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「今度担当してもらう鈴木愛理さん」
「よろしくお願いします」
私に丁寧にお辞儀をしたその子の第一印象は、八重歯が特徴的なお嬢様。

実際にお嬢様だったらしい。
うちのお偉いさんなんかよりよっぽどきちんとした敬語を使うし、お勉強もできる優等生みたいで、答辞を読んだとか。

少し滑舌が悪いのが気になるけれど、それは欠点ではなく、彼女にはプラスになっていると思う。
これで私みたいにパキパキ喋る子だったら、ひどく鼻持ちならないヤなタイプになってしまっただろうから。

なんでこんな育ちのいい子が芸能界になんかと思って訊いてみたら
「歌が好きなんで、私の歌でたくさんの人を幸せにできたらいいなって思って」
と、キレイな回答が返ってきて、心の中で苦笑する。
この世界はそんなキレイなもんじゃない。
汚いところもいっぱいある。汚いところしかないんじゃないかと思うくらいだ。

でも、やる気と素質のある原石の意欲を削ぐのは私の仕事じゃない。
「じゃあ、そんな歌手になれるように、一緒にがんばりましょう」
本心を隠してキレイな言葉を返した私に、鈴木さんは「ハイ!」と真っ直ぐな目で答えた。

鈴木さんは、どうやら感情が表れるタイプのようだった。
無論、悪感情は一切出ない。
職業柄、出されても困るのだが、この世界に入る前からそのように躾けられてもいるようだった。

だけど、好意ははっきりと表に出る。
瞳の輝きや、崩れた笑顔、楽しげな口調、話す時にとても近い距離。
彼女が私を見る目の中に“特別”が含まれていることに気づくのに、それほど時間はかからなかった。

私はそれに全く気づかない振りをして淡々と、時に冷たすぎるほど事務的に、彼女に接していた。
元々、仕事場ではそれほど愛想が良いタイプではない。
他に担当しているナキ子さんにも「相変わらず冷めた目」とか、よく恨み言を言われる。
だからか、自分に対しても一向に親しみのある態度にならないことを鈴木さんは特に気にするでもなく、
いつもニコニコと、うちの実家で飼っているタイニープードルのように私に懐いて来たが、
私はそれをずっと適当にかわして流して、上手に立ち回っていた。
…立ち回っているつもりだった。

雑誌のお仕事に出向いた先、撮影開始を待っていた控え室。
ミネラルウォーターを1口飲んで、鈴木さんが訊いた。
「矢島さんって、恋人いらっしゃるんですか?」
前振りも脈絡もなにもない唐突な質問に動揺したのを隠そうとしたからか、
「プライベートな質問には答えられません」
答えがいつもにも増して冷たくなってしまったと自分でも思った。

「じゃあ、仕事に絡めて質問します。
 マネージャーって、担当してるタレントと付き合ったりするんですか?」
直球どストレート160キロ。受けた手がミットの中で痺れている。

「そんなこと、あるわけありません」
「事務所に禁止されてるとか?」
「もちろん禁止されています」
それは本当だ。私情を挟んだら仕事は上手くいかないから。
仲がいい内ならまだしも、こじれた時には目も当てられない。
尤もそれは我々下っ端の話で、上の方の人たちは、お気に入りのタレントと、なんてことは珍しいことではない。
それもこの世界の汚いところだ。

「でも、禁止されてるから好きにはならないってもんじゃないですよね?」
話が良くない方向に進んでいる気がしたから、釘を刺すように言い切る。
「そうかも知れませんが、私はそんな気には全然なりません」
「なんでですか?」
「タレントさんは商品ですから」
“商品”という言葉に、鈴木さんの頬が引きつるのを見て、余りにも不適切だったかと慌ててフォローする。

「タレントさんってのは、絵画みたいなものなんです。
 手を触れなくても人を感動させる力を持っているんです。
 既に世界的に認められたものもあれば、これからってものもある、
 私達がお世話をしているのは、世に認められて欲しい、認められるべきだと思っている大切な絵画です。
 そんな貴重品に私欲を持ち込むなんてこと、私はできません」

鈴木さんが私の顔を見る。
その視線に耐えられなくて思わず俯いてしまう。私にしては珍しいことだ。

数秒の沈黙の後、ため息が聞こえて顔を上げると、視線を落とした鈴木さんが「商品か・・・」と呟いて自嘲的な笑いを浮かべた。
フォローしたつもりの言葉は効果がなかったようだった。

胸が痛む。何か言いたいけれど、何を言えばいいか分からない。何か言うべきなのかどうかも分からない。
そんな逡巡は、タイミングが良いのか悪いのか、ノックの音で遮られた。
「鈴木さんお願いします」
「はい」
スタッフさんの呼びかけに答えた鈴木さんは、もういつもの明るくて可愛い女の子の顔をしていた。
撮影中も、さっきの会話なんて存在しなかったかのように完璧な笑顔だった。
プロだな、年下なのに敬服する。

それ以降、ほんの少し鈴木さんとの間の距離が広がったような気がした。
でもそれは、周りから見て不自然なほどではないのはもちろんのこと、
私自身ですら特に居心地を悪くするようなものではなかった。
瞳や口調が少し変わったかな、と思っただけで、相変わらず人懐っこい笑顔で接してくれていたから、
私はあの撮影の日のことは既に忘れかけていた。

だから、今のこの状況を、全く理解できない。


私は今、鈴木さんに馬乗りになられていた。
最終更新:2010年05月19日 22:05