えりのことなんだ。
えりは、ずっと前から、多分今も、愛理のことを好きなんだ。
でもえりは卒業して℃-uteから離れるから、愛理と両想いになって付き合っても
愛理のことを守れない、って。
自分の口から出てくる物語は、なんだかとても拙くて、話しているうちに不安になる。
静まり返った部屋に自分の声が頼りなく、生んでは消え、生んでは消えを繰り返す。
愛理は黙って目を丸くして、それから、何も言わずに眉を寄せた。
目を細めると睫毛と影で白目が、新月の夜のように、無くなっていく。
あたしは、この物語を続けなければいけない。
だって今現在も続いているのだから。
あたしも愛理のことを、多分えりと同じくらいから好きだった。
えりもそのことを知ってた、から、あたしにね、愛理のことを頼むね、って。
それだけ、頼んだの。つまり。
えりは℃-uteのことを頼むとは言わなかった。
えりがいなくなる分あたしがしっかりしなきゃ、と言ったあたしに、
背負いすぎちゃだめだよ、と、何時の間にか力のこもった肩をとんとんと叩いた。
舞美が背負わなくてももうみんなで立っていける、そういうグループだよ。
やりすぎてしまうあたしのことをしっかり理解しての言葉だった。
がんばれとは、決して言われたことがない。
えりはバランスを取るのがうまい人だと思う。
あたしのことも、みんなのことも、均等にうまくいくようにおまじないをかける。
そんなえりが唯一あたしに頼んだのは、愛理のことだった。
それすらおまじないの一つだと気がついたのは最近だ。
あたしに愛理を譲ったんだ。
愛理のための言葉だと思っていた。
愛理が特別大切だから、だと。
そうではない。
えりは全部わかっていた。
あたしは愛理を救いたくて、無我夢中で、えりの代わりでもいいと、本当に思っていた。
こういう結果に行きついて初めてえりの考えに気がついた。
全部、あたしに譲ったのだ。
あたし、ずるいんだ。
本当はえりと愛理、両想いだったんだよ。
でもえりが愛理のことを譲って、あたしはそれを黙って、愛理をだまして、いや、そんなつもりなかったけど、
でも、結果的に、だまして、今愛理と一緒にいる。
本当にここにいるべきなのはえりなんじゃないか、という気持ちがいつも付きまとう。
両想いになって、今度はえりの代わりではない自分が不安だった。
ねじ曲がってしまった運命の線の上、でも、今ならまだ間に合うと思った。
自分の声が無くなった途端、襲ってきたのは静寂と、それに伴う不安だった。
最初は驚いた顔をしていた愛理は話の途中からだんだん目を伏せ、話が終わった今は俯いている。
呼吸すら場違いな沈黙にあたしの胸は裂けてしまいそうだった。
話すより、待つ方が怖いのだと初めて知った。
妙に頭が白くなっていく。
心臓の音も呼吸の音も、自分の体の感覚さえあいまいになる。
だから、愛理の考えていることなんて滅法想像もつかなくて、動けない。
ようやっと愛理があたしの方に向いたとき、遠のいた意識がぐいと引っ張り戻された。
予想に反して愛理は、微笑んでいるように見えた。
「舞美ちゃん、この話、しなきゃよかったのに。」
あたしが予想した中にはない反応だった。
愛理はあまり否定しないから、まさかこう返されるとは思いもしなかった。
「だってさ、この話したら、私、またえりかちゃんのこと好きになるかもしれないんだよ。」
それでいてすごく、呑気なような、優しいような声だった。
あたしはどうしたらいいのかわかなくなる。
「そしたら、舞美ちゃんのことを振ってえりかちゃんのところに行くかもしれない。」
そう、思っていた。
どうしてもその方向にしか考えがいかないのに、言わずにはいられない自分の性格が不器用すぎて悲しくなる。
罪悪感と、愛理が一番幸せになってほしいという願いが、あたしを突き動かしている。
「って、考えたんだよね。多分。その上で、話してくれたんだよね。」
確かめるような愛理の口調は心なしか、柔らかく優しくなっていった。
いつものように、いや、いつもより穏やかな声が、混乱するあたしを撫でた。
