アットウィキロゴ
 
「みぃたん、ごめんねぇ」
「いいのいいの。大丈夫だから気にしないで」

「皆に渡すものがあるから年長2人来て」ってマネージャーさんに呼ばれて、書類や、写真や会報に載せるイラストを描くための用紙をたんまり抱えて控え室に戻っている時、なっきぃが申し訳なさそうに言った。
こういうことでは以前から「年長2人」って風に呼び出されるんだけど、えりも非力だったし、なっきぃもあんまり力持ちじゃないから、結果ずっと、私が4分の3くらいをいつも持っている。
別にこれくらい平気だから、謝ってくれなくてもいいんだけどね。

控え室の戸を開けると、いつものことながら舞ちゃんとチッサーが騒いでいた。
「うっさいな、たこやき女!」
「なんだよ、ザリガニ小僧!」
…わけわかんないんですけど。

すぐ側にいるのに愛理は、そんな喧騒はどこ吹く風。携帯を握ってボーっとしている。
それ自体はこれまたいつものことなんだけど、どこか悲しそうに見えて、顔を覗き込んで声をかけようとしたら、愛理が私に気付いて携帯を閉じて微笑む。

この瞬間、愛理の気持ちが切り替わったんだと悟る。素のモードから、よそ行きモードに。
愛理の切り替えの速さは、それはもう見事で尊敬しているし、仕事中はとっても助けられるけれど、こういう時、少し寂しくなる。普段人懐っこい愛理を遠く感じて。

私には、素顔は見せてくれないのかな? 見せられないのかな?
私が頼りないんだろうか、って考えたこともあるけれど、甘えてきてくれる時もあるし、リーダーとして接してくれてるとも思う。
他の人に頼ってるってかんじでもないからきっと、心の一番奥の部分は、私を含めて誰にも見せないんだな、って今は思っている。

でも、そこを私にだけは見せて欲しい。見せ合える関係になりたい。

…って言えたらどんなにいいだろう。

配り終えた物に皆は目を通し始めたけれど、私はちょっと気になって、少し離れたところで、書類を見ているフリをして隠れて携帯をいじる。
さっきチラっと見えた愛理の携帯には、私たちのブログが表示されてたみたいだったから。

少し前まで戻って見てみるけれど、愛理がこれで落ち込んでいたとは思えなかった。
そして私はやっぱり、愛理のブログのあの言葉に目が留まる。

「舞美ちゃんに逢った」
ねぇ愛理。どうして「逢」って書いたの?

これを「あう」と読むことは知っていたけれど、他に意味があるのかどうかは知らなかったから調べてみたら、広辞苑には【人とあう意では「会」「逢」】とあっただけだった。
でも、収録されているもう1つの国語辞典「明鏡国語辞典」の方に何気なくジャンプして、胸がギュってなった。
【「逢」は「会」の美的な表記で、親しい人との対面や貴重なものとの出会いの意味で好まれる(「恋人と逢う」)】、そう書いてあったから。

わかってる、多分深い意味はない。
愛理は頭が良くて言葉もいっぱい知ってる。
ここにもあるように美的っていうのか、そんな言い回しを好みそうだから、それで書いたんだと思う。

だけど、私はすごく意識しちゃってる。
思わず他の人と「あった」時にはどの漢字を使ったのか調べようとしたくらいだ。
「モーニング娘。さんにお会いした」ってのを見つけて、こっちは「会」だ! って一瞬喜んで。
でも「おあい」の場合は「お会い」しか使わないよね、ってがっかりした。

自分でも、何やってるんだろうって苦笑して、今までの愛理の記事も全部チェックしてみようと思ってたけどやめた。
でも、それで良かったんだ。
他にも「逢」を見つけたら悲しくなるだろうし、見つけられなかったらそれはそれで落ち着かない。
これ以上、ココロを乱したくない。

乱されたのは「逢」にだけじゃない。
心なしか私のことを書いた愛理の記事にはハートが多い気がする。
一緒に写真を撮る時、すごく愛理が顔を近づけてくる気もする。
元々人との距離が近い子だから私の気のせいだって思おうとするのを、希望的観測が邪魔をして悩む。

なっきぃ相手ならキスの真似をしたポーズもできるのに、愛理が隣だと冗談めかしてでもそんなことできない。
隠した欲が無意識に出て変に近づき過ぎちゃったら困るって思うし、何より、恥ずかしいから。
愛理があんなに近づいて来れるのは、私に対して特別な感情が少しもないからだ。
頭ではそう分かっているのに、愛理の匂いをすぐ側で感じると、速くなった鼓動が期待の扉を叩いてカラダを揺らす。

なぜか興味をそそるのか、「メンバーで恋人にするなら?」という質問を、以前からしょっちゅうされる。
最初っから私は愛理と答えていた。愛理もずっと私と答えてくれている。
でも、いつからか私にとってそれは「ただの仮定の話」じゃなくて「本当にそうなりたいと思っていること」に変わっているなんて、愛理はもちろん気づいていないだろう。

「恋人にするなら愛理」は言えても「愛理を恋人にしたい」は言えない。
その2つは似ているようで、全く違う。「会」と「逢」とは違って、丸っきり別世界のお話。
愛理の記事の「逢」を見る度に、それを意識させられて悲しくなる。

小さい頃から「いつも笑ってる天然スポーツバカ」みたいに言われてきた。
自分でもそうだったと思うし、今でもそういうところは多々あると思う。

だけど、これでも昔よりは随分と物を考えるようになった。
大学に進学しないことを決めたから、日常生活で意識して知識を身につけないとって、電子辞書を開く回数も増えた。
色んなことがあったからいっぱい悩んだし、今だってしょっちゅう落ち込む。

ねぇ愛理。
私、案外ぐちゃぐちゃ考えてるんだよ?

だから、思わせぶりなこと書くの、やめて。

じゃなきゃ――――――――私のこと、好きになって。

…絶対に口にすることはできない言葉を心の中で呟いて、小さくため息をついた。


END
最終更新:2010年11月01日 07:03