ニュータイプ(ガンダムシリーズ)

登録日:2011/03/28 Mon 22:20:27
更新日:2025/09/07 Sun 21:38:15
所要時間:約 42 分で読めます





ニュータイプ(NT)は、ガンダムシリーズに登場する架空のハイパー・サピエンス。



【概要】

ニュータイプ(NT)は、宇宙世紀のガンダムシリーズに登場する架空のハイパー・サピエンスである。
初出は、アニメ『機動戦士ガンダムの第38話「再会、シャアとセイラ」。
提唱者はジオン共和国を建国した思想家ジオン・ズム・ダイクン
小説『機動戦士ガンダムⅢ』PART17「怨念」のダイクンの演説によれば、ニュータイプとは、
人類が宇宙という過酷な環境に適応するため、大脳の潜在能力を覚醒させ、より深い洞察力と慈愛に満ちた精神を獲得し、時空すら超える力を手に入れた存在と定義した。
このダイクンの定義は、単なる進化を断言するものではなく、宇宙で生き抜くために人類が自ら変革しなければならないという、切実な必要性を示唆するものでもあった。


【ニュータイプ論】

ニュータイプ論は、ジオン・ズム・ダイクンが提唱した、人類が宇宙に適応することで進化した姿を論じる思想。
その概念は、提唱者であるダイクン以降、歴史の中で様々な人物や勢力によって独自の解釈が加えられ、多岐にわたる意味を持つようになった。

ダイクンのニュータイプ論

ジオン・ズム・ダイクンの提唱したニュータイプ論は、小説『機動戦士ガンダムⅡ』のPART12「人たち」で言及されている。
宇宙へ生活圏を拡大した人類が必然的に辿る進化の道を説明したものである。
ダイクンは、広大な宇宙空間に適応するため、人類は認識力を拡大し普遍化させる必要があると説いた。
これは、生活空間が拡大するにつれて、距離を超えた強固な繋がりを求めるという、種としての必然的な本能に基づいた人の革新だとされている。

ダイクン以外のニュータイプ論

ギレン・ザビのニュータイプ論:
小説『機動戦士ガンダムⅠ』のPART6「テキサス・ゾーン」によれば、ギレン・ザビの定義するニュータイプとは、
個人の能力を指すものではなく、意識が拡大しつつある新人類、即ちニュータイプであるジオン公国という、集合的な存在を指していた。
ギレンはニュータイプであるジオン公国が人類を管理するという風にプロパガンダしていたのである。

ジオン公国軍のニュータイプ論:
小説『機動戦士ガンダムⅡ』のPART12「人たち」によれば、ダイクンのニュータイプ論が一年戦争下において、全く別の解釈をされてしまった。
先読みが可能なパイロット、戦争屋としての超能力者という考えが発生してしまったのである。
これは同PARTで、ジオン公国の戦争当事者の期待感がそう思わせたと言及されている。

ジオン公国軍フラナガン機関でニュータイプの能力の開発が行われていた。
ギレン・ザビは、妹のキシリア・ザビが主導するニュータイプ部隊をこの意味で捉え、「方便に過ぎない」と軽視していた。

レビルのニュータイプ論:
小説『機動戦士ガンダムⅠ』のPART3「キャルフォルニア・クラッシュ」で、ジオン公国軍で捕虜となっていた期間にレビルは、
ニュータイプは宇宙世代の中で認識力が拡大強化された種であることを把握していた。
同小説のPART4「ニュータイプ」でレビルはズバ抜けた戦果を上げているシャア・アズナブルがニュータイプではないかと推測するが、ニュータイプはその程度で超能力者ではないと否定する。
彼は、ニュータイプ説が素晴らしいことは人類そのものが脱皮して人類全体の認識力が拡大するという考え方が、空想小説以上に素晴らしいと絶賛した。

映画『機動戦士ガンダムⅢ』で、地球連邦軍のレビル将軍は「ニュータイプとは、戦争なんぞせんですむ人間のことだ。超能力者のことではない!」と発言し、ニュータイプを超能力者と区別した。

ジャミトフ・ハイマンのニュータイプ論:
小説『機動戦士Zガンダム』で、ジャミトフ・ハイマンはニュータイプ論をさらに深く掘り下げている。
彼は、ニュータイプ能力は必ずしも宇宙環境や超能力に依存するものではなく、「意思と感性の狭隘さを突破」することで、誰でも獲得できる可能性のある潜在能力だと考えていた。
彼の見解では、ニュータイプ能力は、本能的に備わっている「番となる異性との連携能力」の拡張であり、意識の持ち方や修養次第で発現すると考えていた。

ウッソ・エヴィンのニュータイプ論:
小説『機動戦士Vガンダム1 ウッソ・エヴィン』の18「ウッソの夢」によれば、ウッソ・エヴィンのニュータイプ論は、
他の提唱者(ジオン・ズム・ダイクンレビルシャア・アズナブルケネス・スレッグ)と同様に、ニュータイプを特殊な超能力者ではないと捉えている点では共通している。
しかし、人類が単に宇宙に出ることでニュータイプに覚醒するという考え方には懐疑的である。
ウッソは、人類全体がニュータイプとなることは、科学技術に頼りすぎた結果失われた自然とのつながりを取り戻すことだと考えていた。
そして、精神を共有することでエゴを捨て、互いに共存できる種の革新を遂げた姿こそが、人類全てがニュータイプとなった形態だと捉えていた。

