ニュータイプ(ガンダムシリーズ)

登録日:2011/03/28 Mon 22:20:27
更新日:2025/10/10 Fri 20:27:45NEW!
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ニュータイプ(NT)とは、『機動戦士ガンダム』を始めとするガンダムシリーズに登場する概念。



【概要】

提唱者はジオン共和国建国の父であるジオン・ズム・ダイクンで、地球から巣立ち、宇宙に適応し変革を経た新人類』を指す。

小説版『機動戦士ガンダム』ではジオン・ダイクンの演説も一部抜粋されており、
「宇宙空間に進出した人類は、地球で暮らしていた頃とは環境が違ってくるのだから、いずれ人類は宇宙という環境に適応して、また一歩進化するだろう」
という考えの下に定義された言葉である。
ちなみにジオン・ダイクンのいう「ニュータイプ」は「スペースノイド」と同義。
上述のような、ある種の「特殊能力・超能力を開花させた超人集団」というニュアンスはなかったのだが、
彼らがちょうどニュータイプ論に当てはまるように見えたので「これはニュータイプだ」ということになった。

より理屈的に述べると、宇宙が持つ「重力の影響を受けない活動領域」と「過酷な生活環境」という性質により、
人間の大脳皮質のなかの眠っていた大脳細胞が覚醒して、空間認識能力や周辺環境等への理解・識別能力が高まる。
簡単にいうと、これまで人類が生きてきた領域よりはるかに広大な宇宙での環境に合わせて、より遠くにいる相手を見つけられるように拡大した感覚、能力のこと。
SF作品でもたまに見られる「普段30%しか使用されていない人間の脳の残り70%を解放すると超常的な能力を発現する」という類の能力だと思ってもらえばいいだろう*1
人類の順応性が高いのか、ニュータイプが続々と誕生(変化)し、さらにニュータイプの存在が認識されてから僅か数年という短さで解析されたのか、
同種の感覚、認識能力を後天的に高められた強化人間という存在も誕生した。

上述のようにニュータイプは本来、生物として宇宙空間での認識能力を拡大させた人間、
要するに空間把握能力とマルチタスク能力がスゴイ!)……というものであったはずなのだが、
その相手を特定するために感知する対象に、相手の思考や霊魂(死念)としか呼べないような領域をも含まれることが報告されている。
この為、ニュータイプ同士は度々距離や障害を無視したような対話、繋がりを持てると主張・報告をされることもある。
つまり、この能力をによって人々は互いの特性を誤解なく認識させ、不要な争いを防ぐことが可能となる。
つまりニュータイプは直感力に優れるし、エスパーみたいになれる(そうでもなければ逆に不可解な場面が多数)ということ*2

そして、これらを理由として、
「宇宙に出ればニュータイプになれる」
「宇宙という広大な領域を生活の場にしようと欲した時には、時空を乗り越える力を持たなければ生きられない」
「宇宙に出れば人類は不要な争いをせずにすむ」
「ニュータイプ同士の相互理解は戦争をこの世からなくす」
などというのがニュータイプ主義ともいうべきものである。
……この時点でも既におかしいと思ったあなたは間違っていない。

しかしながら具体的には後述するが「地球生まれのニュータイプも自然に誕生している上、人為的に付与された強化人間はNT論的にどうなの?」という話にもなり、
そもそも環境だけ整えたって個人差が大きいし*3、スペースノイドだろうがニュータイプだろうがアースノイドと同じような理由で争っているし自然破壊や虐殺だってするという話に落ち着く辺り、
“ニュータイプ論”は破綻していることを示している。


【ニュータイプの登場】

U.C.0079年に起きた一年戦争を皮切りに、その言葉は非常に大きな意味を持つ事になる。

機械関係の知識こそあれ、本来一介の民間人に過ぎなかったアムロ・レイが偶然地球連邦軍の新型MS・ガンダムに乗り込み、
マニュアルを読みながらがむしゃらに操縦して、訓練を積んだパイロットが操縦するジオン公国軍のMS・ザクⅡを2機撃破するという戦果を上げた。

アムロの存在は周囲の人々に「新人類」……即ちニュータイプの存在を確信させる十分な根拠となった。
だが、その優れた識別・認識・理解の能力はパイロットとして極めて有用な才能でもあるため、
「ニュータイプ=エースパイロット」という、元来の言葉の意味からかけ離れた誤った認識を生む原因ともなる。

さらに、ジオン軍のフラナガン機関で行われていたNTの軍事利用に関する研究が拍車を駆ける。
NTは直感力や空間認識能力に優れ、人の心の機微を感じる能力に加えて「サイコ・ウェーブ」という特殊な脳波を発している。
この脳波は既存のレーダー技術と誘導兵器のすべてを否定したミノフスキー粒子による電波撹乱下においても阻害されず、
ビット」のような遠隔操作兵装を始めとするNT専用機器「サイコミュ(サイコ・コミュニケーター)」を生み出す要因となった。

いつしか人々の間には「ニュータイプ」という言葉は本来の「宇宙に上がって進化・適応した人類」という定義ではなく、
「優れたパイロット」、「超能力者」、「怪物」という認識で広まっていき、
ニュータイプという言葉の浸透が進むに従って、ニュータイプと呼ばれた者達は、
自分達のような能力を持たない現行の人類を「オールドタイプ(OT)」と呼称し、侮蔑な意味合いでその言葉を用いていった。
オールドタイプの側も「ララァ・スンのようなニュータイプがいるなら、我々凡俗などは必要なくなりますなあ」と憎々しげに吐き捨てる場面があった。
ちなみにこれはニュータイプという言葉が出てすぐの時期である。
この様にジオン・ダイクンが唱えた「人類の革新」とはほど遠い意味合いを持つようになっていったが、
一方でアムロのような存在を「ニュータイプ」と呼ぶことは誤りではなく、概念が異なるというだけである。

そして、明確なニュータイプ能力を持たない連邦政府の上層部はある懸念を抱き始める。
それは『ニュータイプという「新人類」によって「旧人類の現体制」が破壊される』という懸念……いわゆる優生学による排他、旧人類の根絶の可能性であった。

この危険性の象徴、あるいは具現したというべきものがギレン・ザビシャア・アズナブルとも言える。
ギレン自身は超能力者的なニュータイプの存在は気にしていなかったものの、彼の政策はそれぞれ「ジオン国国民」を「ニュータイプ」、
「連邦他その他の人間」を「オールドタイプ」に置き換えることが可能である。
そしてそんな彼が、(理由は複数あるとされるが)「ジオン国国民ではない人類を大虐殺し、50億人を殺した」ことを鑑みると、この考えがいかに危険であるかは分かりやすいだろう。

シャアが『逆襲のシャア』でネオ・ジオン軍を率いて行った虐殺やアクシズ落としも、複数の理由の下行われているが、
その中になるべく多くの人類を宇宙進出させて強制的にニュータイプにさせたい*4という理由も(一応)含まれているため、
思想は異なるものの、シャアもまた優生学的に見ればギレン、上述のオールドタイプ論に関してはパプテマス・シロッコハマーン・カーンほど露骨ではないだけで、
彼らと似たり寄ったり(行動から逆算するとむしろ彼らよりも過激派)だと言える。
ちなみにアムロも自身の経験からかニュータイプを人類の革新だと信じてはいるが、
だからといって(オールドタイプの根絶を)急ぐ必要はないとも思っているため、これには当てはまらない。


一方でEXAMシステム、NT-Dなどの「NT排除兵器」に代表されるように、明確にニュータイプを抑止・駆逐しようという主張も年々強まり、
その執念を体現しているかのように、実際に「NT-D」を発動したユニコーンガンダムと対峙した強化人間のマリーダ・クルスは、そこから「強烈な否定の意思」を感じ取り、
パイロットのバナージ・リンクスが操縦しているとは思えないほどの、ユニコーンの執拗な攻撃に晒されている。

余談だが、宇宙世紀元年には憲章条文に「宇宙に適応した新人類の発生が将来認められた場合に、その者達を優先的に政府運営に参画させる項目」が記載されていた。
しかし、これはテロ事件によって失われたが、失われていなかったらそれはそれで争いが起きていたことが予想される上、実際それが『ラプラスの箱』となった大本の原因である*5
……というよりも、こんなとんでも条文*6をリカルド・マーセナスが許したらしいことがそもそもよく分からない。

