連載と違うんだな」
「でも、それだけで押し切るにはちょっと弱いわね」
沈黙が落ちる。
ややあって、破太郎が口を開いた。
「もしも」
「えっ?」
「もしも天野中佐がこの作品を読んだ上で、自分とは別人だと明言してくれたら」
「‥‥ああ!」
他の2人の顔にも理解の色が広がる。
「いくら部のほうでそっくりだと言ったところで、中佐が別人だと断言してくれれば差止請求も引っ込めざるを得なくなるわ」
「そうですね、その方向で考えましょう!」
一方。
「同志星河。これはどういうことだね?」
SS残党拠点の1つ。空は上司の冷たい視線にさらされていた。2人の間にあるテーブルの上には、『Moon Light Dream』が12冊。全12話の『遥かなる空』シリーズが掲載されている本がすべて並んでいた。
「‥‥俺にもわかりません」
「君が天野中佐と幼馴染だったことはわかっている。“遥”の幼馴染でSSの“空”。これは君のことではないのか?」
「こんな小説、初めて知りました」
空としてはそう答えざるを得ない。こんな雑誌が発売されていたこと自体、知らなかったのだから。
「我々は大義のためには、自分がSSであることを伏せねばならない。それはわかっているな?」
「わかっています」
「それがこんな形とは言え、君に酷似した人物がSSに所属していると公表されている。これは由々しき問題だ」
「‥‥」
この上司は何が言いたいのか。何を言われようと、知らなかったものは知らなかった。空にはそれ以外言うべきことがないのに。
「この作者がなぜ君や天野中佐のことを知っていたのか、調べてきたまえ」
「俺がですか!」
「現在他に人手がないのでな。作者は“カオル”というそうだ。自身の安全のためにも、しっかり調査したまえ」
自身の安全のためにも。そう言われてしまっては、空に否やはあり得なかった。
ところ変わって航空部。
訓練を終えた艦戦隊はそれぞれ航空部と海洋冒険部に戻り、休憩していた。隊長である遥だけが、それぞれの部に報告に行っている。
2部合同で編成されている飛行隊ならではのデメリットだったが、遥は文句も言わず実行していた。2チームある飛行隊がそれぞれ航空部のみ、海洋冒険部のみであればいいのに、とたまに思いはしていたが。
そして航空部側の石田、内村、江藤、大島は休憩室でくつろいでいた。
そこへ、江藤が1冊の雑誌を出す。
「石田さん、これ見たことあります?」
「あ?何だこれ?」
「月光洞で発行されてる雑誌らしいんですけどね。載ってる小説の主人公が隊長にそっくりなんです」
「へぇ?」
手に取って読み始めた石田の顔つきがみるみるうちに変わっていく。
「おい。これ天野には見せるなよ!」
既に読んでいるらしい江藤はうなずくが、まだ読んだことのない内村と大島はきょとんとする。
「これ、BLじゃねぇか。彼女を溺愛してるあいつが読んだら絶対暴れるぞ」
「BL!」
「そりゃ怒るな、隊長‥‥」
なぜかシリーズ全話分持っていた江藤を囲み、回し読みが始まった。
「軽い表現ではありますけど‥‥」
「BLには違いないよなぁ」
「隊長には見せらんないですよね」
遠くから足音が聞こえてきた。
「来たぞ!隠せ!」
石田の押し殺した声とともに、ばたばたと雑誌がしまい込まれる。そこへ報告を済ませた遥が現れた。
「何だ、何隠してるんだ?」
「何でもねぇよ」
石田が答えると、遥は軽く眉をひそめた。
「エロ本か何かか?まあ固いことは言わないけど、部内では大概にしとけよ」
「こいつ、彼女がいるからって余裕ぶりやがって」
笑う石田に遥も笑いながら応じる。
「何を言う!俺とティアはまだ清い仲だぞ」
「などと容疑者は供述しており」
「誰が容疑者だ!」
大笑いしながら、石田は手を後ろに回して他の3人に合図する。3人は急いで12冊の雑誌をまとめてロッカーに押し込んだ。
「じゃあお前らも早めに帰れよ」
と、遥が去っていったあと。
「はぁ~~~~~っ」
4人は大きく息をついた。
「とりあえず今日はごまかせたけど‥‥江藤、それ持って帰っとけよ。基地内に置いとくと、いつあいつの目に触れるかわからん」
「わかりました」
「おかしいなぁ」
どうも視線を感じる。しかしさっと振り返ってみても誰もいない。視線だけが変わらず感じられる。
「誰だよ、さっきから!」
声を出してみても反応はない。
「まったく‥‥なんなんだよ」
ぶつぶつ言いながらスカートを翻して再び歩き出す。
「まずは性愛研に顔出さなきゃ。でもその前に、何か食べて行こう。12回連載お疲れ様、僕ってことで」
彼の名は仙川郁。そう、「彼」である。
月光洞時間で1年、12回連載を終えて久しぶりに地上に出てきた彼のペンネームはカオル。問題の『遥かなる空』シリーズの作者である。
性愛研と漫研に所属しており、主にR18BLやラブコメの原作を担当していた。画力はないが表現力は高い。臨場感あふれる文章を書くので作画しやすいと評判だった。
今回のシリーズは彼にとって小説という形でのデビュー作に当たる。デビュー作でいきなり連載ということもあって勝手はわからなかったものの、どうにか一度も〆切を落とすことなく完結できた。
そんなわけでゲートから出てきたときはご機嫌だったものの、何か意味の分からない視線につけまわされて急降下した気分を何とかしたいところであった。
そこで彼は1年ぶりの地上食を食べようと学食横丁に足を向けた。
しかし。
ずっと感じていた視線が、近寄ってきた。
「何だよ!?」
振り向いた瞬間。
どす!