【定義】

ハイパー・サピエンス

小説『機動戦士Zガンダム 第四部―――ザビ家再臨』のパート2「永遠のフォウ」で、
ニュータイプは、人類が宇宙を生活圏に取り入れた際に、その広大な空間を正確に認識する力を身につけた人々と説明された。
ニュータイプは地球以外の空間を理解・把握し、コミュニケーションや意思疎通の手段を持った、現生人類(ホモ・サピエンス)を超える「ハイパー・サピエンス」で定義されたのであった。

ニュータイプは空間や時間の障害を乗り越え、互いに共感し合う「愛」を共有する能力を持つため、物事をより正確に見定めることが可能である。
この能力は、目の前の事態からその後の推移を予測することも可能にしているが、旧来の人々(オールドタイプ)からは「超能力」や「予知能力」と見なされてしまう。
本来、ニュータイプの出現は、宇宙に生活圏を広げた人類に当然起こるであろう種の変革(突然変異)であった。
しかし、知性を持った人類は、自己の中の異種を明確に拒否する傾向があった。
そのため、ニュータイプは軍事の世界において、その特異な才能がパイロットとして利用されることになった。

ニュータイプはエスパー(超能力者)ではない

アニメ『機動戦士ガンダム』の初期設定や前半部分では、「エスパー」という概念が示唆されていた。
例えば、第9話「翔べ!ガンダム」でマチルダ・アジャンアムロ・レイに対して「あなたはエスパーかもしれない」と発言している。
また、『機動戦士ガンダム 記録全集5』に掲載されたトミノメモの第45話「遭遇!ララァ」においても、
パッカデリアが「半エスパー」であると説明されており、物語の構想段階でエスパーを登場させる案があったことがうかがえる。
小説『機動戦士ガンダムⅠ』のPART8「はじまり」で、フラナガン博士が「サイコミュは超能力者といわれている人々には充分な機能は発揮しなかった」と説明していることから、
超能力者が宇宙世紀世界に存在していることは明言されている。
しかし、同小説のPART4「ニュータイプ」でレビルはニュータイプは超能力者ではないと否定する。
これはアニメシリーズも同様で、映画『機動戦士ガンダムⅢ』で、彼は戦争なんぞせんですむ人間のことだと付け加えた上で、ニュータイプは超能力者ではないと否定している。

この定義は、続編のアニメ『機動戦士Zガンダム』でも同様で、同作の第3話「カプセルの中」でカミーユ・ビダンがニュータイプかどうかをブレックス・フォーラから聞かれた際に、
クワトロ・バジーナは「ニュータイプはエスパーではありません」と否定している。

「別冊アニメディア 機動戦士ガンダムZZ PART.2」の107頁で、ニュータイプの発想はいつごろからあったかを聞かれた富野由悠季は、
「エスパーと感違いされそうになりながら、ニュータイプという部分を出していきました。その時は まだ僕自身具体的に定義の部分まではいきついてなかったんです。」
と答えた。

U.C.0200年代を舞台とした小説『ガイア・ギア2』の第9章「マスターベーション」では、
マハに所属するウル・ウリアンはニュータイプは町の霊能力者や超能力者と違う存在と説明している。
ウルは、真のニュータイプになるには理性と想像力の両方が不可欠だと考えており、理性だけでは功利主義者に、想像力だけでは「町の霊能者や超能力者」に陥ってしまうため、
単に超常的な能力を持つだけではニュータイプではないと否定した。
ウルにとってのニュータイプとは、理性と想像力を用いて社会の問題を深く洞察し、解決へと向かう意志を持つ、精神的に完成された存在を指していた。

ニュータイプはエスパー(超能力者)ではないことへのアンチテーゼ

『ZZ』までは上述のように、ニュータイプとエスパーの違いが描かれてきたが、
小説『機動戦士ガンダムF91 クロスボーン・バンガード(上)』の十八章「侵攻」では、ニュータイプは昔存在したエスパーのようなパイロットとして説明されている。
F91に搭乗したシーブック・アノーが、白兵戦で敵のメイン・エンジン(核融合炉)を爆発させずに倒すという超人的な技術を見せた。
現在の地球連邦軍のパイロットで、そのような芸当が出来る人間は一人もいないと明言された。

ニュータイプは宗教ではない

小説『機動戦士Zガンダム 第一部―――カミーユ・ビダン』のパート14「アーガマ」では、
一年戦争を終え軟禁される前のアムロ・レイがニュータイプと宗教を比較し、その本質的な違いについて語っている。
彼によると、ニュータイプは透視術や霊能力ではなく、他者の主義や意志、経歴などを総合的に理解する能力を持っている。
これは「総論として見える」もので、宗教的な悟りとは異なるとされている。
なぜなら、キリストブッダといった宗教の開祖でさえ、自らが悟った境地や知った世界を他者に伝えることはできなかったからである。

