登録日:2011/03/28 Mon 22:20:27
更新日:2022/06/24 Fri 11:50:52
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ニュータイプ(NT)とは、『
機動戦士ガンダム』を始めとするガンダムシリーズに登場する概念。
【概要】
提唱者はジオン共和国建国の父であるジオン・ズム・ダイクンで、『地球から巣立ち、宇宙に適応し変革を経た新人類』を指す。
宇宙が持つ「重力の影響を受けない活動領域」と「過酷な生活環境」という性質により、
人間の大脳皮質のなかの眠っていた大脳細胞が覚醒して、空間認識能力や周辺環境等への理解・識別能力が高まる。
簡単にいうと、これまで人類が生きてきた領域よりはるかに広大な宇宙での環境に合わせて、より遠くにいる相手を見つけられるように拡大した感覚、能力のこと。
地球上でも、ある特定の環境、職種の人間が平均、常識的な感覚、認識能力の範疇を越えた能力を身に付けることがあるので、ようはその
宇宙版ということである。
尤も、一度誕生してしまえばその方向の“目覚め”が遺伝子に刻み込まれるということなのか、後には地球生まれのニュータイプも誕生すれば、
ニュータイプの存在が認識されてから僅か数年という短さで、同種の感覚、認識能力を後天的に高められた
強化人間という存在も誕生した。
ニュータイプは、上述のように本来は生物として宇宙空間での認識能力を拡大させた人間……であった筈なのだが、
その相手を特定するために感知する対象に、相手の思考や霊魂(死念)としか呼べないような領域をも含まれることが報告されている。
この為、ニュータイプ同士は度々として距離や障害を無視したような対話、繋がりを持てると主張・報告をされることもある。
つまり、この能力を正しい方向に活かせれば人々に互いの特性を誤解なく正しく認識させ、不要な争いを防ぐことが可能となるとされた。
そして、これを理由として、
「宇宙に出ればニュータイプになれる」
「宇宙という広大な領域を生活の場にしようと欲した時には、時空を乗り越える力を持たなければ生きられない」
とされたのがニュータイプ主義ともいうべきものなのだが、この時点でも既に齟齬があると思った貴方は間違っていない。
小説版ではジオン・ダイクンの演説も一部抜粋されている。
要は宇宙空間に進出した人類は、地球で暮らしていた頃とは環境が違ってくるのだから、
いずれ人類は宇宙という環境に適応して、また一歩進化するだろう、ということである。
つまり、このジオン・ダイクンのいう「ニュータイプ」は「スペースノイド」と同義で(もう少しいうと「スペースノイドのいつか訪れる素晴らしい未来」)、
上述のような、ある種の特殊能力・超能力を開花させた超人集団というニュアンスは無い。
実際、前述したように地球生まれ(=宇宙に出ていない)のニュータイプも自然に誕生している上、
後天的とはいえ近しい能力を人為的に付与された強化人間はどうなのだ?という話にもなり、
結局は環境だけ整えたって個人差があるという部分に落ち着いてしまう限り、“ニュータイプ”を主義や主張と捉えることはそもそもが破綻しているのである。
【ニュータイプの登場】
U.C.0079年に起きた
一年戦争を皮切りに、その言葉は非常に大きな意味を持つ事になる。
機械関係の知識こそあれ、本来一介の民間人に過ぎなかった
アムロ・レイが偶然地球連邦軍の新型MS・ガンダムに乗り込み、
マニュアルを読みながらがむしゃらに操縦して、訓練を積んだパイロットが操縦するジオン公国軍のMS・
ザクを2機撃破するという戦果を上げた。
アムロの存在は周囲の人々に「新人類」、すなわち
ニュータイプの存在を確信させる十分な根拠となった。
だが、その優れた識別・認識・理解の能力はパイロットとして極めて有用な才能でもあるため、
「ニュータイプ=
エースパイロット」という、元来の言葉の意味からかけ離れた誤った認識を生む原因ともなる。
さらに、ジオン軍のフラナガン機関で行われていたNTの軍事利用に関する研究が拍車を駆ける。
NTは直感力や空間認識能力に優れ、人の心の機微を感じる能力に加え、「サイコ・ウェーブ」という特殊な脳波を発している。
この脳波は既存のレーダー技術と誘導兵器のすべてを否定した
ミノフスキー粒子による電波撹乱下においても阻害されず、
「ビット」のような
遠隔操作兵装を始めとするNT専用機器「
サイコミュ(サイコ・コミュニケーター)」を生み出す要因となった。
いつしか人々の間には、「ニュータイプ」という言葉は本来の定義ではなく「優れたパイロット」という認識で広まっていき、
ジオン・ズム・ダイクンが唱えた「人類の革新」とはほど遠い意味合いを持つようになっていったが、
一方で、アムロのような存在を「ニュータイプ」と呼ぶことは誤りではない。
概念が異なるというだけである。
そして、明確なニュータイプ的能力を持たない連邦政府の上層部はある懸念を抱き始める。
それは『ニュータイプという「新人類」によって「旧人類の現体制」が破壊される』という懸念…いわゆる
優生学による排他、旧人類の根絶の可能性であった。
事実、ニュータイプという言葉の浸透が進むに従って、ニュータイプと呼ばれた者たちは、
自分たちのような能力を持たない現行の人類を「オールドタイプ(OT)」と呼称し、侮蔑な意味合いでその言葉を用いていった。
パプテマス・シロッコや
ハマーン・カーンほど露骨ではないだけで、この認識に関しては
シャア・アズナブルも実は似たりよったりである。
ちなみにアムロも自身の経験からかニュータイプを人類の革新だと信じてはいるが、
(オールドタイプの根絶を)急ぐ必要はないとも思っているため、これには当てはまらない。
この危険性の象徴、あるいは具現したというべきものが
ギレン・ザビやシャア・アズナブルとも言える。
ギレン自身は超能力者的なニュータイプの存在は気にしていなかったものの、
彼の政策はそれぞれ「ジオン国国民」を「ニュータイプ」、「連邦他その他の人間」を「オールドタイプ」に置き換えることが可能である。
そしてそんな彼が、(理由は複数あるとされるが)「
ジオン国国民ではない人類を大虐殺し、五十億人を殺した」ことを鑑みると、この考えがいかに危険であるかは分かりやすいだろう。
