境界線を踏みにじったらどうなるか。
「舌、出して…?」
舞美はそれを試したいだけだったし、愛理は受け入れることが得意だった。
今だって、必死で目を瞑って要求に応えようとする愛理を不思議に思うほど、舞美は平静だ。
コンサート中、ほんの少し空いた時間。
使われていない空き部屋に、二人きり。
荒く口内をかきまぜながら、舞美の頭の中ではこの先の進行が流れるように展開している。
25分後センターステージ板付き。振りの一つまで、淀みなく鮮明に。
衣装は最小限の場所しか守ってくれない。
腰に触れられた手が上下する度に、愛理の体に微弱な刺激が走る。
背後には壁。逃げ場はない。
「あたしよりファンの人のが大事だもんね?」
「そんなこと…」
「あたしといる時より楽しそうだった」
「…ちがう」
「違わないよ。嘘つかなくていいから」
「嘘じゃないっ、信じてよ」
「だったら、信じさせて?」
それは合図だった。もう何度も繰り返された二人だけの問答。
少しの間視線を下げた愛理は、舞美のチューブトップを5cmほど引き下げ、
胸の上部に唇を押し当てた。
痺れるような痛みに、舞美は下唇を噛んで堪える。
愛理がすいと顔を上げる。確かな証拠として刻まれた、赤紫のしるし。
「……こゆこと、舞美ちゃんにしかしないから」
焼き増しの上目遣いが、絶対の純情を放つ。
従順な仔犬を置き去りにしたい衝動が、舞美の胸を駆け抜ける。
「あたしのこと好き?」
嫉妬や羨望が執着心に育ち、ある日、自らの行動さえ操ってしまった。
見つめ合いながら、舞美の指先が白い内腿を伝う。
「…すき、だよ」
恐る恐る、強ばった表情で、それでも愛理は目を逸らさない。
自分に自信があるのだろうなと、舞美は息をつきたくなる。手は休めない。
その場所以外に、指の腹を滑らせ続ける。
「…っ…舞美ちゃ…もう、時間」
「まだ大丈夫」
「みんな、待ってる…から」
「愛理も行っちゃうんだ?」
あたしから離れて、
耳元で消え落ちる泣き言。
沈黙は三秒間。
愛理がかぶりを振ったのを確かめてから、舞美はぱっと体を離した。
瞬時に二人を纏っていた空気が変わる。
乱れた髪の毛を直しながら、にっこりと顔に貼り付けた微笑みは、いつもの温厚な
“舞美ちゃん”のものだ。
「行こっか?」
愛理は戸惑わない。ただ、儀式が終わったことに安堵する。
レッスンの休憩時間、撮影の中空き、コンサートの合間。舞美に手を引かれたら、
もうそれは始まっているのだ。
栞菜が辞めた時一番寂しかったのは愛理で、えりかが辞めた時誰より悲しんだのは舞美だった。
たったそれだけのことだった。
理由なんて何でもよかったのかもしれない、今となっては。
やさしく手を引かれながら、愛理は漠然と思う。
もう誰もいなくならなければいいと、歩き続けながら、願う。
最終更新:2010年02月15日 17:44