あの撮影後も鈴木さんは、他の人と同じように私にも人懐っこい笑顔で接していたけれど、
ナキ子さんのように、休日に一緒に過ごして欲しいなどと馴れ馴れしく頼んだりすることもなく、
礼儀正しくてフォーマルな態度を崩さなかった。
仕事は完璧にこなすし、頭が良くて向上心もあって、
実に担当しがいのある、一緒に仕事をしやすい相手だった。
それでも時々、過密スケジュールの時やちょっとヘマをやってしまった時、
頭を撫でて欲しがる愛犬のように、縋るような甘えるような目で見ることがあって心がざわついたけれど、
私は、気づいてない風を装い続けた。
それが、彼女の目になのか、私のざわつく心になのかは、今となってはもうわからない。
鈴木さんの誕生日を過ぎて数日。
事務所には沢山のプレゼントが届いていた。
手紙や小さな物は日々持って帰れるけれど、誕生日のプレゼントとなると大きなものも多いから、
私が事務所の車に紙袋とダンボール箱に詰めたプレゼントを積み込んで、鈴木さんを自宅まで送っていくことになった。
紙袋をたくさん提げた鈴木さんが、不自由そうに自分で鍵を開ける。
同居なさっているお母さまは今日はいらっしゃらないらしい。
訊くと「今日はお稽古ごとがあるんで」と鈴木さん。
普通であれば「なんの?」などと会話を拡げるところなのだろうけれど、
プライベートに踏み込まないことにしている私は、それ以上の言葉は発しなかった。
部屋に入ってダンボールを置く。
鈴木さんが車に積んであるもう1箱を取りに行こうとするから、慌てて止める。
どこまでも折り目正しい子であることに感心するけれど、それはマネージャーの仕事だ。
もう1箱を持って部屋に戻ってくると、鈴木さんは伊達メガネと帽子だけ取って、床に座り込んでプレゼントを見ていた。
フローリングに広がった淡いピンクのフレアスカートが、可憐な花のように見える。
箱を側に置くと、鈴木さんがただの世間話のように訊く。
「矢島さんのそのメガネって、度が入ってるんですか?」
「え? あぁもちろん入ってますよ。私は変装する必要はないですし」
「強いんですか?」
「いえ、それほどでも。でも車の免許は裸眼だと取れません。0.4くらいかな? 」
「かけてみてもいいですか?」
メガネをかけない人がよく頼むことだ。
何も考えずに隣に座り、メガネを取って「どうぞ」と手渡したら、予想に反して鈴木さんは、
そのメガネをかけずにテーブルに置いて、私をじっと見た。
「やっぱり矢島さんってすごく美人」
「は?」
「メガネかけてても十分美人だけど、外したらすっごい美人なんだろうなってずっと思ってたんです」
0.4程度の視力があれば、しかもこの至近距離であれば、
今の鈴木さんがどんな表情をしているかはよく認識できる。
こんな顔は久しぶりに見た。
いや、初めて見たのかも知れない。
言葉を失っていると、鈴木さんがゆっくりと私に近づいてきた。
肩に手をかけられて、身体が強張る。
それを手に感じたのだろう、鈴木さんの顔が切なげになったと思った途端、
腕の力が強くなって、世界が反転する。
「ちょっ、鈴木さん!」
身を捩ろうとする私の両手首を掴んで床に押し付ける。
「ほんと、冷たいですよね、矢島さんって」
「そ、そんなこと」
「冷たいですよ。私の気持ち、ずっとずっと無視してるじゃないですか」
私を見下ろす鈴木さんの顔は、いつもの可愛い16歳のものではなかった。
欲望を持ったオトナの顔だった。
年の割に大人っぽい子が多い業界だけれども、鈴木さんはその中でも特に大人びた子で、末恐ろしいと思っていたのを、
こんな形で実感するなんて思ってもみなかった。
背中に感じるフローリングの硬さが落ち着かないけれど、
どうやらまくれ上がっているのだろう、タイトスカートの裾の方がもっと落ち着かない。
太ももが鈴木さんのそれと触れ合って、ぞわぞわする。
「分かってます、矢島さんにとって私は商品だって」
「それはっ!」
やっぱりその言葉はずっと鈴木さんに影を落としていたのだ。
「いいんです、本当のことだし」
あの時と同じ自嘲的な笑みに、あの時よりも胸が痛む。
「でも」
鈴木さんの目の光がもっと悲しげになるのに、もっと強くなる。
「モノにも心はあるんですよ?」
鈴木さんが目を閉じずに顔を近づけてくる。
もうすぐ唇が触れそうなところで彼女が瞼を落とすのを見た瞬間、
「ダメッ!」
顔を背けて彼女を突き飛ばした。
鈴木さんは非力だし、確かに私の方が遥かに力があるはずだ。
それにしてもあまりにも簡単に鈴木さんが離れて行ったことで、
彼女がそんなつもりは最初からなかったのではないかと訝る。
「やっと、ちゃんと拒んでくれた・・・・」
床に向かって呟いた言葉に、やはりそうだったんだ、と知る。
身を起こして、スカートを下ろしてむき出しの太ももを隠す。
鈴木さんを見ると、フレアスカートに覆われて、彼女の足は見えなかった。
自分がどこか残念な気持ちを抱いたことに、この時の私は気づかなかった。
「ごめんなさい・・・」
鈴木さんがまた床に向けて呟く。
初めて見た頼りなくて幼い雰囲気に、何かがこみ上げてくるのを感じる。
でもそれが形になる前に、鈴木さんが私の方を向いて言った。
「今の撤回します」
「え?」
「許してくれなくていいです」
このまま嫌っていてください、目がそう語っていた。
テーブルに行き、メガネを持って私の方に来て、それを差し出す。
物を手渡すのが可能な最大限の距離を取っていることが分かる。
「プレゼント、運んでくれてありがとうございました」
鈴木さんが言う。
いつもの私のような事務的な口調。目の粗いサンドペーパーで心臓を擦られているようだ。
自分が鈴木さんにしていた態度を省みさせる。
渡されたメガネをかけて、離れたところでプレゼントをまた見始めた鈴木さんを見つめる。
背中が「帰ってください」と言っていた。
床に糊付けしたかのように動かない体を、引き剥がすように立ち上がる。
「お疲れ様でした。また明日」
発した声が震えてしまった。できればそうならないようにしたかったのに。
その理由を、きっと鈴木さんは誤解するだろうから。
玄関のドアを開ける前にもう1度見た鈴木さんの背中は「帰らないで」と言っているようだった。
見なかったことにして、振り切るように外に出る。
扉の外で大きくため息をつく。
見えないけれど、聞こえないけれど、彼女が今泣いているであろうことははっきりわかった。
もう1度この扉を開けて部屋に入って行きたい衝動に駆られて気づく。
「ダメ」という言葉と「イヤ」という言葉の違いに。
聡い鈴木さんでも、きっと分かっていないだろう。
私は分かってしまった。
でも分かったところでどうなるというのだろう?
どうすればいいのだろう?
分かってしまったら分からないことが増えて途方に暮れる。
私は、その場になすすべもなく立ち尽くしていた。
最終更新:2010年05月19日 22:07