また、普段の日常生活だけに生きて、ことさらな能力とは縁遠い大多数の人々にとってニュータイプとは縁遠い存在であり、
ジオン・ダイクンが提唱した人類の希望は、長い年月の間に消えていく一方となった。


【ニュータイプ論の分化】

一応、ギレンは「ニュータイプ」という言葉を二通りの意味で区別してとらえており
その意味ではジオン・ダイクンの提唱したニュータイプが何たるかを明確に理解していたといえる。
ただし、彼の頭脳と行動から考えると元々のニュータイプ論も方便だと思っていた可能性は高い。
なにせ提唱者であるジオン・ダイクンや、それをさらに利用したデギン・ソド・ザビの認識もそうであるのだから。

デギン公王との対談で、ギレンはキシリア・ザビが主導する「ニュータイプ部隊」(≒超能力者の集まり)について「方便ですよ」「国民の戦意高揚のために必要なのです」と軽視する一方、
対談の最後で「人類は限界を超えました」「(戦争に勝ったうえで)真のニュータイプの開花を待ちましょう」と発言し、
ララァのような超人的な「ニュータイプ」ではない、宇宙移民者の未来の形としての「元々のニュータイプ」の概念を一応は示唆していた。

レビル将軍も本編中で「ニュータイプとは、戦争なんぞせんですむ人間のことだ。超能力者のことではない!」ということを話しており、区別して理解していた。

ストーリーは大幅に違うが、小説版『ガンダム』では特に掘り下げられている。


このダイクン流ニュータイプ論をより深く理解していたと思えるのがジャミトフ・ハイマン
彼は小説版にて「人は、意思と感性の狭隘さを突破するだけで、ニュータイプになり得る」と語っていた。
つまりカミーユ・ビダンのような超能力などなくても、それどころか宇宙環境にわざわざ移住なんかしなくとも、意識の持ちよう次第で人類は新段階に進めるということである。
ニュータイプ能力に関しても『根本的には人間が仲間、特に番となる異性と連携する為に種として元々持っている能力』と理解しており、
個人差は有るにしても、個々人の意識の持ち様や修養で活用出来るとの意見である。
実際、ジャミトフはシロッコがサラを自分の第二のセンサーだの言っているのを聞いている前で、
「単なる相思相愛のカップルだよ、若造。番として認めた異性と連携する能力なんて人間、昔から持っている。」と内心で本人達以上に正しい論評を下している。
TV版ΖΖでのエル・ビアンノもジャミトフと同じく「ニュータイプ能力と呼ばれているものは人間が種として持っている潜在能力」との主張を述べている。

もっとも、当のジャミトフ自身の思想はニュータイプ論とは全く無関係…と言うより、
『人間が本来持っている能力を上手く使えるだけで、宇宙移民時代には有益性が増す』と人類の新段階でも何でもないと思っている。
彼の本来の目標は「全人類の宇宙移民(それでも地球に残留するものは経済的に滅ぼす)」で、ここだけ見るとシャア流ニュータイプ論のようであるが、
そうすることで求める最終目標は「地球環境の保全・回復を果たすこと」であり、ニュータイプ論の最終目標「宇宙移民により人類を新しい段階に進めること」というものではない。
それにジャミトフも他者に理解してもらいたいという意志など全く持っておらず、要は彼はニュータイプ論をより理解しているだけの別の思想の持ち主であり、そもそもニュータイプ論者ではない。
例えて言えば、キリスト教に詳しい仏教徒(どれほどキリスト教に対して深く理解しても、本来の思想は仏教)というべきか。

しかし、集団の長であるギレンやレビル、ジャミトフが認識していた「『ニュータイプ』という言葉の『意味の区別』」だが、
彼らがその区別を周知しきれなかった……というよりはギレンは自分のために利用していただけなので、区別して広めるメリットはほぼない。
レビルもジオン・ダイクンの思想を理解しているだけで、信じていたかは不明であり、なおかつ方便だと理解していた可能性も高く、彼としても区別して広めるメリットはほぼない。
ジャミトフが終生語らなかった理由も「語ったところで別に意味がない」の言うのが大きいだろう。
つまり、あまり意味のない話である。

極論、ライラ・ミラ・ライラがカミーユに殺される瞬間に理解した、
「傑出した能力や才能を持つ相手と対峙した時に、本能的に反感や敵意を向けるのがオールドタイプ、この人はそういう人と素直に受け入れられるのがニュータイプ」
という見解に従うなら、ニュータイプが社会の主流になれば確かに争いは減るだろうし、適材適所も行いやすくなる。
まあ、優れた相手に惚れ込んだ挙句にヤンデレ化するパターンもあり得るし、
より深く理解することで気遣いや思想なども暴かれてより深刻に対立もしやすくなりそうなど、争い皆無にはならないだろうが……。
実際に類まれなほどNT能力の高いカミーユ・シロッコ・ハマーン達は立場の違いだけというには極短期間の因縁で凄まじく対立している*7*8

ちなみにシャアも父はニュータイプという『方便』を使っていただけと理解していたとされ、懐疑的に見ていたのだが、
ララァの発見・その能力によって(父の言っていたこととは異なるが)NTの存在を確信し、自らもNTになることを望むようになっていったとされる。

そういった事情や超人的なニュータイプの目覚ましい戦果や研究が進むにつれ、誤解や定義の曖昧さを招きながらもこちらの定義が急速に広まっていった。
そのようなことも重なり、ジオン・ダイクンの方便であるニュータイプ論は超人的なニュータイプの定義の方より早く衰退していくことになった。
これは世代的な違いとも言われる。


【ニュータイプへの覚醒】

シャアは地球である程度の期間を過ごしてから宇宙に出ることでニュータイプとして覚醒を果たしたが、
ララァは地球で生まれ、宇宙に出たことがなくてもニュータイプになっていた(宇宙に出て更に戦争に参加したのはニュータイプだと確信したシャアが連れ出したため)。
アムロに関しても一時宇宙にいたものの、地球生まれでニュータイプの片鱗を見せ始めたのも地球にいた時からである。

このことから分かるように、素質そのものは誕生出自や地球・宇宙という環境には左右されないものと思われる。
また、ニュータイプだからと言って、人と完全に分かり合えたり、争いを回避出来るというものではない。
能力が強ければ相手の他人には知られたくなかった秘め事まで暴けるため、ニュータイプ能力がかえって争いを生む場合もある。
人と人の付き合いとはそんな単純かつ確実に正解に導けるものではないため、もともとが敵対関係であるならばニュータイプだろうが対立の回避は困難である。


もちろん、相手の心が読めたとしても、政治や権力・利権や闘争が絡むと、もはや理屈では解決できなくなる。
そもそも、相手について理解することと、対立を解決することは別の問題である。
さらにギレンがシャリア・ブルに対して釘を刺したように、人の心を覗きすぎるのは、己の身を滅ぼすことになるのだ。
ニュータイプの中でも最も落ち着いていて、洞察力にも観察力にも長けるシャリアでさえ、人間同士の軋轢に翻弄されて死を選んだのがその証明であろう。

またニュータイプという言葉同様に、能力の発現者は若年者が多く、柔軟だったり純粋だからか子供であるほど目覚めやすい描写がなされている。
ア・バオア・クーから脱出した直後の、ほぼ全員がアムロと交信したホワイトベース隊の様子からも、
この時点で最も幼かったカツ・レツ・キッカが最も早くアムロを察知している。
原作時点でも『1st』のレビルとシャリアのように老齢でもNT能力を見せている者も一応はいたが。

しかし、そうした若者は充分な社会経験がないまま能力に目覚め、結局その能力の使い方や節制の仕方、人間関係の円滑な取り方などが分からず、
周囲に軋轢を撒いたり、能力に溺れて傲慢になったりと暴走してしまうことが多かった。
色々な意味で特殊な例としては、小説版『機動戦士Ζガンダム』のサラ・ザビアロフは自分の持っていたニュータイプの資質を接客業で活用し
ハンバーガー屋のバイトから10代のうちに店長になり、実績を挙げていた(それでもティターンズにスカウトされて自分は軍人の方が性に合っていると認識して作中の立場に望んでなっているが)。