「ありがとう。舞美ちゃん。」
一旦伏せた目はゆるやかに開きあたしを見据えて、そのままふわりと微笑んだ。
桜が開いたような薄桃色の空気が泣きたい気持ちにさせる。
「選ばせてくれたんだよね。私のことを考えて。」
美しい造型の手がひそやかに伸びてあたしの手をやんわりと握った。
愛理の手はもう、全ての答えを教えてくれていた。
涙腺がじわじわと熱くなる。愛理の笑顔がぼやけていく。
「えりかちゃんが私のこと好きなのは初めてしった、けど、それでも、今は。」
色々なことを積み上げて今ここに存在している。
積み上げた積木は小さかったり形が不揃いだったり、うまく積み上げられなくて、あたしははらはらしていた。
崩れてしまったならもう一度やり直すか、どうにかしたらいいと自分で気持ちをごまかしていたけれど、
本当は怖かった。
あたしはずっと、愛理のこの言葉を、待っていたのかもしれない。
信じられる日を心待ちにしていた。
「それでも、舞美ちゃんが好きだよ。」
握ってくれる手にあたしの涙が落ちた。
瞬きはしないのに落ちていく。
「舞美ちゃんを選んでもいい、よね?」
かろうじて愛理が笑っているのだけわかった。
あたしは短い髪を揺らしてうなずくしかできなくて、愛理はそんなあたしを抱きしめた。
それから、正直で、人のことばかり考えて自分のことないがしろにしちゃうところが大好き、だとか、
でもちょっとは自分のことも大事にして、とか、背中からくれた。
「いつも私のこと、大事してくれてありがとう。」
体を離してぼろぼろ泣いているあたしの涙をぬぐった。
愛理の前で泣くといつもこんなに大泣きしてしまう。
情けなくて小さなあたしを愛理は笑顔だけで簡単に包んでしまえる。
「舞美ちゃんのことは私が大切にするから。」
ずっと、ずっと、と、歌うように呟いて、愛理はあたしに小鳥が啄ばむように口づけた。
どうしてえりを選ばずにあたしを選んだのか、なんて野暮なことはもう言わないことにした。
全てを打ち明けて、結果あたしの手をとったのだから。
疑うことも、愛理の言葉を信じないのも、もうやめよう。
繋いだ手と、触れた唇、それから愛理の空気からあたしを好きなことが伝わる。
それだけでいいような気がした。
もし不安になってもきっと愛理はそのときにまたあたしの手を握るだろう。
柔らかな唇にうっとりと目を閉じている。
何度触れても特別な愛理の唇が好きだ。
一度離れて瞼を開くと、愛理の睫毛が曲線を描いて、瞼が開かれる。
それからくりくりとした黒目があたしを捕まえたかと思うと、思い切り細めて、
愛理の特徴と言える八重歯が顔を出した。
あたしはどうにもこの顔に弱くて、一瞬体が動かなくなるほど胸が締めつけられる。
野原に咲いている花みたいに、柔らかい、幸せな笑顔だ。
こんな顔を見るのはいつだって二人きりの時、だからあたしにしか向けられていない。
嬉しくて嬉しくて、また泣きそうになるのをこらえて、今度はあたしからキスを落とした。
近づくにつれてまた、ひそやかに愛理の瞼がとじられる瞬間に、その動作の美しさが胸に沁み込む。
それから、溶けてしまいそうな、しかし確かに輪郭を持った愛理の唇を感じる。
触覚は、きっと本能に直結しているのだと思う。
頭の奥がくらくらしてくるのもそのせいだ。
触れているだけで胸がいっぱいになって、ただ触れるだけで唇を離した。
「舞美ちゃんから、って久しぶりだね。」
微かに桃色に染まった頬が愛しい。
ちょっぴり恥ずかしい気持ちと、幸せな気持ちで体も心もそわそわする。
愛理のきらきらした目で見つめられると胸が落ち着かなくてしょうがない。
もっと触れ合いたくなる。近づいて、抱きしめて、力を込めても一つにはなれないことが悲しい。
でも交われないからこうやって触れ合える。
離れてもすぐあたしたちの距離は近づく。
額をつけて見つめあってから愛理があたしの頬にキスをする。
ちゅ、という音はしないけれど、唇が吸いついて離れる瞬間が感触だけでくすぐったい。
愛理がキスする側の目を閉じると瞼にも落とされる。