シャアが起こした虐殺も複数の理由があるが、その中になるべく多くの人類を宇宙進出させて強制的にニュータイプにさせたいという理由も(一応)含まれているため、
思想は異なるものの、優生学的に見ればシャアもギレンと似たり寄ったりだと言える。
一方で、EXAM、NT-Dなどの「NT排除兵器」に代表されるように、明確にニュータイプを抑止・駆逐しようという主張も年々強まり、
その執念を体現しているかのように、実際に「NT-D」を発動した
ユニコーンガンダムと対峙した強化人間の
マリーダ・クルスは、そこから「強烈な否定の意思」を感じ取り、
パイロットの
バナージ・リンクスが操縦しているとは思えないほどの、ユニコーンの執拗な攻撃に晒されている。
また、普段の日常生活だけに生きて、ことさらな能力とは縁遠い大多数の人々にとってニュータイプとは縁遠い存在であり、
ジオン・ダイクンが提唱した人類の希望は、長い年月の間に消えていく一方となった。
【ニュータイプ論の分化】
一応ギレン・ザビは、「ニュータイプ」という言葉を二通りの意味で区別してとらえており、
その意味ではジオン・ダイクンの提唱したニュータイプが何たるかを明確に理解していたといえる。
ただし、彼の頭脳と行動から考えると元々のニュータイプ論も方便だと思っていた可能性は高い。
なにせ提唱者であるジオン・ダイクンやそれを更に利用したデギンの認識もそうであるのだから。
デギン公王との対談で、ギレンはキシリアが主導する「ニュータイプ部隊」(≒超能力者の集まり)について、
「方便ですよ」「国民の戦意高揚のために必要なのです」と軽視する一方、
対談の最後で「人類は限界を超えました」「(戦争に勝ったうえで)真のニュータイプの開花を待ちましょう」と発言し、
ララァ・スンのような超人的な「ニュータイプ」ではない、宇宙移民者の未来の形としての「元々のニュータイプ」の概念を一応は示唆していた。
レビル将軍も本編中で(「ニュータイプとは、戦争なんぞせんですむ人間のことだ。超能力者のことではない!」)の様なことを話していて、区別して理解していた。
しかし、集団の長であるギレンやレビルが認識していた「『ニュータイプ』という言葉の『意味の区別』」だが、
彼らがその区別を周知しきれなかった……というよりはギレンは自分のために利用していただけなので、区別して広めるメリットはほぼない。
レビルもジオン・ダイクンの思想を理解しているだけで、信じていたかは不明であり、
尚且つ方便だと理解していた可能性も高く、彼としても区別して広めるメリットはほぼない。
つまり、あまり意味のない話である。
ちなみにシャアも父はニュータイプという『方便』を使っていただけと理解していたとされ、懐疑的に見ていたのだが、
ララァの発見・その能力によって(父の言っていたこととは異なるが)NTの存在を確信し、自らもNTになることを望むようになっていったとされる。
そういった事情や超人的なニュータイプの目覚ましい戦果や研究が進むにつれ、
誤解や定義の曖昧さを招きながらもこちらの定義が急速に広まっていった。
そのようなことも重なり、ジオン・ダイクンの方便であるニュータイプ論は超人的なニュータイプの定義の方より早く衰退していくことになった。
これは世代的な違いとも言われる。
【ニュータイプへの覚醒】
作中で登場したシャアは地球であるていどの期間を過ごしてから宇宙に出ることでニュータイプとして覚醒を果たしたが、
ララァ・スンは地球で生まれ宇宙に出たことがなくても、ニュータイプになっていた。
(宇宙に出て更に戦争に参加したのはニュータイプだと確信したシャアが連れ出したため)
アムロに関しても一時宇宙に居たものの、地球生まれでニュータイプの片鱗を見せ始めたのも地球に居た時からである。
このことから分かるように、素質そのものは誕生出自や地球・宇宙という環境には左右されないものと思われる。
また、ニュータイプだからと言って、人と完全に分かり合えたり、争いを回避出来るというものではない。
能力が強ければ相手の他人には知られたくなかった秘め事まで暴けるため、ニュータイプ能力がかえって争いを生む場合もある。
人と人の付き合いとはそんな単純かつ確実に正解に導けるものではないため、もともとが敵対関係であるならばニュータイプだろうが対立の回避は困難である。
もちろん、相手の心が読めたとしても、政治や権力、利権や闘争が絡むと、もはや理屈では解決できなくなる。
というか、相手のことを理解することと、対立を解決することは別の問題である。
さらにギレンが
シャリア・ブルに対して釘を刺したように、「人の心を覗きすぎるのは、己の身を滅ぼすことになる」のだ。
ニュータイプの中でももっとも落ち着いていて、洞察力にも観察力にも長けるシャリア・ブルでさえ、人間同士の軋轢に翻弄されて死を選んだのがその証明であろう。
またニュータイプという言葉同様に、能力の発現者は若年者が多く、柔軟だったり純粋だからか子供であるほど目覚めやすい描写がなされている。
ほぼ全員がアムロと交信したホワイトベース隊の最終回の様子でも、最も幼いカツ・レツ・キッカが最も早くアムロを察知している。
原作時点でも1stのレビル将軍とシャリア・ブルのように老齢でもNT能力を見せている者もいちおうはいたが(シャリアは小説版だと二十八歳だったけど)。
しかしそうした若者は充分な社会経験がないまま能力に目覚め、結局その能力の使い方や節制の仕方、人間関係の円滑な取り方などがわからず、
周囲に軋轢を撒いたり、能力におぼれて傲慢になったり、特殊性癖をこじらせたりと暴走してしまうことが多かった。
危機意識の高まりで発露しやすくなるらしく、非常に強い心的重圧下にその身を置くと能力に目覚めやすい傾向にある。
つまり、「戦争」とある種の極限状況下は、NTに覚醒しやすく、そしてNT能力を生かしやすい状況であるとも言える。
事実これ以後も戦争によって覚醒、あるいは存在が確認されたNTは多く、世間がNT能力を戦争のための能力と誤解し、それが促進されてしまうのも不可避な流れだった。
因みに、戦争などせずとも目覚める可能性はある。
『Ζ』の主人公
カミーユ・ビダンは普通にコロニー生活してた高校生の段階で
精神病院必須レベルの宇宙のビジョンが見えるレベルに覚醒していた。
そんな個人の妄想レベルのものを遠距離から察知してた元赤い人も大概だが。
ララァ・スンに至っては大変な生活ではあったが、戦争どころか宇宙に出てすらいない。
