お疲れ様、と声を掛け合って四方に散った瞬間意識が切り替わる。
無理をしていたわけではないけれど、知っている人がいないと思うと、頬の力が抜けて無表情になる。
駅のホームで電車を待つ間、レールを眺めているとふわふわと今日注意されたことや、ミスしたことを思い出す。
どうやら相当疲れているみたいであまりいいことを思い出せなかった。
きっとそのせいなのだろう、えりかちゃんの後ろ姿が不意に頭に浮かんでそのまま焼きつく。
ぎゅっと目をつむって幻想を追い出そうとするのに、
それどころか、もっと色々なことがもやもやと形を変えて出てくる。
私はえりかちゃんの服の袖を掴んで、えりかちゃんが振り返る。
笑っているのに、苦い苦い顔だった。
全部その顔が物語っていた。
あの日のことがずっと頭から離れない。
こうやってふとした瞬間に頭の中を占拠して私の心臓をひねる。
一気にではなくじわじわと染みていくような痛さに頭がぼーっとしていた。
だから近くに舞美ちゃんが近づいていることには全く気がつかなかった。
「愛理、大丈夫?」
はっとして目を開くと目を大きく見開いた舞美ちゃんが心配していた。
「大丈夫。」
無意識のうちに気持ちが切り替わって私は笑みを浮かべていた。
「すごく辛そうだったよ。どっか痛いの?」
「違うよ。そういうわけじゃなくて、ちょっと嫌なことを思い出しちゃって。」
ちらちらとえりかちゃんの影が頭の端に映る。
楽しそうな、子供みたいな笑顔も、あの日の困惑した顔も、同時に出てくるから泣きたくなるのだ。
「舞美ちゃんどうしたの?線こっちじゃないよね。」
涙が出てこないように私は話題をそらした。
「うん、ちょっと、愛理と二人で話がしたくて。」
近くの喫茶店でも行こうか提案したけど舞美ちゃんは首を横に振り、私の手を引いてホームの端に連れていった。
二人でベンチに座ると冷たくて体が震えた。
こうしていると、二人きりみたいなのに、向こうを見ると人がたくさんいて、
騒いでいる学生と疲れたおじさんと、話しこんでいるおばさんと、普通の日常なのに声はかすかにしか聞こえないから、
私たちだけが切り離された世界にいるみたいだった。
舞美ちゃんは真剣な顔で、ときおり溜息をついたり自分の手を握ったりと落ち着かないみたいだった。
おかしな様子にどうやら大切な話だとわかった。
沈黙が私たちを包む。車掌さんの声が遠くに聞こえる。
電車が徐々に近づいてレールが激しく揺れる。
私が乗る予定だった電車は人々を吸いこんで走り去ってしまった。
さっきより一層と閑散とした駅は余計寒く感じられた。
そんなことが2回くらい続いて、私は門限を気にしなければならなくなった。
ちら、と腕時計を見ると、舞美ちゃんも気にしているらしくあせった様子で一度唇を舐めた。
「あのさ、あたし。」
目を合わせない舞美ちゃんが、誰かに似ていると、さっきからずっと思っていた。
それは私だ。
あの日の、えりかちゃんを呼びだした私。
「愛理のことが好きなんだ。」
そのセリフまでそっくりで私の体は凍りつく。
続きのシーンが見える。舞美ちゃんの顔に自分が透けて見える。
「愛理がえりのこと好きなの知ってる。それでもいいから、付き合ってほしい。」
私のことなんかに気付かないまま舞美ちゃんは私の目を射ぬいた。
どこまでも真っ直ぐで、性格そのままだった。
私はどんな顔しているだろうか。
わからないけど、私の顔を見て、舞美ちゃんは眉を寄せてため息をついた。
そして私の手を握って、冷たいと呟いた。
「ごめんね、冷たくなっちゃった。」
私よりは少し暖かい舞美ちゃんの手の感触がわかるのに、他人の手を握られているようだった。
舞美ちゃんは立ち上がって白い息を吐く。
「返事はすぐじゃなくていいから。」
そういって舞美ちゃんは歩いて去っていった。