アニメ『機動戦士ガンダムZZ』の第2話「シャングリラの少年」で、
カミーユ・ビダンジュドー・アーシタと握手することで、彼をニュータイプとして覚醒させているという事実は、
ニュータイプの経験は他者に伝達可能であることを示している。
この点が、個人の体験を伝えられなかった宗教の開祖たちとの決定的な違いであり、ニュータイプが宗教ではないことの根拠の一つであると言える。
この設定は映画『機動戦士ガンダムNT』でニュータイプ能力の感染としてオマージュされ、
リタ・ベルナルヨナ・バシュタミシェル・ルオに握手することで、ブリティッシュ作戦によるコロニー落としのビジョンを見せている。

小説『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン』のPART13「母と子」では、
クェス・パラヤとインド大陸で行動を共にしていたトフラーなどのヒッピー達が、宗教が生きるためのノウハウを伝えようとせず、アカデミック学派の道具になったと指摘する。
彼らは、教祖たちは間違いなく解脱していたが、その極めて個人的な体験は他人に伝達できなかったことを認めた。
このことから、宗教が教義や宗派を生み出す過程で、本来の目的から逸脱していった現実が語られています。

小説『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(中)』の7「ギギ&ケネス」で、ケネス・スレッグは、ニュータイプは悟りを自分のものにした上で周囲の人々と共有させる力を持った人間だと語る。
しかし彼は、ニュータイプを宗教とは明確に区別してる。「宗教なんて教義の檻」だとし、ニュータイプとは人間が元々持っている**「資質」**に過ぎないと断言する。

ニュータイプは宗教ではないことへのアンチテーゼ

『閃光のハサウェイ』までは上述のように、ニュータイプと宗教の違いが描かれてきたが、
小説『機動戦士ガンダムF91 クロスボーン・バンガード(上)』には、クロスボーン・バンガードが関わっている宗教コスモ・クルス教が登場する。
この宗教は、人の生命は魂の修練の場であるという教えを信徒に課しており、入信しているカロッゾ・ロナ(鉄仮面)はその思想を自身の行動の根幹に据えていた。
カロッゾは同小説の四章「スプリング・ボード」の演説で、隊員達に「高貴なる者」としての規範を説き、
彼らがこれから行う殺戮行為を、人類という種の「一時の自浄行為」であると正当化する。
そして、このような行為を通じて、より切磋琢磨した人類が、「人類総体、ニュータイプになる時代」を到来させると主張した。
この思想は、選ばれた「コスモ貴族」が、犠牲を伴う泥仕事を率先して行うことで、人類を導くリーダーとなり、最終的に全ての人類をニュータイプへと進化させるというものであった。

漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』では、小説『機動戦士ガンダムF91 クロスボーン・バンガード(上)』内でシェリーと呼ばれていたコスモ・クルス教の教祖シェリンドン・ロナが登場。
ニュータイプの素養を見出したトビア・アロナクスを自らの下に来ないかと勧誘するが、彼からは拒絶された。

【能力】

洞察力の鋭さ(勘の良さ)

小説版『機動戦士ガンダムⅠ』のPART8「はじまり」で、ニュータイプに共通する特徴として「過去の思想や認識論を超えた洞察力」が挙げられている。
同小説のPART5「ジオン」で、フラナガン博士がシャア・アズナブルにニュータイプの素質を見出すも、その能力がどのようなものか不明なため、慎重な態度を取っていた。

このニュータイプの洞察力について、著者である富野由悠季は、「kotoba2021年秋号」71頁のインタビューで以下のように語っている。
富野は、ロボットアニメのスケールを小さくするために、操縦者に特別な能力が必要だと考えた。
しかし、それは「エスパー」のような特定の人物が持つオカルト的な能力ではなく、いずれすべての人間が持つことになる能力を先行して持つ存在として、ニュータイプを構想したのである。
その力とは、最終的に「洞察力」であるという結論に達した。しかし、アニメ『機動戦士ガンダム』の中でその概念を完全に描き切ることは難しかったと語った。

認識力の拡大・強化

小説『機動戦士ガンダムⅠ』のPART3「キャルフォルニア・クラッシュ」で、レビル将軍は、
ジオン公国の捕虜となっていた際にニュータイプについて聞かされ、それを「宇宙世代の中で拡大・強化された種」として認識していた。

小説『機動戦士ガンダムⅡ』のPART10「クスコ・アル」では、アムロ・レイララァ・スンの思惟の交換の際に、
シャア・アズナブルがアムロとララァは認識力を拡大させたことを垣間見たのだと触れられている。
シャアはそれが男女の性愛の交感さえ超えて、人の欲求と知性が純化していくプロセスのように思え、人類すべてがあのように高められるなら果たしてみたいと夢想するのだった。

感応波(サイコ・ウェーブ)

ニュータイプの特殊な脳波「感応波(サイコ・ウェーブ)」を発信している。
サイコミュ(サイコ・コミュニケーター)はこれを使って動作し、ビットやファンネルといった遠隔ミサイルを操作している。

