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彼女と初めて出会ってから、もうすぐ1年になる。
新しく担当してもらうタレントがいると言われ、事務所に呼び出された。

「鈴木愛理です。よろしくお願いします」

まだ15歳なのに、随分大人びた子だと思った。
言葉遣いや挨拶もしっかりしていて、気品もあって、愛想も良い。
もちろん、仕事が上手くいかなくて泣く時もあった。
弱気になっている彼女を慰めたこともある。
それからだと思う。
彼女が私に抱いている好意が、今までと違うものになったのは。

ずっと気がつかないフリをしていた。
私と彼女はそういう関係には絶対になってはいけない。
もしバレたら、私は彼女の傍にいられなくなる。
そう考えている自分もまた、彼女に特別な感情を抱いていたのは確かだった。
いつからかはわからないけど、スケジュール帳に彼女の名前があると嬉しく思うようになった。
多忙なスケジュールで疲れている時も、彼女の笑顔を見ると頑張れる気がした。
だけど、それさえも気付かないフリをしていた。
私と彼女は8歳も年が離れている。
きっと勘違いしているだけだ。
ただの憧れを恋と間違えているだけだ。
彼女には、もっと年相応の素敵な人が現れるはず。
だから、気付いてはいけない。
彼女の気持ちにも、自分の気持ちにも、絶対に気付いてはいけない。

「それ以上にはならないし、なってはいけないんです」

あの時、彼女に言った言葉は、自分に言い聞かせている言葉だった。
彼女が私に好意的な言葉をかける度に、胸の奥が揺さぶられるようだった。
我慢するのは、苦しくて辛かった。
彼女が泣いて走って行ってしまった時も、すぐに追いかけたくて堪らなかった。
だけど、追いかけたら彼女に期待させてしまうと思った。
そして何よりも、自分の感情を抑えられそうになかった。
抑えようとすればする程、気持ちは大きくなっていた。
それでも私は、今まで通り彼女に接した。
彼女が悩んでいることを知っていながら、私は目を逸らし続けた。

そんなある日、書類の整理をしながら眠ってしまった。
睡眠時間が満足に取れていなかったせいだと思う。
不意に人の気配を感じて、意識がだんだんと現実に戻ってくる。
彼女の声が聞こえて、目を開けようとした時だった。
唇に感じる柔らかい感触。
彼女に何をされているか、すぐにわかってしまった。
私が寝ているフリを続けていると、彼女はすごい勢いで部屋を出て行った。
本当に彼女には敵わない。
必死で我慢している私を、いとも簡単に崩そうとする。
彼女にキスをされてから、今まで以上に意識してしまうようになった。
もっと触れたい、もっと触れられたい。
そう思っている自分に気付いてしまった。

「おはようございます」
「あ…おはようございます」

そしてまた、今日も彼女との一日が始まろうとしている。
もう今まで通りに出来ている自信はなかった。
なるべく平常心で、一定の距離を保って彼女と接する。
そんなことを自分に言い聞かせながら、彼女と並んで廊下を歩いた。
昨日のことを気にしているのか、彼女はあまり私の方を見てくれない。
キスをしてしまったんだから、そうなってしまうのも仕方ないと思う。
実際、私も彼女の唇はなるべく見ないようにしていた。

「今日は新曲のジャケット撮影です」
「はい」
「…大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」

なんとなくいつもと違う感じがして、つい聞いてしまった。
彼女は大丈夫と言って笑っているけど、やっぱりどこか元気がない。
この時深く追求しなかったことを、私は後で後悔することになる。

「もうちょっと笑ってー!もっと元気良く!」

撮影が始まった。
それでも彼女は調子が悪かった。
いつもなら、仕事が始まったらすぐに切り替えられるのに。
笑顔がぎこちないし、小さいミスが多い。
どうしたんだろう。
やっぱり昨日のことを引きずっているのだろうか。
だとしたら、私はどうしたらいい?

「うーん、ちょっと休憩挟もっか」
「…すみません」

監督の合図で撮影が中断される。
彼女は申し訳なさそうに項垂れながら、こちらに戻ってきた。

「どうしたんですか?」
「すみません…」
「いえ、こういう時もありますよ」

私がそう言っても、彼女は力なく笑うだけだった。

「お水、もらえますか?」
「どうぞ」

私が鈴木さん用に持っていたペットボトルを渡すと、ゴクゴクとたくさん飲み始めた。
普段はあまり水分補給をしない子だから不思議に感じた。
よく見ると、額に汗がにじんでいる。
目にもいつものような力はなく、吐く息は荒い。
私はそこでようやく気付いた。
なんでもっと早く気がつかなかったんだろう。

「鈴木さん」

パイプ椅子に腰掛ける彼女の前にしゃがんで、目線を合わせた。
彼女が怯えるような目つきで私を見る。
なんで、もっと早く言わないんですか…。

「熱、測りましょうか」
「…だい、じょうぶです」
「大丈夫じゃありません。今、撮影が中断されているんですよ?」
「はい…」
「体調が悪いなら、これ以上続けるのは無理です」
「っ…」

みんなに迷惑をかけると思って言わなかったのだろう。
だけど、この調子じゃきっと今日はどれだけ撮影しても終わらない。
私は監督の元へ行って、事情を説明した。
今日は中止にして、別日に撮り直そうということになった。

「鈴木さん、今日の撮影は中止です」
「…」
「スタッフさん達には、私から伝えておきますから」
「…」

俯いたまま立とうとしない彼女の前にしゃがみ込み、顔を覗き込んだ。
撮影を中止にさせてしまったことが悔しいのか、彼女の目には涙が浮かんでいた。

「大丈夫ですから。早く治して、もっと良いものを作った方がいいです」

私がそう言って頭を撫でてやると、ようやく彼女は頷いてくれた。
フラフラと歩き出す彼女に寄り添いながら、控え室に戻った。
衣装から私服に着替えさせて、額に冷えピタを貼った。

「今、家に誰かいますか?」
「今日は両親が旅行に行っているので、明日の夜まで一人なんです」
「そうですか…」

もしかしたら、朝から調子が悪かったんじゃないだろうか。
それなのに両親に心配をかけたくなくて、仕事に来たんじゃないだろうか。
私の勝手な想像でしかないけど、なんとなくそうだろうという確信があった。
それにしても、どうやって彼女を帰らせようか。
両親が旅行中であるなら迎えに来てもらうのは無理だ。
本来ならタクシーを呼んで一人で帰らせるところだけど、どうしてもそうする気にならなかった。
鈴木さんだからだと思う。
彼女が自分の部屋で寝るのを確認するまで、きっと私は気になって他の仕事も手につかないだろう。
そうなると、選択肢は一つしかなかった。

「私が家まで送ります。それでもいいですか?」
「お願いします」

私の言葉に、彼女は安心したように笑って頷いた。
そんな顔をしないでほしい。
私に好意を示さないでほしい。
きっと、熱のせいで私にキスをしてしまったことも忘れているんだろう。
熱のある彼女はあまりにも無防備で、今まで抑えつけていた気持ちが溢れてしまいそうだった。
最終更新:2010年05月19日 22:25