私はしばらく呆けて、その場から立ち上がれなかった。
どうしてこんなに世界はうまくできてないのだろう。
舞美ちゃんは私のことが好きで、私はえりかちゃんが好きで、えりかちゃんは舞美ちゃんが好きだった。
一方通行を誰かが整備してくれるわけはない。
誰かが反対を向けばうまくいく図式が3人の間で出来上がっている。
でも誰も振りかえれない。
振りかえってほしくて私は、あの日えりかちゃんに告白したのだ。
楽屋から少し離れた部屋にえりかちゃんを呼んで、舞美ちゃんと同じように、えりかちゃんのことが好きだといった。
舞美ちゃんとは違って、私は最初からあきらめてしまっていた。
「諦めるから、最後にキスしてほしい。」
服の袖を引くとえりかちゃんは息を飲んで唇を結んだ。
本当に、と尋ねる声がかすれている。
その言葉の先は、いいの、なのか、諦められるの、なのか、見当がつかない。
わからなくても多分私には良い意味ではないのだ。
だったら、私は頷くしかなかった。
えりかちゃんは今まで見せたことがないような苦しそうな顔をしていた。
困らせていることが、私だって苦しい。
それでも、片思いはずっともっと辛かった。
この苦しい片思いの末に何も得られないなら、せめて心底望んだ感触を味わってみたい。
えりかちゃんの心は私に向くことはないのだろう。
この先もずっと。
えりかちゃんの顔がゆっくりと近づいて、私は目を閉じる。
肩に手を添えられて、さら、とえりかちゃんの髪が流れる音がして、
それからかすかな沈黙の中でえりかちゃんの唇の感触がした。
乾いたあの感触を今でも忘れられない。
私はみんなより早い時間に舞美ちゃんを呼びだした。
絵文字の少ない、そんな内容のメールに、いくら鈍い舞美ちゃんでも理解したらしく、
部屋に入ってきた舞美ちゃんは緊張でこわばった顔をしていた。
私は妙に冷静な頭で舞美ちゃんを観察していた。
コンサートやイベントの前とは全然違う緊張で、いつもより黒目が小さく見えた。
手の色が悪く見えるのは蛍光灯のせいじゃないはずだ。
私と舞美ちゃんの距離はある場所で定まった。
遠くはないけど、手を伸ばしても届かない距離。
いつもなら私が詰めていくけれど今日はそうしなかった。
自分でも、少しだけ気が張っていることはわかっている。
「昨日の、答えなんだけど。」
私なりに出した答えを向き合って言葉にしようとした瞬間、舞美ちゃんがさえぎった。
「あのさ。」
「え。」
不安そうに手を組んで下を向いて、それから私を見た。
「昨日の言ったこと、忘れてほしい。」
黒のマジックで私の心が塗りたくられていくようだった。
正直に言ってしまえば私は、舞美ちゃんの告白からずっと苛々していたのだ。
えりかちゃんに好かれているくせに、私の好きなえりかちゃんに好かれているのに
鈍感で気がつかないでいることも、
えりかちゃんが選んだのが私でなく舞美ちゃんであることも、
頭をぐしゃぐしゃにしてしまう。
二人が付き合っても付き合わなくても、どちらにしても気に食わない、
そんな醜い自分を、舞美ちゃんと向き合えば、見せつけられて苦しくて仕方がない。
自分勝手なわがままなのは自分が一番知っている。
それでも、感情は私に飼いならされてくれない。
「やだ。」
可愛げのかけらもない棘のある言葉が尖った声で飛び出る。
昨日考えていた言葉がぐるぐる頭を回って、たくさんありすぎるせいでどれも実際には口からは出ていかない。
どうしてえりかちゃんのことに気がつかないの、とか、
そんな簡単に言わないで、とか、
舞美ちゃんはずるいとか、そんな、そんなことばかり。
そもそもえりかちゃんの代わりに、なんてどういうことかわかっているのだろうか。
それで満足できると思うのだろうか。
触れたら触れるだけ、近づきたくなるでしょう。
体だけじゃなくて心もほしくなるでしょう。
