御剣記憶退行(続き)2
トノサマン鑑賞会の後、成歩堂・真宵さん・春美ちゃん、そして冥さんと僕は、冥さんが作ってくれた夕食を食べていた。
「みつるぎ検事、どうだった?トノサマンは」
「はい!面白かったです。トノサマンはカッコいいし、必殺技もすごかったし」
すっかりトノサマンが気に入った僕は、なかなか興奮が覚めず、食事中だというのに真宵さんと感想を語り合っていた。
「今度の土曜日からは、劇場版トノサマンも始まるんだよ。なるほどくんとはみちゃんと一緒に行くんだ。みつるぎ検事もどう?」
「え!?そうなんですか!?」
あのトノサマンが、映画館の大スクリーンで観られるなんて!
僕は思わず立ち上がりそうになった。
でも。
「いいんじゃない?連れて行ってもらいなさいよ」
冥さんの言葉に僕は戸惑った。
「あれ?冥さんも一緒に行くんだよね」
「残念だけど……明日から仕事に復帰しなくちゃならないの。当分休みもないわ」
「えー、そんなぁ」
真宵さんの誘いを、申し訳なさそうに断る冥さん。
そうか……冥さん、行けないのか……それに仕事も、今まで僕の為に休ませちゃってたんだ。
なのに僕は映画なんかに浮かれて……
僕は、そんな冥さんの為にも、早く記憶を取り戻さないと。
そう思いながら隣の冥さんをじっと見つめていると、彼女がこっちを向いて目が合った。
「ん、お醤油?ハイ」
僕の視線の意味は、なんだか勘違いされたみたいだ。
次の日から、冥さんは仕事で家を空けるようになった。
そして僕は結局冥さんをソファで寝かせてしまっている。
ベッドで寝るよういくらお願いしても「そのうち使わせてもらう。貴方は病み上がりなんだから、安静になさい」と押し切られてしまうのだ。
女の人をあんな所で寝かせるなんて、いくら本調子でないとはいえ、悪いことをしている。
だからせめて僕にできることをしようと思い、冥さんが留守の間は掃除や洗濯(……冥さんの下着は無理だけど)など、できる限りの手伝いを試みた。
でも僕がやると余計に散らかしちゃったりして、後始末や後片付けでほとんど時間を取られてしまう。
それでも冥さんは、「レイジが進んで家事をやってくれるなんて」と感心して、労ってくれる。
あ、そうだ。今日は冥さんがムチを振るうところを初めて見たんだった。
今日は成歩堂が様子を見がてら、掃除を手伝いに来てくれたんだ。あらかた終わった頃、ちょうど冥さんが仕事から帰ってきたから、成歩堂のおかげで掃除がはかどったことや、アイツが何故かすごいトイレ掃除がうまいことを言った。
そしたら、冥さんすっごい真っ赤な顔して、「何ヒトん家のトイレ勝手に掃除してるのよぉおおお!」と、成歩堂をムチでメッタ打ちにしたんだ。
僕は初めはびっくりしたけど、やっぱり女の人だから色々思うところがあるんだろうなって考えて、安易に人任せにしたのを反省した。
空いた時間は、本や新聞を読んだりして、見聞をひろめている。なんというか、僕としては未来にタイムスリップしたような感じだから、時代のギャップに驚いているけど。
また、記憶を戻すための努力も欠かしていない。アルバムで僕の写真を見たり、冥さんや成歩堂から、僕についての話を聞かせてもらって。
でも、それがなんだかおかしいんだ。冥さんが、そのことについてあまり協力的じゃないんだ。
「……あんまり無理しなくていいのよ?ゆっくり、少しずつ思い出していけばいいの」
と言って、話をそらそうとする。
なんだろう……この感じ。
もしかして僕の記憶、戻ってきて欲しくないのかな……
いや、そんなはずない。冥さんが悲しい顔をするのは、僕が冥さんのことを忘れてしまっているからだ。
だから、早く思い出さなくちゃ。
そんな感じで、僕はなんとか冥さんと暮らしている。
そして、今日は土曜日。
トノサマンの映画を見に行く日だ。
「成歩堂たちは、お昼過ぎに迎えにくるそうよ」
玄関でヒールの高いブーツを履きながら、冥さんはそう教えてくれた。
「あんまり遅くなっちゃダメよ。私も早めに帰ってくるから」
「はい」
「ちゃんと暖かくして行くのよ。あ、あと鍵も忘れずにかけてね」
「だ、大丈夫ですよ、子供じゃあるまいし」
中身は子供だけど。
「じゃ、楽しんでいらっしゃい」
最後のさいごまで僕のことを気にかけて、冥さんは仕事に行ってしまった。
家の中が、しんと静まり返った。
退院してから、初めての外出。
しかもトノサマンを見に行くなんて、楽しみなはずなのに。
なんとなく気分が浮上しなくて、僕はリビングに戻って、ミニソファにどっかり座った。
……冥さんも一緒に行けたら良かったのに。
きっと、トノサマンの活躍っぷりを見たら、仕事の疲れなんか吹っ飛ぶと思うんだけどなぁ。
「それはないね、絶対」
ガーン!