「ぐ‥‥ふぅ‥‥」
みぞおちに重い一撃が入り、彼は意識を失った。
「ん‥‥」
気がついた時は薄暗い部屋の中だった。郁は周囲を見回す。彼はパイプ椅子に座らされていた。スカートを含め、服装はきちんと整ったままになっている。立ち上がろうとしたが胴体部分をパイプ椅子に縛り付けられ、椅子自体は床に固定されているようだった。
両手両足は縛られていない。試しに縛られているロープを後ろ手でほどこうとしてみたが、視界に入れられない状態で複雑な結び目をほどくのは不可能だった。
「なんだろ、ここ‥‥」
「気がついたか」
郁の知らないことではあるが、声をかけたのは空だった。
「‥‥ここは?」
「そんなことはどうでもいい」
冷たい声で答えると、空は1冊の雑誌を出した。ぱらぱらとめくり、『遥かなる空』のページを出す。
「これを書いたのは、お前だな?」
「あ、それ?うん、僕が書いたんだけど‥‥それが何?」
「そうか、お前か」
空は冷たくにやりと笑った。
「1つ聞きたいんだが、この主人公2人はお前が考えついたのか?名前や境遇、すべてについてだ」
「そうだよ、全部僕が考えた。盗作なんかしてないよ!」
「盗作なぞ疑ってないがな」
空はぱたりと雑誌を閉じた。
「俺の名は空だ。そして、遥という幼馴染がいる」
「えっ!?」
それは郁にとっても驚くべきことだった。しかしそんな郁に構わず、空は言葉を続ける。
「さらに俺と遥は現在敵対する立場にある」
敵対する立場。現在の学園内で明確に「敵対」と言える関係は多くない。各部で宿敵と見なされている対象であっても、表面上は何事もなかったようにするのが当然であるからだ。
例外は学防や公安と‥‥
「‥‥ってことはあんたはSSなのか」
SS残党。これほど明確にどこかと「敵対」している勢力は他にないだろう。そしてその敵である公安や学防なら、一般生徒を暴力で拉致することはない。少なくとも表向きは。
「それもどうでもいいことだ」
空は否定しない。しかしそれが十分な肯定になっていた。
「僕をどうするつもりなんだ?」
「さて、どうするかな」
肩をすくめる空。
「これが発表前ならお前を消すことも視野に入れるべきだったが」
「消す‥‥」
郁は唾を飲み込んだ。
「もう発表されてしまっている以上、お前をどうこうしても始まらん。かと言って名前も立場も似ている主人公がいたのでは、俺自身が動きづらくなる」
「‥‥僕に、どうしろと言うんだ」
「正直、俺も迷っている」
最初に空が疑ったのは、郁自身もしくは郁とつながりのある人物にSSの情報が流出していることだった。空と遥が幼馴染であることは上層部しか知らないことであり、その情報が流れているとするとセキュリティの見直しを図らねばならない。情報の漏洩が簡単に起こってしまっている状態など、捨て置けるはずがないのだ。
しかしどこをどう洗っても郁とSSにつながりはなかった。やむを得ず空は郁自身を拉致し、本人に確認することにしたのである。
そしてその結果は、ただの偶然。
郁は証拠としてネタ帳を見せることさえした。そこにはいくつもの名前が書いては消した痕跡があり、最後に“遥”“空”に丸をつけてそこから矢印を引っ張り「シリーズタイトル:遥かなる空(名前に引っ掛けるのもいいんじゃね?)」と書かれていた。
空もその記述を確認してみたが、間違いなく書かれてから1年前後が経過しており、月光洞にこもって執筆をしていたという郁の言い分とはまったく矛盾するところがなかった。
「間違いなく、ただの偶然か‥‥」
空は困り果てていた。作品の掲載ページに「登場する人物・団体・国名などは架空のものであり」と明記されている以上、文句のつけようがない。
しかし単なる偶然と言い捨ててしまうには、あまりに空自身、そして遥自身に設定が似すぎている。
「この小説、単行本になったりするのか?」
「えっと、今の時点では未定だけど、人気は結構あったみたいだから可能性は高いよ」
「何だと‥‥」
それはまずい。
雑誌ならばまだいい。そのほとんどが読み捨てられるものだから。しかし単行本になってしまうと話は別だ。保管され、読み返されるのが前提となる。
「お前が単行本化を断ったりは‥‥」
「命に関わると言うならしてもいいけど、最終決定は僕じゃないから」
「まあ、そうだな」
小さくため息。突撃報道班に漫研に性愛研。学園内のどのクラブであってもSSの横槍に黙って従うことはないだろうし、3つもとなるといささか荷が重いと言わざるを得なかった。
「しかたない」
いずれにせよ、郁にさせられることはもうない。
「お前は解放してやる。ただ、俺のことは‥‥」
「わかってる、絶対に口外しない。それでいいんだろ?」
「ああ、よくわかってるようだな」
言うなり空は郁のみぞおちに一撃食らわせた。
「ぐっ!」
再び意識を失う郁。
彼が次に目覚めたとき、そこは自販機横丁の片隅だった。
最終更新:2022年10月19日 00:02