ニュータイプ(ガンダムシリーズ)

登録日:2011/03/28 Mon 22:20:27
更新日:2019/11/06 Wed 21:09:08
所要時間:約 19 分で読めます




ニュータイプとは、『機動戦士ガンダム』を始めとするガンダムシリーズに登場する概念。


【目次】



【概要】


提唱者はジオン共和国建国の父であるジオン・ズム・ダイクンで、『地球から巣立ち、宇宙に適応し変革を経た新人類』を指す。

宇宙が持つ「重力の影響を受けない活動領域」と「過酷な生活環境」という性質により、
人間の大脳皮質のなかの眠っていた大脳細胞が覚醒して、空間認識能力や周辺環境等への理解・識別能力が高まる。
そして、人々に互いの特性を誤解なく正しく認識して、不要な争いを防ぐことが可能となり、このような能力を手に入れるのも夢ではない。
宇宙という広大な領域を生活の場にしようと欲した時には、時空を乗り越える力を持たなければ生きられないとされた。

小説版ではジオン・ダイクンの演説も一部抜粋されている。

要は宇宙空間に進出した人類は、地球で過ごしていた時とは環境が違うんだから、
いずれ人類は宇宙という環境に適応して、また一歩進化するだろう、ということである。
このジオン・ダイクンのいう「ニュータイプ」は「スペースノイド」と同義で(もう少しいうと「スペースノイドのいつか訪れる素晴らしい未来」)、超人集団というニュアンスは無い。


【ニュータイプの登場】


U.C.0079年に起きた一年戦争を皮切りに、その言葉は非常に大きな意味を持つ事になる。

一介の民間人に過ぎないアムロ・レイがマニュアルを読みながらがむしゃらに連邦軍の新型MSガンダムを操縦して、ジオン軍のMSザクを2機撃破するという戦果を上げた。

アムロの存在は周囲の人々に「新人類」、すなわちニュータイプの存在を確信させる十分な根拠となった。
だが、その優れた識別・認識・理解の能力はパイロットとして極めて有用な才能でもあるため、「ニュータイプ=エースパイロット」という元来の言葉の意味からかけ離れた誤った認識を生む原因ともなる。

さらにジオン公国軍のフラナガン機関で行われていたNTの軍事利用に関する研究が拍車を駆ける。

NTは直感力や空間認識能力に優れ、人の心の機微を感じる能力に加え、「サイコ・ウェーブ」という特殊な脳波を発している。
この脳波は既存のレーダー技術と誘導兵器のすべてを否定したミノフスキー粒子による電波撹乱下においても阻害されず、
「ビット」のような遠隔操作兵装を始めとするNT専用機器「サイコミュ(サイコ・コミュニケーター)」を生み出す要因となった。

いつしか人々はニュータイプに対し、前述の「優れたパイロット」といった感じの認識となっていき、
ジオン・ズム・ダイクンが唱えた「人類の革新」とはほど遠い認識を持つようになっていったが、一方でアムロの様な存在をニュータイプと呼ぶことも誤りではない。
概念が異なるというだけである。
そして、明確なニュータイプ能力を持たない連邦政府の上層部はある懸念を抱き始める。

それは『ニュータイプという「新人類」によって「旧人類の現体制」が破壊される』という懸念。
いわゆる優生思想的な排他、旧人類の根絶の可能性であった。
事実、ニュータイプという言葉の浸透が進むに従って、ニュータイプと言われた者は能力を持たない現行の人類を「オールドタイプ」と呼称するなど、侮蔑な形でその言葉を用いていった。
パプテマス・シロッコハマーン・カーンほど露骨ではないだけで、この認識に関してはシャア・アズナブルも実は似たりよったりである。
ちなみにアムロも自身の経験からかニュータイプを人類の革新だと信じてはいるが、急ぐ(オールドタイプの根絶)必要はないとも思っているためこれには当てはまらない。


この危険性の象徴、あるいは具現したというべきものがギレン・ザビとも言える。
彼自身は超能力者的なニュータイプの存在は気にしていなかったものの、彼の政策はそれぞれ「ジオン国国民」を「ニュータイプ」、「連邦他その他の人間」を「オールドタイプ」に置き換えることが可能である。
そしてそんな彼が、その理屈で「ジオン国国民ではない人類を大虐殺し、五十億人を殺した」ことを鑑みると、この「優生思想的な観点で見たニュータイプ論」がいかに危険であるかは分かりやすいだろう。