危機意識の高まりで発露しやすくなるらしく、非常に強い心的重圧下にその身を置くと能力に目覚めやすい傾向にある。
つまり、「戦争」とある種の極限状況下はNTに覚醒しやすく、そしてNT能力を生かしやすい状況であるとも言える。
事実、これ以後も戦争によって覚醒、あるいは存在が確認されたNTは多く、世間がNT能力を戦争のための能力と誤解し、それが促進されてしまうのも不可避な流れだった。

ちなみに、戦争などせずとも目覚める可能性はあり、カミーユは普通にコロニーで生活していた高校生の段階で宇宙のビジョンが見えるレベルに覚醒していた。
ララァに至っては大変な生活ではあったが、戦争どころか宇宙に出てすらいない。
ついでにクェス・パラヤの能力も(元々気付いていなかっただけかもしれないが)インドでの修業が基になっているとされており、
ここらや強化人間の扱われ方も含めて考えると環境に左右されないことはもちろん、前述の通り地球人類がNTになれば宇宙進出云々の話も改めて疑問符がつく。
そして、このような他人の心情を事細かに察せられる人間は精神に余計な負荷もかかりやすいとも言える。
アムロやシャアが「感性がOT」というのも一見悪く見えるが、逆に言えば局所的にNT能力を使う以上の部分は割りきっている分、
(NTが人類の革新だと信じていた割には)上手く自己の能力と付き合えていたとも言えるだろう。

……その意味では、ニュータイプという言葉が歪められ、意味が狭められたことは確かで、
同時に未熟な時代でニュータイプ達が戦場という生きる道を見つけられた事は、それは決して幸福な道でも、正しい道でもないのだが、局地的には意義があった……のかもしれない。


【強化人間とNT専用機の台頭】

一年戦争で連邦・ジオン双方でニュータイプのパイロットが単独で戦局すら左右するほどの戦果を挙げたことで、戦争終了後、ニュータイプの軍事的価値は高騰した。

アムロの残した戦果はRX-78-2の「ガンダム神話」同様にNT神話を産み、戦時にあった軍部がその能力を利用、もしくは対抗しようとしたのは当然の事と言える。

同時に、ジオン公国軍を形成する宇宙移民の象徴たるニュータイプを連邦政府は恐れるようになり、ニュータイプと思われるアムロやホワイトベースのクルーを冷遇するようになる。

その一方でNTの軍事的利用価値は認め、オーガスタやムラサメ、ネオ・ジオンなどのニュータイプ研究所でNTを人工的に再現した「強化人間」の精製に着手する事になる。
前述の通り、強化人間とは訓練や薬物投与により後天的・強制的にNT能力を引き出された人間である。
NT同様にサイコミュ兵器を操る事は出来るものの、研究途中ということもあってその精神は極めて不安定であり、
フォウ・ムラサメロザミア・バダムのように軍に有利な記憶操作を施され、利用される者も多い。
最初から非人道的な発想による計画である上に、兵器として利用するつもり=制御できなければ意味がないので、
そこも非人道的な方法(前述の記憶操作)で制御したりと、人道的にも倫理的にも問題がある、外道と揶揄されても仕方ないような計画となった。
そして、なかなか精神や制御が安定しないという問題点や、計画途中で頓挫することもあったものの、強化人間のパイロットとしての能力は凄まじいという一定の成果はあがっていた。

ニュータイプの研究と同時にサイコミュの性能向上や小型化が進むにつれて、MAやMSにサイコミュを付随した「ニュータイプ専用機」が台頭。
パイロットの特性に加え、高い追従性、ファンネル等のサイコミュ兵器など、産機と比較して破格の性能を持った機体が多く、
それが、エース機=NT専用機という風潮を産み出した。
しかし、NTは良くも悪くも互いに惹かれ合う性質のためか、戦場で同等、あるいはそれ以上のNTと戦う場面が多く、コスト相応の戦果を挙げたNT専用機は実は少ない。


第二次ネオ・ジオン抗争以降は大きな戦いが無く、ニュータイプと強化人間が表舞台に出てくることも無くなり、
軍縮が始まった事もあってNTや強化人間専用機は過去の遺物(ネーミング)となっている。

U.C.0120年代ではニュータイプは「モビルスーツのスペシャリスト」というエースパイロットの俗称という一般認識になっていたが、
サイコミュ兵器が扱えるということや直感に優れるという認識で知っている人も残っている。
また、貴族主義を掲げたクロスボーン・バンガードではコスモ・クルス教団なる貴族主義+ニュータイプ主義の組織を立ち上げていたが、宇宙世紀133年以後の詳細は不明。

U.C.0150年代でも30年前と同じ認識で残っており、やはり戦場で稀有な才能を示したウッソ・エヴィンをニュータイプだと指摘する人間も少なからずいた。
また、ザンスカール帝国ではサイコミュ搭載機の開発も行われ、いくつかは強化人間と共に戦場で活躍していた。

U.C.0200年代初期(推定)でもまだニュータイプの認識や軍事利用の意識は残っていたらしく、サイコミュ技術を搭載した兵器なども使われている。
ニュータイプという概念に対して自分なりの独自解釈を真剣に考えている人間も残っている*9が、
作中でニュータイプと噂された人物はその評価に対して否定的・懐疑的な反応をしている。
また、第二次ネオ・ジオン抗争におけるアクシズ・ショックのオーロラ現象と結末はシャアのニュータイプ能力が起こした力とも解釈されていた。


【NTとサイキッカー】

機動戦士Vガンダム』の時代では、NTは『ガンダム』同様にただの『伝説』となっていた。
また同作品内では「サイキッカー」というNTに似た存在が登場している。

サイキッカーとNTは同一のものかとも思われていたが、『機動戦士クロスボーン・ガンダム』において、NTとサイキッカーは「似て非なるもの」とされている。

サイキッカーは病気を治す・遠く離れた場所からでも意思疎通・視覚共有などの従来のNTとは異なる超能力を持っている描写がなされている。
能力者同士で通じ合うのが基本のニュータイプとは異なり、非能力者相手にも自分の能力を発揮できるのも大きな違いか。
ややこしいことにサイコ・ウェーブが読めるサイキッカーも登場している。

とはいえ、サイキッカーはニュータイプの上位互換というわけでもなく、
劇中の様子から優れたサイキッカーでも、必ずしもニュータイプのように他者への洞察力が優れているわけではない可能性も高い。
また、サイキッカーとニュータイプ両方の素養を持つものもいる。

一方、生物学的に見ればサイキッカーを誕生させる要因となった未知の領域の開拓に先駆けて、
超能力・特殊能力を開花させたニュータイプ誕生の影響は大きかったと思われ、その意味でもサイキッカーは「近くて遠いもの」である。


【NT能力】

「NT能力=互いに分かり合え、争わずに済む」ということも幻想レベルの考えでしかない。
実際のNT能力者はその感受性の強さも相まって、相対した他人の思念にあてられたり、
逆に他人の内面にずけずけと入り込んで相手のプライベートや隠したかった想いを無遠慮に暴いたために「分かられることを拒否される」ケースがあった。
そもそも戦時中という、既に争いが起こっている環境下で、覚醒や意思疎通を果たす事が多いので、
上手くいっても戸惑いが生じる程度であり、争わずに済むなんて事は基本的に不可能であった。
現実は厳しいのである。

例えばララァとアムロは分かり合えたが、それでも戦場であったが故に殺し合うことはやめられず、
そして『逆襲のシャア』時点ではララァとアムロの考えがあの頃から変わっているのでアレになったり(特にララァ側)、
アムロとシャアは初代ラストで分かり合えた部分も多く、『Ζ』時代のように何事も無ければアムロとシャアは仲間になることもありえたが、
シャア側がアムロへの対抗心を燃やしてしまった事と、ニュータイプに夢見過ぎな理想を抱いた結果、とてつもない事を企てて実行したので、結局激しく敵対している。

