あんな縋るような目で見つめられたら、断りたくても断れない。
なき子さんにもよくあんなような目で見つめられるけど、別に断ろうと思えば断れるから、
それだけ鈴木さんは私の中で特別ってことなんだろう。
私が自覚するぐらいだから相当好きなんだと思う。
誰かを好きになるなんて久しぶりだった。
こんなに好きになるのは、きっと初めてだけど。
二人で鈴木さんの部屋に戻ると、鈴木さんは嬉しそうにベッドに腰掛けた。
睡眠を取ったことでだいぶ楽になったみたいだ。
さっきよりも元気そうな彼女を見て、私はほっと胸を撫で下ろした。
「そういえばスーツじゃ寝られませんよね」
「あぁ…。まぁ、大丈夫ですよ」
確かに少し窮屈だけど、シャツのまま寝てしまうことはよくあるし。
だから本当に軽い気持ちでそう言ったけど、鈴木さんはすぐに「ダメです!」と言い返してきた。
素早くベッドから降りると、タンスの中をガサガサと探し始めた。
「あの、本当に大丈夫ですから…」
「ダメです!それじゃあ疲れも取れませんよ」
少しだけ怒ったような表情で綺麗に畳まれたTシャツとジャージを突き出された。
そんな風に言われてしまって、私は苦笑いをすることしか出来なかった。
鈴木さんの言う通りだ。
明日の朝も早いんだし、お言葉に甘えるとしよう。
「じゃあ、お借りしますね」
「はい。たぶん、入ると思うんですけど…」
身長はそんなに変わらないし、Tシャツとジャージぐらいなら支障はないだろう。
私は「ありがとうございます」と言って、スーツのボタンに手をかけた。
「っ…あ、ちょ、ま、待って下さい!」
「はい?」
上着を脱ごうとしたところで、鈴木さんにすごい勢いで手を掴まれた。
どうしたんだろう。
心なしか、鈴木さんの顔が少し赤くなっている気がした。
「鈴木さん?」
「あ、いや、あの…」
「熱、上がったんじゃないですか?」
鈴木さんの額に右手を当てると、鈴木さんはまたすごい勢いで離れて行ってしまった。
ブンブンと首を横に振る鈴木さんの顔はやっぱり赤い。
もしかしたら熱が上がってきたのかもしれない。
早く着替えて、彼女を早く寝させないと。
「でも、顔が赤いですよ?」
「だ、だって…!」
「なんですか?」
「や、矢島さんが、ここ、で、着替えようとするから…っ」
「え…?」
全く意識していなかった。
普通なら女同士だから気にすることはない。
だけど、私たちはお互いに特別な感情を抱いている。
…そういえば、昼間は私が鈴木さんを着替えさせたんだった。
鈴木さんは体調を崩していたし、私も多少焦っていたから、あまり意識していなかったけど。
その時の鈴木さんの姿が頭を過ぎって、カッと顔が熱くなるのを感じた。
「あの、私、廊下で待ってますから」
「すいません。急いで着替えます」
「いえいえ!ご、ごゆっくり!」
そう言って、鈴木さんは妙な動きで慌しく部屋を出て行った。
それを確認してから、私は軽く右手を頬に当てた。
「あーもう…」
触れた右手に伝わる熱はすごく熱かった。
きっと耳まで赤くなっていると思う。
たぶん、昼間見た鈴木さんの白い肌や、汗をかいてしっとりとした感触を思い出したせいだ。
いくら焦っていたからといって、あの時何も思わなかった自分にびっくりする。
ジャージに着替えている間も、頭の中は鈴木さんのことでいっぱいだった。
それも、着替えさせている時の。
忘れようと思うのに、あの時の鈴木さんの姿が頭から離れない。
それでも彼女をいつまでも待たせるわけにはいかないので、ドアを開けて部屋に呼んだ。
「なんだか、ジャージ姿の矢島さんって新鮮です」
「いつもスーツですからね」
「あ、眼鏡…」
「寝る時は外しますから」
「あー…なるほど」
鈴木さんが私の顔をぼーっと見つめる。
鈴木さんの前で外すのは初めてだっけ。
そう思うと、少しだけ恥ずかしくなった。
人前で眼鏡を外すぐらい、なんてことないことなのに。
好きなんだなぁ、本当に。
一緒にいればいる程、それを実感させられる。
あと、彼女が私のことをどれぐらい想ってくれているかも。
それが痛いぐらいに伝わってくるから、胸が苦しくなる。
どうにかしたいと思う。
だけど、どうしたらいい?