EXAM、NT-Dなどの「NT排除兵器」に代表されるように、明確にニュータイプを抑止・駆逐しようという見解も出現した。

宇宙世紀元年には憲章条文に、宇宙に適応した新人類の発生が将来、認められた場合に参政権を保証する項目が記載されていたが、これはテロ事件によって失われてしまった。

また、普段の日常生活だけに生きて、ことさらな能力とは縁遠い大多数の人々にとってニュータイプとは縁遠い存在であり、
ジオン・ダイクンが提唱した人類の希望は、長い年月の間に消えていく一方となった。


【ニュータイプ論の分化】


一応ギレン・ザビは、「ニュータイプ」という言葉を二通りの意味で区別してとらえており
その意味ではジオン・ダイクンの提唱したニュータイプが何たるかを明確に理解していたといえる。
ただし、彼の頭脳と行動から考えると元々のニュータイプ論も方便だと思っていた可能性は高い。
なにせ提唱者であるジオン・ダイクンやそれを更に利用したデギンの認識もそうであるのだから。

デギン公王との対談で、ギレンはキシリアが主導する「ニュータイプ部隊」(≒超能力者の集まり)について「方便ですよ」「国民の戦意高揚のために必要なのです」と軽視する一方、
対談の最後で「人類は限界を超えました」「(戦争に勝ったうえで)真のニュータイプの開花を待ちましょう」と発言し、
ララァ・スンのような超人的な「ニュータイプ」ではない、宇宙移民者の未来の形としての「真のニュータイプ」の概念を一応は示唆していた。

レビル将軍も本編中で(「ニュータイプな、戦争なんぞせんですむ人間のことだ。超能力者のことではない!」)の様なことを話していて、区別して理解していた。

ストーリーは大幅に違うが、小説版「ガンダム」では特に掘り下げられている。

しかし、集団の長であるギレンやレビルが認識していた「『ニュータイプ』という言葉の『意味の区別』」だが、
彼らがその区別を周知しきれなかった……というよりはギレンは自分のために利用していただけなので、区別して広めるメリットはほぼない。
レビルもジオン・ダイクンの思想を理解しているだけであり、信じていたかは不明。尚且つ方便だと理解していた可能性も高く、彼としても区別して広めるメリットはほぼない。

ちなみにシャアも父はニュータイプという『方便』を使っていただけと理解していたとされ、懐疑的に見ていたのだが、
ララァの発見・その能力によって(父の言っていたこととは異なるが)NTの存在を確信し、自らもNTになることを望むようになっていったとされる。


そういった事情や超人的なニュータイプの目覚ましい戦果や研究が進むにつれ、
誤解や定義の曖昧さを招きながらもこちらの定義が急速に広まっていった。
そのようなことも重なり、ジオン・ダイクンの方便であるニュータイプ論は超人的なニュータイプの定義の方より早く衰退していくことになった。
これは世代的な違いとも言われる。


【ニュータイプへの覚醒】


作中で登場したシャアは地球であるていどの期間を過ごしてから宇宙に出ることでニュータイプとして覚醒を果たしたが、
ララァ・スンは地球で生まれ宇宙に出たことがなくても、ニュータイプの片鱗を見せていた。
アムロに関しても一時宇宙に居たものの、地球生まれでニュータイプの片鱗を見せ始めたのも地球に居た時からである。

このことから分かるように、素質そのものは誕生出自や地球・宇宙という環境には左右されないものと思われる。
また、ニュータイプだからと言って、人と完全に分かり合えたり、争いを回避出来るというものではない。
能力が強ければ相手の他人には知られたくなかった秘め事まで暴けるため、ニュータイプ能力がかえって争いを生む場合もある。
人と人の付き合いとはそんな単純かつ確実に正解に導けるものではないため、もともとが敵対関係であるならばニュータイプだろうが対立の回避は困難である。

もちろん、相手の心が読めたとしても、政治や権力、利権や闘争が絡むと、もはや理屈では解決できなくなる。
というか、相手のことを理解することと、対立を解決することは別の問題である。
さらにギレンがシャリア・ブルに対して釘を刺したように、「人の心を覗きすぎるのは、己の身を滅ぼすことになる」のだ。
ニュータイプの中でももっとも落ち着いていて、洞察力にも観察力にも長けるシャリア・ブルでさえ、人間同士の軋轢に翻弄されて死を選んだのがその証明であろう。