『逆襲のシャア』に登場するクェスのように、ニュータイプ能力は高いが故にその才能をマシーンのように利用された挙句、
最後の最期で隣人愛に目覚めてハサウェイ・ノアを身を挺して庇ったものの、悲劇的な末路を迎えた者もいる。
ついでにクェスは能力に溺れて傲慢になり、シャアの触れられたくない分野(ララァ関連)に土足で踏み込んだために、
シャアからはニュータイプうんぬんよりも人間として嫌われ、道具扱い=柔らかく拒絶されるようになった。

シャリアはNT能力がありコミュニケーション能力も高かったが、自身の生真面目な性格と立場の板挟みに遭い、戦場に出て戦死することとなった。
そしてこれはシャアの思惑も絡んでいる。

「宇宙世紀最高のニュータイプ」とされるカミーユも、立場や意見の違いの他、自身の能力で人の心を覗いた上でそれをあけすけに話して怒らせるなど、
ニュータイプ能力は確かに突出したものがあった一方で、それを用いても他者とのコミュニケーションが上手くいかず、
さらに肥大化していくNT能力と、激化する戦争の中で人の憎悪や悪意などを受け続けた結果、
シロッコのいわば最後っ屁のような思念がトドメとなって疲弊しきった精神が遂には限界を迎えてしまい、精神崩壊を引き起こしてしまった。
ギレンがシャリアに言った「無闇に人の心を覗くものではない」というのは、思惑を読まれて裏切られるかもしれないリスクに曝される以上に、
思考を勝手に読む方も読まれる方もお互いにいい気分がしないから、という理由もあるだろう。
このためか、『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』のシャリアは、アマテ・ユズリハ(マチュ)への尋問時にNT能力をフル活用し、
相手が話さずとも、思考しただけでそこから重要な情報を読み取るという無体な所業をやってのける一方で、
シャリアからもマチュにとって有益な情報を提供する事で結果的に情報交換に持ち込んでいる。*10
それはそれとしてNT能力を使った尋問の恐ろしさを視聴者に思い知らせた。


悪意や憎悪、嫌悪や恐怖、隔意や幻滅といった、ネガティブな感情も「わかり合う」の名のもとにダイレクトに伝わってしまうのも問題点。
上記のクェスは、父を殺害した瞬間、彼の発する死の恐怖や感触を感じ取ってしまい、以後も人の死を感じとって情緒不安定になっていった。
ソーラ・レイ発射時など、多数の人が死ぬ衝撃をアムロが感じ取り恐慌を来したシーンももちろん同類。
同じく『逆襲のシャア』のナナイ・ミゲルに到っては、これが原因でシャアの本人も隠したかったであろう本性を感じている。
シャアがアムロに撃墜されポッドでふっ飛ばされた際、ナナイは「わたしたちを見捨てるつもりなんですか!?」と咎めた。
これは撃墜された(好きで放り出されたわけではない)相手に対しておかしな台詞である。
しかし、シャアがナナイの思念に「男同士の間に入るな!」と怒鳴った際に、
「アムロとの戦いに比べればナナイもネオジオンもどうでもいい」「世直しなど考えていなかった」という本心がつい漏れ出てしまい、
しかもニュータイプとして目覚めていたナナイに正確に伝わってしまったのなら意味が繋がるのである。
人間は誰しも大なり小なり悪意を持っているもので、それを普段は包み隠しながら善人の仮面を被って生きているものだが、
そんな隠しておきたい真っ黒な腹の底まで暴き合うことは決して良い結果にはならないのである。


これらの具体例からも、NT能力とは情報伝達の一手段と直感の強化程度に過ぎず、人格や発言や行動などの『普通のコミュニケーション能力』のほうが重要であることが分かる。
あるいは、上記の隠しておきたい悪意さえ暴いてしまえるという点を顧みると、そうした『普通のコミュニケーション能力』を台無しにしてしまうとさえ言える。
見方を変えると、これ自体にはコロニー落としやら隕石落としなどの虐殺を正当化してしまう能力(洗脳)ではないので、ある意味良かったと言えるかもしれない。
……人心掌握に優れた人物にとってはたいへん役に立つ力なわけで、『機動戦士ガンダム サンダーボルト』に登場した宗教団体「南洋同盟」の指導者レヴァン・フウは、
アナハイム・エレクトロニクスを滅ぼす「聖戦」の駒集めにNT能力を洗脳の演出として最大限に利用しており、争いを収めるどころか戦火を拡大させる忌まわしい能力として描かれている。


今までの文章を読めば察せられると思うが、『機動戦士ガンダムUC』において作中の人物から「定義が曖昧で人によって様々な解釈がある」と評された通り、
シリーズ内でもニュータイプ能力の質や、ニュータイプそのものに対する解釈は一定していない。
定義については上記の通りだが、能力についてもシャリアやカミーユのように感受性の高さからくる読心能力に秀でた者や、
正史ではないパラレル世界の人物ではあるがマチュのような空間把握能力の優れた人物エグザベ・オリベのような本当にNTなのか視聴者に疑われるほど戦闘極振りで、それ以外は鈍感な人物など、
「ニュータイプではあるが、できる事の個人差がありすぎる」描写が解釈をややこしくさせている。

『クロスボーン・ガンダム』*11では能力よりも定義に関する発言が多く、主人公のトビア・アロナクスは、
「ニュータイプは宇宙という環境に適応しただけの人間。本質的な意味での進化にはまだ時間が必要」と解釈している。
一方で、長年の恨みつらみ等の私怨から木星帝国を率いて地球滅亡を企てたクラックス・ドゥガチは、ある人物に、
「地球から生まれた生命でありながら故郷である地球を滅ぼすことに微塵も躊躇がない。ある意味では新人類と言えるかもしれない」と皮肉交じりに評されている。

オフィシャル作品ではない(作中のメタ発言)が、『クロスボーンガンダム・スカルハート』ではNT能力を持つサルも確認されている。
一見すると不真面目に見えなくもない絵面だが、これを受けてちゃんと作中で「NTが人類の革新?」と疑問視される場面も描写されている。


【ミノフスキー粒子との関係】

未だ詳細は不明だが、『ミノフスキー粒子』はサイコ・ウェーブの伝播を助ける作用があるとされる。
もっとも、これはまだ研究の余地があるという意味合いで、まず宇宙世紀のガンダム世界では、
特にミノフスキー粒子の濃度が高い(戦場となった)宇宙空間などでは、頼りになるはずの電波や光通信の類が使えなくなるのだが、
ニュータイプが戦場や宇宙空間で多く発見、または覚醒したのも、そんな空間にもかかわらず遠距離から正確に「誰かいる」のを彼等が発見したからである。
それどころか、特定の電荷により働きを変えるミノフスキー粒子はニュータイプの放つサイコ・ウェーブ(思念)によって粒子自体もその特性を変化させる事があり、
ニュータイプ自身には前述のような状況下においては自分の感覚が外部にまで増大させたと認識させたという。
つまりは、その効果故のテレパシーや予知としか思えない思考の拡大であり、ここから「作中で起きた不可思議な現象はこの特性によるもの」という説もある。

Ζガンダムが発揮した「身体を通して出る力」、ΖΖガンダムの「限界を超えたハイメガ粒子砲」、
ユニコーンガンダム デストロイモードの「機体から放たれる燐光(と、その色の変化)」や「ビームトンファーの巨大化」は、
それぞれバイオセンサー、サイコフレーム等のサイコミュ機器とミノフスキー粒子が反応した結果とされている。

これが特に顕著に現れたのが前述の『逆襲のシャア』における地球重力圏からのアクシズの離脱。
これはアムロとシャアの強いNT能力と人々の意志が感応し、巨大なミノフスキー・バリアを作り上げた為という説がある。
『機動戦士ガンダム 光る命 Chronicle U.C.』ではニュータイプが起こした奇跡のような現象について、
アムロが「サイコミュ機器が世界に干渉するエネルギーを引き出した(意訳)」とこれらの説を匂わせるような発言をしている。
なお、『GQuuuuuuX』では、アクシズ・ショックに類似した現象であるゼクノヴァが発生した際にミノフスキー粒子の異常反応が確認されている。