そして、そんな他人の心情を事細かに察せられる人間は精神に余計な負荷もかかりやすいとも言える。
アムロやシャアが「感性がOT」というのも一見悪く見えるが、逆に言えば局所的にNT能力を使う以上の部分は割りきっている分、
(NTが人類の革新だと信じていた割には)上手く自己の能力と付き合えていたとも言えるだろう。
……その意味では、ニュータイプという言葉が歪められ、意味が狭められたことは確かで、
同時に、未熟な時代でニュータイプ達が戦場という生きる道を見つけられたことは、
それは決して幸福な道でも、正しい道でもないのだが、局地的には意義があった……のかもしれない。
【強化人間とNT専用機の台頭】
一年戦争で、連邦・ジオン双方でニュータイプのパイロットが単独で戦局すら左右するほどの戦果を挙げたことで、
戦争終了後、ニュータイプの軍事的価値は高騰した。
アムロの残した戦果は
RX-78の「ガンダム神話」同様にNT神話を産み、
戦時にあった軍部がその能力を利用、もしくは対抗しようとしたのは当然の事と言える。
同時に、ジオン公国軍を形成する宇宙移民の象徴たるニュータイプを連邦政府は恐れるようになり、
ニュータイプと思われるアムロやホワイトベースのクルーを冷遇するようになる。
その一方でNTの軍事的利用価値は認め、オーガスタやムラサメ、ネオ・ジオンなどの研究所でNTを人工的に再現した「
強化人間」の精製に着手する事になる。
前述の通り、強化人間とは、訓練や薬物投与により後天的・強制的にNT能力を引き出された人間である。
NT同様にサイコミュ兵器を操る事は出来るものの、研究途中ということもあってその精神は極めて不安定であり、
フォウ・ムラサメのように軍に有利な記憶操作を施され利用される者も多い。
最初から非人道的な発想による計画である上に、兵器として利用するつもり=制御できなければ意味がないのでそこも非人道的な方法で制御したりと、
人道的にも倫理的にも問題がある、外道と揶揄されても仕方ないような計画となった。
そして、中々精神や制御が安定しないという問題点や、計画途中で頓挫することもあったものの、
強化人間のパイロットとしての能力は凄まじいという一定の成果はあがっていた。
ニュータイプの研究と同時にサイコミュの性能向上や小型化が進むにつれて、MAやMSにサイコミュを付随した「NT専用機」が台頭。
パイロットの特性に加え、高い追従性、ファンネル等のサイコミュ兵器など量産機と比較して破格の性能を持った機体が多く、エース機=NT専用機という風潮を産み出した。
しかしNTは良くも悪くも互いに惹かれ合う性質のためか、戦場で同等、あるいはそれ以上のNTと戦う場面が多く、コスト相応の戦果を挙げたNT専用機は実は少ない。
第二次ネオ・ジオン抗争以降は大きな戦いが無く、ニュータイプと強化人間が表舞台に出てくることも無くなり、
軍縮が始まったのもあってNTや強化人間専用機は過去の遺物(ネーミング)となっている。
U.C.0120年代ではニュータイプは「モビルスーツのスペシャリスト」というエースパイロットの俗称という一般認識になっていたが、
サイコミュ兵器が扱えるということや直感に優れるという認識で知っている人も残っている。
また、貴族主義を掲げたクロスボーン・バンガードでは
コスモ・クルス教団なる貴族主義+ニュータイプ主義の組織を立ち上げていたが、宇宙世紀133年以後の詳細は不明。
U.C.0150年代でも30年前と同じ認識で残っており、やはり戦場で稀有な才能を示したウッソ・エヴィンをニュータイプだと指摘する人間も少なからずいた。
また、ザンスカール帝国ではサイコミュ搭載機の開発も行われ、いくつかは強化人間と共に戦場で活躍していた。
【NTとサイキッカー】
『
Vガンダム』の時代では、NTは『ガンダム』同様にただの『伝説』となっていた。
また同作品内では「サイキッカー」というNTに似た存在が登場している。
サイキッカーとNTは同一のものかとも思われていたが、
『
クロスボーン・ガンダム』において、NTとサイキッカーは「似て非なるもの」とされている。
サイキッカーは病気を治す・遠く離れた場所からでも意思疎通・視覚共有などの従来のNTとは異なる超能力を持っている描写がなされている。
サイコ・ウェーブが読めるサイキッカーも登場している。
とは言えサイキッカーはニュータイプの上位互換というわけでもなく、
作中の様子から優れたサイキッカーでも、必ずしもニュータイプのように他者への洞察力が優れているわけではない可能性も高い。
またサイキッカーとニュータイプ両方の素養を持つものもいる。
まさしく「似て非なるもの」と思われる。
一方、生物学的に見ればサイキッカーを誕生させる要因となった未知の領域の開拓に先駆けて、
超能力・特殊能力を開花させたニュータイプ誕生の影響は大きかったと思われ、その意味でもサイキッカーは「近くて遠いもの」である。
【NT能力】
「NT能力=互いにわかりあえ、争わずにすむ」ということも幻想レベルの考えでしかない。
実際のNT能力者はその感受性の強さも相まって人の思念にあてられたり、
逆に他人の内面にずけずけと入り込んで相手のプライベートや隠したかった想いを無遠慮に暴いたために「わかられることを拒否される」ケースがあった。
そもそも戦時中という、すでに争いが起こっている環境下で、覚醒や意思疎通を果たすことが多いので、
上手くいっても戸惑いが生じる程度であり、争わずに済むなんてことは基本的に不可能であった。現実は厳しいのである。
例えばララァとアムロは分かり合えたが、殺し合うことはやめられず、
そして逆シャア時点ではララァとアムロの考えがあの頃から変わっているのでアレになったり(特にララァ側)、
アムロとシャアは初代ラストで分かり合えた部分も多く、
Zガンダム時代の様に何事も無ければアムロとシャアは仲間になることもありえたが、
シャア側がアムロへの対抗心を燃やしてしまったのとNTに夢見過ぎなことからとてつもない事を企てて実行したので、結局激しく敵対している。
逆シャアに登場する
クェス・パラヤのように、ニュータイプ能力は高いが故にその才能をマシーンのように利用された挙げ句、
最終的に隣人愛に目覚めハサウェイ・ノアを身を挺して庇ったものの、悲劇的な末路を迎えた者もいる。
ついでにクェスは能力におぼれて傲慢になり、シャアの触れられたくない分野(ララァ関連)に土足で踏み込んだために、