映画館のロビー。飲み物を買いに行った成歩堂を待つ時間の中、真宵さんの返答に、僕は固まってしまった。
「そ、そんな……あんなに面白いのに……」
「だって冥さん、いつも言ってるもん。『そんな幼稚な子供番組の、どこがイイのかしら』って」
グサッ!
幼稚……なんとなく僕自身が言われたような気がして、胸が痛い。
「みつるぎ検事はねー、そのたび『好きなものは仕方なかろう』とか言ってたな」
大人の僕も、ミもフタもないな。
まあ人にはそれぞれ好みがあるから、冥さんにわかって貰えなくてもしょうがないか。
なら冥さんはどんな映画見るのかな。
やっぱりミステリー物かな。
それとも女の人らしく、ラブストーリーとか。
意外とファンタジー物も好きだったりして。
……というか、最近の僕って、なんだか妄想癖がついてしまっていないか?
僕は暴走気味の頭の中を冷ますべく、軽く頭を横に振ろうとした。
でも。
……あれ?
そうだ。
想像だ。これは想像でしかない。
僕が色々どう考えたって、それは僕の考えでしかない。
冥さんがその映画を好きだとは限らない。
映画だけじゃない。彼女が何が好きで、嫌いで、どんなことが嬉しくて、悲しいのか。
僕は全然知らない。
「お待たせ、行こうか」
成歩堂がジュースを持って戻ってくると、真宵さんたちは楽しそうにはしゃいで劇場内へ先立って入って行く。
心の中にしこりを残したまま、僕もそのあとをついて行った。
映画は、おもしろかった。
だけど冥さんのことが気になって、半分上の空だった。
時刻はもう5時半。この時期だと日もすっかり落ちてしまっていた。少し肌寒い中、僕らは繁華街を歩いていた。
「それにしても、トノサマンのあの台詞が、ラストシーンの複線だったとはね!」
「わたくしは、まさかあそこでカワラバーンさまが現れるとは思いませんでした!」
真宵さんと春美ちゃんは、歩きながらどのシーンがかっこ良かっただとか盛り上がっている。僕は相槌を打ちながら、周りを見回した。
クリスマスが近いから、街中はイルミネーションで彩られ、すごくきれいだ。その下を、家族連れや友人同士っぽいグループ、カップルがたくさん行き交っている。
僕も、冥さんとあんな風にデートしたりしてたんだろうか。
……どうして、忘れちゃったんだろう。
恋人のことなんて、一番忘れちゃいけないことなのに。
「どうしたんだ、ボーっとして?」
成歩堂に声をかけられ、僕は慌てて我に返る。
「あ、いやなんでも、っ……ふぇっくしょっ!」
返事をしようとしたが、寒さに思わずくしゃみをしてしまった。
「おいおい大丈夫か?」
「あ、ああ、へいきだ」
う、鼻水も出てる。
僕は鼻をすすりながら、冥さんが用意してくれたコートのポケットに、冷えた手を突っ込んだ。
「……?」
指先に、柔らかいものが当たった。
ポケットの中には、ハンカチが入っていた。
ハンカチで鼻を拭うと、洗いたての優しい匂いがする。冥さんが毎日洗濯してくれるパジャマと同じ匂いだ。
反対側には、手袋も入ってる。
僕の胸の中が、ふいに暖かく、苦しくなった。
「何か食べて帰ろうよ、なるほどくんのオゴリで!」
真宵さんの言葉に、成歩堂は「あんまり高いのは……」と物怖じしている。反射的に、僕は口を開いていた。
「僕は……いい」
みんなが僕の方を振り向いた。
「僕、冥さんにお土産買って帰りたい」
そう無意識に言葉が出てきた。でも、あることに気がついて、すぐに口を噤んでしまう。
「でも……僕、冥さんがどんな物が好きなのか知らないんだ……」
視線が地面に落ちてしまう。
僕は、こんな性格だっただろうか。
好みとか都合とか、他人のことなんか、こんなに深く考えたこと無かったのに。