なお、この時期を境にサイコフレームなどの精神感応素材の管理と情報統制が厳重な物となり、表向きには製造が禁止された。
しかし技術革新によるものか、NT能力に近づいたのか、『Vガンダム』の時代にはミノフスキー粒子を使った通信『ミノフスキー・コントロール』がゾロシリーズに使われている。


【宇宙世紀以外のNT】

ニュータイプという言葉が登場する上に重要なワードとなっており、一般的には「人類の新しい革新」など明確に定義されている。
しかしながら、宇宙世紀と似た経緯から戦争や政治のための道具として扱われているため、プロパガンダの道具でしかなかったり、
フラッシュシステム(宇宙世紀でいうサイコミュ兵器に近いもの)を操作出来る者がNTとして重要視されており、そのことが物語に大きな影響を与えている。
NT能力だけでなく、未来予知、双子で距離関係なく意思疎通などの、宇宙世紀でいうところのサイキッカーに当たる能力も登場している。
さらにニュータイプの能力を持つイルカが登場した事から、人間固有のものではないことが分かる。

最後に『ガンダムX』の世界(アフターウォー)におけるファーストNTである「D.O.M.E」が語った事には、
「たまたま超能力を持っていた人間をNTという価値観概念に仕立てあげたに過ぎない」とし、超能力と人類の革新は別であるという真実が明かされた。
更に本作のNT達はアムロとララァと同じようにその能力で素晴らしい刻(未来)を予知していたので「人類の革新」と信じていたのだが*12、それも夢や幻に過ぎないことを説明。
何故ならばNTの予知は当てずっぽうではないが、相応の努力や行動をしないとそんな刻は訪れないし、NTである必要もない。
好例として「D.O.M.E」はガロード・ランを指してティファ・アディールの悲劇的な予知を幾度も覆したというこれ以上ない実例で証明した。
また、アフターウォーにおいてカテゴリーFと呼称され、差別された超能力者達NT能力者も、
くくりとしては、どちらも等しくただの超能力者に過ぎないという事になる。

そしてNTを利用しようとした各勢力は色々あって滅んでしまい、NTであるために狙われ続けてきたティファはもちろん、
善良なジャミル・ニート、ランスロー・ダーウェル達ですらも『ニュータイプという言葉』に囚われるのは卒業しようという作風になっている。
これは宇宙世紀におけるニュータイプ論への解答とも受け取れる内容になっている。

なお、ときた洸一氏による漫画版ではシナリオ初期稿の設定であるためかD.O.M.E.の消滅=NT能力者の能力そのものの喪失という描写になっているが、
これはアニメ本編とは異なる(前述の通りシナリオ初期稿での設定と思われる)。

NTと同じく「革新した人類」として、イノベイターという存在が描かれている。
変革した者は細胞の変異により常人の倍ほどの寿命を得る他、高レベルの脳量子波を発するようになり、
NTと同じく超人的な反射神経や未来予知といっても差し支えない的中率の直感、相手の心を感じ取り、
同じく高レベルの脳量子波を持つ者とテレパシーのような形で対話できる能力を得る*13
変革できるかどうかは個人差などがあるようだが、GN粒子を多く浴びる環境下にあれば変革しやすくなるという。

提唱者のイオリア・シュヘンベルグが睨んだ通り、イノベイターは(特にGN粒子が存在する空間ならば)「他者と誤解なく分かり合う」ことを可能とする存在であり、
実際、2ndシーズンでは人類初のイノベイターに変革した刹那・F・セイエイとその乗機・ダブルオーライザーが展開したトランザムバースト*14により、
誤解によってすれ違っていた登場人物たちがお互いや故人の真意を悟って和解することに成功している。

だが、これはあくまで互いに「分かり合おう」とする意識があることが前提条件である。
突然変革した自身の身の振り方に悩み、自分の殻に閉じこもってしまった『劇場版 機動戦士ガンダム00-A wakening of the Trailblazer-』序盤の刹那は仲間内で孤立し、
地球圏に飛来した謎の金属生命体・通称ELSをハナから『敵』だと決めつけた*15デカルト・シャーマンは、
地球人類に助けを求めるELSの脳量子波による『叫び』の内容を理解できず、ただ「頭に響く不快な叫び声」を出す存在として敵視し、ELSに激しく攻撃を仕掛けている等、
イノベイターに変革すればそれだけで他者と容易に分かり合えるわけではない、相互理解の難しさも描かれている。

ただし、「分かり合うことはできないという事をお互いに分かり合う」という事でもあり、それはそれで有意義な事である。
分かり合う事の重要さを説く刹那も分かり合った結果、戦うか離れるしかないという結論を出すことまでは否定していない。
この作品ならではの特徴として人類から変革を果たしたイノベイターが実際に発生する前の段階で、
そのイノベイターと「性能」面でほぼ同等の人造人間=イノベイドを合成蛋白質から生成する技術が完成している。
そのイノベイドは「もし人類がイノベイターに進化したらこういう能力を持つと思われる」という推測から設計されており、
常人の平均を上回る身体能力と長い寿命をもって生まれた(製造された)上に、脳量子波の感知や通信などが可能なのだが、
そのイノベイドを実用化して一世紀以上経った本編終盤に初のイノベイターとなった刹那はまさしく「おおむね基本的には」イノベイドと同等以上の能力を持っている。
ただし、イノベイドを作成・運用する者の目的は「人類全体をイノベイターに革新すること」で、
イノベイドはその目的のために使われる生きた道具として活用されており、例えば用途に応じて性別の有る者と無い者がいたりする*16
もちろん一般社会においてはイノベイドの存在自体を極秘にしているため、宇宙世紀のニュータイプのように政治利用や差別問題などは起きていない。
ただし、イノベイドはともかくとしてイノベイターの存在が一般に周知された劇場版以降の時代はイノベイターと旧人類の間でしばらくは紛争が起きた事は事実である。
余談だが、本作は上記のイノベイター関連を含めて「変革」を大きなテーマとしているが、「変わらなくてもいいものもある」として、
パトリック・コーラサワーが脚本上で意図的にキャラクター性や能力等が変化しないキャラ付けで対比させられている(嫁さんもらって劇中トップクラスのリア充と化したが)。

劇中でしばしばNT的な描写をされている能力、あるいは能力者として「Xラウンダー」があり、
Xラウンダー同士の感応やサイコミュ兵器の操作など、明らかにNTを意識して作られている。
しかし、その実態は獣が本来持っていた本能が覚醒して先祖返りした人間とされ、劇中ではむしろ人間としては退化であるとされている。
すなわち、宇宙に適応するなどの「進化」したNTとは根本的に正反対の概念といえる。
ただし、これはフェザール・イゼルカントによる一説に過ぎないため、本当かどうかは不明。

かの井上敏樹氏が脚本を手掛ける漫画作品。
本編より700年前に起こった大戦ではニュータイプが存在しており、ガンダムを駆って戦争を終結させたという。
しかし、戦後その力に恐怖した旧人類はニュータイプ達をスペースコロニー「コキュートス」に押し込め、
元の住民諸共毒ガスで抹殺した挙句にコロニーごと宇宙の果てに廃棄してしまった。
しかし、どういうわけかコキュートス内部には生き残った人々がおり、700年の時を経てニュータイプから更に進化した存在「ネオス」が誕生した。

他のガンダム作品に登場するニュータイプ系の新人類と異なり、ネオスは精神や感覚よりも肉体面での進化が著しく、
強力なネオスであれば串刺しの上で火炙りにされようがショットガンで脇腹を吹き飛ばされようがものの数秒で再生してしまうほどの生命力を持つ。
主人公シャギ・カオリスはこれを利用し、自らの体内に武器を隠し持ち、敵につけられた傷口から引っ張り出して使う戦法を得意とする
加えて、自身の血液を固形化できるデュラン・ロータスや、掌から氷を発生させら操れるジューン等、超能力バトルものじみた特殊能力を有する者もいる。

その凄まじい戦闘能力と良くも悪くもガンダムらしからぬぶっ飛んだ能力描写から、同じ井上氏が過去に描いてきたアギトオルフェノクを連想するファンも多い。
そして同作はガンダムの出番が滅茶苦茶少ないので、読んでいるうちにガンダムであることを忘れそうになる読者も少なからずいる


