アットウィキロゴ

下僕×女王様


脱衣所の鏡に、乾かしたばかりの髪が映る。
今朝まで肩より長かったはずの銀髪は、やや不規則に短く切りそろえられていた。

落とした髪と一緒に切り捨てたもののことを思い出して、冥は小さく溜息をつく。
いつか手放すことは、ずっと前から決めていたこと。そして彼もきっと望んでいたこと。
向かい合う灰色の瞳にそう言い聞かせて、冥はバスローブを羽織ったまま浴室を後にした。

今日するべき仕事は終わらせた。あとは、寝るだけ。
そう考えながら自室の前まで来ると、閉めて出たはずの扉が少しだけ開いている。
そして、全て消したはずの光が、うっすらと外から見えていた。
鞭は、部屋に置いたまま。だが扉の近くにあるので、万一の場合はすぐに手にすることができるはずだ。

冷静に状況を確認しようと、冥は扉の隙間から部屋の中を覗き込む。
視線の向こうに、いるはずのないものを見つけて、冥は息を呑んだ。
それは今日、人に頼んで捨ててもらったはずの“玩具”――

ソファの上で静かに本を読む赤いスーツの男が、冥の帰りに気付いて立ちあがった。
「髪を、切ったのか」
「ええ。気分転換にね」
似合う?といつものようにくるりと回ってみると、御剣が困ったような表情で頷く。
読んでいた書物を持参の鞄にしまいながら、御剣が冥から目を逸らして笑った。
「‥‥それにしても、随分と無防備な姿をしている」
冥が自分の胸元を確認すると、バスローブが少しはだけているのが見える。
慌てて前をかき合わせローブの紐をきつく締めると、冥は開き直って招かれざる客に応じた。

「この時間は、誰もいないはずだもの。寛げる恰好をしていても不思議ではないでしょう?」
使用人たちは既に帰宅しており、父は今日も仕事場に泊まると言っていたので、
多少はしたない姿をしていても問題ないはずだった。
「それよりも、わざわざ私の部屋で待つなんて、何の用かしら」
彼は合鍵を持っているので狩魔の敷地内を自由に行き来することができたが
家人の寝室に無断で入り込んでくることは滅多にしてこなかった。

「先生から‥‥もう君の所へは行かなくていいと言われた」
思い当たる用といえばそれしかなかったのだが
そのためにわざわざ仕事帰りに直行してきた様子であることを、冥は意外に思った。
「ええ、そうよ。私がパパに言ったもの。もうレイジは要らないって」
「‥‥要らない?私はもう、不要だというのか」
御剣が、険しい顔で冥に詰め寄ろうとする。
一歩も下がることなく、冥は御剣の視線を見返して応えた。

「大丈夫よ。ちゃんとパパには執り成してあげておいたから。」
「‥‥執り成す?」
「常識の範囲で一通りのことはして、性行為に関する知識は得たから、もう充分だって。
 レイジはちゃんと務めを果たした‥‥ちゃんと、そう言っておいたわよ。」
それで納得がいくでしょう?と続けようとした冥は、御剣の眉間に深い皺が寄せられているのを見て口を噤む。
「君は、私が先生の歓心を買うために‥‥関係を続けたと思っているのか?」
「‥‥他に理由などないでしょう?」
どうやら彼の矜持を踏み荒らしたようだと理解したものの、冥は態度を変えるつもりがなかった。
どうせ昔のようには戻れないのだから、その繋がりを、完膚無きまでに壊してしまえばいい。

「私は知識を得るために、あなたは立場を守るために関係を続けてきた。
 あなたが上級検事となって独立を認められた今‥‥目的は達成したのだから、終わるのは当然でしょう。」
適当に思いついた根拠を流暢に披露していくと
何かをあざ笑うように、御剣が冥から視線を外して口元を歪めた。
「‥‥君の中では、そういう認識だったのだな」
ほどなくして彼は再び冥に向き合い、別の問いを投げかける。
「だが、どうして突然?昨日まであんなに愉しんでいたではないか」

確かに昨日までは、冥は素直に御剣を受け入れていた。
だがそれは身体と、一部の感情のみのことだった。
「行為中は雰囲気が重要なのでしょう?それを壊さない努力はしているつもりよ。
 だから、本当に愉しんでいたかどうかは、あなたにはわからないわ」
本当はただ悲しいだけだったのだと正直なところを口にすることができず、
冥は可愛げのない答えを返す。

