千葉聡(ちばさとし、seta)

概要
1997年の「第3回全日本ぷよマスターズ大会」の優勝者。
後に一時代を築くことになるミスケンと同郷・同世代のプレイヤーで、初期のライバルとして知られる。
1996年頃から兄とともにぷよぷよを始め、その後、近所に住むミスケンと対戦を重ねて不定形連鎖の研鑽を積んだ。その中で、凝視・催促などぷよぷよにおける基本戦術として定着していくことになる技術(中盤戦の概念の基礎)をともに発展させた。ぷよぷよのやり始めがミスケンより遅かったため、最初の対戦時は実力差が離れていたというが、ミスケンのプレーを模倣して急速な上達を見せ、100先でも僅差(97-100)とするほど互角の実力を持った。
1996年頃から兄とともにぷよぷよを始め、その後、近所に住むミスケンと対戦を重ねて不定形連鎖の研鑽を積んだ。その中で、凝視・催促などぷよぷよにおける基本戦術として定着していくことになる技術(中盤戦の概念の基礎)をともに発展させた。ぷよぷよのやり始めがミスケンより遅かったため、最初の対戦時は実力差が離れていたというが、ミスケンのプレーを模倣して急速な上達を見せ、100先でも僅差(97-100)とするほど互角の実力を持った。
1997年3月、当時15歳で、幕張メッセで行われ延べ3万人を動員した「第3回全日本ぷよマスターズ大会」に出場。当時の知名度は決して高くなかったが、その実力を知る者たちからはミスケンと並んで優勝候補と目されていた。
本選の64人に残ると、準々決勝ではミスケンと対決。これを破ってベスト4に進出した。その後、準決勝で山本裕太を2-0で破って決勝進出を決めた。
和田幸星との決勝戦(3先)では、得意の2ダブ速攻(「潰し」)と不定形を用いて2連取で王手をかけ、そこから2-2まで粘られるも最後は一方的に全消しを取って勝利。準決勝以降も対戦相手が階段積みで連鎖を組む中、一貫して不定形主体の柔軟な連鎖構築で優勝を果たした(3代目マスター)。
その後、当時のグランドマスターであった阿部シェゾお(阿部崇史)とグランドマスター決定戦に臨んだ。5本先取であったが、阿部が「見たこともない独特の積み」と語ったL字折り返しの不定形を主体にして先に4-3とリーチをかける。しかし、その後やや焦りが出て4-4の1先にもつれ込み、最終試合は終盤のハチイチ発火を見送ったことが仇となり、後打ち本線で優位を取ってはいたものの、乱戦の展開となって敗れた。グランドマスター奪取はならなかったものの、内容としては、階段積み全盛の1997年当時において飛びぬけて現代的な積み方や戦略で戦っており、映像を見た者に「未来人ではないか」との印象を与えるようなプレーを披露している。
本選の64人に残ると、準々決勝ではミスケンと対決。これを破ってベスト4に進出した。その後、準決勝で山本裕太を2-0で破って決勝進出を決めた。
和田幸星との決勝戦(3先)では、得意の2ダブ速攻(「潰し」)と不定形を用いて2連取で王手をかけ、そこから2-2まで粘られるも最後は一方的に全消しを取って勝利。準決勝以降も対戦相手が階段積みで連鎖を組む中、一貫して不定形主体の柔軟な連鎖構築で優勝を果たした(3代目マスター)。
その後、当時のグランドマスターであった阿部シェゾお(阿部崇史)とグランドマスター決定戦に臨んだ。5本先取であったが、阿部が「見たこともない独特の積み」と語ったL字折り返しの不定形を主体にして先に4-3とリーチをかける。しかし、その後やや焦りが出て4-4の1先にもつれ込み、最終試合は終盤のハチイチ発火を見送ったことが仇となり、後打ち本線で優位を取ってはいたものの、乱戦の展開となって敗れた。グランドマスター奪取はならなかったものの、内容としては、階段積み全盛の1997年当時において飛びぬけて現代的な積み方や戦略で戦っており、映像を見た者に「未来人ではないか」との印象を与えるようなプレーを披露している。

1998年3月には、「第4回全日本マスターズ大会」が中止となり、代わりに開催された「ミニミニマスターズ大会」に出場。下馬評では優勝が有力視され、決勝まで勝ち進んだが、宮山誠一郎に敗れて準優勝(キング)となった。
以降、大会などの表舞台には現れていない。
しかし、X-BANDで行われていた最初期のネット対戦では1000勝50敗という驚異の戦績を叩きだしていた。2000年代には、『ぷよぷよ2ch(2ぷよ)』にて「seta」のプレイヤー名で同様に9割越えの高勝率を誇るネットぷよの強者として知られた。
また、『ぷよぷよフィーバー』では「愛」のプレイヤー名を用いた。
しかし、X-BANDで行われていた最初期のネット対戦では1000勝50敗という驚異の戦績を叩きだしていた。2000年代には、『ぷよぷよ2ch(2ぷよ)』にて「seta」のプレイヤー名で同様に9割越えの高勝率を誇るネットぷよの強者として知られた。
また、『ぷよぷよフィーバー』では「愛」のプレイヤー名を用いた。
エピソード
- ミスケン曰く、シャイな人物で、見た目の印象とぷよのスタイルが一致していなかったという。
- 2000年、kuroro、ALF、山本裕太らが集まって遊んでいる場に居合わせ、プレステ版ぷよぷよ通でALFと連戦した。ブランクありながらも互角に戦い、見ていたkuroroはその中盤戦の強さに驚愕し、録画をすぐにくまちょむらに共有したという。
- 2010年にpopo(わんころ)が現れた際、当初語られていた「友人に教えてもらい兄とともに練習した」という経歴が千葉と類似するため、その正体なのではないかと囁かれた(実際は不明)。
主な戦績
- 第3回全日本ぷよマスターズ大会 優勝(マスター)
- ミニミニマスターズ大会 準優勝(キング)
生年
1981年