公演が終わり皆が急いで着替えている。
あまり長居はできない決まりになっている。
とはいえ、皆楽屋のドアに意識を向けているのがわかった。
コンサート中に関係者席に懐かしい顔を見つけたからだ。
遠くてもはっきりわかる。
一緒にステージに立っていたのがつい最近のような、だいぶ前だったような。
記憶と感覚というのは曖昧で私には確かなことは言えない。
長い片思いの相手だったから、思い出せば胸のあたりがもぞもぞとするけれど、もう痛みはない。
こんこん、と二度ノックの後にドアが開かれる。
「お疲れ様でーす。」
えりかちゃんが、相変わらずすらりとした体型で、かつひょうひょうとしながら照れくさそうに現れた。
舞ちゃんがぴこーん、と電球が光ったように駆け寄る。
「えりか!」
「えりかぁっ!」
スタートは遅れたものの千聖も駆け寄り、舞ちゃんが抱きついた反対側に抱きつく。
筋肉の少ないえりかちゃんは二人に抱きしめられてよろよろとふらついていた。
おお、と驚いてから二人の頭をわしゃわしゃと撫でる。
ずっと見ていた光景が久しぶりに再現されて、じわ、と胸の奥の方が熱くなる。
私はゆっくりと近づいた。
「愛理、お疲れ。」
そんな私に気がついたえりかちゃんは、ふんわりと、柔らかく笑った。
何もなかったことにされたわけでも、かといって拒絶されたわけでもない。
気まずいような含みは一つもない、全て受け入れた笑顔だった。
きっと、あれから何もなかったなら私も辛かっただろう。
だけど今は舞美ちゃんがいる。
私を占拠しているのは舞美ちゃんだ。
あの日の傷は舞美ちゃんが優しく撫でて治った。
だから今こうして、同じように微笑める。
「久しぶり。えりかちゃん。」
「ひさしぶりー。」
それからなっきぃと舞美ちゃんも集う。
えりか変わんない、舞ちゃんも千聖も変わってない、とか、雑談しているとスタッフさんから声がかかる。
「早く着替えて。今日は梅田もきたし、打ち上げいくぞ。」
予定外の流れに舞ちゃんと千聖が喜んでハイタッチする。
「いぇーい!」
「え、や、悪いです。」
えりかちゃんが慌てて必死に断るのだけど、スタッフさんは何を言うか、と笑った。
舞ちゃんと千聖がおろおろするえりかちゃんの手を引っ張り、なっきぃが行こう、というから、私も行こうよと頷いた。
舞美ちゃんが最後に、決まりだね、と締めて、えりかちゃんは諦めて私たちに従った。
その顔は嬉しそうで、思わず私は微笑んだ。
乾杯から始まり皆勢いよくサラダ、ご飯、揚げ物、焼き鳥、次々頼んで消化していく。
大人のスタッフの方々はそれを眺めながら、若いねえ、とビールを煽っている。
舞ちゃんがとっておいた最後の一口を千聖が取ってしまってケンカになる前に
舞美ちゃんが舞ちゃんに自分の分を分けていた。
千聖に文句を垂れつつ舞ちゃんは甘んじてそれを貰う。
早くとらないのが悪いと返す千聖をえりかちゃんがなだめている。
空白の時間があったのにもかかわらず関係は変わらない。
不思議なことのはずなのに当然に行われている。
当り前が当り前でなくなって寂しい気持ちと、またこうして一緒にご飯を食べられる嬉しさが入り混じり
胸の奥の方で整理しきれない感情になる。
それでも、そんな気持ちも受け入れられるようになった。
純粋に卒業したメンバーとして見られる。
もうえりかちゃんに未練がないことの証拠だ。
ぼんやりとその光景を眺めていたらえりかちゃんと目が合う。
小動物が何かの気配に気がついた時みたいに、少し驚いた顔をしたから私は微笑んだ。
なんでもないよ、というニュアンスは伝わったらしくえりかちゃんも笑って千聖との会話に顔を戻す。
懐かしい空気に自然と心が和む。
楽しすぎて、ご飯も飲み物も進みすぎた。
「ちょっとトイレ。」
「いってらっしゃーい。」
私はお手洗いに立った。
一人で店の奥に歩いていくと思考の方がさえてくるようになる。
そうなると、えりかちゃんのことが当然浮かんできて、伝えなきゃならないことがあるな、と思った。
言いたいことは一つだ。
ただ今日言う機会があるか、少し難しいような、と考えながら用を足して個室のドアを開けると、
