喜怒哀楽1 >

今月からスタートする『C&A喜怒哀楽』。彼らが人生の中で感じた喜怒哀楽を具体的に上げて、彼らの人となりを理解していただけたらと思っております。さて、スタートの今月は【喜】。喜びはたくさんあるけれど、特に印象に残っているものを上げていただきました。

【これが欲しかったんだ】

ツアーに出る前日は、バタバタと荷造りに追われるふたり。ツアーの日数分の衣装やら、洗面道具やら、ホテルの部屋で聞くCDやらと、手際よくバックに詰め込んでいく。特にチャゲは入念で、あれがないこれも必要だとひとつひとつをチェックして、わざわざ買い物にまで行ってしまう。その様子は遠足に行く浮かれた児童そのもので、忙しいスタッフをも巻き込み、大変な騒ぎになったりする。
でも、こんなに準備万端整えているはずなのに、なぜか毎回忘れ物がある。今回の大阪ツアーでは、リハーサルのときに必要なスエットパンツをごっそり忘れた。パジャマ代わりに着ているたった1枚のスエットを毎日はいて、ちょっとみじめな思いをしていた。
ところが、そんなチャゲのもとに届いたのが1枚のスエットパンツ。ファンの方からのプレゼントで、チャゲが大喜びをしたのは言うまでもない。ボロボロのスエットを脱ぎ、鼻歌まじりでさっそく真新しいスエットにはき替えたのだった。
諦めていたものが与えられたときは、無情の喜びを感じるものである。

【長ズボンは大人の入口】

宮崎少年は風の子だった。どんなに寒い日でも脚を出して駆け回るのが子供だとして、ずっと半ズボンで通していた。半ズボンはいわば宮崎君の子供としてのプライドを保つものでもあったし、心のどこかに長ズボンは大人がはくものという概念をもっていた。
そしてあれは小学校5年の秋口。母親が宮崎少年の前に差し出した紺色の長ズボン。大人として認められたようなテレくささを覚え、こんなのはかないよと言いつつも、こみ上げる笑いを抑え切れなかったのである。自分でしまうと言って、別の部屋ではいて、ひとりニンマリしていた宮崎少年。
長ズボンは宮崎少年を大人へと導いた、喜びのアイテムなのだ。

【ホールインワン】

チャゲのゲーム好きは有名だ。一時期、究極のゴルフゲーム『遥かなるオーガスタ』に凝って、暇さえあれば画面上のグリーンと格闘していた。このゲームは、ゲームとしてあなどれないほど高度なもので、あたかも自分がグリーンを回っているような錯覚に陥るほど複雑なのだ。
この『遥かなるオーガスタ』で、チャゲはなんとホールインワンを出した。あれは忘れもしない4番ホール。打球はグングン伸び、コロコロと転がってホールの中へ。その瞬間、この世のものとは思えない奇声を発し、チャゲは躍り上がって大喜び。自分でチラシまで作って、関係者にファックスまでしてしまった。なんたって、本物のゴルフ同様に難しいホールインワンである。半年間に渡って興奮状態が続いたが、それも当然のことである。
征服…。それは男の喜び。そして、チャゲはこのとき、まさに征服した満足感に満ちあふれていたのだ。

