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今日は1日振りの仕事だ。
昨日は朝早くに矢島さんに起こされて、寝ぼけ眼のまま矢島さんを見送った。
起こしてしまったことを申し訳なさそうにしていたけど、鍵をかけないわけにはいかないから仕方が無い。
もう一度寝直して、昼過ぎに起きた時に、初めてベッドサイドにメモが残されていることに気付いた。
空っぽになった布団を見て寂しさが込み上げてきたけど、そのメモを見たら自然と頬が緩んだ。
この先もこのメモを見るだけで元気になれる気がして、大切に手帳に挟んでおいた。

そして今日は雑誌の撮影でロケだから集合場所は都内の自然公園だった。
公園に着いてから、すぐにスタッフさん達に挨拶をしながら矢島さんの姿を探した。

「矢島さん!」

スタッフさんと話をしていた矢島さんを見つけて、私は早足で矢島さんの元に向かった。
昨日の朝以来なのに、すごく久しぶりに会ったような感じがする。

「あ、おはようございます」
「おはようございます!」
「もう大丈夫ですか?」
「はい。ご迷惑おかけしてすみませんでした」
「いえ、今日からまた頑張りましょうね」
「はい!」

気のせいかな?
私が体調を崩してから、矢島さんが優しくなった気がする。
一昨日からなんとなく思っていたけど、それは私が病人だからだと思っていた。
どうしてだろう。
それとも気のせいなのかな。

午前中の撮影は順調に終わり、予定より早くお昼休憩に入った。
1日休んだだけだけど、やっぱり仕事は楽しいなと思った。
もちろん歌を歌うことが一番だけど、こうして写真を撮られるのもすごく楽しい。
撮影中は気がつかなかったけど、近くで陽気な音楽が流れているのが聞こえた。

「なんだか賑やかですね」
「地元のお祭りがやってるらしいですよ」
「お祭り!」

お祭りなんてここ何年も行っていない。
あの楽しい空気と、屋台がたくさん並んでいる様子を思い出して、私は目を輝かせた。
私の目がどんなに輝いたのかわからないけど、矢島さんは私の顔を見て苦笑した。

「行きたいんですか?」
「いいんですか!?」
「…私も着いて行きますけど、それでも良ければ」
「やったー!!」

少し考えてから、矢島さんはそう言った。
矢島さんはそんな風に言うけど、私としてはそっちの方が嬉しい。
矢島さんが居るなら、なんだって楽しい。
お祭りってだけでも楽しいのに、矢島さんも一緒ならなおさら楽しいに決まってる。

「ちゃんと帽子と眼鏡は忘れないで下さいね」
「はーい!」

私は逸る気持ちが抑えられなくて、素早く変装用の帽子と眼鏡をかけると、早く早くと言って矢島さんを急かした。
矢島さんは近くに居たスタッフさんに声を掛けると、すぐに私の元に戻って来た。

「じゃあ行きましょうか」
「はい!」
「絶対に私から離れないで下さいね」
「わかりました」

久しぶりのお祭りは、私が記憶しているものと同じだった。
みんなが楽しそうに笑っていて、威勢のいい声や陽気な音楽が聞こえる。
お昼ごはんはロケ弁が用意されていたから、家に持って帰れるりんご飴だけ買って行くことにした。
りんご飴が売っている屋台を探して、私はキョロキョロと辺りを見回していた。
そんな私を見て矢島さんが笑っている。

「笑ってないで一緒に探して下さいよぉ」
「そんなに必死になって探さなくても、きっとすぐに見つかりますよ」

そう言って笑う矢島さんはやっぱり落ち着いていて、はしゃいでいる自分が少し恥ずかしくなった。
こういう時に矢島さんとの年齢差を感じて悔しく思う。
早く大人になりたいなって、そんなことばかり思ってしまう。
そしたら、矢島さんにも子供扱いされないのに。
だけど現実の私はまだまだ子供で、今もきっと拗ねた顔をしている。
それを知られたくなくて、私は矢島さんの方は見ないようにしていた。

「あ、あった!」

しばらくすると、少し離れたところにりんご飴と書かれた旗が立っているのが目に入った。
見つかった嬉しさが大きくて、私はついその旗を目指して駆け出してしまった。
気持ちが浮かれていたせいかもしれない。
私は、目的の屋台の前に着いて振り返るまで、矢島さんがついて来ていないことに気がつかなかった。

「矢島さん?」

名前を呼んで辺りを見回してみても、矢島さんの姿は見当たらなかった。
はぐれてしまった。
それを頭で認識した瞬間、心臓がバクバクと大きく動き始めた。

「矢島さん!」

勇気を振り絞って、さっきより大きな声で名前を呼んでみる。
それでも知らない人がちらっと振り返るだけで、どこにも矢島さんはいなかった。
嘘でしょ…?
荷物は全部撮影現場に置いて来たから、携帯も持っていない。
携帯を持たなかったことを後悔して、それからすぐに、意地を張ってしまったことを後悔した。
なんで私は矢島さんから離れてしまったんだろう。

