ぬえ

概要
昨今大会で活躍するアマチュアの高校生プレイヤー。
プレースタイルはやや可変的で、先折りGTRのほかにメリ土台や不機嫌系などを用いる。1000万TAで78分42秒48(史上3位)の自己ベストを持つなど、非常に高い平均飽和火力を武器に、速攻や連携を見据えた手札の多さを見せる。基本的には自分から動くことを得意とし、特に中盤で相手にお邪魔を降らせることに成功した後の追撃の速さ(いわゆるセメント力)には定評がある。
2023年11月、10先ルールで行われた黒飴 雫主催の「第7回ぷよくろ杯」(33人規模)にて、4回戦でれいわのゆんを10-3で下して初めてベスト4に進出。SAKIとの準決勝には3-10で敗れたが、3位決定戦でゆがるむを10-6で下し、3位を獲得した。
2024年1月の「第8回ぷよくろ杯」(38人規模)においても、3回戦でかき、4回戦でれたすを破って前回に引き続きベスト4進出を決めた。ヨダソウマとの準決勝では、中盤で相手を巧みに崩してリードを握り、追い上げてくる相手に本線勝負でも優位を見せて10-7で勝利。初の決勝進出を果たした。決勝ではスラさんに中盤で得意の攻めを連続で通して最大4本リードを得たが、相手も冷静な姿勢を崩さず、逆に判断の乱れが出るなどして6連取の逆転を許し、8-10で敗れて準優勝となった。
翌2月には、reoru主催の「第3回reoru杯」(59人規模)に出場し、3回戦でゆがるむ、4回戦であんを下して「第0回」以来2度目のベスト4進出を決めた。akinariとの準決勝(5先2セット)では、1セット目を落とすも、2セット目は本線寄りの姿勢を強め、16連鎖を放つなど5-2で取り返すと、最終セットも5-1で制して決勝にコマを進めた。ちゃるめらーとの決勝もフルセットとなり、最終セットでは巧みな連鎖尾リカバリを含む14連鎖を決めて先にリーチをかけたが、その後逆転を許して準優勝となった。
2024年1月の「第8回ぷよくろ杯」(38人規模)においても、3回戦でかき、4回戦でれたすを破って前回に引き続きベスト4進出を決めた。ヨダソウマとの準決勝では、中盤で相手を巧みに崩してリードを握り、追い上げてくる相手に本線勝負でも優位を見せて10-7で勝利。初の決勝進出を果たした。決勝ではスラさんに中盤で得意の攻めを連続で通して最大4本リードを得たが、相手も冷静な姿勢を崩さず、逆に判断の乱れが出るなどして6連取の逆転を許し、8-10で敗れて準優勝となった。
翌2月には、reoru主催の「第3回reoru杯」(59人規模)に出場し、3回戦でゆがるむ、4回戦であんを下して「第0回」以来2度目のベスト4進出を決めた。akinariとの準決勝(5先2セット)では、1セット目を落とすも、2セット目は本線寄りの姿勢を強め、16連鎖を放つなど5-2で取り返すと、最終セットも5-1で制して決勝にコマを進めた。ちゃるめらーとの決勝もフルセットとなり、最終セットでは巧みな連鎖尾リカバリを含む14連鎖を決めて先にリーチをかけたが、その後逆転を許して準優勝となった。
2024年3月、「第34回NINJACUPぷよぷよeスポーツ大会」(51人規模)に出場し、ダブルエリミネーション方式のウィナーズ側を勝ち上がり、勝者側準決勝にてALFを5-0で下してウィナーズ決勝に進んだ。ゆうきとの勝者側決勝(5先2セット)では、1セット先取され、2セット目も0-4から4連取の怒涛の追い上げを見せたものの及ばず4-5で敗れた。続く敗者側決勝ではゆがるむと対峙し、2セット連取で敗れて3位となった。
同月には、かっしー主催の「ぷよぷよeスポーツ中学生学年別最強決定戦」にて、08世代予選を1位通過したのち、本選ではカキ様を15-9で下して「08世代最強」の称号を手にした。さらに、08~10世代までの各世代を制した選手による総当たりでは、10世代のゆーまを15-5で下し、「中学生最強」の座をかけて09世代のゆがるむとの一戦に臨んだ。これを15-10で制し、中学生時代最後の年度末に「中学生最強」の座に輝いた。
同月には、かっしー主催の「ぷよぷよeスポーツ中学生学年別最強決定戦」にて、08世代予選を1位通過したのち、本選ではカキ様を15-9で下して「08世代最強」の称号を手にした。さらに、08~10世代までの各世代を制した選手による総当たりでは、10世代のゆーまを15-5で下し、「中学生最強」の座をかけて09世代のゆがるむとの一戦に臨んだ。これを15-10で制し、中学生時代最後の年度末に「中学生最強」の座に輝いた。
2024年10月、「10先トナメ #44」(61人規模)に出場すると、4回戦で最多優勝を誇るともくんを10-4で破って同大会初のベスト4進出。さらに準決勝でliveを10-8で下して決勝進出を決めた。初の決勝ではヨダソウマと対峙し、中盤戦で主導権を握っての6連取で差をつけると、10-5で勝利。オープントーナメントでの大会初優勝を達成した。
