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2010/07/18 - (2010/11/13 (土) 15:50:35) のソース
<p><br /><a href="mailto:sage"><font size="3"><strong>御剣記憶退行・7</strong></font></a> <br /><br />
「…………」<br />
成歩堂が全て話し終えた後も、僕は声を発することができなかった。<br />
「……僕が話せるのはここまでだ。あとはどうするかはお前次第だよ、御剣」<br />
奴は最後にそう告げると、しばらく後に電話を切った。同時に力が抜けた僕の手から、受話器が滑り落ちる。<br />
自分では何も考えることができなくて、ただ頭の中で、成歩堂の言ったことがぐるぐる回っているだけだった。<br />
僕の父さんは、殺された。冥さんのお父さん……狩魔豪に。<br />
「…………」<br />
どうしても、僕の中に浸透してこない。受け入れることができないのだろうか。だって信じられないじゃないか。もしそれが本当なら、僕は父さんの敵の娘と……<br />
「……ぐっ……!」<br />
僕は口を押さえ、とっさに立ち上がった。洗面所に走って、込み上げて来たものを吐き出す。蛇口から流れ出る水が渦を作る様を、僕はただただ呆然と見つめていた。<br /><br />
彼女が、僕の父さんを殺した人間の……娘。<br />
成歩堂が告げた事実は、僕をさらに奈落の底に突き落とした。<br />
「……め……い、さん……」<br />
歯切れが悪い……僕はどんな風に彼女を呼んでいたんだっけ。どんな気持ちで、彼女のそばにいたんだっけ。<br />
彼女が言っていたことの意味が、ようやくわかった。<br />
―私と貴方は元々……共にいるべきではないのよ―<br />
こういう意味だったんだ。<br />
冥さんの言っていたのは、こういうことだったんだ。<br />
「…………」<br />
もう何もわからない。体に力が入らない。<br />
僕は足を引きずるように、洗面所を出て寝室のドアを開けた。<br />
昨日、彼女と二人で眠ったベッド。そのことを思い返すだけで、胸の奥をかきむしられるような感覚に陥る。<br />
この気持ちは何だろう。<br />
悲壮感?<br />
嫌悪感?<br />
それとももっと別の……いや、もうどうでもいい。<br />
僕は自分自身を誤魔化すように、床を蹴ってシーツの上に飛び込んだ。<br />
眠りたい。眠って、目が覚めた時、僕はどうなっているんだろう。やっぱり状況は、変わらないのだろうか。<br />
それとも、これはただの悪夢で、彼女がいつもの笑顔で「おはよう」と呼びかけてくるのだろうか。<br />
……ううん、きっと本当は。何もかも忘れて、冥さん含むすべての記憶を、胸の痛みを失いたいんだ。<br />
あれだけ、記憶を取り戻すことを望んでいたのに。今の僕は……冥さんのことも、父さんのことも、成歩堂達やその他……自分自身の事さえも忘れ去りたいと願っている。何もかも忘れて。辛い現実を、再び記憶の底に押し込めてしまいたかった。<br />
なのに……<br />
「……っ」<br />
閉じていた目を開けても、そこにあるのは見慣れた室内と、何ら変わりのない僕自身。<br />
「……っ……う、うっ……ッ!」<br />
一気に押し寄せた息苦しさに、僕はシーツをかきむしった。<br />
「いやだ……いやだ!父さん……うああああ!」<br />
大好きだった、父さん。仕事には厳しい父さんだったけど、僕にはとても優しかった。<br />
そして、絶体絶命の依頼人の無実を信じ、いつも全力で救って。<br />
僕の、憧れだった。<br />
なのに……その父さんが、どうして殺されなければいけなかったんだ……!<br />
会ったことも無いのに、憎くてたまらないそいつの名前を呟く。<br />
「狩魔……豪……っ!」<br />
自分でも驚くくらいの、地の底から吐くような、絞り出したような声が漏れた。<br />
狩魔豪……僕の父を殺した男。<br />
そして……冥さんの父親。<br />
そう。<br />
なぜ、父さんを殺した人間が、冥さんの父親なんだろう……<br />
僕はここまで来ても、うちを出て行った冥さんのことが気になっていた。<br />
冥さんは、僕の父親を殺した男の娘。なのに、彼女に対しては、憎しみが湧くことは微塵にも無かった。<br />
あくまで父親がやったこと。彼女は何も悪くない。そう言ってしまえば、それまでだが。<br />
しかし、冥さんには狩魔豪の娘であることは、事実なのに。<br />
「ごめ……父さん……」<br />
僕は、薄情な人間だ。<br />
憧れていた人も奪われたのに。信じていたその手を振り解かれたというのに。<br />
どうしても、冥さんを恨むことができない。<br />
「……僕に、どうしろというんだ……!」<br />
こんな時。大人の僕だったら、一体どうするんだろう。<br />
「……っ!」<br />
弾かれるように、シーツから顔を上げた。<br />
そうだ。<br />
大人の僕。<br />
成歩堂は、こうも言っていた。<br />
DL6号事件の真実を知った後も、『僕』は変わらず彼女の側にいた……と。<br />
「どうして……」<br />
だって、自分の父親を殺した男の娘なのに。<br />
なおも、彼女の恋人で居続けてたなんて。<br />
