シャワーを浴びて髪を乾かして、明日のスケジュールを再確認する。
明日も早いとは言え、まだ寝るには早いし、さすがに今回は宿題を持ってきたりはしていない。
となると、とるべき、とりたい行動は1つしかない。
愛理は携帯だけ持って部屋を出た。
2つ隣の舞美の部屋のドアの前に立ち、ノックしようとしたら、中から賑やかな声が聞えてきて、手が止まる。
考える間でもない、他のメンバーが来ている。
ライブはあるが、普通のツアーほどにはリハーサルも必要としないし、肉体的にも楽だ。
余り感心できる話ではないのかも知れないが、ファンクラブツアーも仕事の一つとは言え、皆、どこか修学旅行気分でワクワクしていたから、夜になったら集まってしまうのも当然だった。
自分も例外ではないから批判できる立場ではないのだが、皆との修学旅行というよりは舞美と泊まりでゆっくりできる貴重な機会だという思いが強かった愛理の胸には、もやもやがこみあげてくる。
どうしようかな・・・・
なんとなく皆の輪の中に入りたくなくて、腕を下ろして扉の前で思案していると「愛理」と呼びかけられて肩がビクっとなる。
声がした方に振り向くと、舞美がペットボトルの入った買い物袋を提げて、笑顔でこちらに近づいてきていた。
「舞美ちゃん・・・どうしたの?」
「さっき皆が来てさ、舞ちゃんがジュース飲みたいって。冷蔵庫の中には好きなのがないって言うから下の売店で買ってきた」
舞美が笑顔のまま答える。
年上だなんて全然偉ぶったりしないで、そんなわがままな注文にも二つ返事で応える、そんなところも大好きなはずなのに、なぜか今はムっとしてしまう。
「愛理、来てくれたんだ」
気分が荒んで自分に余裕が無くなると他のものも無くなってしまうらしい。
「くれた」に込められた舞美の気持ちを理解できる判断力や。
いつものように甘えられる可愛げや。
真実を語る素直な心が。
「あ、違うの。携帯のアダプター忘れてきちゃったから、借りようと思って」
考える前にそう口が動いていた。
「そうなの? でも、愛理も寄ってって」
少し拍子抜けした顔を、でもすぐにいつもの笑顔に戻して舞美が誘う、愛理の分も買ってきたし、と袋を軽く持ち上
げながら。
確かにジュースは5本あって、しかも愛理が好きな銘柄も見える。
舞美の想いを感じるのに、寧ろ感じれば感じるほどに頑なになっていくのはなぜなんだろう。
「ううん、今日はいいや。ちょっと疲れたし」
それを聞いた舞美が、今度ははっきりと失望した表情をするのを見て良心を取り戻しかけたけれど、
舞美がカードキーを出して差し込む姿を見た瞬間に消えてしまった。
中にいる人を呼んで開けてもらえばいいのに。
きっと楽しんでいる皆を邪魔しないように自分で開けようと思って持って出たんだ。
お人好しにもほどがあるよ。
心は、今ではもやもやどころか、真っ暗な闇の中だった。
舞美が扉を開けると、ベッドの上に、お菓子やらトランプやらを囲んで3人が座っていた。
・・・ほんとに皆来てるし・・・
「舞美ちゃん、サンキュー。いやぁふざけて言ったんだけど、本当に買ってきてくれるとは思わなかったよ」と舞。
なにそれ。
「あ、愛理も来たんだ。入って入って」と言ったのは千聖。
って、あんたの部屋じゃないでしょうに。
こわばった笑顔で首を横に振る愛理の闇は、どんどん深くなっていくようだった。
早貴は、愛理の表情に感じるものがあったのか、何も言わなかった。
「本当に寄ってかない?」
入口に立ちつくしたままの愛理のところまで来て、アダプターを渡しながら舞美が頼むような目で見るけれど、闇に包まれた心は、悪い意味で揺らがなかった。
「うん、もう寝たいから。ごめんね」
思ってもいない謝罪を口にして、背を向ける。