愛理の髪の毛があたしの首をなでるからくすぐったくて肩をすくめた。
それを察したらしくあたしの鎖骨あたりにかかる髪をよけながら、そこに手を置いた。
指先が気になる。
そっと一円玉が乗るくらいの重さは頼りなく愛理の少しの動きに簡単に左右された。
やけにそこの意識だけがはっきりしているような、不思議な感覚。
いつかのホテルでの行為を生々しく思い出す。
あの時はあたしが勘違いして、えりの代わりに求められているのだと思っていた。
愛理に触れられて身体は快楽に浸かっているのに心は言いようもない悲しさに満たされて、
その行為が気持ち良ければ気持ちいいほど、苦しかった。
結局は勘違いだったのだから、と思うものの、あの時の感情が甦ると少し怖くなる。
あたしはわがままだ。
愛理が選んでくれているのに、好いてくれているのに、うまくできない。
愛理のキスがだんだん首筋に近づくにつれてあたしの不安は大きくなる。
気付かれないように目をきつく閉じて息を吐くと、愛理の動きが止まった。
不思議に思って愛理の方を見ようとする前に愛理があたしの胸元に顔をうずめて、ぎゅうと抱きしめてきた。
「だめだあ。」
「へ?」
額をぐりぐりと押しつけて甘える。
さっきまで漂っていた性的な雰囲気がかき消される。
「愛理、どうしたの?」
「舞美ちゃん、ごめん。私、あれ以上してたら止まれなくなる。」
ちょっと落ち着かせて、と愛理が蝉のように動きを止めた。
「あ、愛理?」
「なに?」
怖いと思っていたくせに、しかもこうやって言葉にするのは恥ずかしいのだけど、尋ねる。
「そ、その、さ、しない、の?」
愛理が抱きついているのに心臓がばくばく速くなって、顔は熱くなって耳が焼けそうだった。
怖い、と同時に、乗り越えたいとも思っている。
愛理と、そういうことをするから気持ちが通じるわけではないのだけど、
したらもっと、近づけるような気がした。
あの日から記憶を上書きしたら、あの時のことも悲しい思い出ではなくなるんじゃないかと思う。
あたしのパジャマに埋もれて愛理は自信がなさそうなくぐもった声を漏らした。
「舞美ちゃん、したい?」
率直な質問にあたしは答えられない。
何の陰りもなければ即答できるはずなのに答えられないということは、やはり怖いのだ。
愛理はちゃんとあたしのことを見抜いている。
「私は、したいけど、怖い。」
背中にまわされた腕の先の細い指がぎゅ、とパジャマを掴んだ。
旋毛しか見えないけれど愛理の不安な様子が感じ取れた。
「前の時のこと、覚えてるでしょ?」
初めての感覚に追い詰められて、それなのに理性はなくせない。
愛理の声があたしの名前を呼ぶたびにぎりぎりと胸が痛んだ。
思い出せばあのときの感覚があたしを支配する。
「私、舞美ちゃんを傷つけた。」
愛理がゆったりと身体を離してあたしに向いた。
「あれはあたしの勘違いだったし。」
「勘違いでも、傷ついたでしょ?」
愛理の黒い目はあたしの何一つ見逃してはいなかった。
この鋭さに困ってしまう、けれど、大切なことだ。
気付かずに事が進んでしまったならもしかしたら壊れていたかもしれない。
「だってほら。」
愛理の顔があたしの首元にぐっと近づいて吐息が首にかかる。
シャンプーの香りの甘さと、反射的な恐怖は異質でお互いに相容れない。
くすぐったさで身を縮ませるのとは別の緊張で体がすくむ。
「怖がってる。」
愛理はそのまま額をあたしの鎖骨に落とした。
頭の重みに過去の出来事への後悔が透けて見える。
愛理もあたしと同じくらい、いやもしかしたら、あたしより怖かったのかもしれない。
ついさっき、あたしは愛理を傷つけてしまうと怖がっていたけれど、
愛理は実際に傷ついて怖がるあたしと接している。
その反応を見た上で先に進むなんて優しい愛理には無理なことだった。
愛理が何かに臆病になるところは初めて目にする。
つまり、あたしのことだけ、臆病になるのかな、と思ったら不謹慎にもうれしくなった。
もたれかかる頭を抱きしめて髪の毛をなでる。
あたしのパジャマを握る手は甘えるのとは違う心持ちだった。