シャアからはニュータイプうんぬんよりも
人間として嫌われ、道具扱い=柔らかく拒絶されるようになった。
シャリア・ブルはNT能力がありコミュニケーション能力も高かったが、自身の生真面目な性格と立場の板挟みに遭い、戦場に出て戦死することとなった。
そしてこれはシャアの思惑も絡んでいる。
宇宙世紀最高のニュータイプとされるカミーユ・ビダンも他者とのコミュニケーションが上手くいかず、
更に肥大化していくNT能力と、激化する戦争の中で人の憎悪や悪意などを受け続けた結果、
疲弊しきった精神がついには限界を迎えてしまい、精神崩壊を引き起こしてしまった。
この具体例からも、NT能力とは情報伝達の一手段と直感の強化程度に過ぎず、
人格や発言や行動などの『普通のコミュニケーション能力』のほうが重要であることが分かる。
見方を変えると、コロニー落としやら隕石落としなどの虐殺を正当化してしまう能力(洗脳)ではないので、ある意味良かったと言えるかもしれない。
今までの文章を読めば察せられると思うが作中内でも能力の質やニュータイプに対する解釈は一定していない。
UCでは作中の人物にも「定義が曖昧で人によって様々な解釈がある」と評されている。
『クロスボーン・ガンダム』では能力よりも定義に関する発言が多い。
トビア・アロナクスは「ニュータイプは宇宙という環境に適応しただけの人間。本質的な意味での進化にはまだ時間が必要」と解釈している。
一方で
クラックス・ドゥガチはある人物に、
「地球から生まれた生命でありながら故郷である地球を滅ぼすことに微塵も躊躇がない。ある意味では新人類と言えるかもしれない」
と皮肉交じりに評されている。
【ミノフスキー粒子との関係】
未だ詳細は不明だが『ミノフスキー粒子』はサイコ・ウェーブの伝播を助ける作用があるとされる。
尤も、これはまだ研究の余地があるという意味合いで、先ず宇宙世紀のガンダム世界では、
特にミノフスキー粒子の濃度が高い(戦場となった)宇宙空間などでは、頼りになる筈の電波や光通信の類が使えなくなるのだが、
ニュータイプが戦場や宇宙空間で多く発見、または覚醒したのも、そんな空間にも関わらずに遠距離から正確に「誰かいる」のを彼等が発見したからである。
それどころか特定の電荷によりはたらきを変えるミノフスキー粒子は、ニュータイプの放つサイコ・ウェーブ(思念)によってミノフスキー粒子自体もその特性を変化させる事があり、
ニュータイプ自身には前述のような状況下に於いては自分の感覚が外部にまで増大させたと認識させたという。
つまりは、その効果故のテレパシーや予知としか思えない思考の拡大であり、ここから「作中で起きた不可思議な現象はこの特性によるもの」という説もある。
Ζガンダムが発揮した「身体を通して出る力」、
ΖΖガンダムの「限界を超えたハイメガ粒子砲」、
ユニコーンガンダムデストロイモードの「機体から放たれる燐光(と、その色の変化)」や「ビームトンファーの巨大化」は、
それぞれバイオセンサー、サイコフレーム等のサイコミュ機器とミノフスキー粒子が反応した結果とされている。
詳しくは
ミノフスキー物理学を参照していただきたいが、宇宙世紀ガンダム世界の物理学は九分九厘ミノフスキー粒子を応用したものなので、上記の異常な反応も“起こり得る”のである。
(同時にニュータイプの能力の拡大にはミノフスキー粒子が必要不可欠という解答にもなる。環境と能力者が揃ってこそなのである。)
これが特に顕著に現れたのが前述の『
逆襲のシャア』における地球重力圏からのアクシズの離脱。
これはアムロとシャアの強いNT能力と人々の意志が感応し、巨大なミノフスキー・バリアを作り上げた為という説がある。
実際、『光る命 Chronicle U.C』ではニュータイプが起こした奇跡のような現象について、
アムロが「サイコミュ機器が世界に干渉するエネルギーを引き出した(意訳)」とこれらの説を匂わせるような発言をしている。
なおこの時期を境にサイコフレームなどの精神感応素材の管理と情報統制が厳重な物となり、表向きには製造が禁止された。
しかし技術革新によるものか、NT能力に近づいたのか、
『Vガンダム』の時代にはミノフスキー粒子を使った通信『ミノフスキー・コントロール』が
ゾロシリーズ(MS)に使われている。
【宇宙世紀以外のNT】
ニュータイプという言葉が登場する上に重要なワードとなっており、一般的には「人類の新しい革新」など明確に定義されている。
しかしながら、宇宙世紀と似た経緯から戦争や政治のための道具として扱われているため、プロパガンダの道具でしかなかったり、
フラッシュシステム(宇宙世紀でいうサイコミュ兵器に近いもの)を操作出来る者がNTとして重要視されており、そのことが物語に大きな影響を与えている。
NT能力だけでなく、未来予知・双子で距離関係なく意思疎通などの、宇宙世紀でいうところのサイキッカーに当たる能力も登場している。
さらにニュータイプの能力を持つイルカが登場した事から、人間固有のものではないことが分かる。
最後にガンダムXの世界におけるファーストNTである「D.O.M.E」が語った事には、
「たまたま超能力を持っていた人間をNTという価値観概念に仕立てあげたに過ぎない」とし、超能力と人類の革新は別であるという真実が明かされた。
また作中世界において
カテゴリーFと呼称され差別された超能力者達も
NT能力者も、くくりとしては等しく、ただの超能力者に過ぎないという事になる。
そしてNTを利用しようとした各勢力は色々あって滅んでしまい、NTであるために狙われ続けてきた
ティファ・アディールはもちろん、
善良な
ジャミル・ニート、ランスロー・ダーウェルたちですらも『ニュータイプという言葉』に囚われるのは卒業しようという作風になっている。
これは宇宙世紀におけるニュータイプ論への解答とも受け取れる内容になっている。
なお、ときた漫画版ではシナリオ初期稿の設定であるためかD.O.M.E.の消滅=NT能力者の能力そのものの喪失というふうに書かれているが、
これはアニメ本編とは違う(前述の通りシナリオ初期稿での設定と思われる)。
NTと同じく「革新した人類」として、
イノベイターという存在が描かれている。
変革した者は細胞の変異により常人の倍ほどの寿命を得るほか、高レベルの脳量子波を発するようになり、
NTと同じく超人的な反射神経や未来予知といっても差し支えない的中率の直感、