その時の愛理には、自分が部屋に入るまで舞美の部屋の扉が閉まる音が聞えなかったことと舞美の視線を感じたことに対する優越感の方が、舞美の気持ちへの頓着よりは大きかった。
ベッドに力なく座り込む。
ひどく所在無い心持ちなのは、単に時間的な理由ではなくて精神的なものもある――寧ろそちらのがほとんど――という自覚はあるけれど、今更どうなるものでもない。
テレビの電源を入れてみたものの、している番組はどれもつまらない。
口実にせよ折角借りたのだからとアダプターをつないで携帯をいじってみるけれど、見たいサイトもメールを打ちたい相手もいなかった。
諦めて本当に眠ることにして、ベッドにもぐりこんで布団を頭からかぶる。
そうしないと舞美の部屋からの音や声が聞こえてきそうだったし、頭までくるまっていないと、寂しさが募りそうだった。
「舞美ちゃんのバカ・・・」
呟くけれど、布団の中でくぐもったその言葉はそのまま自分に跳ね返ってきた気がした。
人のことをバカという方がバカだ。昔から言うじゃないか。
バカどころか最低だと思う。人間としてもメンバーとしても、恋人としても。
寂しさと自己嫌悪で湧き出しそうな涙を、目が腫れては困るから必死で我慢する。
予想はしていたけれど、なかなか寝付けなかった。
まだ時間が早いからというのが理由ではないことは分かっていた。
何度も何度も寝返りを打って、やっと眠れたのが何時かは分からなかった。
翌日。
すっきりとは言えない目覚めだったけれど、一晩寝たら冷静になって、優越感は罪悪感に変わっていた。
一番に舞美に謝ろう、そう決意していた。
・・・のに。
愛理が部屋から出ると、丁度向こうの扉も開いた。
そこから4人が出てくるのを見たら決意が砕けて。
4人ともが寝不足の顔をしているのを見たら、完全に消え去ってしまった。
アダプターを返し、食事をしてスタッフさんとの打ち合わせを終えるまでに舞美としたプライベートな会話は、結局「おはよう」と「ありがとう」だけだった。
イベントのチームが舞美とは別だったのも不運だった。
最初、寝不足で不機嫌だった舞に感じていた不満は、ファンの前で笑顔を作って話している内に解消されたけれど、舞美への曇った気分は晴れないままだった。
目が合っても、ぎこちなく逸らすことしかできなかった。
舞美の方も、愛理を見る時、少し陰った表情で物言いたげにしていたけれど、2人になれる場もなく、ただ時間が過ぎていくだけだった。
帰りの新幹線。
最後のチャンスだと思っていたのに、舞美の隣には、仕事の話があるのだろう、マネージャーが座ってしまった。
先に千聖と舞が一緒に座ったから、仕方なく愛理は早貴の隣に座った。
お弁当の笹団子ぉ! などとブログ用におちゃらけた写真を撮ったりしてみたけれど、後ろにいる舞美が気になって仕方がない。
けれど振り向くのも憚られて悶々としている間に、気づけば早貴は窓にもたれて眠ってしまっていた。
通路の向こうの空いている席の窓際に、横滑りにそっと移動してぼんやり外を眺めていると、上方から「愛理・・・」と小さな声が聞こえた。
見上げた目線の先の舞美が「ここ、座って、いい?」と訊く。
こんなことを、それも遠慮がちに尋ねるのが、今の自分達の状況を物語っている。
コクリと頷いたら、舞美はほっとしたように口元を緩めて隣に座った。
舞美の匂いが漂ってくる。この2日間、感じていなかった匂いだ。
匂いを実感するほど長時間側にいることがほとんどなかったから。
そんなに長いご無沙汰ではないのに、前に感じたのが遥か昔のように思えた。
「やっと愛理の側に来られた」
眠っている周りを起こさないようにだろう、音量は抑えていたけれども、深い想いが溢れ出ているその言葉を聞いて、匂いに溶かされていた気持ちが外に出てきた。
