生活感【戦い】
活躍するミュージシャンによく感じられるのは、その「生活感のなさ」である。もちろんCHAGEとASKAも別に意識しているわけでもなく、普段の振る舞い、動作にまったく生活感を感じさせない。夢を追い続ける彼らの姿勢がそうさせるのか、はたまた単に無邪気なだけなのかはここで追求する気はないが、とにかく彼らに生活感は感じない。また、彼らの大切な仕事は「聞いてくれる人に夢を与えること」でもある。与える夢に広がりをもたせるためにも、ミュージシャンに生活感は必要ないといえる。
しかし、最近は彼らの生活を暴こうとする週刊誌やテレビ局が多く、ふたりの意向とは裏腹な報道のされ方をして、嫌な思いをすることが多々ある。こういう報道をされるたびに、彼らは厳重な抗議をもって立ち向かっている。今後もこの姿勢は崩さず、徹底的に戦うつもりである。
石鹸I【花王 愛の劇場】
中学時代を北海道の千歳で過ごし、再び高校2年のときに福岡へ戻った宮崎少年。福岡に転校して待っていたのが、修学旅行だった。「僕は楽しめるだろうか…」。親しい友人を作る間もなく参加しなければならなかった宮崎少年。観光だって、夜の枕投げだって、親しい友人がいてこそ盛り上がるものである。普通なら心躍らせて参加する修学旅行も、不安な気持ちのままの出発になったのだった。
しかし、不安はすぐに消えた。どこのクラスにもいる、転校生好きのやたらと世話好きなクラスメートのおかげで、なんとか初日の観光は乗り切ることができた。でも、まだまだクラスのノリには馴染めない自分。そして、修学旅行のメインイベントともいえるお風呂タイムがやってきた。宮崎少年は家から持ってきたお風呂セットを抱え、大浴場へと出向いた。
湯船の中でお湯のかけっこをしてはしゃいでいるクラスメート。「いいなあ…」。宮崎少年は仲間に入れない自分にもどかしさを感じながら、ひとり淋しく体をゴシゴシと洗っていた。
そのとき、背後から叫び声が上がった。「あっ! ハーネスだっ!」。宮崎少年の石鹸を見て、いきなり世話好きのクラスメートが叫んだのだ。
世話好き男の異様な盛り上がりに、みんなが一斉に集まってくる。「ハーネスだよ、ハーネス。すげえすげえ!」。世話好き男の言葉を受けて、周りのクラスメート達も「本当だ…」と口々に呟く。
しかし、宮崎少年の頭の中は?マークが飛び交っていた。周りのクラスメート達も、世話好き男の興奮を受けて「本当だ」などと言っているが、宮崎少年同様、不思議そうな顔をしている。
花王ハーネス。家に転がっていたただの石鹸。実はものすごく高価なものなのだろうか。
疑問は晴れぬまま成長し、ASKAとなった宮崎君。彼は最近、事務所の近くの薬局で、花王ハーネスが大安売りされているのを目撃した。そして改めて思った。あれは世話好き男が、転校生の自分を気持ちよくさせるための言葉だったのだと。風呂場のハーネスがきっかけとなって、一気に友人も増えた。翌日からの旅行は、とても楽しいものとなった。単なる石鹸を大げさに持ち上げて、みんなを注目させた、あれは世話好き男のやさしさだったに違いない。
それにしても花王ハーネス。ただの石鹸にあそこまで興奮してみせた世話好き男を、周りのクラスメート達がどんな思いで見つめていたか。どんな思いで花王ハーネスを見つめていたか。それを考えると、今でも吹き出してしまうASKAであった。
石鹸II【こだわり】
どんな芳香剤も、どんな香水も石鹸の香りにはかなわない、と思っているのがCHAGE。自宅のタンスから愛車の中にまで石鹸を入れて、常に自分の身の回りには清潔感のある香りを漂わせている。石鹸は牛乳石鹸赤箱、花王ハーネスなど、あくまでもシンプルなものが原則。高級ブランドの香水石鹸は、縮れ毛がついている石鹸くらいにいただけないとCHAGEは思っている。
せっぱつまる【毎度毎度】