相手の心を感じ取り、同じく高レベルの脳量子波を持つモノとテレパシーのような形で対話できる能力を得る。
変革できるかどうかは個人差などがあるようだが、
GN粒子を多く浴びる環境下にあれば変革しやすくなるという。
提唱者のイオリア・シュヘンベルグが睨んだ通り、イノベイターは(特にGN粒子が存在する空間ならば)「他者と誤解なく分かり合う」ことを可能とする存在であり、
実際、二期では人類初のイノベイターに変革した
刹那・F・セイエイとその乗機・ダブルオーライザーが展開したトランザムバーストにより、
誤解によってすれ違っていた登場人物たちがお互いや故人の真意を悟って和解することに成功しているが、
あくまで互いに「分かり合おう」とする意識があることが前提条件であるため、
突然変革した自身の身の振り方に悩み、自分の殻に閉じこもってしまった劇場版序盤の刹那は仲間内で孤立し、
始めから
ELSを『敵』だと決めつけた
デカルト・シャーマンは、地球人類に助けを求めるELSの脳量子波による『叫び』の内容を理解できず、
ただ「頭に響く不快な叫び声」を出す存在として敵視し、ELSに激しく攻撃を仕掛けている等、
イノベイターに変革すればそれだけで他者と容易に分かり合えるわけではない、相互理解の難しさも描かれている。
作中でしばしばNT的な描写をされている能力として「
Xラウンダー」があり、Xラウンダー同士の感応やサイコミュ兵器の操作など、明らかにNTを意識して作られている。
しかしその実態は
獣が本来持っていた本能が覚醒して先祖返りした人間とされ、作中ではむしろ人間としては退化であるとされている。
すなわち、宇宙に適応するなどの「進化」したNTとは根本的に正反対の概念といえる。
ただし、これは
フェザール・イゼルカントによる一説に過ぎないため、本当かどうかは不明。
【宇宙世紀以外の類似例】
本作におけるガンダムファイターは作中において「拳を通して互いの心を理解することができる」存在である事が語られており、NTのメタファーだと見ることも出来る。
そう考えるとGガンダムはNTの主人公とOTのヒロインによる話という風にとらえることも可能となる。実際ヒロインのレインは悩んだ末にガンダムファイターにもなっている。
ただし本作にはそもそもニュータイプという概念がなく、物語の展開もその場の勢い任せなところが良くも悪くも多く、
宇宙世紀でのサイコミュ兵器にあたる『ローゼスビット』などはあるが、それもニュータイプとは言及されなかったりと、そこまで関連付けするものでもないと思われる。
最終話の件もいわば裏表のない純粋な愛の告白だから強烈に効いたのであって、そんな理屈めいたことを考えるだけ無粋では?という人も多いだろう。
また、作中における悟りの境地という名の『明鏡止水』の方が既存のガンダムファイターよりもパワーアップしたり、より深く拳で分かり合いやすくなるなどの点でニュータイプに近い描写である。
カトル・ラバーバ・ウィナーが「宇宙の心」を感じて離れた人物の痛みを感知するなど、ニュータイプと言う言葉は出ないがそれに類するものとして描かれている。
初期稿や漫画版では
ゼクス・マーキスがNTという設定があったが、放送時にはNTのない世界観となった。
一方で、NTの代わりに各種センサーや演算結果をパイロットの脳に送り込み、それを映像として知覚させることで、
空間認識の向上や近未来の予知など、他作品の(軍事利用としての)NTに似た特性を持たせる
ゼロシステムが登場。
ただし理解し合うNTとは程遠い兵器であり、結果的にシステム使用者を廃人にしたり暴走させたりと、
コミュニケーションではなくシステム使用者の未来予知のためだけ(あるいはそれに打ち勝つ精神修行)のシステムになっている。
どちらかというとこれは宇宙世紀における強化人間のそれに近い。
分析結果が脳に伝わると感覚として認識されるためか、応用したシステムを用いたカトルと
ドロシー・カタロニアはNTの感応に似た現象を起こしている。
オールレンジ攻撃である
ドラグーン・システムを使うには「高い空間認識能力」が必要という設定がある。
ただしそれは操作が難しいというだけで特殊な脳波を発信しているわけではなく、通信はパイロットの脳波ではなくシステム側の量子通信で行われる。
空間認識能力の高いパイロットたちは既知の相手ならば何となくお互いに感知出来るというNT的な描写もある。
宇宙世紀のNTと異なり、空間認識能力が高いからといって魂を感知できるわけではなく、ほかにもビームを弾いたり魂がビームを強めたり敵機を停止させたり出来るわけではない模様。
ファーストコーディネイターのジョージ・グレンはコーディネイターを「やがて生まれる新人類との関係を調整する者」という意味と願いを込めた名前だと語っており、
世間一般では「遺伝子を調整した者」という意味合いと誤解されて広まっていることも含め、こちらはジオン・ダイグンのニュータイプ論に近い扱いである。
その新人類へ進化しうる因子「
SEED」という概念も存在している。
これが発現することで、パイロットとしての操縦技能や戦術構築といった能力が向上する描写があるが、前述の空間認識能力とは関係がない。
空間認識能力に関しては、個々人の素質によるところが大きく、コーディネイターなら誰しも空間認識能力が高いというわけではないし、
ナチュラルでもコーディネイター以上の空間認識能力を持つ者もいる。
とはいえ、人間の持つ能力である以上、空間認識能力を高める遺伝子調整を施されたコーディネイターも存在し得、
実際、スーパーコーディネイターとしてあらゆる能力を高めるよう調整を施された
キラ・ヤマトは空間認識能力にも長けている。
この作品では、『Ζ』の年代の連邦軍がニュータイプを恐れていたように、
コーディネイターとナチュラルが互いの能力の差等から互いを敵視し、対立する形で両者間の戦争が続いており、
どちらであっても結局は人間であり、能力以外の面では良くも悪くも変わらないことを描きながらも、
同じ人間でありながら能力や生まれの違いだけを見て互いに敵視し合い、殺し合う愚かしさも強く描かれている。
また、コーディネイターは作中でも優秀な場面を多く描写されている一方で、出生率の低下という致命的に近い負の側面も描かれているため、
コーディネイターの方がより優秀な種族なので全員コーディネイターになるべし、などの優生学的な差別が肯定されないように設定されている。