またニュータイプという言葉同様に、能力の発現者は若年者が多く、柔軟だったり純粋だからか子供であるほど目覚めやすい描写がなされている。
ほぼ全員がアムロと交信したホワイトベース隊の最終回の様子でも、最も幼いカツ・レツ・キッカが最も早くアムロを察知している。
原作時点でも1stのレビル将軍とシャリア・ブルのように老齢でもNT能力を見せている者もいちおうはいたが(シャリアは小説版だと二十八歳だったけど)。

しかしそうした若者は充分な社会経験がないまま能力に目覚め、結局その能力の使い方や節制の仕方、人間関係の円滑な取り方などがわからず、
周囲に軋轢を撒いたり、能力におぼれて傲慢になったり、特殊性癖をこじらせたりと暴走してしまうことが多かった。

危機意識の高まりで発露しやすくなるらしく、非常に強い心的重圧下にその身を置くと能力に目覚めやすい傾向にある。

つまり、「戦争」とある種の極限状況下は、NTに覚醒しやすく、そしてNT能力を生かしやすい状況であるとも言える。
事実これ以後も戦争によって覚醒、あるいは存在が確認されたNTは多く、世間がNT能力を戦争のための能力と誤解し、それが促進されてしまうのも不可避な流れだった。



【強化人間とNT専用機の台頭】


一年戦争中、そして戦争後、
連邦・ジオン双方共にニュータイプパイロットが単独で戦局を左右してしまいかねないほどの戦果を上げたことでNTの軍事的価値は高騰した。

アムロの残した戦果はRX-78の「ガンダム神話」同様にNT神話を産み、
戦時にあった軍部がその能力を利用、もしくは対抗しようとしたのは当然の事と言える。

そして連邦政府は(動機はどうであれ)宇宙移民の象徴たるNTを恐れることにも繋がり、アムロやホワイトベースのクルーに冷遇を強いた。


その一方でNTの軍事的利用価値は認め、オーガスタやムラサメ、ネオ・ジオンなどの研究所でNTを人工的に再現した「強化人間」の精製に着手する事になる。
強化人間とは、訓練や薬物投与により強制的にNT能力を引き出された人間である。
NT同様にサイコミュ兵器を操る事は出来るものの、研究途中ということもありその精神性は極めて不安定であり、フォウ・ムラサメのように軍に有利な記憶操作を施され利用される者も多い。
最初から非人道的な発想による計画である上に、兵器として利用するつもり=制御できなければ意味がないのでそこも非人道的な方法で制御したりと、とにかく外道な計画となった。
そしてなかなか安定はしなかったり計画途中で頓挫したりしたものの、パイロットとしての能力は凄まじいという一定の成果はあがっていた。

ニュータイプの研究と同時にサイコミュの性能向上や小型化が進むにつれて、MAやMSにサイコミュを付随した「NT専用機」が台頭。
パイロットの特性に加え、高い追従性、ファンネル等のサイコミュ兵器など量産機と比較して破格の性能を持った機体が多く、エース機=NT専用機という風潮を産み出した。
しかしNTは良くも悪くも互いに惹かれ合う性質のためか、戦場で同等、あるいはそれ以上のNTと戦う場面が多く、コスト相応の戦果を挙げたNT専用機は実は少ない。


第二次ネオ・ジオン抗争以降は大きな戦いが無く、ニュータイプと強化人間が表舞台に出てくることも無くなり、
軍縮が始まったのもあってNTや強化人間専用機は過去の遺物となってしまった。
U.C.0120年代ではニュータイプは「モビルスーツのスペシャリスト」というエースパイロットの俗称という一般認識になっていたが、
サイコミュ兵器が扱えるということや直感に優れるという認識で知っている人も残っている。
また、貴族主義を掲げたクロスボーン・バンガードではコスモ・クルス教団なる貴族主義+ニュータイプ主義の組織を立ち上げていたが、宇宙世紀133年を最後にその後の足跡は途絶えている。
U.C.0150年代でも30年前と同じ認識で残っており、やはり戦場で稀有な才能を示したウッソ・エヴィンをニュータイプだと指摘する人間も少なからずいた。
また、ザンスカール帝国ではサイコミュ搭載機の開発も行われ、いくつかは強化人間と共に戦場で活躍していた。


【NTとサイキッカー】


Vガンダム』の時代では、NTは『ガンダム』同様にただの『伝説』となっていた。
また同作品内では「サイキッカー」というNTに似た存在が登場している。

サイキッカーとNTは同一のものかと思われていたが、
クロスボーン・ガンダム』において、NTとサイキッカーは「似て非なるもの」とされている。

サイキッカーは病気を治す・遠く離れた場所からでも意思疎通・視覚共有などの従来のNTとは異なる超能力を持っている描写がなされている。
サイコ・ウェーブが読めるサイキッカーも登場している。