ふと脇を見ると、彼女のドレッサーがあった。鏡に、僕の顔が映っている。憔悴しきっているけれど、その姿は紛れもなく青年の僕。<br />
記憶を失った当初は、成長した僕が物珍しくて、頻繁に鏡を覗いていた。<br />
でも最近は、逆にわざと目をそらしてたくらいだった。体は大人なのに、中身がてんで子供なのが辛くて。<br />
「……ん?」<br />
その時、ドレッサーの上にあるものに気がついた。化粧品の瓶の下に置いてある、一つの封筒。<br />
少し右上がりの字で、<br />
「レイジへ」<br />
とだけ書かれている。<br />
僕は、無意識のうちに、ゆっくりと手を伸ばして、それを取った。中身を出すと、手紙が入っていた。<br /><br />
『レイジへ<br /><br />
向こうに着いたら、一度連絡します。<br />
当面の生活費は、成歩堂に預けてあるから、相談して使いなさい。無駄遣いしないように。<br /><br />
冥』<br /><br />
手紙にはこう簡潔に書かれていた。実に彼女らしい。<br />
もしも何も知らないままだったなら、安易に受け止めて、彼女からの連絡を待ちながら過ごしていただろう。<br />
けれど、すべてを知ってしまった今となっては……<br />
これが、彼女からの最後の置き手紙になるのだろうか。<br />
だけど。<br />
手紙を仕舞おうと、畳んだ時に、それに気がついた。<br />
便せんの裏に、小さく書かれた、<br /><br />
『 ひとりにして、ごめんね 』<br /><br />
この一文に、僕の心がざわつき始めたのだ。<br /><br />
僕に宛てた言葉なのだろう。<br />
でも、本当に独りだったのは。<br />
……冥さんの方、じゃないのか……?<br /><br /><br />
仕事も、家事もこなして。<br />
どんなに忙しくても、仕事を持ち帰ってまで、早く帰ってきてくれて。<br />
どうしても遅くなりそうな時は、成歩堂たちを寄越して。<br />
いつだって、僕の服、ベッドのシーツ、ハンカチを、きれいに洗ったものを用意してくれて。<br />
僕のおみやげを喜んで受け取ってくれて。<br />
お鍋を焦がした僕を叱って。<br />
鼻血を出したときは本気で心配してくれて。<br />
僕のいないところで、隠れて僕を思って涙を流して。<br /><br />
僕に寂しい思いをさせないために。<br />
気丈に振る舞ってくれていたのは、誰だ?<br /><br />
僕が記憶を取り戻したいと熱望していたのは、誰のためだった?<br /><br />
今の僕にとっての『真実』は。<br /><br />
冥さんからの、抑揚のない別れの言葉じゃなくて。<br />
未だに思い出せない、人伝に聞いた過去でもなくて。<br /><br />
冥さんと過ごした日々そのものじゃないのか?<br /><br /><br />
体の奥底から、何かが僕をせっついて来る。<br />
倒れるな、立ち上がれ、と、僕を煽ってくる。<br />
まるで意識をつなぎ止めようとするように、シーツを力強く掴んでいる。<br /><br />
僕が今やるべきなのかは、僕が一番よくわかっていた。<br /><br />
「…………」<br />
ベッドから降りて、しっかりと二本の足で立つ。まだちょっと震えてる足で一歩ずつ踏み出して、足の裏の感触を確かめると、僕は部屋を出た。<br />
玄関で靴をはいて、うちを飛び出す。<br />
ちょうど止まっていたエレベーターに乗り込み、地上へのカウントダウンを、僕はジリジリと見つめていた。<br />
マンションのエントランスを出たところで、クラクションの音がした。<br />
目を向けると、ものすごい勢いで、一台のパトカーがこちらに向かってやってくる。<br />
けたたましいブレーキ音と共に、車は僕の前に止まった。<br />
何事かと思って目を丸くしていると、開いた窓から一人の大柄な男が顔を覗かせた。<br />
「御剣検事!」<br />
なんとも言えない色の薄汚れたコートを着た無精髭の彼は、僕のことをそう呼んだ。<br />
「御剣検事、早く乗るッス!」<br />
聞き覚えのあるその声や口調に僕は、あっと声を上げた。<br />
「イトノコギリ、ケイジ……?」<br />
「そうッス!事情はアノ青く尖った弁護士に聞いたッス!御剣検事……大変だったッスね……でも、行くんスよね!?」<br />
助手席のドアを勢い良く開けて、イトノコギリさんは身を乗り出して僕の顔をまっすぐ見た。<br />
「狩魔検事の所に……行くんスよね!?」<br />
顔に似合わず、真剣な表情で僕を見上げてくるイトノコギリさん。そんな彼に、僕は力強く頷いた。<br />
「……はい!」<br />
「なら早く乗るッス!全速力で飛ばすッスから!」<br />
イトノコギリさんが体を引くと同時に、助手席に滑り込む。あろうことか彼は、僕がシートベルトを付ける前にアクセルを踏んだ。<br />
「うぉぉぉお!しっかり掴まるッスよー!」<br />
すごいスピードで急発進するパトカー。本当にこのひと、刑事なんだろうか。そう思ったけど、このひとの雰囲気に、緊張が幾分かましになったのも本当のこと。<br /><br />
相手は一筋縄じゃいかない。<br />
会えるかどうかもわからない。<br />
だけど……このまま追いかけずにはいられないのだ。<br /><br />
大人の僕なんか関係ない。<br />
今、僕がやりたいこと。<br /><br />
もう一度……冥さんに、会う。<br />
例え、これが最後になろうとも。</p>