「矢島さん?」
「っ…あ、はい?なんですか?」
「ボーっとしてましたけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ、すいません」
「いえ…。もう寝ますか?」
「そうですね…。鈴木さんもまだ熱が下がっていませんし」
その後、鈴木さんが部屋の真ん中に布団を用意してくれて、私はそこで寝ることになった。
ベッドで寝て下さいと言われたけど、丁重にお断りした。
鈴木さんは病人だし、私は布団を用意してもらえただけで十分だ。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい。朝になったら遠慮なく起こして下さい」
「わかりました」
これだけの距離があるのに、それでもやっぱり意識してしまう。
本当に断っておいて良かったと思う。
もしベッドを借りていたら、きっと朝まで寝付けなかったに違いない。
私はベッドに背を向けるように寝返りを打つと、静かに息を吐いた。
本当にこのままでいいんだろうか。
一体いつまで我慢すればいいんだろう。
いつまで我慢すれば、この苦しみから解放されるんだろう。
私が苦しいだけならいい。
でも、彼女は?
今日みたいに泣いたりしないだろうか。
もしかしたら、私が知らない間に何度も泣いていたのかもしれない。
…もしそうだとしたら?
このままでいることが、本当に彼女の為?
絶対に気持ちは伝えてはいけないと、そう思っていたし、そう信じていた。
その気持ちが、今初めて揺らいでしまった。
きっと、何をしても正解じゃない。
タレントである彼女にこんな気持ちを抱いてしまった時から、きっと。
今まで正しいと思っていたことが、今は全部間違っているように思えて仕方が無い。
どうしたらいいかわからない。
こんなのは初めてだった。
彼女に甘えてもいいんだろうか。
迷惑じゃないだろうか。
また一人で苦しませることにはならないだろうか。
結局、私は彼女を苦しませることしかできないのかな。
考えても考えても正解が見えない。
頭の中はぐるぐると渦回っていて、叫び出したいぐらいだった。
―ピピピピッ
気付いたら寝てしまっていたみたいだ。
携帯に手を伸ばしてアラーム音を止めると、ベッドの方からも人が動く気配がした。
まだ眠いけど、起きないわけにはいかない。
今から帰れば、シャワーぐらい浴びる時間はあるだろう。
「鈴木さん」
まだ疲れが取れきっていない身体を起こして、ベッドに向かって呼びかけた。
寝起きは悪いと聞いたことがある。
鈴木さんが起きる様子がないことを確認して、私は先に着替えてしまうことにした。
どうせちゃんと話せないだろうから、メモぐらい残しておこうかな。
一言だけ書いたメモをベッドサイドに置いてから、鈴木さんの身体を軽く叩いた。
起こすのは可哀相だけど、起きてもらわないと困る。
しばらく起こしていたら、ようやく彼女は返事をしてくれた。
「…あとごふん…」
「鍵だけ閉めてもらえれば、ゆっくり寝て頂いて結構ですから」
「うー…」
寝ぼけているのかもしれない。
こんな鈴木さんを見るのは初めてで、私は少しだけ笑ってしまった。
こうしてると、普通の女の子なのになぁ…。
普段の大人びた彼女からは想像できない姿で、なんだか微笑ましくなる。
ずっと見ていたいけど、私は仕事に行かなければならない。
「鈴木さん、起きて下さい」
「うーん…あれ…矢島さん…?」
「おはようございます。もう行きますから、鍵を閉めて下さい」
鈴木さんは目をこすりながら、少しだけ不機嫌そうな顔でベッドから降りた。
寝起きが悪いというのは、どうやら本当みたいだ。
玄関まで行くと、目が覚めたのかもう不機嫌そうな顔はしていなかった。
だけど、ずっと寂しそうな顔をしていた。
私だって寂しいけど、だからといって仕事に行かないわけにはいかない。
「じゃあ、今日はありがとうございました」
「お仕事、頑張って下さい」
「はい。鈴木さんもお大事に」
車に乗り込んでからも、頭の中は鈴木さんでいっぱいだった。
今伝えたいことはメモに残してきた。
本当に伝えたいことは、まだ、もうちょっと考えよう。
とりあえず今は、今日の仕事のことを考えないと。
彼女のことを振り払うように、私は勢いよく車のエンジンをかけた。
―また明日、元気な姿を見せて下さい。 矢島
最終更新:2010年11月01日 07:30