携帯のバイブ音に気付いて目を開けると、時計はもう12時になろうとしていた。
こんなにゆっくり寝たのはいつ振りだろう。
昼まで寝るだなんて、今の仕事に就いてから一度も無かった。
よく今までやってきたと思う。
辛いことだって決して少なくなかった。
仕事が終わらなくて、家に着くのが0時を過ぎることだってあった。
私のミスでタレントさんに迷惑をかけてしまったこともある。
それでも私はこの仕事が好きで、誇りを持って取り組んでいる。
そんな仕事だから、私はここまでがむしゃらになってやってこれた。
それなのに、久しぶりの休みが謹慎という形でやってくるとは…情けない。
『今日は歌番組の収録だよー』
さっきのメールは桃からだった。
私が謹慎している間、鈴木さんの担当になったらしい。
桃とは仲が良いし、信頼しているし、代わりの担当が桃で良かったと思う。
こうして鈴木さんがどうしているかも教えてくれるし。
たまに写メも送ってくれるけど、見ると会いたくなると思って開かないようにしていた。
私が謹慎処分を受けた時から、ずっと鈴木さんとは連絡を取っていない。
もっといろいろ送ってきてくれるんじゃないかなって、少しだけ、期待してたんだけど。
『あいりんってからかうと面白いね』
私がメールを返すと、すぐに桃から返事がきた。
たまにこういうことを言ってくるから困る。
私が会えない間に、桃はどんどん鈴木さんと距離を縮めている気がする。
焦りを感じている自分がいた。
桃は私の気持ちを知っているし、鈴木さんの気持ちも知っている。
桃なら大丈夫だって思ってる。
だけど、二人がどんどん仲良くなっていくことがなんだか面白くなかった。
それに…桃にその気がないとは言い切れない。
―――
――
―
私が鈴木さんの家に泊まった次の日、たまたま事務所で桃に会った。
「やっほー、舞美」
「あ、桃。久しぶり」
それから他愛もない話をしている時に、ふと桃に鈴木さんとはどうなのかと聞かれた。
ずっと前から桃には相談していたから、私は正直に自分が思っていることを伝えた。
「舞美はさ…本当にそれがあいりんの為だと思ってるの?」
「っ…それは…」
「両思いなのに気持ちが伝えられないなんて、片思いより辛いよ」
いつもは冗談ばっかり言っている桃が、この時は真剣な表情をしていた。
それだけ私のことを思ってくれているということだ。
そして、鈴木さんのことも。
その気持ちはすごくありがたいと思った。
でも、その次の言葉に私は耳を疑った。
「モタモタしてると、桃が奪っちゃうよ?」
なんのためらいもなく桃はそう言った。
一瞬意味がわからなくて、私は桃を見つめたまま何も言えなかった。
だけど、そんなことを言われて黙っていられる程の余裕もなかった。
「…誰にも渡さないよ」
「っ…いや、ほら、じょ、冗談だよ、冗談!もー…そんな怖い顔しないでよぉ」
「え…あ、ごめん…」
誰にも渡さないだなんて、自分で言ってビックリした。
ほとんど無意識に出た言葉は、酷い独占欲で満ちていた。
こんな気持ちで彼女に気持ちを伝えても、息苦しくさせてしまうに違いない。
自分で自分に苦笑してから、私はそっとため息をついた。
―
――
―――
あの時言った桃の言葉は、桃が言った通り冗談だったんだろう。
私がいつまでもはっきりしないから、あんなことを言ったんだと思う。
だけど、今の仲の良さや桃が鈴木さんを気に入っている様子を見ると、もしかしたらって思ってしまう。
きっと、このことを桃に言ったら「これぐらいで不安になるぐらいなら早く気持ちを伝えろ」って言われるんだろうな。
仕事も出来ない。
鈴木さんにも会えない。
謹慎中の退屈な毎日は淡々と過ぎていった。
そして、今日は鈴木さんの新曲のオリコンウィークリーチャート発表日。
いつもはすぐに開く桃からのメールも、今日は一度だけ深呼吸をしてから開いた。
『オリコン初登場3位だよ!!!!』
デビュー曲が5位で、今回が3位。
しばらくメール画面をそのまま見つめていた。
すごく、すごく嬉しかった。
この報告を聞いて、彼女はどんな顔をして喜んだんだろう。
もしかしたら、嬉しくて泣いているかもしれないな。
泣きそうになるのを堪える鈴木さんの顔が浮かんで、私は1人で微笑んだ。
でも、想像することしか出来ないことが歯がゆかった。
本当なら、私から鈴木さんに伝えているはずなのに。
こんなに嬉しいニュースを、どうして私は桃から聞いているんだろう。
嬉しいという気持ちと悔しい気持ちが同時に込み上げてきて、私は唇を噛み締めた。
その時、再び携帯が手の中で震えた。
『まだ次の仕事まで時間あるから、20分ぐらいなら電話できるよ』
続いて届いた桃からのメールを見て、私はつい苦笑してしまった。
こんな言い方をしているけど、要するに電話をしろということだ。
この謹慎中の約3週間、全く鈴木さんと関わっていない。