宇宙世紀と同じニュータイプに関する逸話も伝承として残ってはいるようだが、
金星のビーナス・グロゥブでは宇宙の低重力や宇宙放射線への被曝が原因で人体が変異を起こす「ムタチオン」という現象も起きている。
これだけ書くと今までのガンダムシリーズにもよくあったニュータイプの亜種と同じようなものに見えるが、
そうして変異した人間は栄養失調の子供のような体毛が抜け切った痩せぎすの小さな身体となり、さながらリトルグレイのような異形の姿に変貌してしまう。
実際にムタチオンが発生したラ・グーの発言から察するに寿命が著しく長くなるというメリットもあるようだが、
見た目通り身体的には非常に脆弱なようで、まともに生活するには普通の人間の首から下を模した「ボディスーツ」と呼ばれる特殊な服が必須となる。
当然ながらビーナス・グロゥブの人々はこの現象に怯えており、
ジット団がロザリオ・テンやラ・グーに反いてレコンギスタ作戦を強行し、そしてそんな彼らに少なくない支持者が存在する理由のひとつでもある。
R.C.におけるスペースノイドとアースノイドの地位は宇宙世紀とは完全に逆転しており、
地球はスコード教から供給されるエネルギーのお零れに預かってどうにか文明を存続している有様。
そんな時代において本当に起きてしまった「宇宙空間における人間の革新」に人々がただ恐怖し、コロニーよりも低い地位にあるはずの地球に対して望郷の念を募らせる姿は、
ガンダムシリーズ生みの親本人による、ニュータイプ神話に対する最大級の皮肉と見る視聴者も多い。
『ガンダム』の名を冠する作品群の遥か未来という設定にして富野作品の一つである本作では、
御大が既に制作順では後発となる上記『Gレコ』と同様の感想=メタ的な意味も含むガンダムシリーズの総括と否定を目論んでいたためか、劇中での用語としては“ニュータイプ”という用語は登場せず。
……が、用語として出てこないだけで番組設定、世界観構築の為の要素としては盛り込まれており、実際に『∀ガンダム』に登場してくるメカニックは過去の世界の遺産や発展技術であり、
サイコミュやニュータイプ的な感応といった描写が説明はされていなくとも演出としては確りと描かれている。
『∀ガンダム』世界の人類の説明としては遥か過去にニュータイプが発生した時代の末裔となっており、
過去のシリーズではニュータイプ達は自らの能力を使って遥か外宇宙まで飛び出していく姿が描かれたり想像されていたが、
そうした旅路に疲れはてて地球圏へと戻ってきたのがムーンレィスの先祖なんて説まである。
また、技術的にもサイコミュがより一般的かつ、日常生活に取り込まれる形で使用されているなんて予想まであり、
かつての『機動戦士ガンダム』でのニュータイプの発生が宇宙という環境に適応するためであったのと同様に、
この時代では人類の中にニュータイプの劣化した素質が等しく存在しているために環境次第では先祖返りしたように素質に目覚める可能性が高いとのこと。
本編ではギャグ編の一つとして流されていたが、初めての宇宙空間でストレスを感じた地球側のオッサン達が触ったこともなかったMS(ボルジャーノン)に乗り込んで脱出を図る中で、
急速にMSの操縦に慣れるばかりか、宇宙空間での戦闘への適応をも見せ初めている。
アニメ本編では以上のように“気付く人だけ気付けばいい”という程度の扱いだったものの、番組では上記の理由から裏設定扱いとなった資料も渡されて執筆された福井版の小説等では、
それらの情報も盛り込まれて執筆された為に明確に主要キャラクターがニュータイプに覚醒したり、物語の方向性そのものが黒富野化したりといった面も。
【ゲーム作品での扱い】
Gジェネや
スパロボ等、パイロット毎に能力の差異が生じるゲームでは強い存在感を発揮することが多い。
細かな扱いは作品によって変わるが、特殊技能扱いされる点、命中率・回避率に補正がかかる点、ファンネルなどのサイコミュ兵器を扱う際に重要な能力という点は大体共通。
Gジェネではパイロットや艦長以外に戦艦の操舵手に補正が付くこともある。
ニュータイプ能力がシステム的に特殊技能として扱われない場合でも、大抵は「覚醒値」という数値でその素養の有無や強弱が示される。
サイコミュ兵器の起動にNT能力が必須ではない場合でも数値が高いほど威力や射程の強化等より大きな効果を発揮できることには変わらない。
これだけで強さが決まるわけではないとはいえ、やはり純粋なオールドタイプ(覚醒値0)との間には大きな差が存在する。
具体的にはNT能力特化で素の能力が壊滅的な
イワン・イワノフがそれなりにやっていけるぐらいの影響力はある。
なお、初期のGジェネでは命中・回避への補正値がえげつない上にファンネルの最大射程・最大火力が全武装でもトップクラスなのでNTとOTの格差は相当なものだった。
イワン同様NT能力以外壊滅的なティファがガロードやフロスト兄弟よりも明らかに強い、といえばわかるだろうか。
スパロボでは
F・F完結編での補正が凄まじさが有名で、「
ニュータイプにあらずんば人にあらず」などという格言がまかり通っていた。
もっともここまで言われたのはNT技能補正そのものだけでなく、NT技能持ちでないとまともに戦えないという
劣悪高難易度なゲームバランスに起因する部分も大きい。
以降の作品ではNT技能の補正が抑えられ、NTとOTの能力格差も無くなり、計算式の変更などで好きなユニットを活躍させられる難易度になったためNT以外も十分にやっていけるようになっている。
また初期のころのスパロボオリジナル主人公はNT技能を持っていたりした。
【余談】
メタなことを言えば、製作者の息子とはいえ個人所有でもない軍の予算で作られた最新鋭兵器を一介の民間人が放送終了まで使い続ける異常事態を合理化するための設定である。
ガンダムの産みの親である
富野由悠季氏は1stの中盤以降この設定を疎ましく感じ、
以降では作中のNT能力者に対して肯定的に描きながらも否定的と言える描写や発言も目立つようになる。
その理由の一つとして当時SF作家達から「(NTは)言葉を摩り替えているだけで、実質は既存のSF作品で描写されている超人類の類と大差は無い」という指摘を受けたという事がある。
この指摘は至極もっともであり、富野氏は提唱者として否定しなければならないという気持ちに囚われてしまい(作品が成立しなくなるわけではないのだが)、鬱・ノイローゼを引き起こす事となった。
