目を覚ますと、私は自分のベッドの上にいた。
あまりはっきりとは覚えてないけど、撮影中に体調を崩して、それで、矢島さんが家まで送ってくれたんだ。
外は真っ暗で、時計の針はもう12時を回っていた。
たくさん寝たおかげか、体調はもう悪くはなかった。
何か食べて薬を飲もうと、私はゆっくりとした動きでベッドから降りた。
「あれ…」
ベッドサイドに、綺麗な字で書かれたメモを見つけた。
これは、私の大好きな矢島さんの字だ。
「おかゆを作っておいたので温めて食べて下さい。 矢島」
いちいち名前書かなくてもわかるのに。
几帳面な矢島さんのことを思い出して、私はそっと口元を緩めた。
って、それよりおかゆ!
わざわざ作ってくれたんだ、私のために。
矢島さんって料理上手いのかな。
早く食べたい。
ただそれだけの気持ちに突き動かされて、私はメモを持ったまま部屋を飛び出した。
誰もいない家は当たり前だけどすごく暗くて、少しだけ怖くなった。
そして、無性に寂しくなった。
家で一人で過ごすことは初めてじゃないのに、病気になるとどうしてこうも人肌が恋しくなるんだろう。
私は矢島さんのメモを胸に当てながら、静かに階段を下りた。
早くおかゆを食べて、薬を飲んで、それからすぐに寝よう。
そしたら、きっとすぐに朝になる。
そんなことを考えながら一階に下りると、台所の方から光が洩れていた。
なんで…?
私以外に誰もいないはずなのに。
まさか泥棒?
よく考えてみれば、矢島さんが帰ってから鍵かかってなかったんじゃない?
矢島さんが勝手にうちの鍵を持ち出すとも思えないし。
私もずっと寝ていたから、鍵をかけに行ってない。
すぐにそこまで考えると、心臓が急にバクバクと動き始めた。
こういう時、どうしたらいいんだろう。
警察に電話するの?
でも、どうしよう。
怖いよ、助けて、矢島さん…っ。
咄嗟に浮かんできたのは矢島さんで、私は素早く静かに自分の部屋に戻った。
カバンの中から携帯を取り出して、急いで矢島さんの番号を呼び出した。
早く、早く…!
私の気持ちは焦るばかり。
なのに、呼び出し音は途切れる様子がなかった。
もう寝てるのかな。
いや、矢島さんのことだからまだきっと仕事してるんだ。
私は携帯を握り締めたまま、もう一度一階に下りた。
そして、階段の影から台所のドアを見つめた。
それにしても、さっきから全く物音がしない。
もう泥棒は出て行ってしまった後なのかな。
そうだとしても、泥棒が入った後の台所になんて怖くて近付きたくなかった。
やっぱり私は身動きが取れなくて、もう一度矢島さんに電話をしてみることにした。
…あれ?
私が電話をかけた瞬間、台所の方から音がしたような…。
やっぱり誰かいるんだ。
私はまた怖くなって、もう一度部屋に戻った。
そして、何度も何度も矢島さんに電話をかけ直した。
もう何も考えられなかった。
とにかく怖くて、迷惑だとかそういうことは全く考えられなかった。
矢島さんの声が聞きたかった。
矢島さんに会いたかった。
「あっ…」
私の思いが通じたのか、呼び出し音が途中で途切れた。
「もしもしっ、矢島さん…っ」
『鈴木さん…?どうしたんですか?』
「助けて下さい!家に泥棒がいるんです!」
『え!?』
「さっき起きて、台所に行こうとしたら、誰もいないはずなのに電気がついてて…」
『鈴木さんは無事なん…え?台所?』
「台所です」
『…あ、えーと…、その、それ、私です』
「はい?」
『あの…すみません、私、まだ居ます』
「え?はい?」
『台所に居るの、私です』
「えぇぇぇぇぇ!!」
『すみません…気付いたら寝ちゃってたみたいで…』
「ちょ、ま、今から行きます!」
私は携帯を耳に当てたまま、急いで階段を駆け下りた。
見える光景はさっきと同じなのに、もう全く怖くなかった。
そこに矢島さんがいる。
それだけで、私の胸のドキドキはさっきまでとは違う意味のものになった。
「や、じま、さん…」