【人生の転機】

あれはチャゲと飛鳥が音楽に夢中だった19のとき。音楽に没頭するあまり、大学の留年が決まって、父親から大学を辞めて家業を継ぐことを言い渡されていたチャゲ。ポプコンの地区大会に続けざまに出場したのに賞が取れず、プロの道を断念しようと思っていた飛鳥。ふたりとも、同時期に人生の岐路に立たされていたのだった。
「あと1回出場して、受賞できなかったら音楽をスッパリ辞める。自衛官か警察官の試験を受ける」と決めたのは飛鳥。大会なんか出たくない、と渋るチャゲを誘い、ふたり別々に第15回ポプコンに出場したのだった。
そして発表のとき。次々と名前を呼ばれ、ステージに上がっていく出場者を横目で見ながら「やめだ。これで音楽はやめだ」と飛鳥はひとり決意を固めていたのだった。ところが、特別に設けられた最優秀歌唱賞の発表で飛鳥の名前が呼ばれた。呆然としてステージに上がる。でも、心の片隅に、誘ったチャゲに悪いなという遠慮があり、実際心から喜ぶことはできなかった。そして最後のグランプリ発表。司会者が叫んだ名前はチャゲだった。「やった! やった!」。チャゲはもちろん、自分が誘った奴がグランプリを獲得した喜びで、飛鳥も我を忘れて大喜びしたのだった。
その後、つま恋本選会でふたり組んで出場し、入賞及びデビュー。現在のCHAGE&ASKAが誕生するわけである。
「初めて賞というものをもらったのは、あのときが初めて。誰の力も借りず、自分で勝ち取ったものだったし、親を説得する決め手になった。あのグランプリがなければ、今のC&Aはもちろんないからね」(チャゲ)
「人生の喜びのサビだったと言えるかもしれない。地区大会の後、音楽の甲子園と呼ばれるつま恋本選会へ行ったときもうれしかった。つま恋のゲートをくぐったときの喜びは今でも忘れない」(飛鳥)
人生の転機といえる時期に大きなチャンスをつかんだチャゲと飛鳥。でも、喜びに溺れて努力を重ねていなかったら、あのときの転機は決して好機とはならず、ただの人生の出来事で終わっていたのである。

【水の部屋】

宮崎少年は自転車を持っていなかった。「人から物を借りてはいけない」。これは宮崎家の家訓だったが、宮崎少年は友達から借りて、密かに乗り回していたのだった。
あるとき、乗るのに夢中になって、友達の自転車を返すチャンスを逸してしまった。宮崎少年は家の裏にある雑木林の中に自転車を隠し、次の朝早く返しにいこうと思っていた。ところが、夜遅くに自転車の持ち主が親を連れて宮崎家を訪ねたのである。「自転車を返してください」と。父親の「借りたのか?」の質問に、宮崎少年は恐さのあまり嘘をつく。「借りていない」。
子供の嘘はすぐにバレる。その夜、宮崎少年は父親に殴られ、水をかけられ、深夜まで家に入ることを許されなかった。
でも、父は怒るばかりではなかった。数日後、宮崎少年は父に連れられ、親戚の自転車屋に出向く。欲しかった自転車をやっと買ってもらったのだ。青紫の車体に、黄色のピューマの旗がついた自転車。うれしくてうれしくて、誰かに自慢したくて、くる日もくる日も自転車に乗っていた宮崎少年だった。
そんな愛する自転車も、年月がたてばさびもつく。雨風にさらされ、みるみると古ぼけてくる。
この情景を詞に託したのが『水の部屋』。飛鳥の子供の頃の憧景を描いた名作となっている。

【負けたって嬉しい】

中学時代の柴田少年はサッカー部に所属していた。それはある試合のときだった。1点差で負けていて、ゲーム残り時間はあと3分。そんなギリギリのときに柴田少年は見事シュートを決めた。もう大騒ぎしちゃってチーム全員でギャーギャー飛び上がっちゃって、柴田少年は一気に王様の気分を味わっていた。その後のPK合戦でもやたらウキウキしちゃって、脚が地につかなくてあっさり負け。シュートした喜びで勝ったも同然になっていたのが敗因だが、思い返してもあのシュートは気持ちよかった。負けたのに相手校より喜びに満ちあふれた顔をしていた柴田少年であった。

【ざまーみろ】

飛鳥がロンドンでお世話になっていたのがフジテレビのU氏。U氏の誕生日にはお花を送ったりして、温かな交流をしていた。そして今年の2月24日。35回目の誕生日を迎えた飛鳥に、U氏から高価なMD(ミニディスク)がプレゼントされた。MDをいただいたうれしさで心がいっぱいだったが、もっと飛鳥を喜ばせたことがある。
実はその何日か前に、チャゲが自腹を切ってMDを購入していたのだ。しかもチャゲが買ったMDはぶっこわれていて、全然使いものにならない。可哀相にと思っていた矢先に飛鳥のもとに届いたのは、もちろん問題ナシのピカピカの新品。それもタダ。「へへーんだ、ざまーみろ」とひとり喜びにほくそえんだ飛鳥だった。リハーサル中に起こった、飛鳥にとっては最高で、チャゲにとっては最悪の出来事であった。
最終更新:2025年08月05日 13:12