それだったら、触れない方がいい。
この言葉を、誰よりもあの時の私に、教えてあげたかった。
えりかちゃんのキスは、私の唇ではなく、唇のすぐ横に落とされた。
確かな感触は私の心を何度も切り裂いていく。
やっぱりできない、と、言われた瞬間に目頭が熱くなってその場で泣きだしそうになるのをこらえて部屋を飛び出した。
何一つ思う通りにはいかない。
心はあげられないと突きつけられて、胸が痛くて、痛すぎて自然に涙が落ちた。
舞美ちゃんでなきゃだめなんだ。
舞美ちゃんは何も悪くないのに憎んでしまうのがつらかった。
私はえりかちゃんでなきゃだめなのだ。
えりかちゃんが、ほしかった。
それが今目の前にいるのは舞美ちゃんで、おかしなものだ。
「昨日のは舞美ちゃんの本心でしょう?」
グループのリーダーであることを考えた結果の発言であることはすぐにわかった。
そんな建前なんか、今必要ない。
「う、ん。」
私は一歩、二歩と舞美ちゃんに近づく。
「舞美ちゃんは私のことが好きなんだね。」
頭の中の台風はいつのまにか去って、明確な光をたどるように私は行動する。
その光が正しいか間違っているかは興味のないことだ。
「うん。」
昨日と同じ真剣な目が私をとらえる。
それでもなにも動じない自分を怖いと思えない、この状況が一番怖かった。
「私がえりかちゃんのことを好きなのもわかってたんだ。」
手を少し伸ばせば触れられる距離まで来て舞美ちゃんは少しだけおびえていたのに、逃げようとはしなかった。
「あのさ。」
乾いた声が部屋に響く。
あの時のえりかちゃんとどちらが乾いているのだろう。
そんな比較を、こんなときにまでしている自分が鬱陶しい。
右手で舞美ちゃんの肩を掴む。
びくりと舞美ちゃんが驚いた。
「えりかちゃんの代わり、ってどういう意味か、わかってるの?」
恋人同士になればどうなるか、わからない歳ではない。
手をつないで少女漫画みたいなデートをして、それはそれで楽しいけれど、
私がえりかちゃんとしたかったことは、違う。
少なくとも付き合っていくうちに求めたくなると思う。
自分がそうならない、例外とは思えなかった。
追いつめるような視線に舞美ちゃんは一瞬たじろいで、だからといって、逃げはしない。
そんなところが私は嫌いで、えりかちゃんはきっと大好きだったのだと思う。
舞美ちゃんは私にぐっと近づいて、触れるだけのキスをした。
何の躊躇いもなく唇に落とされた。
そのまま、私をぎゅっと抱きしめた。
耳元で震える声で、わかってる、と囁く。
「わかってるよ。それでもいいよ。私はいい。でも、でもね。」
愛理がつらそうな顔もう見ていたくないんだ。
顔は見えなくても、舞美ちゃんの表情が感じられた。
私の肩にうずめた額から舞美ちゃんの体温を感じる。
思わず抱きしめられている体を突き飛ばしてしまいそうになるくらい胸が痛くなった。
舞美ちゃんはどこまでも、ずるい。
優しすぎて嫌になる。
何が悲しいのか私はこらえきれず泣いてしまった。
泣いても逃がしてくれないのは、舞美ちゃんが私を好きだからだ。
あのとき逃げられたのはえりかちゃんが私を好きでなかったから。
腕をほどいて体を離し、舞美ちゃんは私の頬を大きな手で包んだ。
涙が指を伝っていく。
舞美ちゃんは、痛そうな顔で、それでも微笑んだ。
「キスしていい?」
私が黙って頷くと舞美ちゃんは、おずおずと近づいて唇に触れた。
舞美ちゃんの唇は乾いたけれど私の涙で湿っていく。
柔らかな舞美ちゃんの唇の感触は、離れてもはっきりと私に刻まれた。
何か言いたくて、けど適切な言葉が浮かばない。
どうしていいかわからなくて、とりあえず私はその胸に飛び込んだ。
州;´・ v ・)<そしたら弾力がなくて鼻を負傷しました
从;・ゥ・从<愛理に言われたくない
最終更新:2010年02月15日 18:19