けれど今の僕は、気になってしょうがない。
冥さんのことが、気になってしょうがないんだ。
すると、真宵さんがパタパタと僕の目の前で手を振った。
「確かに……今のみつるぎ検事は、冥さんの好きなものとか思い出せないかもしれないね」
顔を上げると、真宵さんが明るく笑いかけてくれた。
「でも……冥さんの為に何かしたいっていう気持ちは、今のみつるぎ検事の気持ちなんだから、それでいいんじゃないかな?」
真宵さんの笑顔は、悩んでるのがもったいなくなるくらい明るいものだった。
家に帰ると、冥さんはすでに帰ってきているみたいで、奥が明るかった。
リビングの扉を開けると、暖かい空気が体を包む。
「あら、お帰りなさい」
パタパタと足音をたてて、冥さんがキッチンからやってきた。
「寒かったでしょう。エアコンの下に行きなさい。すぐにご飯にするわね」
「あ、あの、はいっ」
コートを預かる、と言われ手を差し出されたけど、思わず僕は持っていた袋をその手に押し付けた。
「?……なあにこれ」
「そ……その……」
唐突すぎたのか、冥さんはキョトンとしている。
しまった、ちゃんとどう渡そうとか考えいたのに、テンパっててとっさに動いてしまった。
「お……お土産、ですっ」
「おみやげ?」
冥さんが、受け取った袋と僕の顔を交互に見ている。
「そう、ありがとう。何をくれたのかしら……」
冥さんが袋の中に手を入れ中身を取り出すのを、僕は緊張して見つめた。
真宵さんに聞いたところ、冥さんは甘いものが好きだと言うことだ。
お菓子やデザートがおいしいお店を沢山知っているらしい。
また、普段は小食なのに甘いものは別腹らしく、結構ガッツリ甘いものも食べるそうだ。
真宵さんは『それであのぷろぽーしょんを保っているのはスゴイ』とも言っていた。けど、『まあ私の場合は時々三食ミソラーメンとか食べちゃうけどね』という後付けの方が信じられない。
そんな事を考えていたその時、冥さんが箱を開けた。
「……」
そしてそのまま箱の中を凝視し、動かなくなった。
「……」
……あれ?ひょっとして嫌いだったのかな……
僕が不安に駆られていると、今度は。
「…………………………ぷっ」
「ぷ?」
彼女は口に手のひらを当て、突然吹き出した。
「ププ……ん、ふふ、あはははは!」
そして堪えきれない様子で肩を揺らし、ついに声を出して笑い始めたのだ。
いきなりのことで僕は驚いていた。
な、何かおかしかっただろうか。いやもしかすると、お菓子だけにおかしいとか、ああなんでそんなどうでもいいことばかり浮かんでくるんだ。頭の中がごちゃごちゃになってくる。
目の前で、冥さんが声を上げて笑っている。
ただそのことに、僕はビックリしていた。
「あー、ふふ、ゴメンナサイ、変な所見せちゃって。嬉しいわ、ずっと食べたかったのコレ。ありがとう」
ようやく落ち着いたのか冥さんは顔を上げて、
「……やっと買ってもらえた」
と、白い歯を見せて、笑った。
……よ、よかった。なんだかわからないけど、喜んでもらえたみたいだ。どら焼き。
でも、やっと買ってもらえたってどういう意味だろう。ひょっとして大人の僕は、冥さんにどら焼きの一つも買ってあげなかったのだろうか。大人の僕はそんなにケチだったのだろうか。
オタクでケチな検事だなんて、そんなろくでもない大人になっていたのか僕は。
僕なら、どら焼きくらい、毎日だって買って来たっていいのに。
冥さんがこんな風に笑ってくれるのなら。
記憶を取り戻すためとか、そういうのとは別に。
僕は、もっと冥さんのことを知りたいと、そんなことを考えていた。
最終更新:2010年02月02日 02:19