今日は朝から雑誌の取材がある。
今回はどんな質問をされるのかな。
新曲が初恋の歌だから、やっぱりそういうことを聞かれるのかな。
まぁ、雑誌の取材で答えられるような経験なんてしたことないけど。
あえて言うなら、現在進行形で片思いなことぐらい…かな。
「おはようございます」
「おはようございます、矢島さん」
事務所に着いたら、マネージャーの矢島さんが待っていてくれた。
芸能界に入ったばかりで何もわからない私を、何かと気にかけてくれる優しい人。
そして、私の片思いの相手。
「今日は雑誌の取材が2件と撮影が1件です。夜までかかりますが、頑張りましょうね」
「はいっ。矢島さんがいてくれるなら、私なんでも頑張れます」
私が何でもないようにそう言うと、矢島さんはビックリしたように目を見開いた。
私の言うことにいちいちこういう反応をしてくれるから嬉しい。
私以外にも何人も受け持ってるんだから、私みたいにからかってくる人は他にもいると思うんだけど。
他の人にもこんな反応をしてるのかな。
そう思うと、ちょっとだけ悲しい。
「わ、私がいなくても頑張れるようになってもらわないと困ります」
「それはそうかもしれませんけど…」
「他のタレントさんについて行かなければいけない時もあるんですから…」
矢島さんはそう言いながら手帳をパラパラとめくっている。
さっきから同じところをいったりきたり。
たぶん、めくってるだけで何も見てないと思う。
8個も年上なのに、そんな仕草の一つ一つが可愛いって思っちゃう。
もちろん、大人だなぁって尊敬する部分もあるんだけど。
「でも、今日はずっと私といてくれるんですよね?」
「はい」
「嬉しいです」
「はい?」
「矢島さんと今日一日ずっと一緒にいられて、すごく嬉しいです」
私がそう言ってにこにこしていたら、矢島さんは小さくため息を吐いた。
「今日はお仕事なんですからね」
矢島さんがあまりにも呆れたように言うから、私は少しムッとしてしまった。
今はこんな感じだけど、ちゃんと仕事が始まったら切り替えるつもりでいる。
私だって、そんなに子供じゃないもん。
「わかってます」
矢島さんのバカ。
それから控え室に着くまで、私は一切口を開かなかった。
矢島さんから言われたことに返事をするだけで、自分から話しかけることはしなかった。
「…怒ってます?」
控え室に入った瞬間、矢島さんが言った。
顔を見ると、矢島さんもちょっとだけ不機嫌そうだった。
声の調子はいつもと変わらないから、もしかしたら不機嫌そうに見えるだけかもしれない。
でも、確かにいつもとは何かが違うような気がした。
「別に、怒ってないです」
「じゃあ、なんでそんな顔してるん…」
「怒ってないって言ってるじゃないですか!」
そう言う私の口調は明らかに怒っていて、自分がまだまだ子供なことを実感する。
そして、それを言ってから矢島さんの言葉を遮ってしまったことに気付いた。
「…わかりました。じゃあ、また時間になったら呼びに来ますね」
矢島さんはそう言って後ろを向いた。
止めなきゃ。
矢島さんが、行っちゃう。
「失礼しま…」
「待って!」
私は咄嗟に手を伸ばして、矢島さんの腕を掴んだ。
矢島さんは立ち止まってくれたけど、振り向いてはくれなかった。
「なんですか?」
「…怒ってますか?」
「私は怒ってません」
「じゃあ、こっち向いて下さい」
声が震えて、手には力が入らなかった。
矢島さんに嫌われることが怖かった。
ちゃんと謝ろう。
謝って、今日一日お仕事頑張ろう。
そしたら、きっと矢島さんも許してくれる。
そう思うのに、矢島さんは私の方を向いてくれない。
やっぱり怒ってるんだ。
私は泣きそうになるのを堪えながら、必死に言葉を探した。
「ごめんなさい…」
「…!」
無我夢中で、矢島さんの腕を掴む手に力を込めた。
この手を離したら、どこかに行ってしまうんじゃないかって不安だった。
私は俯いたまま、矢島さんの言葉を待っていた。
「…こちらこそ、すみません」
「え…?」
私が顔を上げると、矢島さんは私が掴んでいない方の手で私の手に触れた。
顔が見えないのがもどかしい。
矢島さんの言葉からは、矢島さんの感情は読み取れなかった。
「怒らせてしまったと思って、ちょっとだけ、動揺してしまいました」
「矢島さん…」
「他のタレントさんの時はそんなことないんですけど」
声を聞く限りでは、少し戸惑っているように感じた。
動揺したという言葉は本当なんだろう。
そう思うと、私の手に触れる矢島さんがすごく愛しくなった。
顔が見たい。
私が腕を掴む手を離すと、矢島さんはその手を追いかけるように振り返った。
「…やっと、こっち向いてくれた」
ようやく見られた矢島さんは、初めて見る顔をしていた。
いつもの凛々しい表情じゃなくて、なんだか困ったような表情。
声から感じられた通り、戸惑っているようにみえた。
初めて見る矢島さんはすごく可愛かったけど、それより早く安心させてあげたいと思った。
「もう怒ってませんよ?」
「本当ですか?」
「本当です。だから、そんな顔しないで下さい」
私がそう言って笑うと、矢島さんはふわっと優しく笑った。
「良かったぁ…」
胸の奥がドキッとなるのがわかった。
何、今の、顔。
また初めて見る顔だった。
矢島さんも、あんな風に笑うんだ。
すごく可愛くて、すごく綺麗だった。
心臓が落ち着かない。
さっきまで矢島さんに触れられていた手が、今さらになって熱くなってきた。
「じゃあ、また時間になったら呼びに来ますから」
「え、あ、ま、待って!」
「はい?」
もっと一緒にいたい。
もっと矢島さんとお話したい。
もっと私の知らない矢島さんが見たい。
「もっとお話したいんですけど、ダメです、か…?」
「私とですか?」
私が大きく頷くと、また矢島さんはため息を吐いた。
それも、特大のため息を。
「私、まだやらなきゃいけない仕事があるんです」
「そうですよね…」
ごめんなさい。
謝ろうとしたら、矢島さんは私の頭を撫でた。
「だから、ちょっとだけですよ」
私がビックリしていると、矢島さんは得意げに笑った。
そんな表情一つ一つにドキドキしてしまう。
会えば会う程、好きな気持ちが大きくなる。
『新曲は初恋をした女の子の気持ちを歌っているけど、愛理ちゃんの初恋の経験は?』
「うーん…それがまだないんですよね」
『理想とかはある?』
「頼れるしっかりした人で、だけど、ちょっと可愛らしい一面もある人がいいなぁって思います」
『そんな人が現れるといいね』
「はい!」
笑顔で頷いてから矢島さんの方を見たら、すぐに目線を逸らされてしまった。
心なしか仕事中の矢島さんは二人でいる時より冷たい気がする。
でもいいもん。
後でどうでしたかって聞いてみよっと。
この初恋、絶対に叶えてみせるんだから。
最終更新:2010年05月19日 21:40