大事にされているんだな、と実感する。
あんな話をされて本当は複雑な気持ちにならないはずがない。
えりのことだってすごく色々考えたと思う。
その内容はあたしは推し測ることはできないけれど。
あたしが話す間愛理はずっと複雑な顔を浮かべたり、辛そうな顔になったり、決していい顔ではなかった。
だから、あたしを責める言葉やえりについて問い詰められるだろうと思っていたし、そのつもりだった。
なのに最終的に言葉にしたのはあたしを思う気持ちだった。
ほら、今だってこんな風に。
これ以上大事に扱うことなんかできるのだろうか。
最上級の愛情を無意識に注がれている。
もしこの先また傷つくことがあっても、それは愛理が癒してくれるような気がした。
だから、愛理と一緒ならどこまででも走っていける気がした。
「愛理。」
名前を呼ぶと布地の間からむくりと顔を出した。
下がり気味の眉がいつもより下がっている。
ちょっと弱気なその顔にキスを落とした。
「舞美ちゃん?」
「あたし大丈夫だよ。」
そう伝えると眉が寄せられてもっと弱くなる。
こんなに困った顔の愛理はあまり見られない。
愛理はぎゅうと顔をしかめて首を横に振った。
「無理しないでいい。」
「してないよ。」
「いいから。」
「よくない。」
小さい子供の押し問答みたいだ。
千聖と舞ちゃんを笑えないな、と思うと苦笑いするしかなかった。
愛理の手を探し出して握ろうとすると、拳を握られて拒否された。
悲しくはなかった。
それすら多分あたしのためなんだろうから。
今度は唇にキスをすると拒否はしないもののかたくなに唇を結んでいるのがわかる。
つけ入る隙は与えたくないようだった。
空いている片方の手で髪の毛を梳くと弱ったように俯いた。
我慢している。少し泣きそうな顔にも見えた。
しばらくそうして、ようやく口を開くと、声があんまり弱っていて、それが愛しかった。
「駄目だよ。」
自分を振り切るようにまた首を振る。
「舞美ちゃんを大切にしたいの。ずっと一緒に居たいし、一緒に幸せになりたい。」
「うん。」
「だから今無理したくないの。いつか、できるときまで私待てるから。」
大丈夫だから、と、あたしを揺すった。
あたしはどうしようもなく愛理が愛しくなって抱きしめた。
好き。片想いしていたころよりずっとずっと好き。
あたしは心の奥でえりに謝罪する。
ごめんなさい。もう多分譲れない。
ずるいのも酷いのもわかっているけど、それでもどうしても手にしていたい人がいる。
あたしの中のえりは笑っていた。それでいいよ、って、笑った。
「愛理は、あたしのこと好き?」
愛理の埋もれた頭が肩の中で頷く。
「大好き。」
「あたしのこと大切?」
「一番。」
間髪入らない即答は声が強く揺るがない。
そこのところは自信満々なのが可愛らしくて微笑ましかった。
「だったら、大丈夫。」
ぽんと背中を叩いたら愛理が顔をあげて、降参寸前みたいな顔をしていた。
「愛理となら大丈夫、乗り越えられるよ。」
顔を近づけて、唇が触れる前に止まった。
顔が認識できるぎりぎりであたしは微笑んだ。
愛理は一瞬泣きそうになって、足りない距離を埋めた。
唇の表面が触れ、さらに近付くと唇の感触がはっきりする。
人間独特の、いや、唇特有の柔らかさは気持ちよくて溺れそうになる。
今までした中で一番丁寧なキスだった。
唇が離れるのが寂しくなって、切ない気持ちで離れると、愛理も同じことを思っているみたいだった。
長めの溜息は唇と似て艶やかだ。
心臓がこれから起こることに速まっていく。
愛理の手がすう、とあたしの首元におり、なぞりながら腕を回される。
同時にゆるやかに視線がのぼり、その黒目が潤んでいて、射抜かれたら腰が抜けそうになった。
あたしは予感する。
きっと今以上に愛理に夢中になる。
勘は鈍い方だけどこれは絶対に当たるだろう。
愛理の白い喉がこくりと動いて、唇が開き、愛理が宣告する。
「私、もう止まれないかも。」
いいよね、と確かめられて、答える前にはすでに押し倒されていた。
最終更新:2010年04月28日 18:32