サイコ・フレームは感応波を集積・変換する機能があり、光に変え、最終的には物理エネルギーに転換する。
その物理エネルギーである力場のことをサイコ・フィールドという。
U.C.0093に起きたアクシズが地球から弾き返された事象「アクシズ・ショック」は、億単位の人間の感応波を取り込んで発生したものだった。

サイコミュ関連装置を使ったバリアーの発生、ビーム出力の増大など

「別冊アニメディア 機動戦士ガンダムZZ PART.2」の107頁で、富野由悠季は、ニュータイプが専用機に乗った時の能力は具体的にどう理論づけるかを聞かれた。
これの指す所は、『機動戦士Zガンダム』の第50話「宇宙を駆ける」でカミーユ・ビダンZガンダムバイオ・センサーを、
機動戦士ガンダムZZ』でジュドー・アーシタZZガンダムバイオ・センサーを発動させて、ビームの出力などを上げている現象のことだと思われる。
富野はこの能力部分はニュータイプの本質ではなく「しょせん枝葉末節の能力論、技術論」に過ぎないと述べる。
これは、個々の才能を誇示する「絵がうまい」といったレベルのことであり、ニュータイプの核心を描くものではない、という見解である。

残留思念との対話能力

上述の「別冊アニメディア 機動戦士ガンダムZZ PART.2」の107頁のインタビューの続きで、
富野由悠季はニュータイプが残留思念と対話する描写、いわゆる「幽霊映画」のような演出について、自身が望んだものではないと語る。
本来はロゴス(論理)を映像で表現したいと考えていたものの、映像作品の限界から、結果としてオカルト的な描写になってしまうことを「あきらめてやっている」と正直に認めていた。

思惟の発信・放射能力

小説『機動戦士ガンダムⅠ』のPART8「はじまり」で、ニュータイプが天才や超人とは違う存在であることの根幹部分として、この能力が言及されている。

思惟の直結

アニメ『機動戦士ガンダム』の第41話「光る宇宙」で、アムロ・レイララァ・スンは、
宇宙空間で距離もあり、お互いが機動兵器の装甲で隔てられているにも関わらず、意識が共鳴し、思惟が直結、会話を始める。
しかし、彼ら以外の人物、シャア・アズナブルセイラ・マス達の意識も混じり合う戦場であったが故にそれは中断され、
最終的にシャアを庇うためにララァは自身を盾にして、アムロに殺害されてしまう。
アニメ『機動戦士Zガンダム』の第47話「宇宙の渦」では、カミーユ・ビダンハマーン・カーンが、意識が共鳴し、思惟の直結から会話を始める。
しかし、カミーユはシャアとハマーンが仲睦まじげに写真を撮っている過去の映像を見てしまう。
自分の中の過去の映像を見られたハマーンは激昂し、思惟の直結は中断してしまった。この思惟の直結の延長線上にあるものが思惟の流れの融合である。

思惟の流れの融合

小説『機動戦士ガンダムⅠ』のPART8「はじまり」にでは、ララァ・スンから発信された憎悪の裏返しの悲しみの思惟が、
彼女の肉体とアムロ・レイの肉体を繋ぐと膨張し急速に拡大していった。
アムロとララァ2人の思惟の流れの融合が爆発し、アムロとララァで一つの思惟は永久へと上昇。
この思惟の流れの融合の延長線上にあるものが、究極の思惟の完成である。

究極の思惟

究極の思惟とは、二人以上の思惟が完全に溶け合い一体となった状態を指す。
小説『機動戦士ガンダムⅠ』のPART8「はじまり」で、アムロ・レイの思惟はララァ・スンの中にあり、ララァの思惟はアムロの中にあった状態で、
思惟の広がりは宇宙を翔び、人が見る究極の思惟が完成した。それは誤謬なき人同士の共感であった。

漫画『機動戦士ムーンガンダム』では究極の思惟についてシャア・アズナブルが触れている。
episode 71で、南極でムーンガンダムに搭乗したユッタ・カーシムはブリティッシュ作戦のコロニー落としで死亡した怨霊達に操られ黒い渦を発生させる。
彼らの言うがままにシャア・アズナブルの駆るサザビー初期試験型(重力下仕様)を取り込んで世界の界面に穴を開けて世界を裏返すように誘導されていたが、
ミネバ・ラオ・ザビの影武者であるユリアに呼びかけられ、正気を取り戻す。
episode72(前編)で、シャアはユッタとユリアの自我(エゴ)が融合していることを分析し、これが究極の思惟なのかと納得しようとしていた。
背後には全体からララァ・スンの残留思念が翔んできていたのだが、シャアはそれに気付いていなかった。
シャアは、抱き合うユッタとユリアの背後に、ララァとアムロ・レイが抱き合う幻視を見ると、シャアは自らのニュータイプ観を再構築した。
ニュータイプを「神」のような存在としてではなく、「深い洞察力を持つ新人類」だと再定義し、目の前で起きた超常的な出来事を「ナンセンス」と切り捨てた。
力を示すことは、人々を怖がらせて反感を育てるだけであり、「すべての人をニュータイプに、その道筋を人が辿れなければ意味がない」という自らの理想に反すると激しい怒りを露わにする。
そして、「神になってはならないし、そう見えてもいけないのだ」という信念のもと、ユッタたちに襲いかかる。
ララァの残留思念はそうした対応を取るシャアに触れることが出来ず、その場から姿を消した。