∀ガンダムのころまでの富野氏の関わったガンダム作品には、この気持ちが少なからず作風に関わっていると言われている。
また、超能力要素は当然として、ビームを弾いたり機体を停止させるような説明がつけられないオカルト的なその描写から
リアル的な描写を好む人々からは敬遠されることもあり、NTの登場しない外伝系を好む人々が多い一因ともなっている。
これは制作側とて例外ではなく、
0083のプロデューサー・植田益朗氏は「便利な超能力者を出すと作劇上安易に使われがち」という理由で、
富野氏の「ニュータイプ、ちゃんとやってよ」というリクエストを蹴っている。
が、近年では外伝系にもニュータイプを主軸に扱った作品が増えて……というか増えすぎており、特に福井ガンダムで
スーパーロボットの領域まで突っ込むインフレを引き起こしていることもあって、
それまでニュータイプに対して比較的肯定的だったガノタでも「もうニュータイプはいいよ」という風潮があったりするとか。
また、ニュータイプを特別で重要な要素として扱い、作者がいくら肯定的に描いても、
結局はギレンやシャアの様な優生学と同じ差別問題に行き着くため、作品の付け合わせ程度ならともかく特別視した描写自体を批判する人もいる。
「い、今、冥殿が言った。wiki篭りは、追記・修正する道具ではないって」
「アニヲタwikiでは強力な武器になる。やむをえん事だ」
「貴様だって、wiki篭りだろうに!」
- コメント欄が長くなってきたのでリセットしました -- 名無しさん (2017-03-18 12:20:50)
- 主役を本物扱いしデカチンやら強化人間やらを偽者扱いしたUCやOOより、二回もラスボスに論破された最高のコーディネーター()が主役のSEEDのがNT論的NTをうまく描けてると -- 名無しさん (2017-03-23 08:55:17)
- ↑途中送信 思うの私、優れた主役級を描けば描くほど離れてくという気がする -- 名無しさん (2017-03-23 08:58:46)
- SEED世界に「誤解無く人とわかり合え、不要な争いを回避できる人」っていたっけ?誰も彼も天上天下唯我独尊を地でいってたイメージしかないんだが。それとも反面教師的な意味で? -- 名無しさん (2017-04-11 15:58:10)
- 特殊な力を「人の革新」と見るガンダムシリーズは多いけど、その割に全人類がその力を持った時代を描くガンダムってあまり見ないなあ、とちょっと思った -- 名無しさん (2018-02-06 21:23:23)
- ↑4 あれそもそも議論そのものが成立してないから論破もへったくれもないんだよなぁ… -- 名無しさん (2018-03-27 19:01:41)
- シャアってオールドタイプ見下すようなシーンあったっけ?地球を離れようとしないアースノイド(というか連邦高官)には失望してるけど -- 名無しさん (2018-04-04 08:11:28)
- 高官への失望もあるけど、そもそもとしてシャアはオールドタイプはニュータイプにならないといけないって考えが根底にある。これがアクシズ落としの理由の一つにもなっているしニュータイプを特別視し過ぎるあまりにナチュラルに見下しているよ。 -- 名無しさん (2018-04-04 08:35:57)
- 生みの親自身すら「扱いきれなくて八方塞がりだったのが打ち切りに救われた」なんて言ってるくらいだし、もうニュータイプ論を主軸に据えるのやめた方がいいでしょ。どうせF91の時代にはほとんど忘却の彼方に消え去るんだから何やっても一緒だよ。 -- 名無しさん (2018-07-15 18:47:36)
- 生みの親である富野が既に答えを明示しているというのにいつまでもニュータイプとはなにか!みたいな話続けるのちょっとなぁ……って思っちゃうよね。バンダイの商売事情とかもあるんだろうけどさ。 -- 名無しさん (2019-02-04 23:28:27)
- 殴り合いで思いを伝えあえるガンダムファイターの皆さんはNTに近いのかな -- 名無しさん (2019-02-22 17:00:06)
- ↑そういえば決勝で、ドモンがぶつかりあった拳から、師匠の悲しみを感じ取ってたね。 -- 名無しさん (2019-02-22 17:25:08)
- っていうか「宇宙世紀以外の例」に書かれてた気がするけど、消された?>拳で伝える -- 名無しさん (2019-02-22 21:15:13)
- そのGガンでもラスボスのレインとは殴り合って和解なんて出来ないから人として基本的なコミュニケーションの言葉に行くしかなかった、つまりNTへの逃避を否定したわけで、そういう意味では一足早くXの結論に達している -- 名無しさん (2019-06-26 07:44:38)
- シャアは見下しているというより失望しているって言った方が正しい。旧世紀に宇宙進出しようとしていた人たちの事はリスペクトしているし、人は重力から解放されれば自然とニュータイプになれるって信じていた。だからこそいつまでたっても行動せずに地球を汚染し続ける事に嫌気がさしてた -- 名無しさん (2019-06-26 08:53:48)
- ニュータイプという存在のオカルト化は角川春樹の影響があったのではないか。そっち系の人であるあの人にとってニュータイプ=人の革新などという存在は興味をそそらずにはいられない存在だろうから。角川がガンダムに手を伸ばさなかったらこうなることはなかったのかも。 -- 名無しさん (2019-09-12 00:39:15)
- 逆シャア前後でNTメインの外伝と小型MSsageはもうお腹いっぱいですわ。何よ高次元て -- 名無しさん (2019-09-12 01:52:06)
- ↑4 レインは告白前の話で「私はファイターじゃないからファイトで分かりえない」と言ってるしうまいよね。イボルブで殴り合ってるけど問答無用でボコっただけだしライジングが無事なことから最終決戦前だろうから、まぁ -- 名無しさん (2019-09-13 10:56:03)
- 実はセイラさんの台詞が最もニュータイプの本質を突いてたりしてな。「人がそんなに便利になれるわけ無い」 -- 名無しさん (2019-10-24 13:31:04)
- 首切り王のNTとのチェスの話は面白かったな アムロがアホ程強い理由付けにもなってるし -- 名無しさん (2019-10-26 18:37:23)