【アナザーガンダム/オルタナティブの類似例】

同作におけるガンダムファイターは劇中において「拳を通して互いの心を理解することができる」存在である事が語られており、NTのメタファーだと見ることも出来る。
そう考えると『Gガンダム』はNTの主人公とOTのヒロインによる話という風に解釈する事も可能となる。
実際、ヒロインのレイン・ミカムラは悩んだ末にガンダムファイターにもなっている。
ただし、同作にはそもそもニュータイプという概念がなく、物語の展開もその場の勢い任せなところが良くも悪くも多く*17
宇宙世紀でのサイコミュ兵器にあたる『ローゼスビット』などはあるが、それもニュータイプとは言及されなかったりと、そこまで関連付けするものでもないと思われる。
最終話の件もいわば裏表のない純粋な愛の告白だから強烈に効いたのであって、そんな理屈めいたことを考えるだけ無粋では?という人も多いだろう。
また、劇中における悟りの境地という名の『明鏡止水』の方が既存のガンダムファイターよりもパワーアップしたり、
より深く拳を交えることで分かり合いやすくなるなどの点でニュータイプに近い描写である。

カトル・ラバーバ・ウィナーが「宇宙の心」を感じて離れた人物の痛みを感知するなど、
ニュータイプという単語は出ないが、それに類するものとして描かれている。
初期稿や漫画版ではゼクス・マーキスがNTという設定があったが、放送時にはNTのない世界観となり、
漫画版もそもそもNTとは何なのかという事すら一切説明されず、すぐにNTの設定が語られなくなった。
一方で、NTの代わりに各種センサーや演算結果をパイロットの脳に送り込み、それを映像として知覚させることで、
空間認識の向上や近未来の予知など、他作品の(軍事利用としての)NTに似た特性を持たせるゼロシステムが登場。
ただし、理解し合うNTとは程遠い兵器であり、結果的にシステム使用者を廃人にしたり暴走させたりと、
コミュニケーションではなくシステム使用者の未来予知のためだけ(あるいはそれに打ち勝つ精神修行)のシステムになっている。
どちらかというとこれは宇宙世紀における強化人間のそれに近い。
分析結果が脳に伝わると感覚として認識されるためか、応用したシステムを用いたカトルとドロシー・カタロニアはNTの感応に似た現象を起こしている。
ちなみに前述の漫画版ではNTでなければゼロシステムを扱えないという旨の言及があった*18ので、サイコミュ的な扱いにもなっている。
ダイクン的意味でのニュータイプ論はホワイトファングが地球圏への宣戦布告で近い意味の事を主張しているが、
この世界に真の意味での戦争の終結をもたらしたのは最終戦争により戦力が壊滅するとともに、
核の冬を巡る最後の決闘を見た人類が非暴力の戦いで平和を守ることを決意したことであった。

宇宙世紀のガンダム作品ではニュータイプの代名詞であるオールレンジ攻撃が可能な兵装がいくつか登場するが、
その『ガンバレル』及び『ドラグーン・システム』を十全に扱うには「高い空間認識能力」が必要という設定がある。
ただ、これは「高い空間認識能力がなければ操作が難しい」というだけであり、有線式のガンバレル、無線式のドラグーン共に攻撃に使う攻撃端末は特殊な脳波等は関係なく、
ケーブルor量子通信を用いて母機となるMA・MSのシステムによって制御される*19
空間認識能力の高いパイロット達は既知の相手ならば何となくお互いに感知出来るというNT的な描写もある。
宇宙世紀のNTと異なり、空間認識能力が高いからといって生者、あるいは死者の念などを感知できるわけではなく、
また、ビームを弾いたり、魂がビームを強めたり敵機を停止させたりといった特殊能力を持っているわけではない模様。

その他、「ニュータイプ」のように「新人類」を名乗る「コーディネイター」という存在も劇中に登場するが、
彼らは胎児の段階で遺伝子調整によって外見・免疫力などを調整され、人によっては高い素質等も持たされて生まれた人間であり、
能力に関してはいくら素質があろうと自ら努力しないと開花しないものの、生まれだけ見ればどちらかといえば強化人間に近い。
さらに、「コーディネイター」という名称に関しても、名付け親であり「ファースト・コーディネイター」とされるジョージ・グレンは、
「やがて生まれる新人類との関係を調整する者」という意味と願いを込めた名前だと、外伝作品である『機動戦士ガンダムSEED ASTRAY』で語っているが、
世間一般では「遺伝子を調整した者」という意味合いと誤解されて広まっており、こちらはジオン・ダイクンのニュータイプ論に近い扱いである。

なお、ジョージが言うところの「新人類」へ進化しうる因子「SEED」という概念も存在している。
これが発現することで、パイロットとしての操縦技能や戦術構築といった能力が向上する描写があるが、前述の空間認識能力とは関係がない。
また、劇中では「SEED」を発現したのは5人中4人がコーディネイター(キラ・ヤマトアスラン・ザララクス・クラインシン・アスカ)だが、
残る1人(カガリ・ユラ・アスハ)はナチュラルであり、遺伝子調整の有無もおそらく関係はないと思われる。
さらに、空間認識能力については個々人の素養によるところが大きく、コーディネイターであれば誰しも高い素質を持つということはもちろんなく、
ナチュラルでもコーディネイターを凌駕する空間認識能力を持つ者は当然いる*20
とはいえ、人間の持つ能力である以上、高い空間認識能力の素質を持つよう遺伝子調整を施されたコーディネイターも存在し得、
実際、スーパーコーディネイターとしてあらゆる能力を高めるよう調整を施されたキラは、
『SEED』の最終決戦で、ドラグーン兵装を用いるプロヴィデンスと死闘を演じた経験もあってか、
『DESTINY』以降は高い空間認識能力が開花し、ドラグーン兵装を苦も無く操れるようになっている。

この作品では、『Ζ』の年代の連邦軍がニュータイプを恐れていたように、
コーディネイターとナチュラルが互いの能力の差等から互いを敵視し、対立する形で両者間の戦争が続いており、
どちらであっても結局は人間であり、能力以外の面では良くも悪くも変わらないことを描きながらも、
同じ人間でありながら能力や生まれの違いだけを見て互いに敵視し合い、殺し合う愚かしさも強く描かれている。

また、コーディネイターは作中でも優秀な場面を多く描写されている一方で、出生率の低下という致命的に近い負の側面も描かれているため*21
コーディネイターの方がより優秀な種族なので全員コーディネイターになるべし、などの優生学的な差別が肯定されないように設定されている*22

宇宙世紀と同じニュータイプに関する逸話も伝承として残ってはいる*23ようだが、
金星のビーナス・グロゥブでは宇宙の低重力や宇宙放射線への被曝が原因で人体が変異を起こす「ムタチオン」という現象も起きている。

これだけ書くと今までのガンダムシリーズにもよくあったニュータイプの亜種と同じようなものに見えるが、
そうして変異した人間は栄養失調の子供のような体毛が抜け切った痩せぎすの小さな身体となり、さながらリトルグレイのような異形の姿に変貌してしまう。
実際にムタチオンが発生したラ・グーの発言から察するに寿命が著しく長くなるというメリットもあるようだが、
見た目通り身体的には非常に脆弱なようで、まともに生活するには普通の人間の首から下を模した「ボディスーツ」と呼ばれる特殊な服が必須となる。
当然ながらビーナス・グロゥブの人々はこの現象に怯えており、
ジット団がロザリオ・テンやラ・グーに反いてレコンギスタ作戦を強行し、そしてそんな彼らに少なくない支持者が存在する理由のひとつでもある。

R.C.におけるスペースノイドとアースノイドの地位は宇宙世紀とは完全に逆転しており、
地球はスコード教から供給されるエネルギーのお零れに預かってどうにか文明を存続している有様。
そんな時代において本当に起きてしまった「宇宙空間における人間の革新」に人々がただ恐怖し、
コロニーよりも低い地位にあるはずの地球に対して望郷の念を募らせる姿は、ガンダムシリーズ生みの親本人による、ニュータイプ神話に対する最大級の皮肉と見る視聴者も多い。