小説『機動戦士ガンダムUC』では、サイコ・フレームが思惟(残留思念)を吸収するという特性を持っていたことから、
全身がサイコ・フレームで構築されたユニコーンガンダム内部のカーディアス・ビストマリーダ・クルスなどの多数の残留思念と、
己のニュータイプ能力を限界まで発揮した結果、サイコ・フレームに魂を吸われるような形でバナージ・リンクスの思惟が融合し、究極の思惟が形成された。
究極の思惟と化したユニコーンガンダムの内部は精神という無限が掛け合わされ、推進剤が切れているにも関わらず自在に宇宙を駆け、
さらに、己が触れたものも「引っ張る」かのように動かす、手を振っただけで自身に迫る攻撃を無力化するなど、
物理法則等に縛られることなく、宇宙を自在に駆け巡る複合的な意識体となったが、最終的にリディ・マーセナスの呼びかけで融合は解除され、バナージの思惟は肉体へと帰還した。


【サイキッカー】

サイキッカーは、アニメ『機動戦士Vガンダム』を初出とする存在。
小説『機動戦士Vガンダム2 マルチプル・モビルスーツ』の8「マリアの弟」では、代表的なサイキッカーであるマリア・ピァ・アーモニアの能力が詳細に書かれた。
彼女は、従来のニュータイプのような高い洞察力を持ち、フォンセ・カガチの言葉が真実であることを見抜く一方で、
循環器系の病気や悪性腫瘍を消滅させるなど、肉体的な治癒能力も発揮した。

小説『機動戦士Vガンダム⑤ エンジェル・ハイロゥ』の8「クロノクルの孤独」では、ニュータイプとサイキッカーが同一の存在であるという設定が記載された。
ザンスカール帝国の女王でサイキッカーであるマリアが「ニュータイプ用の部屋」であるエンジェル・ハイロゥのキールームに入る描写から、
両者が同じ能力を持つ存在であり、単に呼び名が変わっただけであることが示唆された。こうした設定は、他のメディアでも踏襲されている。
上野俊哉はコラムを担当した『GUNDAM FIX』で、シャクティ・カリンについて「ニュータイプ(サイキッカー)としての資質がある」と表現。
ゲーム『SDガンダム GジェネレーションF』でも、シャクティはニュータイプとして扱われている。

サイキッカー(機動戦士クロスボーン・ガンダム)

長谷川裕一が執筆した漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム ゴースト』は、『機動戦士Vガンダム』と同時期のU.C.0153を舞台としているが、
こちらではサイキッカーとニュータイプは別物として明確に区分されている。

【オルタナティブシリーズにおける類似例】

機動新世紀ガンダムX

アフターウォーを舞台とした『機動新世紀ガンダムX』でニュータイプは、宇宙世紀と同名の名称で、能力には未来予知やテレパシー、遠隔での意思疎通といったものがある。
特筆すべきは、人間だけでなく、ニュータイプ能力を持つイルカが登場したことで、この能力が人類固有のものでなく、哺乳類型の動物も所持していることが示されている。
しかし、宇宙世紀のニュータイプとは別物である。

一般的に「人類の新しい革新」と定義されながらも、戦争や政治のための道具として利用されていた。
ニュータイプの能力は、フラッシュシステムを操作するために重要視され、このシステムを扱えない存在はフロスト兄弟のように「カテゴリーF」と呼称され区別されていた。

物語の終盤、意識だけの存在となり隔離されていた、最初のニュータイプであるD.O.M.E.(ドーム)によって、この世界のニュータイプ論の真実が語られた。
D.O.M.E.は、ニュータイプを「たまたま超能力を持っていた人間を、人類の革新という価値観に仕立て上げたものに過ぎない」と明言し、超能力と人類の革新は別物であると結論づけた。
ニュータイプを利用しようとした勢力は滅び、ジャミル・ニートランスロー・ダーウェル達は、「ニュータイプという言葉」に囚われることをやめようという結論に至った。


機動戦士ガンダムSEED

コズミック・イラを舞台とする『機動戦士ガンダムSEED』では、ニュータイプやそれに類する能力を持つ人物は登場しない。
ただし、宇宙世紀に登場する「ビット」や「ファンネル」に酷似したオールレンジ兵装である「ガンバレル」や「ドラグーン・システム」を上手く扱う条件として、
人並外れた高い空間認識能力を持つというものがあり、該当するパイロットは互いの存在を感知し合うなど、ニュータイプを意識したような描写がある*1
この能力は、宇宙世紀のニュータイプが使用するビットやファンネルに酷似した、ガンバレルやドラグーン・システムを扱う上で不可欠な要素である。
劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』では、同族とのテレパシー、予知能力などを持ち、ニュータイプをオマージュしたと思われる存在アコードが登場した。