「本当にすみません…」
台所のドアを開いた瞬間、申し訳なさそうにこっちを見る矢島さんと目が合った。
テーブルの上には書類やスケジュール帳が広がっていた。
たぶん、仕事をしている途中で寝てしまったんだろう。
「なんで、居るんですか…?」
「帰ろうと思ったんですけど、鍵が掛けられないことに気付いて…」
「あぁ…」
だよね。
矢島さんが鍵を開けたまま帰るわけないよね。
ほっとしたのと、矢島さんの姿が見られた安心感で、少し泣きそうになった。
「じゃあ、私はこれで」
「え…」
「鈴木さんが起きたので、鍵掛けられますよね」
「そう、ですけど…」
「誰もいないとはいえ、さすがにこんな遅くまでお邪魔してるわけにはいかないので」
そう言いながら、矢島さんは手際良く広がっていた書類を片付け始めた。
嫌だ。
行っちゃ嫌だ。
いつもなら我慢するけど、今日は、今日だけは、矢島さんに傍に居てほしかった。
「…いで下さい」
「はい?」
「行かないで、下さい…」
私は矢島さんのスーツの裾を掴んで、必死に声を絞り出した。
本当はこんなこと言いたくなかった。
こんなわがままで矢島さんを困らせたくなかった。
だけど、今だけは矢島さんに傍に居てほしかった。
それぐらい今日の私は一人で夜を過ごすことが心細かった。
「わがまま言ってることはわかってるんです。でも、今日は一人で居るのが怖くて…」
「でも私は…」
「まだ少し熱っぽいし、誰かに傍に居てほしいんです」
「…」
「やっぱり、ダメですか?」
「っ…」
矢島さんのスーツの裾を掴んだまま、私は矢島さんの顔を見上げた。
矢島さんは困ったように私の顔を見ている。
ごめんなさい、わがまま言って。
やっぱり無理かな。
諦めてスーツから手を離した瞬間、矢島さんが大きくため息をついた。
「そういう顔で私を見るのはやめて下さい…」
「…へ?」
「強く断れなくなるので、困ります」
「あ…ごめん、なさい…」
「今日だけですからね」
「え?」
「鈴木さんは明日もお休みですけど、私は仕事なので朝早く帰りますから」
「…はいっ」
これって、いいってこと、だよね?
帰らずに居てくれるってことだよね?
「ありがとうございます」
「いえ…。私も、心配ですから」
私から目線を外して、矢島さんはそう言った。
矢島さんが心配してくれるのは嬉しい。
でも、それはきっと私がタレントだからだ。
私は寝ている矢島さんにキスしてしまうぐらい好きなのに、矢島さんはそうじゃない。
矢島さんが私に優しくしてくれるのは、私がタレントだからだ。
それだけは勘違いしちゃいけない。
今日だって、私のわがままを矢島さんが聞いてくれただけ。
だから、それ以上のことなんて願っちゃいけないし、期待しちゃいけない。
矢島さんが一緒にいてくれるだけで、十分幸せなことなんだから。
あの日以来、あんまりこうして話せなかったわけだし。
「そういえばおかゆ作ってくれたんですよね?」
「あぁ…。何か食べないと薬も飲めないと思って」
「楽しみです、矢島さんのおかゆ」
「ただのおかゆですよ」
「そんなことないです」
矢島さんが作ってくれたというだけで、私にとっては特別だ。
そう言いたかったけど、そこはぐっと堪えた。
もう言っちゃいけないんだ、こういうことは。
矢島さんが苦しそうな顔をするから。
「すごくおいしいです」
「それなら良かったです」
もう冷たくなっていたおかゆを温めて、矢島さんの向かい側に座って食べ始めた。
おかゆはすごくおいしくて、その温かさが身体全体に広がっていった。
私が食べている間、矢島さんはすごく優しい目で見ていてくれて、それだけでまた胸があったかくなった。
いいんだ、これで。
これ以上近付いたら、きっと矢島さんに見ていてもらうことさえ出来なくなる。
だから、このままでいいんだ。
私はこれ以上矢島さんを意識しないように、必死におかゆを口に流し込んだ。
最終更新:2010年11月01日 07:11