現在アルバムレコーディング中のCHAGEとASKA。スタジオに入りながら、同時に曲や詞を作る毎日である。今思えば、1月は時間的な余裕はあった。ゆったりと楽曲を制作するスタンスになっていたはずだ。なのに、なぜ3月の今、こうして焦ってスタジオにいる? 彼らは思う。もっと早く立ち上がっていれば。もっと早くスタジオに入っていれば。しかし、時間的な余裕があるからといって、早くから「ものを作る扉」が開くかと言えば、決してそうじゃない。逆にせっぱつまらなければ開かない扉だからこそ、開いたときに出てくるメロディーや言葉も美しい。せっぱつまることも、けっこう大切なんだな。
セナ【追悼】
あれは去年の5月。香港公演を終え、モナコ音楽祭に参加するためにモナコへ向かったCHAGE&ASKA一行。途中、トランジットのためにイギリスのヒースロー空港に降り立ったときのことだった。混雑する待合室。誰もが「SENA」と大きく見出しが出ている新聞を広げ、熱心に記事を読みふけっていた。「F1でセナが優勝したのかな」。CHAGEもASKAも単純にそう思っていた。しかし、新聞をよく見てみれば「SENA DIE」の文字。衝撃だった。慣れない英字新聞を奪い合うようにして読み、レース中に事故死したセナを知ったのだった。ヒースロー空港でのセナの悲報の一瞬は、みんなの胸に深く刻まれることになった。
余談ではあるが、その前年にモナコ音楽祭で知り合ったモナコのバッグ会社の社長から記念写真を頼まれ、快く応じたCHAGEとASKA。写真は後にバッグ会社のパンフレットに使われてしまうというハプニングがあった。できあがったパンフレットを見れば、CHAGE&ASKAの写真の横にはセナの写真が掲載されていた。この偶然の一致に驚くとともに、新たな悲しみにくれたふたりであった。
セルジオ・メンデス【失敗例】
CHAGEはビートルズ、ASKAはイーグルスと、ふたりの音楽における指向性は、大学の頃から今の今まで交わったことがない。でも、自分の好きな音楽を仲間にもわからせたいと思うのは誰でも一緒で、とくにCHAGEはなんとか自分の音楽指向をASKAに伝授したいと常々思っていた。
大学当時、登校はいつも一緒だったふたり。CHAGEが車でASKAを迎えに行くことも少なくなかった。ある日、ASKAがCHAGEの車に乗ってみると、耳慣れない音楽が流れていた。「これは最高に気持ちよかよ」。ハンドルを握りながら、音楽に合わせて首を揺らすCHAGE。カセットケースにはセルジオ・メンデスと書かれていた。セルジオ・メンデスとはボサノババンドである。
CHAGEは熱心にセルジオ・メンデスのよさを車中で説いていたが、ASKAにはやはりピンとこなかった。セルジオ・メンデス。CHAGEがASKAに影響を与えようとして失敗したバンドのひとつである。
銭湯【思い出】
子供の頃は銭湯通いをしていたCHAGEとASKA。
CHAGEは子供の頃からお湯関係には目がなく、「お風呂行きなさい!」と親に言われるまでもなく、勧んで銭湯へと行っていた。当時、隣の家には個人タクシーのドライバーがいた。その家の息子を誘えば、タクシーで先頭まで送ってもらえる。CHAGEはちゃっかりと息子を誘い、日々タクシーで銭湯へ通っていた。ひとつの銭湯では物足りなくなると、「今日は隣町まで行ってみようか」なんて言って、銭湯めぐりまで体験。CHAGEのお湯好きは筋金入りなのである。
一方ASKAは、CHAGEとはまた違った理由で銭湯を楽しみにしていた。彼の目的は脱衣所に貼ってある映画のポスターであった。華やかなポスターは子供の夢を膨らませるに十分だった。気に入ったポスターは予約をして、番台のおばちゃんにもらう。それを丸めて持って帰るのがとてもうれしかった。ちなみにいちばん印象に残っているポスターは、日米合作映画『レッドサン』である。カウボーイハットをかぶったアラン・ドロン、ちょんまげを結った三船敏郎が写った絵柄は、子供心に震えるほどのインパクトを与えていたのだった。しかし、そんなにも感動したポスターでさえ、ASKAは自分の部屋に貼った記憶はない。今思えば、銭湯に飾られていたからこそ、素敵に写っていたのだ。
最終更新:2025年06月23日 22:17