写真を見たり、メールをしたり、電話をしたり、テレビを見たり…あらゆることを遮断してきた。
少しでも関われば、会いたくなるからだ。
今、彼女と会ってしまったら、きっと私は自分を抑えられなくなる。
もうすぐ異動になるかもしれないのに、中途半端に会いたくなかった。
会えば、絶対に諦められなくなる。
どうせ会えなくなるのなら、このまま諦めてしまいたかった。
鈴木さんの前からも、このまま姿を消してしまいたかった。
『誰にも渡したくないんでしょ?舞美らしくやったらいいじゃん』
私が考えていると、またすぐに桃からメールがきた。
いつもそうだ。
いつだって桃は私が思ったようにやればいいと言ってくる。
だけど、鈴木さんのことになるとそれでいいのかわからなかった。
考えれば考える程、不安になるばかりだった。
心臓がドキドキしている。
目を閉じて、大きく息を吐き出す。
誰にも渡したくないという気持ちは嘘じゃない。
それなら、私がずっと傍にいなきゃいけない。
まだ謹慎になると決まったわけじゃない。
後ろ向きになるなんて、私らしくないじゃないか。
おめでとうって言いたい。
よく頑張ったねって言ってあげたい。
声が聞きたい。
今はそれだけでいい。
この先のことなんて、誰にもわからないんだから。
震える指で番号を呼び出し、鈴木さんに電話をかけた。
携帯を握る手が震える。
心臓もうるさいぐらい動いていた。
それでも、震える手に力を入れて、じっと鈴木さんが出るのを待った。
『もしもし…』
「もしもし、矢島です」
良かった。
緊張している割に声は震えなかった。
「お久しぶりです。すみません、いきなり電話して…」
『あ、いえ、嬉しい…です』
私からの電話によっぽど驚いたのか、鈴木さんの声は驚きを隠せていなかった。
それでも、久しぶりに聞く彼女の声は、私をドキドキさせた。
「体調は崩していませんか?」
『はい!大丈夫です』
「そうですか。桃はどうですか?」
『…矢島さんと同い年には見えません』
少しだけ考えた後に鈴木さんが呟いた言葉は、私の緊張を解くには十分だった。
それは鈴木さんにとっても同じだったようで、鈴木さんも楽しそうに笑っている。
間を持たせる為に出した桃の名前だけど、思わぬ効果をもたらしてくれた。
私は笑いながら心の中で桃に感謝した。
「オリコン3位おめでとうございます」
『あ、ありがとうございます』
「いろいろありましたけど…よく頑張りましたね」
『…矢島さんの為です』
「え?」
たった今までリラックスしていた鈴木さんから、急に緊張が伝わってきた。
いつもと違う様子に気付いて、私も自然と携帯を耳に押し付けた。
『矢島さんに、ずっとそばで見ていてほしいから』
「…!」
『だから、頑張れたんです』
そこで一息置いてから、鈴木さんは言葉を続けた。
『私…矢島さんのことが…』
「っ…鈴木さん!」
気付いてしまった。
彼女が何を言おうとしているのか、気付いてしまった。
「駄目です、それ以上は…っ」
今、鈴木さんに気持ちを伝えられたら、私はどうすればいいのかわからなかった。
自分の気持ちを押し殺したまま、マネージャーとして彼女の傍にいるのか、
自分の気持ちも伝えて、周りにバレないように彼女の傍にいるのか、まだ答えが出せていない。
どっちがいいのかも、私にはわからないことだった。
だから、私はほとんど無意識に鈴木さんを止めた。
止めたと、思っていた。
『いやです…!』
苦しそうに、だけどはっきりと、鈴木さんは言った。
初めてだった。
私が言ったことに対して、彼女がこんな風に反抗するのは。
『矢島さんが、好きです』
時が止まったように感じた。
鈴木さんの声だけが、真っ直ぐに私の耳に届いた。
部屋の外から聞こえていた生活音も、それまで身体中に響き渡っていた心臓の音も、全て聞こえなくなった。
まるで、今存在しているのが私と鈴木さんの2人だけのような、そんな感覚に陥った。
『伝えたかっただけなので、気にしないで下さい』
「…」
『じゃあ、私はこれから仕事なので、失礼します』
気付いたら鈴木さんの声は聞こえなくなっていて、電話は切れていた。
「あー…何してんだろ…」
8つも年下の彼女は、もう全てを覚悟しているというのに、私は何をしてたんだろう。
いつまでもどうにもならないことで悩んで、答えが出せないまま後回しにして、好きな人を苦しめることしか出来なかった。
こんな私を、彼女は好きだと言ってくれた。
好きな人に好きと言われるだけで、こんなに満たされるものなんだ。
気にしなくていいと言ってくれたけど、彼女にここまでさせておいて、私が何もしないわけにはいかない。
彼女が私にくれたものは、全て返したいと思っている。
もう、ほとんど返事は決まっているようなものだった。
だから、お願い――これからもマネージャーとして彼女の傍に居させて。
今はただ、それだけを願った。
最終更新:2010年11月01日 07:44