『ガンダム』の名を冠する作品群の遥か未来という設定にして富野作品の一つである同作では、
富野御大が既に制作順では後発となる上記『Gレコ』と同様の感想=メタ的な意味も含むガンダムシリーズの総括と否定を目論んでいたためか、
劇中での用語としては『ニュータイプ』という用語は登場せず。

……が、用語として出てこないだけで番組設定、世界観構築の為の要素としては盛り込まれており、
実際に『∀』に登場してくるメカニックは過去の世界の遺産や発展技術であり、
サイコミュやニュータイプ的な感応といった描写が説明はされていなくとも演出としては確りと描かれている。
『∀』世界(正暦)の人類の説明としては遥か過去にニュータイプが発生した時代の末裔となっており、
過去のシリーズではニュータイプ達は自らの能力を使って遥か外宇宙まで飛び出していく姿が描かれたり想像されていたが、
そうした旅路に疲れはてて地球圏へと戻ってきたのがムーンレィスの先祖なんて説まである*24

また、技術的にもサイコミュがより一般的かつ、日常生活に取り込まれる形で使用されているなんて予想*25まであり、
かつての『1st』でのニュータイプの発生が宇宙という環境に適応するためであったのと同様に、
この時代では人類の中にニュータイプの劣化した素質が等しく存在しているために環境次第では先祖返りしたように素質に目覚める可能性が高いとのこと。
本編ではギャグ編の一つとして流されていたが、初めての宇宙空間でストレスを感じた地球側のオッサン達が、
触ったこともなかったMS(ボルジャーノン)に乗り込んで脱出を図る中で急速にMSの操縦に慣れるばかりか、宇宙空間での戦闘への適応をも見せ初めている。

アニメ本編では以上のように“気付く人だけ気付けばいい”という程度の扱いだったものの、
番組では上記の理由から裏設定扱いとなった資料も渡されて執筆された福井晴敏版の小説などでは、
それらの情報も盛り込まれて執筆された為に明確に主要キャラクターがニュータイプに覚醒したり、物語の方向性そのものが黒富野化したりといった面も。


【ゲーム作品での扱い】

Gジェネスパロボ等、パイロット毎に能力の差異が生じるゲームでは強い存在感を発揮することが多い。
細かな扱いは作品によって変わるが、特殊技能扱いされる点、命中率・回避率に補正がかかる点、
ファンネルなどのサイコミュ兵器を扱う際に重要な能力という点は大体共通。
Gジェネではパイロットや艦長以外に戦艦の操舵手や通信士に補正が付くこともある。
ニュータイプ能力がシステム的に特殊技能として扱われない場合でも、大抵は「覚醒値」という数値でその素養の有無や強弱が示される。
サイコミュ兵器の起動にNT能力が必須ではない場合でも数値が高いほど威力や射程の強化等より大きな効果を発揮できることには変わらない。
これだけで強さが決まるわけではないとはいえ、やはり純粋なオールドタイプ(覚醒値0)との間には大きな差が存在する。
具体的にはNT能力特化で素の能力が壊滅的なイワン・イワノフがそれなりにやっていけるぐらいの影響力はある。

なお、初期のGジェネでは命中・回避への補正値がえげつない上に、
ファンネルの最大射程・最大火力が全武装でもトップクラスなのでNTとOT(NTLが0のキャラ)の格差は相当なものだった。
イワン同様NT能力以外壊滅的なティファがガロードやフロスト兄弟よりも明らかに強く、
主役・ラスボス級のNT・強化人間と張り合える人材となると東方不敗ぐらいしかいないほど。
さらに『F.IF』では基礎ステータスの引き上げが可能となっているため、最終的にNTLで優劣が決まってしまう。

スパロボではF・F完結編での補正が凄まじさが有名で、「ニュータイプにあらずんば人にあらず」などという格言がまかり通っていた*26
もっとも、ここまで言われたのはNT技能補正そのものだけではなく、NT技能持ちでないとまともに戦えないという劣悪高難易度なゲームバランスに起因する部分も大きい。
以降の作品ではNT技能の補正が抑えられ、NTとOTの能力格差も無くなり、
計算式の変更などで好きなユニットを活躍させられる難易度になったためNT以外も十分にやっていけるようになっている。
また、初期の頃のスパロボオリジナル主人公はNT技能を持っていたりした。


【余談】

メタなことを言えば製作者の息子とはいえ個人所有でもない軍の予算で作られた最新鋭兵器を、
一介の民間人が放送終了まで使い続ける異常事態を合理化するための設定で、メタ的には超能力者の方の定義が生み出されたことになる。
決しておかしなことではないのだが、NT論が現実でもややこしいために余計に複雑な感じになっている。

しかしながら作劇の道具として生み出した『ニュータイプ』という概念を使って実際に作品を1年間作り続ける上において、
「ニュータイプ論というものはあるのではないか」と思うようになり一時期は信じていた。
しかしながら作中でニュータイプを扱っていても、特に人の革新へ向けた方法や技術というものは伝えることができず諦める結果となった。

ガンダムの産みの親である富野由悠季氏は1stの中盤以降この設定を疎ましく感じ、
以降では劇中のNT能力者に対して肯定的に描きながらも否定的と言える描写や発言も目立つようになる。
そのため「ニュータイプはいずれ忘れられる概念で人類の革新には至らなかった」という作品もいくつも制作している。
その理由の一つとして当時SF作家達から「(NTは)言葉を摩り替えているだけで、実質は既存のSF作品で描写されている超人類の類と大差は無い」という指摘を受けたという事がある。
この指摘は至極もっともであり、富野氏は提唱者として否定しなければならないという気持ちに囚われてしまい(作品が成立しなくなるわけではないのだが)、
結果としては監督自身の精神状態にも悪影響を及ぼし、鬱・ノイローゼを引き起こす事となった。
『∀』の頃までの富野氏の関わったガンダム作品には、この気持ちが少なからず作風に関わっていると言われている。

例えば『Ζ』でグリプス戦役という戦争を描くこと自体が、「戦争しなくて良い人種」という定義の否定につながるものであり、
ニュータイプという概念を一歩進めた「ギャザー・スタイム」という概念を検討していたと言われる。
後に公開された資料では「人と同化する、取り込む」という表現が見られ集合精神のようなものだったようだが、
「取り込まれた側の主権」「愛という結論を出したヤマトを超えなければ意味がない」など苦悩の跡が見られ、完成作品に現れることはなかった*27
『ZZ』の初期案では「ジュドーの意志が拡散したことで、地球の重力に魂を引かれた人々に、自ら人の可能性を信じて宇宙へ旅立つ決意をさせる。」という人類全てがニュータイプになる終わり方が想定されていた。

また1988~1995年の間殺人事件やテロなどで日本を騒然とさせたオウム真理教がその行動原理の一つである優生思想やニューエイジ思想*28を広めるのにサブカルを利用していたことも、富野氏に影響を与えたと思われる。
これは同じくガンダムを手掛けたスタッフだった安彦氏も言及しており、後にインタビューで二人とも現実とアニメは別物と前置きしつつ影響力があることも確かなので注意しなければならない(※インタビューが多いことと文脈の都合でかなり意訳)と意見が一致している。
それもあってか富野氏も当時のニュータイプについて上手く描写できずに敗北感があったと後に言及しつつ、逆襲のシャア以後の作品ではニュータイプ=人類の革新だと安直に描写しないようになっていった*29

その後ガンダムから離れたりして気持ちが落ち着けたのか、その後の『機動戦士Ζガンダム A New Translation』(新訳Ζ)において、
NTの神髄は「隣人愛」にあると結論を下し、NT能力の申し子であるカミーユを肯定的に見れるようになった。
しかし、その後も発言が微妙に変化したりもしているので注意が必要。

また、超能力要素は当然として、ビームを弾いたり機体を停止させるようなオカルト的なその描写から
リアル的な描写を好む人々からは敬遠されることもあり、NTの登場しない外伝系を好む人々が多い一因ともなっている。
これは制作側とて例外ではなく、『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』のプロデューサー・植田益朗氏は、
「便利な超能力者を出すと作劇上安易に使われがち」という理由で、富野氏の「ニュータイプ、ちゃんとやってよ」というリクエストを蹴っている。
他の制作陣もニュータイプを出してもビームを弾くなどはしないという点ではある程度控えめな描写が比較的多めと言えた。
が、近年では外伝系にもニュータイプを主軸に扱った作品が増えて……というか増えすぎており、
特に福井ガンダム「ユニコーン」「ナラティブ」でスーパーロボットの領域まで突っ込むインフレを引き起こしていることもあって、
それまでニュータイプに対して比較的肯定的だったガノタでも「もうニュータイプはいいよ」という風潮があったりするとか。

また、ニュータイプを特別で重要な要素として扱い、作者(※ガンダム作品は多数あるため富野氏とは限らない)がいくら肯定的に描いても、
結局はギレンやシャアのような優生学と同じ差別問題に行き着くため、作品の付け合わせ程度ならともかく特別視した描写自体を批判する人もいる。



い、今、冥殿が言った。ニュータイプは、追記・修正する道具ではないって。

アニヲタWiki(仮)では強力な武器になる。やむを得ん事だ。

貴様だって、ニュータイプだろうに!