見事にえりかちゃんが立っていた。
「愛理じゃん。」
「えりかちゃん。」
あの日以来二人きりになる。
願望があっさりと叶い、一瞬心臓が止まりそうになる。
当然、その理由だけに胸が跳ねたわけではない。
でも今は前とは違ってずっと穏やかな気持ちで向き合える。
「みんな元気そうでよかった。特に愛理。」
手を洗う私にそう言ってえりかちゃんは笑った。
心底そう思っているというような暖かい温度だ。
「あの時はごめんね。」
気持ちが落ち着いてから、ずっとこう伝えたかった。
私のわがままで私が傷つくのはともかく、えりかちゃんに迷惑をかけてしまった。
えりかちゃんは優しいから迷惑だなんて思っていないかもしれないけれど、
良い思い出のまま別れられなくさせてしまった。
そんなことがあったことを感じさせないような対応をしてくれる本当に優しい人だ。
えりかちゃんは私の言葉に首を振り、私の頭を撫でた。
「今、幸せ?」
尋ねたものの答えを知っているのだろう。
そんな気がした。
私はえりかちゃんの予想通りに首を縦に振った。
「今、舞美ちゃんと付き合ってるの。」
彫の深い目をじっと見つめると瞬きで長い睫毛がふわ、と揺れる。
穏やかで動揺は見えない。
「舞美のこと好き?」
確かめるような質問に、誓いの意味を込めて答える。
「大好き。えりかちゃんよりも。」
えりかちゃんは陽だまりのような、夕焼けのような色で微笑んだ。
安堵に加えて微かに憂いを含んでいる。
「そっか、良かった。」
まだ舞美ちゃんを好きなのだ、と、悟る。
その上でこんな風に笑う。
三人とも長い長い片想いだった。
どこかが結ばれればどこかが切れてしまう。
「まだ舞美ちゃんを好き?」
どうしてか思わず尋ねてしまった。
すると、えりかちゃんは私の予想とは違う反応をした。
即答するでもなく、言いたくなくて渋るでもなく、少し何か考えているようだ。
それから、そうだね、と答えた。
ふわふわした空気が私を揺らす。
なんだろう。何かが違っている。
紛れもない嘘というのか、えりかちゃんの反応は私の質問自体が間違っているというような。
私が思考にふけってしまう前にえりかちゃんはそういえばトイレに来たんだった、と呟いた。
慌てて個室に入って、ドアを閉めたかと思うとまた開く。
「舞美のこと大事にしてやって、ね。」
えりかちゃんはこういう人だったと思う。
本当に大事なことを茶化してしまう人。
みんなは笑ってしまうかもしれないけど、私はその中の暖かいメッセージが、優しさが大好きだった。
「もちろん。」
私はそう言ってみんなのもとへ戻った。
戻ってみると舞美ちゃんは心なしかいつもより速いペースで箸を動かしていた。
「舞美ちゃん、おなか減ってたの?」
「え、なんで?」
「食べるの速くない?」
自分の不自然さに気がついたのかいったん手を止めたものの、
やはり落ち着かないようで、あたふたとおしぼりを握ろうとする。
と、まさか、また大根おろしを握った。
「あっ。」
「みーたん!?」
隣に座っていたなっきぃが慌てて正しいおしぼりで、舞美ちゃんの服が汚れてしまう前に服を拭いた。
舞美ちゃんの大ボケは恒例行事となりつつあって、スタッフも、みんなも、もちろんえりかちゃんも笑った。
「ごめんなっきぃ。ありがと。」
「もー。でもみーたんだからしかたないか。」
なっきぃの言葉に一同が笑いに包まれる。
舞美ちゃんは苦笑しながら、汚れていない側の手で頭をかいた。
私は舞美ちゃんに使われていないおしぼりを差し出す。
ありがと、と受け取るものの、舞美ちゃんは私の目を見なかった。
何かが変だ。
みんなの集中が分散して元通りになり喧騒が戻るころに舞美ちゃんはお手洗いに立った。
一緒に行くと舞美ちゃんに警戒されるから、私は少しだけ間をおいてからその背中を追った。
トイレに入ると、舞美ちゃんは個室に入らずに洗面所で深呼吸していた。
鏡越しに目が合う。
後ろめたそうに目を逸らされた。
「舞美ちゃん本当に大丈夫?」
「大丈夫だよ。」
心配掛けたことを申し訳なさそうに笑うけれど心はここに在らずといった感じだ。
私は舞美ちゃんの手を握る。