- 個人的にニュータイプは宇宙に適応した人類というより適応したのは高濃度ミノフスキー粒子化だと思う。ニュータイプが起こした不思議な事って後付けでミノフスキー粒子がかかわってること多いし… -- 名無しさん (2019-10-26 18:42:43)
- 方便というか精神的なものとして謳われていた「宇宙に適応した新人類」が、物理的存在として本当に現れてしまったせいでみんなパニック起こしているという感じ -- 名無しさん (2020-03-13 17:18:27)
- ↑ そんでもってその力に固執した者は隣人を愛する者(歴代主人公)に敗れ去っているんだよな。 -- 名無しさん (2020-03-13 17:29:08)
- Gレコのムタチオンはニュータイプ信仰に対するこれ以上ないくらいの皮肉だと思う -- 名無しさん (2020-03-13 22:33:06)
- 結局の所太陽系出ても髭のお兄さん作ってる辺りドンパチやってるという人類の性よ。嗚呼まさにWar.. War never changes. -- 名無しさん (2020-04-16 02:14:56)
- 地球で産まれた生命のはずなのに自分を木星人だと認識して、地球を焼き尽くすことに全く躊躇がないドゥガチは能力とは違った意味で新たな人類(ニュータイプ)って捉え方は好きだったな -- 名無しさん (2020-05-05 19:05:54)
- 長谷川ガンダムだと通信機や暗視ゴーグル感覚でめっちゃ気軽にニュータイプ能力使ってるシーンが散見されるのが好き。本人にとっては持って生まれた当たり前のものでしかないんだから、そりゃ使える時に使って当然よね -- 名無しさん (2020-08-08 20:31:54)
- 結局の所ニュータイプは単なるモビルスーツの生体CPUみたいなものでFA? -- 名無しさん (2020-11-12 02:42:19)
- ↑ ただの五感の延長だと思う。それを大げさにいっているだけで進化したって言うならGレコや∀の時代にもっとNTがいてもおかしくないんだよね。XのDOMEが言っていたように人の革新と人を超えた能力は別 -- 名無しさん (2021-02-13 10:34:29)
- 「殺気を感じ取る」って強キャラの必須技能みたいなところがあるけど、当時のロボットアニメで強調されるのは珍しかったんだろうか -- 名無しさん (2021-02-13 12:37:46)
- ↑2 そしてGレコの時代に本当に人間が宇宙の環境の影響で変化するムタチオンが起きたら、当人達は「こんなん嫌だ」って恐怖して地球にレコンギスタしようとするのが皮肉としか言いようがない -- 名無しさん (2021-03-30 20:27:10)
- NTにできることはようはSNSみたいなもん、って意見は面白かったな。 -- 名無しさん (2021-03-30 20:40:17)
- 「なぐりあい宇宙」のメチャクチャ理論に笑った。「それは……根性(ガッツ)だ!!」「それが不自然なのよ!!」 -- 名無しさん (2021-06-10 07:59:59)
- 角川春樹がこの設定に興味を持ったから角川とガンダムが手を組むようになった、と見るのは -- 名無しさん (2021-07-05 14:17:38)
- ↑続き、こじつけか。そうでもなきゃ雑誌名にニュータイプなんてつけないと思うんだ。角川春樹ってそっち系の人だし。 -- 名無しさん (2021-07-05 14:19:07)
- シャアは結局ニュータイプでもオールドタイプでもないよく言えば中間、悪く言えば出来そこない -- 名無しさん (2021-07-05 14:20:30)
- ↑2 あー、そういえば帝都物語では何かすごい宗教の教祖で、加藤と霊体バトルとかしてたりしたもんなぁ。さもありなん。あってもおかしくない。 -- 名無しさん (2021-08-29 15:01:02)
- やっぱり「ニュータイプ」の『答え』として一番正しいのは「X」だと思う。 -- 名無しさん (2021-08-29 15:51:09)
- 結局単なる「不安定な突然変異体」の域を出なかった存在。長谷川先生が冗談半分でチンパンジーNTを書いてたけど「人類の次のステージではなかった」っていう皮肉が効いてて好き。 -- 名無しさん (2021-09-08 15:31:35)
- 人類全てがNTに覚醒した時、世界は滅ぶ。互いが相容れない存在と解った暁は。 -- 名無しさん (2021-09-17 05:09:30)
- ↑「思想が一致しない」と「相容れない(相手を認められない)」は違うものだから別に滅んだりはしないでしょ。人間自体が妥協を知らないほど強い生物ならともかくそうじゃないんだから結局それまでと同じように利害や思想の一致の度合いでグループを作るだけ。だからラプラスの箱も意味がなかったわけで… -- 名無しさん (2021-10-25 08:11:17)
- ↑10 他人の意思が流れ込んでくるのはツイッターの書き込みが目に見えるようなもんとかそういうやつだっけ? それで分かり合えることもあるし、嫌な物ばっかり流れてきたらきついわな -- 名無しさん (2021-10-25 09:19:40)
- 項目中だと「相手の心にずけずけ踏み込んだ結果『分かられる』ことを拒否されることも多かった」ってあるけど、これとは逆に「こいつだけは許せない」っていう敵意もまた誤解なく伝えてしまえるのもニュータイプの負の側面よね -- 名無しさん (2021-10-25 10:51:53)
- ↑「解りあう」事と「互いを容認する」と言う事は全くの別物だからね。 -- 名無しさん (2021-12-02 04:11:33)
- ↑9 シロッコがZ本編でほぼ同じ事を言っていたな。 -- 名無しさん (2022-05-27 04:28:57)
- 結局のところ人間性が求められるのはNTもOTも変わらない -- 名無しさん (2022-06-11 14:49:15)
- 分かり合えるといえば聞こえはいいけど、意思疎通の方法として「言葉」を選択した人類が「言葉による相互理解」を放棄した姿とも言える。なんかイデが怒りそう。 -- 名無しさん (2022-06-24 01:05:45)
最終更新:2022年06月24日 11:50