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最終更新:2025年10月10日 20:27

*1 実際は活動量の差はあれど、脳は常時100%活動している。

*2 富野氏はニュータイプはエスパーではありませんとクワトロに喋らせていたが、明確な違いがあるというよりは広義の意味で考えて欲しかった程度の意味合いと後に述べている。実際ニュータイプがテレパシーを使ったり、敵機を停止させたり、ビームを弾くなどする描写についてはエスパーや超能力者との違いはない。

*3 上記の通り実質超能力者から少し勘が良い程度まで様々

*4 ※実際のところは、宇宙に進出することで確かに幾分かニュータイプになる可能性は上がるとはいえ、宇宙に進出すれば概ねニュータイプになるというほど可能性が高いわけではないのだが。

*5 テロや憲章削除は大事件だが、ただそれだけならば真犯人の極右派がダメージを受ける派閥争いのレベルだった。しかしこの条文内容そのものによって派閥争いには留まらない問題が生じることになった。

*6 分かりやすく言えば無条件に条文が差すところの旧人類に対する独裁者&差別主義が誕生するし、新人類だとうそぶく理由も与える。

*7 メディアでの関係性の違いから、カミーユとハマーン間は出会いが良ければ関係性も良かったとする描写もあるが、逆に言えばNT能力が異常に高くてもその程度の溝すら埋められなかったことになる。

*8 また同じ敵対関係でもよりカミーユは因縁の深いジェリドなどに対しては(付き合いの長さもあったとはいえ)殺人への忌避感もあってそれなりの言動をしているように『ティターンズや敵兵は皆殺しにすべし』とは考えていなかった……ということを踏まえると作中で殺意満々だったシロッコやハマーンには特別に凄まじい敵対心があったということになる。

*9 小説版では「十字架にかけられないイエス・キリスト的な存在」が真のニュータイプという解釈が出てくる一方、パラレルの世界線とされるラジオドラマ版では「ニュータイプのパイロットとしての適正能力は人の持つ潜在的な能力が宇宙空間に出て拡大しただけで人類が進化した姿ではない」などの個人解釈も出てくる

*10 ただ、この時点で尋問に同席していた側近のコモリ・ハーコートがニュータイプかどうか不明瞭だったため、オールドタイプという前提で「コモリからすれば上司が黙りこくったままの捕虜相手に重要な情報をペラペラ自発的に喋っている絵面なのでは?」と、客観的に見た尋問の様子のシュールさを面白がる声もあった。

*11 後にシリーズ化しているが最初のシリーズは富野氏が原作でプロットも出している(名義だけではない)。つまりニュータイプ描写も当時の富野氏の意向に沿っていると思われる

*12 ただし、ティファは例外。悲惨な境遇のせいで自身の不幸を予知することが多かったため、劇中後半まで悲観していた。ガロードによって後半には自分の能力を肯定的に見れるようになったが、ジャミル達のように「人類の革新」的なことにはこだわっていない。

*13 脳量子波を伝播しやすいGN粒子が高濃度で放出された空間内ならば、非イノベイターとも同様に対話が可能。

*14 高濃度のGN粒子を広範囲に放出する

*15 ELSの『対話』方法が侵略行為にしか見えなかったのも要因だが。

*16 諜報員など、人間社会に溶け込む必要があるイノベイドは性別を持っている者が多いが、戦闘員などの人間とそこまで関わる必要のないイノベイドは性別がない者が多い。ただし、性格的に男性的、あるいは女性的なイノベイドはおり、例えば戦闘用の「ヒリング・ケア」は肉体は性別の無い「中性」だが、本人の容姿や性格から敢えて女性として振る舞っており、人間の軍に参加した際には自ら胸パットを付けたりしている。

*17 かなり勢い重視であることは、師匠の強さがその場のノリでかなり増減したり、途中までは良い師匠になったり、悪い師匠になったり、決戦後無理やりネオ香港に移動したドモン・カッシュより早く開会式の会場入りしたり(ちなみにシュバルツも)などの忙しい立ち回りなどからも分かりやすい。

*18 というか、漫画版でNTの言及があったのは「守るものと戦うものがしっかり見えていればシステムには支配されない」というゼロシステム回りの会話くらいだった。

*19 前者はケーブルが切断されれば制御不能となるが、ドレッドノートガンダム(Xアストレイ)は有線式ではあるが量子通信でも制御できるよう設計されているため、ケーブルが切断されても問題なく制御が可能となっている。

*20 というより、コーディネイターは努力をしてもあくまで「人間としての限界値」の範囲内の能力しか持ち得ないことや、どのような素質を持つよう調整されたか、またそれが成功したかなどもまちまちなため、コーディネイターは平均レベルが高いだけで、ある分野に関して高い才能を持っていたり、弛まず努力して磨いたナチュラルに敵わないということも往々にして起きる。

*21 コーディネイター同士だと先細りしており、『SEED』開始時点でも婚姻統制されている。ならコーディネイターは絶滅するのか?というとこれらの現実的な解決方法はナチュラルと融和していくことだとされているので回避可能(※パトリック・ザラもこの問題を把握しているが、未来の技術でどうにかできると信じた)。

*22 これらを突き詰めていくとブルーコスモスやザフトの過激派を肯定するようなものになることも影響しているだろう。

*23 とはいえ、ロックパイ・ゲティが「伝説に言われているニュータイプなんてものが、いるわけはないだろう」と発言しているあたり、知っている人間からも半ば与太話扱いされているようだが。

*24 『∀ガンダム』のメインヒロインでありシンボルでもある月の女王ディアナ・ソレルは明確に地球へと戻ってきたニュータイプの子孫であるらしい。

*25 神経接続による徹底したオートメーション化やかつてはニュータイプでもなければ不可能だったレベルの射撃を可能とする異様な精度の火器管制システム……etc.

*26 それ以前の第4次では単にファンネルが使えるだけの能力で、新では補正が追加されたものの微々たるものだった。

*27 前述のように分かり合えるだけでは戦争しなくて良いという理想は実現不可能。そのため『集合精神(一体化)』(もしくは洗脳)の様なしがらみを取り払う強制手段が必要だと富野氏も考えていたことがうかがえる。しかしこれは人格・尊厳破壊、主権側の支配、死んでないだけで生きているとは言えない、などとなんら変わりはなく、見方によっては全体主義の極致という危険思想と言える。余程の事情がない限り肯定困難なこれを『人類の革新』と一言で表現するのは無理がある。

*28 様々な要素のごった煮で一言で説明しにくいが、スピリチュアル要素や悟りを開いて覚醒しようといった感じの言葉がよく出てくる。1st当時世界的に結構流行っていたこともあってニュータイプ描写の元ネタの一つとも言われている。

*29 前述の通りアムロはシャアの虐殺は否定してはいるが人類皆NT化が理想という部分は否定していないため、犯罪者ではないが優生思想の持主という見方は出来てしまうややこしさがある。NTの存在そのものはともかく人類の革新としては扱いに困るためか、F91時点でNT=人類の革新という表現から遠ざかっている。