なお、高い空間認識能力を持つ者は、遺伝子調整を受けずに生まれたナチュラル、遺伝子調整を受けたコーディネイター双方に存在し、あくまで個人の素養によるものである。
攻撃を受ける予兆を察知した時など、ニュータイプなどのように特有の効果音と額に稲妻型のエフェクトが発生する。

その他、シン・アスカは劇中でほぼ唯一、死亡した人間の霊魂と対話しているような描写*2があり、
機動戦士ガンダムSEED DESTINY』のPHASE-50「最後の力」で、アスラン・ザラに敗北した際に意識を失ったシンは、
一時的に肉体から意識が離れた(気絶した?)際に、かつて心を通わせるも死別した少女・ステラ・ルーシェの霊魂と言葉を交わしている。
また、『小説 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM (下)』では、グリフィン・アルバレストの洗脳攻撃を受けた際には、
彼が覗き見たシンの深層心理にぽつんと漂っているステラらしき残留思念を発見し、その後彼女に洗脳攻撃を妨害されたことについて、
シンは「かつて彼が愛し、また愛された者たちの愛が彼を今でも護っている」と説明されている。


機動戦士ガンダム00

アニメ『機動戦士ガンダム00』には、ニュータイプに類似した「革新した人類」としてイノベイター、
そして、それをサポートする存在として宇宙世紀の強化人間に類似した人造人間のイノベイドが登場する。

イノベイターは、細胞の変異により常人の倍ほどの寿命を持ち、脳量子波という特殊な脳波を発するようになった「変革者」である。
GN粒子を多く浴びる環境下で変革しやすく、以下の能力を得る。

超人的な能力:超人的な反射神経や直感力。

脳量子波による対話:高レベルの脳量子波を持つ者同士で、テレパシーのような対話が可能。GN粒子が高濃度で放出された空間では、非イノベイターとも対話が成立する。

提唱者であるイオリア・シュヘンベルグの思惑通り、イノベイターは他者との誤解を解消し、相互理解を促す存在だった。
『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』の戦いの後、徐々にイノベイターの数は増えていくなど、
ガンダムシリーズに珍しく、ニュータイプ的存在が増えて、世界が徐々に平和になっていく様子が見られた。

機動戦士ガンダムAGE

機動戦士ガンダムAGE』には、ニュータイプをオマージュして作られた能力者としてXラウンダーが登場する。
彼らはXラウンダー同士の感応や遠隔兵器の操作が可能であり、その描写はニュータイプと類似している。

しかし、劇中では「獣が持っていた本能が覚醒して先祖返りした人間」、すなわち人類としては「退化」した存在であるという説が提示された。
これは、宇宙への適応による「進化」とされたニュータイプとは正反対の概念であり、人間が持つ本能的な直感能力を別の形で描いたものと言える。

機動絶記ガンダムSEQUEL

井上敏樹が原作を務める漫画『機動絶記ガンダムSEQUEL』には、ニュータイプが存在していた世界で、進化した新人類「ネオス」が登場する。

700年前に起きた大戦を終結させたニュータイプは、その能力を恐れた旧人類によって、スペースコロニー「コキュートス」に閉じ込められ、毒ガスで抹殺された後に宇宙の果てへ廃棄された。
しかし、コキュートスの中で生き残った人々は、長い年月を経て、強靭な肉体と特殊能力を持つネオスへと進化を遂げた。
ネオスは、宇宙世紀のニュータイプが精神や感覚の進化を特徴とするのに対し、肉体面の進化が著しい点が大きな違いである。

驚異的な再生能力: 強力なネオスは、串刺しや銃創といった重傷を負っても、わずか数秒で再生するほどの高い生命力を持つ。
主人公のシャギ・カオリスは、この能力を利用して体内に武器を隠し持ち、傷口から取り出して戦うという独特の戦法を駆使する。

多様な特殊能力: 血液を固形化させる、掌から氷を発生させるなど、まるで超能力バトルのような特殊な能力を持つネオスも登場する。

こういった設定は、井上が過去に手掛けた『仮面ライダーアギト』や『仮面ライダー555』に登場する「オルフェノク」といった、
肉体的進化と特殊能力を持つ存在を彷彿とさせるものとなっている。


来歴

1年戦争期

ジオン公国軍のフラナガン機関では、ニュータイプ研究が盛んに行われていた。
ニュータイプが発する特殊な脳波「サイコ・ウェーブ」は、ミノフスキー粒子の影響を受けず、
サイコミュ(サイコ・コミュニケーター)と呼ばれる特殊な機器を通じて、誘導ミサイル「ビット」を操ることを可能にした。
アニメ『機動戦士ガンダム』第39話「ニュータイプ、シャリア・ブル」で、ララァ・スンが搭乗するサイコミュ搭載モビルアーマー、エルメスが初めて実戦に投入された。
エルメスはビットを用いて、ソロモン要塞を遠距離から攻撃し、多くの戦艦を轟沈させるという圧倒的な戦果を上げた。
しかし、その強力な能力はパイロットであるララァに大きな負担をかけていた。
ララァの脳波を受信する際の電圧の逆流が判明し、シャア・アズナブルは、ララァの安全を優先してフラナガン機関に遠距離でのビット操作を制限するよう指示する。
以降、アニメシリーズではビットやファンネルを使った遠距離からの攻撃は行われていない。