さらに同月、「第24回reoru杯」(56人規模)では、4回戦でゆうきを5-4で破って同大会5度目のベスト4に入ると、準決勝ではヨダソウマと全セット4-4の1先となる大接戦を演じた末にこれを競り勝って「第3回」以来2度目の決勝にコマを進めた。リッキーとの決勝もフルセットとなったが、最後は相手に流れを握られて2-5で敗れ、2度目の準優勝となった。
一方、2024年9月には、「新おいうリーグ」のチャレンジャー決定戦に出場。門番ぴぽにあに1度目は28-30と接戦に敗れたが、翌月の2度目の挑戦では最後に突き放して30-25で勝利。最上位プレイヤーが集うチャレンジャーリーグの出場権を得た。翌11月には、12名によるチャレンジャーリーグ(上位4名がS級進出)が行われ、Bグループに属すと、初戦はSAKIに30-28で勝利。のらすけ、ともくんには敗れたものの、ヨダソウマ戦では30-29、最終のゆうき戦も26-29から冷静な粘りを見せて4連取で30-29と逆転勝利。S級出場には届かなかったが、要所で勝負強さが光り、3勝2敗(-22)とややいびつな得失点ながら3位を収めた(残留)。
2025年1月には、「10先トナメ #51」(61人規模)にて、のくを下してベスト4に進出し、さらにユウとの準決勝を10-6で制して決勝進出。決勝ではゆうきと接戦を演じたが、9-10で一歩及ばず敗れて準優勝となった。
2024年度のポイントランキングでは、94ptのアマチュア11位を収めた(ただし、「プロ選抜大会」には不参加)。
さらに同月、「第24回reoru杯」(56人規模)では、4回戦でゆうきを5-4で破って同大会5度目のベスト4に入ると、準決勝ではヨダソウマと全セット4-4の1先となる大接戦を演じた末にこれを競り勝って「第3回」以来2度目の決勝にコマを進めた。リッキーとの決勝もフルセットとなったが、最後は相手に流れを握られて2-5で敗れ、2度目の準優勝となった。
一方、2024年9月には、「新おいうリーグ」のチャレンジャー決定戦に出場。門番ぴぽにあに1度目は28-30と接戦に敗れたが、翌月の2度目の挑戦では最後に突き放して30-25で勝利。最上位プレイヤーが集うチャレンジャーリーグの出場権を得た。翌11月には、12名によるチャレンジャーリーグ(上位4名がS級進出)が行われ、Bグループに属すと、初戦はSAKIに30-28で勝利。のらすけ、ともくんには敗れたものの、ヨダソウマ戦では30-29、最終のゆうき戦も26-29から冷静な粘りを見せて4連取で30-29と逆転勝利。S級出場には届かなかったが、要所で勝負強さが光り、3勝2敗(-22)とややいびつな得失点ながら3位を収めた(残留)。
2025年1月には、「10先トナメ #51」(61人規模)にて、のくを下してベスト4に進出し、さらにユウとの準決勝を10-6で制して決勝進出。決勝ではゆうきと接戦を演じたが、9-10で一歩及ばず敗れて準優勝となった。
2024年度のポイントランキングでは、94ptのアマチュア11位を収めた(ただし、「プロ選抜大会」には不参加)。
2025年3月、1000万TAにて81分25秒31(fiane、BCD、deltaに次ぐ4位(当時))の記録を出した。
さらに翌4月には、自己ベストを78分42秒78と更新し、史上3人目の78分台以下を記録した。
さらに翌4月には、自己ベストを78分42秒78と更新し、史上3人目の78分台以下を記録した。
エピソード
- 『ぷよぷよeスポーツ』に本格的に取り組む前には、DGC(デジタルカードゲーム)『メソロギア』を2022年8月頃まで嗜んでいた。2022年5月、6月はレート1位を取るなど、最上位を争うほどだった。
- 「メソロギアの考え方はぷよぷよに活かせている」、「メソロギアをやっていなければぷよぷよはもっと前に満足してやめていた」と語っている。
主な戦績
- 第7回ぷよくろ杯 3位
- 第8回ぷよくろ杯 準優勝
- ぷよぷよ子供会 #1 1位
- 第0回reoru杯 3位
- 第3回reoru杯 準優勝
- 第4回reoru杯 3位
- 2024年2月京大ぷよぷよサークルふぁいやーオンライン大会 4位
- 第34回NINJACUPぷよぷよeスポーツ大会 3位
- ぷよぷよeスポーツ中学生学年別最強決定戦 08世代優勝・総合優勝
- 第23回reoru杯 ベスト4
- 10先トナメ #44 優勝
- 第24回reoru杯 準優勝
- 10先トナメ #47 ベスト4
- 新おいうリーグ チャレンジャーリーグBグループ 3位
- くまぷよオンライン Vol.3 準優勝
- 10先トナメ #51 準優勝
- 第27回やみぷよ杯 ベスト4
チャンネル・SNS
Twitter:@nuepafe
生年
2008年