御剣記憶退行1
秋は深まり木々も色付きはじめた頃、御剣は大きな地震にあった。
運の悪い事にエレベーターの中で地震に遭遇し、彼はその場で意識を失い同行者を大いに心配させた。
幸いエレベーターの運行には支障はなく、直ぐに病院に運びこまれた。
しかし目を覚ました時、ずっと隣に付き添い手を握っていた冥を見た彼は言った。
「……お姉さん、誰?」
外傷はなく、心因性の記憶退行だろうと医師は診断を下した。
今の御剣の頭の中身はDL6号事件以前の小学生時代に遡っていた。
ただ、鏡に写る自分が成長している事や、級友に似た大人が自分を知っている事から、十数年後にタイムスリップしたと理解したようだ。
「何だか信じられないな。まるで小説か何かのようだ」
「信じられないかも知れないけどそうなんだよ」
「わかっている。君のその頭は見間違えようがないさ、成歩堂」
急に大人になった事、大人になった自分は夢みていた弁護士ではなく検事になっていた事、仲の良かった友人も急に大人なりさらには弁護士になっていた事。
御剣少年(但し外見は20代半ば)にはにわかには信じがたかったが、夢と思うにはあまりリアル過ぎた。
それにしても…
まだ信じられないというか、受け入れにくい事もある。御剣少年は病室から出ていった人の事を考え、大人になった友人に小声で話しかける。
「なぁ成歩堂、本当にあの女の人は…」
「そうだよ、何度も言ってるだろ?狩魔検事は君の恋人だよ」
気が付いた時に泣きそうな顔で付き添ってくれていた女の人。
綺麗な人だと思ったが、見覚えは全くなかった。
聞けば、よくお父さんの裁判で見掛けた狩魔検事の子供で、本人も検事だという。そこまではすんなり理解できた。
しかし、問題はその先だ。
「こ、恋人と言っても…あの人は大人だろう」
「だからさぁ…僕らの方が七歳も年上なんだってば」
「そう、なんだが…」
十数年後の自分があの人とお付き合いをしていて、更に一緒に住んでいると言われても実感もないし全く記憶もない。
とても悲しそうな顔をしていたが、原因は自分なのにどうしようもない。
成歩堂の事は覚えているのにあの人の事はちっとも思い出せなくて、それがとてももどかしかった。
「その、僕はどうすればいいのだ?」
「そんなこと聞かれてもなぁ…」
「あの人とはさっき初めて会ったのだぞ。それを恋人と言われても…ぼ、僕は告白はされた事はあったが女の子と付き合った事なんて無いのだからな!しかもあんな大人となんて」
ガララッ
引き戸が開いて、噂の主が戻ってきた。
話声は聞こえていただろう。気まずい。非常に気まずい。
ベッド脇のパイプ椅子に座って、女の人は御剣に語りかけた。
「……お医者さんに何度も言ってみたけど、ベッドに空きがないから入院は出来ないと言われたわ」
「じゃあ僕は退院するんですね……狩魔検事」
顔が、曇った。
しまった。どう呼んだらいいか分からなくてとりあえず成歩堂と同じ呼び方をしてみただけなのに。
「………私の事は冥でいいわ。それでこれからの貴方の事なんだけど…」
「はい」
「成歩堂龍一の所に厄介になるのが最善だと思うわ。そこから記憶を戻すリハビリに通えばいいし…少しでも覚えている人と一緒の方が気楽でしょう」
え、僕の都合は無視?と成歩堂が呟いた。
お父さんがもういない事は聞いた。僕には他に頼る親戚もいなくて、狩魔検事(お父さんの方)に育てられたらしい事も。その狩魔検事も死んでしまった事も。
だとしたら、僕に帰る場所は1つしかない。
「いえ、僕は家に帰ります…冥さん、と一緒に」
成歩堂の事は覚えていたのに、この人の事は忘れてしまった。
だからせめて一緒にいたい。
この綺麗な人を、これ以上悲しませちゃいけない。
何故かちくちくと痛む胸がそう言っていた。
最終更新:2010年02月02日 01:10