MS「ブルーデスティニー」を主役とするゲーム『機動戦士ガンダム外伝』シリーズを原作とし、
皆河有伽が執筆した同名の小説は、『機動戦士ガンダム』とは異なるニュータイプ観を示している。
この小説は一年戦争を舞台としながらも、ニュータイプを単なる未解明の能力者としてではなく、将来的にオールドタイプを滅ぼす可能性がある存在として描いている。
この解釈は、ニュータイプの存在が疑問視されていたり、その能力が明確に解明されていなかった『機動戦士ガンダム』とは対照的だ。
この作品でニュータイプの脅威思想を唱えるのは、クルスト・モーゼス博士である。
彼はニュータイプの脅威に対抗するため、オールドタイプでもニュータイプと互角に戦える**「EXAMシステム」**を開発する。
このシステムは、ニュータイプに対する深い恐怖と対抗意識から生まれたもので、物語の重要なテーマとなっている。
なお、原作であるゲーム『機動戦士ガンダム外伝』シリーズでは、クルスト博士がニュータイプに個人的な敵意を抱いているかどうかは明確には描かれていない。
小説版独自の解釈として、ニュータイプへの恐怖がより強く打ち出されている点が特徴である。

グリプス戦役期

アニメ『機動戦士ガンダム』におけるアムロ・レイの活躍は、ニュータイプの存在を人々に強く印象づけた。
一年戦争当時、民間人だったアムロが偶然乗り込んだガンダムで、熟練したジオン兵を次々と圧倒した戦果は、ニュータイプは優れたパイロットであるという認識を生む一因となった。
この誤解から、『機動戦士Zガンダム』の時代には、パイロットとしての適性が高いニュータイプを人為的に作り出そうと、地球連邦軍内に**ニュータイプ研究所(通称:ニタ研)が設立された。
そして、その研究の果てに、人工的なニュータイプである「強化人間」**が誕生することとなった。

小説『機動戦士Zガンダム 第四部―――ザビ家再臨 』のパート17「人のトリガー」によれば、アーガマの軍医ハサンが強化人間ロザミア・バダムを検査した際に、
彼女は人工授精の段階から優生遺伝子を操作されて生まれた、いわば「作られた」人間である可能性を示唆した。
また、ハサンが精神検査を行った結果、ロザミアの記憶は「刷り込み操作」によるものである可能性が高いにもかかわらず、その刷り込みに対する潜在的な拒否反応が見られないことが判明。
これは、彼女が後天的な記憶操作を抵抗なく受け入れることができる生体であることを意味しており、その特異性が強化人間としての彼女の核心であった。

ハマーンの狂気の戦争(クレイジー・ウォー)期

U.C.0088を舞台としたアニメ『機動戦士ガンダムZZ』では、ニュータイプのクローン部隊が登場する。
別冊アニメディア『機動戦士ガンダムZZ PART.2』の95頁によれば、グレミー・トトは、ギレン・ザビの精子とニュータイプの素質を持つ女性の卵子を人工受精させて生まれた「試験管ベビー」である。
エルピー・プルプルツーを含むクローン部隊もまた、グレミーと同じ遺伝子操作技術によって人工的に生み出された存在であった。
彼女たちはグレミーの妹にあたる存在だが、グレミーに使われたものとは異なる女性の卵子が使われており、まったく同じ染色体(遺伝子)を持った人工的な一卵性双生児である。
『ZZ』と同時期を舞台としたソーシャルゲーム『機動戦士ガンダムU.C.ENGAGE』のアムロシャアモードのニュータイプの子供たち編、新たなる邂逅では、
グレミーのクローン、プルのクローンが大量に登場し、アクシズに潜入したシャア・アズナブルと邂逅している。

ラプラス事変期

U.C.0096を舞台とした小説『機動戦士ガンダムUC』では、主人公バナージ・リンクスは、全身をサイコ・フレームで構築されたユニコーンガンダムに搭乗。
バナージが「ラプラスの箱」を巡る出来事を経てニュータイプへと覚醒していくと共に、ユニコーンガンダムもまた、
バナージの意思に応えるように無人状態で稼働する、本来推進器のないシールドをファンネルのように動かすなどの不可思議な現象を引き起こすように。
そして、メガラニカへ向けられたコロニーレーザーの照射を止めようと、同型機の「バンシィ」に搭乗するリディ・マーセナスと共に、
己のニュータイプ能力を全開で発動させ、サイコ・フィールドを発生させたバナージの思惟は、肉体を離れ高次元のフィールドである「全体」へ行くこととなった。
この時、ミネバ・ラオ・ザビは、一連の騒動の中、心を通わせたバナージの命が光に吸われるのを感じ、
彼は多くの残留思念とともにユニコーンガンダムの中にあることを認識していたが、誰も到達したことのない場所へ行ってしまったことを悟り泣いた。
リディは、光の海「サイコ・フィールド」の中で、身体から溢れる虹色の光を推力に変えて移動するユニコーンガンダムに戸惑いながらも事態を分析していた。
高次元フィールド「全体」の中で、思惟と思惟が溶け合い、一つの巨大な思惟が形成されたのだと。ユニコーンガンダムは人が見る究極の思惟になってしまったのだと。
リディは、この姿こそが肉体に縛られず、意識が宇宙を自在に駆ける真のニュータイプの姿ではないかと感じる。
しかし、同時に「こんなのが人類の進化の終着点だなんて認めない」と強く拒絶し、「バナージを元に戻す」べくバンシィを駆り、バナージに呼びかける。
そして、リディの呼びかけに応じたバナージの思惟は高次元から肉体に戻り、ユニコーンガンダムも元の形態へと戻ったのであった。

