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戦後パロ

戸の開く音がして冥は短い距離を駆けて飛び付いた。
「おかえりなさいレイジ」
「ただいま冥」
御剣は汚れるからと離れたがったが、汗や埃の匂いが幼い冥は嫌いではないらしい。
何より日中は留守番をしていたので、ようやく一緒にいられるのが嬉しくてならないのだろう。
無邪気に顔をすり寄せた。

「きょうね、おきゃくさんがきたの」
「客だと!?」
御剣の脳裏に娼館時代の事がよぎる。
まさか、ここが知れたのか。
「まさか家に上げたのか?誰にも戸を開けるなとあれ程!」
肩を掴む手に力がこもる。途端に冥の顔が怯えに歪んだ。
「ご、ごめ、なさ…」
「あ、ああ…違う、君を責めたのではない。すまない冥」
背中を軽く叩いて落ち着かせる。しかし…
「一体どうして、ここがわかったのか…」
「あのね、まえにレイジとおでかけしたでしょ。あのときのえかきさん。おみやげくれたよ」
矢張か。主のいない間に訪ねるとは不届きな。
借金があるとはいえ、返済に赴いたらそんなはした金いらないと拒否しつつも冥を物珍しげに見つめていた。
しかし株で更にもうけるなどと言っていた。返済金は貯めておく必要があるだろう。
羽振りがいいのは何時までかわからない。


「妙な事をされなかったか。服を脱がされはしなかったか」
「おえかきしてた。めいがあそんでるのがいいって」
「裸婦画ではなかろうな。肌は見せなかったか」
「うん、めいはあれであそんでただけ」
指さした先に崩れた塔がある。
コンビーフ、乾パン、練乳にパイナップル、コーンやアスパラガス等様々な缶詰。
今の冥には不揃いな積み木でしかなかったのだろう。
一つ手に取ると、『ル』と記されている。こちらは『張』。
「レイジもあそぶ?」
全ての文字を確認して、並べ替える。
『これはモデル代だぜ冥ちゃんにヨロシクなまた来るんで楽しみにしてろよ矢張』
手の凝んだ事を…
「今日は御馳走だな」
「ごちそう、ごちそう」
冥は手を叩いて喜んだ。

開けた缶詰は全て冥の前にあり、御剣は箸を伸ばさない。
「レイジのぶんは?」
「これは君のものだ。全部食べなさい」
「おいしいよ、あーんして」
御剣は複雑な表情で口を閉じたままだ。
「おにくあげるからおいもちょうだい」
芋の混じった粥。しかし冥の椀にも同じものがある。
「いっしょにたべたほうがおいしいよ、ねえ、あーん」
この「ねえ」に弱いのだ。御剣は観念して口を開いた。



「おにんぎょさん、おにくおいしかったね。レイジもおいしかったって。よかったね」
後片付けの間は人形に話しかける。日中もそんな風にして過ごしているのだろう。
一人で外に出るなと厳しく言い渡してあるのでその分食後は散歩に出掛ける。
「あ、ゆきだよ、ゆきー」
「初雪だな。まだ積もりはしないだろうが…」
冥は雪にはしゃぐが、御剣は心配事がまた増えた。
寒さが本格的になる前に暖かい上着を買ってやらねば。
差し入れで食費が浮いてもマフラー一枚買える程度か。
「冥が編み物ができればな…毛糸だけならばまだ」
「あみもの?」
「いや、いい。今の君には無理な相談だ」
「あみものしたらレイジうれしい?ならしたい。おひるまもレイジといっしょみたいでさみしくなくなるもん。ねえ」
粗末な家に一人ぼっちで話し相手も遊び道具も人形一つきり。
形にはならなくとも手慰みにはなるかも知れない。
「では明日にでも毛糸と編み棒を買ってこようか。教本もいるか?」
「うん、おしえてね」
無器用者の御剣が編み方など教える自信はなかったが、読みとけば冥ならできるかも知れない。
「さ、体が冷える前に家に帰ろう」
「まって。あそこにおはなさいてる」
指差す先に可憐な花が咲いていた。
川辺は危ないので御剣が手を伸ばして二輪摘んでやる。
「おはなきれいね。おにんぎょさんにもみせてあげる」
「では一つは君に、もう一つは人形への土産だ」
一輪はそのまま渡し、もう一方は茎を短く折って髪に挿してやる。
「わーい」
はにかんだ笑顔を見せた冥は小走りで家路を急いだ。



「レイジ、さむいね」
二人で住み始めた頃は気候もよく、布団は冥一人で使って御剣は板の間で寝ていた。
ある時冥にねだられ一線を越え、それ以来一組しかない布団で身を寄せあっていた。

「レイジ、ぎゅってして」
望みのままに腕を回す。
「ちゅってして」
軽く頬に触れた。それだけで満足する夜もあったが、今夜はそうではないらしい。
「もっとちゅうして…ねえ、いっぱいかわいがって」
いつもは幼げな表情が艶やかな色に染められていた。


出征前にたった一度だけ触れた時とはまるで違う。
あの時は体に触れるだけでも恥じらい、声も耐え、愛撫に僅かな快感を得ているのすら表に出したくないという意思を感じた。
その分痛みにも耐え、御剣が体を気遣っても大丈夫だとしか言わなかった。


「キモチ、いい…もっとお」
あられもなく声をあげ、乱れる姿をさらけだす。
内部を激しく突かれても痛みなどみじんも感じない。
「メイのこと…すき?」
「好きだよ…愛している」
薄っぺらな愛の囁きを欲しがり、与えられれば微笑み返す。
しかし自分からは愛の言葉を口にしない。
わかっているのだろう。個人に愛情を感じてはいない事を。




苦い想いが胸に広がる。
こうやって訪れる男達を虜にしていったのか。
なら私も奴等と変わらない。

虚しい行為。どれだけ心を捧げても、真っ白な紙を染める事はできない。
失ってしまった過去は取り戻せない。
今冥を抱くのものっぺらぼうの名もない男なのだ。

他の男が身受けをしても、同じように微笑み、帰りを喜び、情交を乞うただろう。
私はなんと滑稽で憐れな道化なのか。

それでも。それでもいい。
私が全て覚えている。
初めて私と出会った時も。側仕えとして世話を焼いた日々も。
士官学校に入学を許され、寮に入ると知った時には命令を聞けと泣き喚いて別離を悲しんだ。
それ以降は臍を曲げ、卒業の後に出会った晩餐会で扇を投げつけられた事もあった。
何より、出航前に駆け付けた君との一時。
“私をお嫁さんにしてくれるんでしょう!?”
あの時の涙。交した誓い。必ず君を妻にすると。

覚えている。
それだけが私の生きる支え。
異国で瀕死の中さ迷う時も、諦める事など到底できなかった。
娼館に囚われた君を助け出す術を見い出せない闇の中、世の中の全てを憎み、力ない己を何よりも呪った中でもこの想いだけが私を生かした。
そうだ。あの時の息すらできぬ程の絶望に比べれば、この胸の痛みなど無いも同然だ。

「冥…愛している。君を愛している」
「レイジ、レイジ…!ねえ、いい、もう…っ!」
私を映さない瞳。それでも構わない。
壊れてしまった冥を腕の中に抱き、御剣は想いの丈を吐き出した。
最終更新:2010年02月01日 21:54