りんご飴屋さんのおじさんが不思議そうに私を見ている。
お金も矢島さんが持っているだけだから、私はりんご飴を買うことも出来なかった。
曖昧な笑顔でおじさんに会釈をして、私はさっき居た場所まで戻ってみることにした。

「どこにいるの…」

呟いてみても、賑やかな声にかき消されるだけだった。
もう休憩時間も残り少ない。
撮影現場に戻ったら会えるかもしれない。
一瞬そう思ったけど、それは無いとすぐに思い直した。
だって、矢島さんはきっと私を探してる。
なんの確証もないけど、なぜかそんな気がしてならなかった。

「きゃっ」

どうしたらいいのかわからなくなって立ちすくんでいたら、不意に人にぶつかられてその場に倒れてしまった。

「すいません!大丈夫で…あれ?」

その人は私を起こそうと手を差し伸べてくれたけど、私の顔を見た瞬間動作を止めた。
その時、初めて私は帽子と眼鏡が外れてしまっていることに気付いた。

「もしかして、鈴木愛理さんですか?」
「あ、いや…あの…」

こうして見つかってしまうのは初めてのことだった。
どうしたらいいのかわからない。
否定したいけど、そんなことをしても嘘だとバレてしまうのは確実だった。

「え!?鈴木愛理!?」
「どこどこ?」
「なんでこんなところにいるの?」
「写メ写メ!!」
「なんかの撮影かなんか?」

一瞬の間に、私を中心に大きな円ができた。
人に見られることには慣れているはずだった。
でも、こんなに好奇に満ちた視線を四方八方から浴びるのは初めてだった。
携帯のカメラをこちらに向けている人もいる。
複数のシャッター音が耳に入る。

多くの視線が私に向いている。
ここがステージ上なら嬉しいことだった。
でも、ここはステージじゃない。
人の視線に、好奇心に、私はただただ恐怖を感じた。
怖くて声が出ない。
私は顔を上げることも、立ち上がることも出来ずにいた。

「…て下さい…!」

知らない人達がひそひそと話す声に紛れて、ある声が聞こえた。
間違えるわけがない。
この声は…。

「すみません!通して下さい…っ!」

人だかりを掻き分けて姿を現したのは、思っていた通り…矢島さんだった。
矢島さんの姿が見えた瞬間、心の底から安心している自分がいた。
呆然とする私の手を掴んで、矢島さんは人だかりを掻き分けて行く。
握られた手が熱い。
そういえば、矢島さんの手を握るのは最初に握手した時以来だ。
足早に先を歩く矢島さんの横顔を見ると、眉間に皺を寄せているようだった。
怒られるかな…やっぱり。
絶対に離れないでって言われていたのに、なんて私はバカなんだろう。
今にも目から涙が零れそうだったけど、唇を噛み締めて我慢した。
人ごみを抜け出して撮影現場の近くまで行くと、矢島さんが手を離して立ち止まった。

「…ごめんなさい」

矢島さんが振り返るのと同時に、震える声で謝った。
私、矢島さんに迷惑ばっかりかけてる。
一緒に居たいと思うのに、いつも上手くいかない。

どうしてだろう。
気持ちを伝えることだけじゃなくて、一緒に居ることも許されないのかな?
もしそうだとしたら、神様は意地悪だ。
だけど、今回は完全に私が悪い。
神様のせいなんかにしちゃいけない。

「怪我はないですか?」
「え…?」
「何もされませんでしたか?」
「あ、はい…」

矢島さんが力強く私の肩を掴む。
よく見ると矢島さんは汗だくだった。
どれだけ必死に私を探してくれたんだろう。
私に何かあったかもって、どんなに不安な気持ちになっただろう。

「良かった…」

そう呟いた後、矢島さんは全身の力が抜けたようにその場に座り込んだ。

なんで私はいつもこうなんだろう。
矢島さんはこんなにも私のことを想ってくれているのに。
恐怖から解放された安堵感と、自分の不甲斐無さに、我慢していた涙がボロボロと溢れ出した。
そんな私を見て、矢島さんが慌てて立ち上がった。

「ごめ…っ、なさい…!」
「もういいですから、泣かないで下さい」
「ごめんなさい…っ」

泣かないでと言われても、涙は止められなかった。
ただただ謝ることしかできなくて、何に対して謝っているのかもわからなくなった。
矢島さんの声が、ぬくもりが、優しさが、私の胸にじわじわと沁み渡っていく。
無理だと思った。
この人を好きにならないなんて、私には絶対に無理だと思った。
傍に居てくれるだけでいいと思ったのに、膨れ上がる思いを抑えることは出来ない。
胸が苦しい。
吐き出せない思いがあることが、こんなに苦しいことだなんて知らなかった。
それでも私は、その思いを無理矢理胸の奥に閉じ込める。
この苦しみを解放する方法を私は知らない。
だから今は、ただ声を上げて泣きじゃくることしかできなかった。
最終更新:2010年11月01日 07:34