コスモ・バビロニア建国戦争期

U.C.0123を舞台とした映画『機動戦士ガンダムF91』)で、民間人の シーブック・アノーは当初、ニュータイプは「パイロット特性がある人」と捉えていた。
しかし、クロスボーン・バンガードザビーネ・シャルは、MS操縦経験の浅いベラ・ロナがすぐさま編隊を組む様子を目の当たりにし、
「あるがままを見ただけで、そのものの本質を洞察できるのがニュータイプ」だと、ガンダムシリーズにおけるニュータイプの原点的な特質に言及している。
シーブックもまた、物語を通してニュータイプ観を深化させた。
クライマックスのラフレシアとの戦いを前に、母親のモニカに対し、
「ニュータイプって人類の革新――戦争など超えられるっていう説もありますよね? もしそうなら、僕らを糸口に人類全体がニュータイプになる方法を考えるのも悪くないんじゃないですか?」
と語るまでに成長を見せた。

ザンスカール戦争期

U.C.0153を舞台とした、アニメ『機動戦士Vガンダム』では、ニュータイプは過去の伝説的な存在として認識されていた。
第1話「白いモビルスーツ」時点で、リガ・ミリティアマーベット・フィンガーハットはニュータイプの存在に懐疑的で、
ウッソ・エヴィンの非凡な操縦技術を目の当たりにした際も、「まさかね」と半信半疑の様子であった。
しかし、戦いを重ねるうちに、マーベットの認識は変化していった。第8話「激闘!波状攻撃」では、ウッソのずば抜けた適応能力を認めるようになり、「スペシャル…確かにね」と発言。
また、驚きを隠せないオリファーに対し、「あの子はスペシャルなのよ。ニュータイプかもしれないって」と、ニュータイプという言葉でウッソの能力を表現するまでになった。
これは、ニュータイプを過去の伝説としてではなく、目の前の現実として捉え始めた彼女の心境の変化を示している。

一方、ザンスカール帝国側は、リガ・ミリティアとは違う視点でニュータイプに注目していた。
第26話「マリアとウッソ」で、脱走を試みたウッソが警備兵相手に格闘するビデオ映像を見てタシロ・ヴァゴは、
「よく動きますなぁ カガチ閣下のニュータイプは地球から生まれるという説は当たっているかもしれません」と発言し、
フォンセ・カガチの提唱するニュータイプが地球から生じるという点を絡め、ニュータイプとは優れた身体能力を持った存在だと考察している。

メタトロンとマハの戦い

U.C.0200年代を舞台とした小説『ガイア・ギア2』の第9章「マスターベーション」では、
マハに所属するウル・ウリアンとシムナウ中尉の対話を通じて、ニュータイプという概念が深く掘り下げられている。

ウルは、ニュータイプを単なる超能力者ではなく、「死に至るまで幸福でいられる、精神的に高いレベルの存在」と定義した。
彼は、真のニュータイプとなるには、理性と想像力が不可欠だと主張した。
理性がなければ功利主義に陥り、想像力がなければ単なる霊能者になってしまうため、
両者を兼ね備え、「百年思索できるテーマ」に間断なく努力し続ける精神性こそが重要であると説いた。

また、ウルは「勘がいいだけ」と自らの能力を謙遜し、人々が自分を識別するために用いる**「呼称」に過ぎないと否定している。
すべての人間がニュータイプに近づくためには、オールドタイプが持つ「我を自由にすることが正義」という考えを克服し、
理性と想像力を通じて社会の問題点を解決する訓練を積む必要があると主張した。


い、今、冥殿が言った。ニュータイプは、追記・修正する道具ではないって。

アニヲタWiki(仮)では強力な武器になる。やむを得ん事だ。

貴様だって、ニュータイプだろうに!


この項目が面白かったなら……\ポチッと/

最終更新:2025年09月07日 21:38

*1 なお、『DESTINY』の時代には高い空間認識能力を持たないパイロットでもある程度使用できるように改良された「ドラグーン・システム」が登場している。

*2 『SEED』の最終盤には、死亡したフレイ・アルスターの霊魂が自身の死を知って泣きじゃくるキラ・ヤマトの下に現れる描写があったが、この時フレイとキラは会話が成立しておらず、監督も「(この場面の)キラにはフレイの声は聞こえていない」とコメントしている。