とは言えサイキッカーはニュータイプの上位互換というわけではなく、
作中の様子から優れたサイキッカーでも、必ずしもニュータイプのように他者への洞察力が優れているわけではない可能性も高い。
またサイキッカーとニュータイプ両方の素養を持つものもいる。
まさしく「似て非なるもの」と思われる。


【NT能力】


「NT能力=互いにわかりあえ、争わずにすむ」ということも幻想レベルの考えでしかない。
実際のNT能力者はその感受性の強さも相まって人の思念にあてられたり、
逆に他人の内面にずけずけと入り込んで相手のプライベートや隠したかった想いを無遠慮に暴いたために「わかられることを拒否される」ケースがあった。
そもそも戦時中という、すでに争いが起こっている環境下で、覚醒や意思疎通を果たすことが多いので、
上手くいっても戸惑いが生じる程度であり、争わずに済むなんてことは基本的に不可能であった。現実は厳しいのである。

例えばララァとアムロは分かり合えたが、殺し合うことはやめられず、
そして逆シャア時点ではララァとアムロの考えがあの頃から変わっているのでアレになったり(特にララァ側)、
アムロとシャアは初代ラストで分かり合えた部分も多く、Zガンダム時代の様に何事も無ければアムロとシャアは仲間になることもありえたが、
シャア側がアムロへの対抗心を燃やしてしまったのとNTに夢見過ぎなことからとてつもない事を企てて実行したので、結局激しく敵対している。

逆シャアに登場するクェス・パラヤのように、ニュータイプ能力は高いが故にその才能をマシーンのように利用された挙げ句、
最終的に隣人愛に目覚めハサウェイ・ノアを身を挺して庇ったものの、悲劇的な末路を迎えた者もいる。
ついでにクェスは能力におぼれて傲慢になり、シャアの触れられたくない分野(ララァ関連)に土足で踏み込んだためにニュータイプうんぬんよりも人間として嫌われ
道具扱い=柔らかく拒絶されるようになった。

シャリア・ブルはNT能力がありコミュニケーション能力も高かったが、自身の生真面目な性格と立場の板挟みに遭い、戦場に出て戦死することとなった。
そしてこれはシャアの思惑も絡んでいる。


この具体例から、NT能力とは情報伝達の一手段に過ぎず、人格や発言や行動などの『普通のコミュニケーション能力』のほうが重要であることが分かる。
見方を変えると、コロニー落としやら隕石落としなどの虐殺を正当化してしまう能力(洗脳)ではないので、ある意味良かったと言えるかもしれない。




【ミノフスキー粒子との関係】


未だ詳細は不明だが『ミノフスキー粒子』はサイコ・ウェーブの伝播を助ける作用があるとされる。
また、サイコ・ウェーブによってミノフスキー粒子自体もその特性を変化させる事があり、「作中で起きた不可思議な現象はこの特性によるもの」という説もある。

Ζガンダムが発揮した「身体を通して出る力」、ΖΖガンダムの「限界を超えたハイメガ粒子砲」、
ユニコーンガンダムデストロイモードの「機体から放たれる燐光(と、その色の変化)」や「ビームトンファーの巨大化」は、
それぞれバイオセンサー、サイコフレーム等のサイコミュ機器とミノフスキー粒子が反応した結果とされている。

これが特に顕著に現れたのが前述の『逆襲のシャア』における地球重力圏からのアクシズの離脱。
これはアムロとシャアの強いNT能力と人々の意志が感応し、巨大なミノフスキー・バリアを作り上げた為という説がある。


なおこの時期を境にサイコフレームなどの精神感応素材の管理と情報統制が厳重な物となり、表向きには製造が禁止された。
しかし技術革新によるものか、NT能力に近づいたのか、
『Vガンダム』の時代にはミノフスキー粒子を使った通信『ミノフスキー・コントロール』がゾロシリーズ(MS)に使われている。


【宇宙世紀以外のNT】

ニュータイプという言葉が登場する上に重要なワードとなっており、一般的には「人類の新しい革新」など明確に定義されている。
しかしながら、宇宙世紀と似た経緯から戦争や政治のための道具として扱われているため、プロパガンダの道具でしかなかったり、
フラッシュシステム(宇宙世紀でいうサイコミュ兵器に近いもの)を操作出来る者がNTとして重要視されており、そのことが物語に大きな影響を与えている。
NT能力だけでなく、未来予知・双子で距離関係なく意思疎通などの、宇宙世紀でいうところのサイキッカーに当たる能力も登場している。
さらにニュータイプの能力を持つイルカが登場した事から、人間固有のものではないことが分かる。