顔を向かい合わせるとほころびが見えて、少し手を強く握るとそこからぼろが出る。
辛そうな笑顔は久しぶりだった。
私は、納得した。
「舞美ちゃん。」
「なに?」
逃げられないことを悟ったのかもう目線は逸らさなかった。
さっきの誓いを思い返す。
それがトイレというのがちょっと惜しい。
「私は、舞美ちゃんが好きなんだよ?」
舞美ちゃんの顔がだんだん紅く染まっていく。
「舞美ちゃん以外目に入らないから。」
ショートカットからのぞく耳まで赤くて、可愛くて、食べてしまいたくなる。
おずおずと舞美ちゃんは頷き、さっきとは違って何の陰りもない笑顔を見せた。
「ありがとう、愛理。」
ちょっと照れてるのがまた可愛いのだ。
私は一瞬入口に意識をやって人がいないのを確かめてから、
薄桃色の唇に口づけた。
何度触れても柔らかくて気持ちいい。
もっとしたくなるのをこらえて体を離す。
人が来ては困るし、二人とも長々ここにいるのを怪しまれるのも困る。
口惜しいけれど戻ることにした。
打ち上げはお開きになり、各自解散した。
私と舞美ちゃんは恒例の一度帰ったふりをして違う駅に集まり、少しだけ話をした。
門限があるからあまり遅くまではできない。
このほんの少しの時間が何より大切だった。
「舞美ちゃん、今日、不安だったの?」
駅のベンチに二人で並んで座る。
まだ肌寒いからお互いに肩を寄せ合う。
舞美ちゃんの体温が心地いい。
「う、ん。」
気恥しそうな声が横から届く。
そんな心配いいのに、といいかけて、私たちの始まりが始まりだったから仕方ないとも感じた。
不安にさせてしまう自分が憎くなる。
「ごめんね。」
私がつぶやくと舞美ちゃんはぶんぶんと首を横に振った。
短い髪の毛先から舞美ちゃんの匂いがする。
「違う、あたしが勝手に不安になっただけ。」
勝手に、という言葉がたまらなく嫌で私は舞美ちゃんの手を握った。
勢いが余って強く握りすぎたせいか舞美ちゃんが目を丸くする。
「勝手に、じゃないから、不安になったらちゃんと教えて。不安になんかさせたくない。」
もう二度とあんな顔はさせない。
舞美ちゃんには伝えていないけれど私の中の誓いだ。
「うん。わかった。」
微笑んで頷く。その笑顔の後ろからがたんがたんと遠くから近づいてくる音が聞こえる。
スピーカーから電車が参ります、と放送が流れた。
何本か見逃してきたけれど、そろそろ帰らなければならない。
もっと一緒にいたいとはなかなかいえなかった。
「そろそろ時間だね。」
舞美ちゃんがすっと立ちあがる。
あまりにあっさり立ち上がるものだから、私ばかりが寂しいのかと思うくらいだ。
電車はもう見えていて、会話が成り立たないくらいの騒音を立ててブレーキがかかる。
舞美ちゃんは私の手を引いて、口元を私の耳元に寄せた。
金属がぶつかり合う音の中にかすかに舞美ちゃんの声が聞こえる。
「今度泊まりに行っていい?」
その言葉を意味を理解して、舞美ちゃんの顔を見るとほの赤く染まっている。
電車が止まりドアから人がわらわらと出てくる。
乗らなくちゃならないのと、返事を返したいのと、慌てる。
とりあえず私は舞美ちゃんの手を握った。
「いつでも待ってる。」
私の返事に舞美ちゃんは嬉しくてたまらないという顔で笑った。
見惚れていると、ドアが閉まります、と言われ、慌てて私は駆け込む。
背中にドアが閉まる感触を感じ、振り返って窓の外を見ると舞美ちゃんが笑って手を振っている。
ここまで可愛いとずるいとしかいいようがないのに、全く憎めない。
電車が発車して、徐々に速度が上がる。
あっという間に舞美ちゃんは見えなくなってしまったけど私の頭にはさっきの舞美ちゃんの声が焼き付いて離れない。
泊まりに、ってそういうこと、だよね。
何度も何度も自分で意味を確かめると自然と頬が緩む。
頬どころか体から力が抜けてしまいそうになる。
しゃがみこむと不審に思われるからしないけど。
にやけた顔のままとりあえず舞美ちゃんにメールを送ることにした。
「今日はお疲れ様(^^)
いつ泊まりにくるの?」
もちろん語尾にハートを忘れずに。
最終更新:2010年03月23日 23:55