すっと、躊躇いなく、素直に。
「ごめんなさい・・・」
舞美の方を見るのが怖くて、膝の上で握った手を見ながら呟いた。
「ん?」
「やな態度しちゃって、ごめんなさい・・・」
「・・・・・」
「昨日、晩から・・今日もずっと・・無愛想にしちゃって・・・ごめんなさい・・・」
「・・・・・」
舞美が返事をしてくれないから、もっと怖くなる。
もしかして、嫌われただろうか。
手を更に強く握り締めたら「妬いてくれたんでしょ?」という声が隣から聞こえてきた。
驚いて横を向くと舞美が、人間はどうやったらこんな目が出来るんだろうと思うくらい優しい目をして微笑んでいた。
「皆に私が捕まっちゃって、独り占めできなかったから嫉妬してくれたんでしょ?」
全くもってその通りなのだが、こうして言葉にされると――それも当の本人に――自分の愚かさや醜さが恥ずかしくて、逃げ出したくなる。
そんな愛理の心中に気づいた様子もなく、舞美は同じ表情で言った。
「嬉しいよ」
「え!?」
あんまりびっくりしたから大きな声が出てしまい、舞美が「しー」と唇に指を当てた後、続けた。
「もちろん寂しかったよ。あのまんまだったらどうしようって思った。
でも、もうこうやって一緒にいられてるから、今はなんか嬉しいって思ってるよ」
やっぱり意味が分からない愛理は、首を傾げる。
「愛理って、どんな人にも無愛想だったりだったりしないじゃん? 私が見る限り、家族にだってそうじゃない?
無愛想になっちゃうのは、私だけでしょ? それって私が特別だからなんでしょ?
・・・なーんてね」
言っていて自分でも照れて来たのか、最後、肩をすくめておどけてみせる。
信じられないくらい心の広い人間だと思う。
そして、愛理が思っていたよりも、舞美は自信家のようだ。
愛理から自分への気持ちに関してのみだろうけれど。
そしてそれは、自惚れなどではなく、紛う事なき事実なのだけれど。
「うん・・・」
こんな素敵な人が自分の恋人でいいのだろうかと愛理は思う。
その素敵な人に選ばれている人間もまた素敵なのだ、ということには、愛理は気付いていなかった。
「でも、ごめんね?」
「何が?」
「折角一緒に座れたのに、すごく眠くて・・・寝ちゃいそう・・・」
舞美に謝られる覚えなど全くないから何かと思ったらそんな内容とは。
「気にしないで。肩・・・はちょっと低いかも知れないから、頭にもたれてくれていいから、遠慮なく寝て」
一言の文句も言われないままに自分の態度を許してもらって、舞美の寛容さに甘えていることに申し訳なさを感じていたから、お詫びにはまだまだ足りないくらいだ。
「じゃあ遠慮なく」
舞美が頭をコツンと愛理にくっつける。
別に寒くはないのはわかっていたけれど、愛理はジャケットを膝掛け代わりに置いて、その下に隠した右手で舞美の左手を握る。
1度頭を離して、少し驚いた風に愛理を見る舞美の瞳に、ニッコリと微笑みを返す。
左手をギュっと握り返した舞美が、これが彼女の、他の人間には見せない面なのだろう、子供のように甘えた、崩れた笑顔を浮かべて頭を戻す。
3分もしない内に寝息が聞こえてきた。
本当に疲れてるんだな・・・
ツアー中のわずかな休憩時間にまで、倒れこむように眠っていた舞美の姿を思い出して、愛理は少し心配になる。
自分が舞美の部屋で一晩過ごさなかったのは正解かも知れない、と思う。
寝不足にさせてしまうという点では3人と同じかも知れないが、自分と一緒だとカラダまで疲れさせてしまっただろうから。
それはまた今度ゆっくりね。
おやすみ、舞美ちゃん。
心の中で呟いて、愛理も目を閉じた。
さっきよりももっともっと強くなった舞美の匂いに包まれて、幸せな夢を見られそうな予感がした。
END
最終更新:2010年11月01日 07:22