最後にガンダムXの世界におけるファーストNTである「D.O.M.E」が語った事には、
「たまたま超能力を持っていた人間をNTという価値観概念に仕立てあげたに過ぎない」とし、超能力と人類の革新は別であるという真実が明かされた。
また作中世界においてカテゴリーFと呼称され差別された超能力者達もNT能力者も、くくりとしては等しく、ただの超能力者に過ぎないという事になる。
そしてNTを利用しようとした各勢力は色々あって滅んでしまい、NTであるために狙われ続けてきたティファ・アディールはもちろん、
善良なジャミル・ニート、ランスロー・ダーウェルたちですらも『ニュータイプという言葉』に囚われるのは卒業しようという作風になっている。
これは宇宙世紀におけるニュータイプ論への解答とも受け取れる内容になっている。

なお、ときた漫画版ではシナリオ初期稿の設定であるためかD.O.M.E.の消滅=NT能力者の能力そのものの喪失というふうに書かれているが、
これはアニメ本編とは違う(前述の通りシナリオ初期稿での設定と思われる)。


NTと同じく「革新した人類」として、イノベイターという存在が描かれている。
変革した者は細胞の変異により常人の倍ほどの寿命を得るほか、高レベルの脳量子波によりNTと同じく超人的な反射神経や未来予知といっても差し支えない的中率の直感、
相手の心を感じ取り、同じく高レベルの脳量子波を持つモノとテレパシーのような形で対話できる能力を得る*1
変革できるかどうかは個人差などがあるようだが、GN粒子を多く浴びる環境下にあれば変革しやすくなるという。

提唱者のイオリア・シュヘンベルグが睨んだ通り、イノベイターは(特にGN粒子が存在する空間ならば)「他者と誤解なく分かり合う」ことを可能とする存在であり、
実際、二期では人類初のイノベイターに変革した刹那・F・セイエイとその乗機・ダブルオーライザーが展開したトランザムバースト*2により、
誤解によってすれ違っていた登場人物たちがお互いや故人の真意を悟って和解することに成功しているが、あくまで互いに「分かり合おう」とする意識があることが前提条件であるため、
突然変革した自身の身の振り方に悩み、自分の殻に閉じこもってしまった劇場版序盤の刹那は仲間内で孤立し、
始めからELSを『敵』だと決めつけた*3デカルト・シャーマンは、地球人類に助けを求めるELSの脳量子波による『叫び』の内容を理解できず、
ただ「頭に響く不快な叫び声」を出す存在としてELSに激しく攻撃を仕掛けている等、
ただイノベイターに変革すればそれだけで他者と容易に分かり合えるわけではない、相互理解の難しさも描かれている。


作中でしばしばNT的な描写をされている能力として「Xラウンダー」があり、Xラウンダー同士の感応やサイコミュ兵器の操作など、明らかにNTを意識して作られている。
しかしその実態は獣が本来持っていた本能が覚醒して先祖返りした人間とされ、作中ではむしろ人間としては退化であるとされている。
すなわち、宇宙に適応するなどの「進化」したNTとは根本的に正反対の概念といえる。
ただしこれは作中のとあるキャラによる一説に過ぎないため、本当かどうかは不明。



【宇宙世紀以外の類似例】


本作におけるガンダムファイターは作中において「拳を通して互いの心を理解することができる」存在である事が語られており、NTのメタファーだと見ることも出来る。
そう考えるとGガンダムの最終回はNTの主人公とOTのヒロインを通してUCガンダムで提起されてきた問題に独自の回答を示したと見ることも出来る。
ただし本作にはそもそもニュータイプという概念がなく、物語の展開もその場の勢い任せなところが良くも悪くも多く、*4
宇宙世紀でのサイコミュ兵器にあたる『ローゼスビット』などはあるが、それもニュータイプとは言及されなかったりと、そこまで関連付けするものでもないと思われる。

カトル・ラバーバ・ウィナーが「宇宙の心」を感じて離れた人物の痛みを感知するなど、ニュータイプと言う言葉は出ないがそれに類するものとして描かれている。
初期稿や漫画版ではゼクス・マーキスがNTという設定があったが放送時にはNTのない世界観となった。
NTの代わりに各種センサーや演算結果をパイロットの脳に送りつけることで空間認識の向上など他作品の(軍事利用としての)NTに似た特性を持たせるゼロシステム(新機動戦記ガンダムW)が登場。
ただし理解し合うNTとは程遠い兵器であり、結果的にシステム使用者を廃人にしたり暴走させたり、コミュニケーションではなくシステム使用者の未来予知のためだけ(あるいはそれに打ち勝つ精神修行)のシステムになっている。
どちらかというとこれは宇宙世紀における強化人間のそれに近い。
分析結果が脳に伝わると感覚として認識されるためか、応用したシステムを用いたカトルとドロシー・カタロニアはNTの感応に似た現象を起こしている。


オールレンジ攻撃であるドラグーン・システムを使うには「高い空間認識能力」が必要という設定がある。
ただしそれは操作が難しいというだけで特殊な脳波を発信しているわけではなく、通信はパイロットの脳波ではなくシステム側の量子通信で行われる。
空間認識能力の高いパイロットたちは既知の相手ならば何となくお互いに感知出来るというNT的な描写もある。
宇宙世紀のNTと異なり、空間認識能力が高いからといって魂を感知できるわけではなく、ほかにもビームを弾いたり魂がビームを強めたり敵機を停止させたり出来るわけではない模様。

ファーストコーディネイターのジョージ・グレンは「遺伝子を調整した」意味と思われがちなコーディネイターを「やがて生まれる新人類との関係を調整する」意味だと語っており、
こちらはジオン・ダイグンのニュータイプ論に近い扱いである。
その新人類へ進化しうる因子「SEED」という概念も存在している。ちなみに前述の空間認識能力とは関係がない。
コーディネイターだから空間認識能力が高いと言うわけではなく、基本的には個々人の素質によるものである。
いちおう空間認識能力を高める調整を施したコーディネイターも存在し得る。実際スーパーコーディネイターであるキラ・ヤマトは空間認識能力にも長けている。

この作品ではΖガンダムの年代の連邦軍がニュータイプを恐れていたように、
コーディネイターとナチュラル(宇宙世紀でいうNTとOT)がお互いへの恐怖論のような形で戦争が悪化し続けており、
どちらも同じ人間であることを描きながらも、その違いを強調することの愚かしさも強く描かれている。


【余談】


メタなことを言えば製作者の息子とはいえ個人所有でもない軍の予算で作られた最新鋭兵器を一介の民間人が放送終了まで使い続ける異常事態を合理化するための設定である。

ガンダムの産みの親である富野由悠季氏は1stの中盤以降この設定を疎ましく感じ、以降では作中のNT能力者に対して否定的と言える発言が目立つ。
その理由の一つとして当時SF作家達から「(NTは)言葉を摩り替えているだけで、実質は既存のSF作品で描写されている超人類の類と大差は無い」という指摘を受けたという事がある。
この指摘は至極もっともであり、富野氏は提唱者として否定しなければならないという気持ちに囚われてしまい(作品が成立しなくなるわけではないのだが)、鬱・ノイローゼを引き起こす事となった。
∀ガンダムのころまでの富野氏の関わったガンダム作品には、この気持ちが少なからず作風に関わっていると言われている。


ガンダムから離れたりして気持ちが落ち着けたのか、その後の『機動戦士Ζガンダム A New Translation』(新訳Ζ)において、NTの神髄は「隣人愛」にあると結論を下し、
NT能力の申し子であるカミーユ・ビダンを肯定的に見れるようになった。


また、超能力要素は当然として、ビームを弾いたり機体を停止させるような説明がつけられないオカルト的なその描写から
リアル的な描写を好む人々からは敬遠されることもあり、NTの登場しない外伝系を好む人々が多い一因ともなっている。
これは制作側とて例外ではなく、0083のプロデューサー・植田益朗氏は「便利な超能力者を出すと作劇上安易に使われがち」という理由で、
富野氏の「ニュータイプ、ちゃんとやってよ」というリクエストを蹴っている。
が、近年では外伝系にもニュータイプを主軸に扱った作品が増えて……というか増えすぎており、特に福井ガンダムでスーパーロボットの領域まで突っ込むインフレを引き起こしていることもあって、
それまでニュータイプに対して比較的肯定的だったガノタでも「もうニュータイプはいいよ」という風潮があったりするとか。




「い、今、冥殿が言った。wiki篭りは、追記・修正する道具ではないって」
「アニヲタwikiでは強力な武器になる。やむをえん事だ」
「貴様だって、wiki篭りだろうに!」

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