「不満があるのであれば、まず私に言えばいいだろう?
 話してくれれば、今からでもこちらで改善を」
何故か食い下がろうとする男の言葉を、冥は無理矢理遮った。
「別に、改善してもらう点などないわ」

愛情のない関係に、疲れただけ。
感情は本人にすらどうにもできないものなのだから、「改善」など望めるはずがなかった。
“私のことを好きになってほしい”――そんな言葉は、ただ虚しいだけだ。
「もうあなたには飽きた。それだけよ」

「‥‥私に飽きた?」
冥が頷くのを見て、御剣はますます険しい顔で黙り込んだ。
だが、1分も経たぬうちに何かを思いついたように視線を上げると再び冥に問いかける。
「だったら、行為自体が嫌になったわけではない、ということだろうか」
「‥‥まあ、そういうことね」

「それならば、必要を感じた時に声をかけてくれれば――」
そこまでして終焉を認めない男の本意を理解できず、冥の胸が苛々とざわつく。
自分の知らぬところで、御剣は冥の父から他の利益を得ていたのかもしれない、と嫌な想像が膨らんだ。
それが余計に冥の苛立ちを強め、心にもないことを口走らせる。
「その時は、適当に他の人を見繕うから心配はいらないわ」
その言葉に反応して、御剣の眉間が影をさらに深い影を落としていく。
「‥‥すでに目星がついているのか?」
「いいえ。けれど一夜限りなら、すぐ見つかるでしょう」

「何をバカなことを言っているのだ。愛してもいない男と‥‥」
「愛がなくても繋がることができると教えたのは、あなたでしょう、御剣怜侍。」
そう指摘すると、痛いところを言い当てられたかのように、御剣がたじろいた。
図星を突かれたような態度をするということは、やはり彼も愛がないと思っていたということ。
「レイジは優しいばかりでつまらないのよ。」
わざと怒らせるように、冥は後ろを向いて言葉を吐き捨てた。
「だから、もういらない」

しばらくの沈黙の後、背後で低く唸るような声が響いた。
「私は‥‥認めない」
「もともとあなたに決定権はないわ。‥‥もう、帰ってくれないかしら」
追い払うように片手を上げて指先で払う仕草をする。

強い力でその手を掴まれた。
振り返ると、法廷でも見たことのないような、冷たい表情の男が冥を見据えていた。
「念のため、聞こう。‥‥本当は誰か、好きな男ができたのか?」
「そんなの、いないわ」
身の危険を感じて、手を振りほどこうとするが、痛いほどの握力に叶うわけがなく。
御剣は冥の言葉に、一瞬だけ満足そうな笑みを浮かべた。
「そうか、だったら気遣う必要はないな」

「帰りなさい、御剣怜侍」
恐怖の中で残った、わずかなプライドをかき集めて命令するが、やはり相手には通じない。
冷たい目が冥を見下ろして、淡々と言葉を発する。
「どうやら君は、男の恐ろしさをわかっていないようだな。
 誰しもが優しく抱いてくれると思ったら、大間違いだ。」
御剣の自由な方の腕が、後ろから冥を抱き竦める。

「最後に、身をもって教えてあげよう‥‥箱入りのお嬢様にも理解できるように。」
耳元でそう囁かれ息を吹きかけられると、強張っているはずの身体から力が抜けていく。
御剣は冥がどうされれば弱いかを熟知している。自力で逃げる手段はないに等しかった。
「誰か――」
恥を忍んで助けを求めようとするが、今この屋敷には他に誰もいないことに思い至る。
叫んだところで、広大な敷地の中では意味が無いことも冥はよく知っていた。
「状況を、理解してもらえたようだな。」
全ての抵抗が、無駄なのだとはっきり思い知らされる。
「い、‥‥いや‥‥!」

全てが、想定外だった。
もう来なくていいと言えば、これ幸いと来なくなるだろうと思っていた。
父に執り成してもう飽きたと告げれば、面子を保ったままのお役御免を喜ぶだろうと思っていた。
怒らせれば、すぐに去ると思っていた。そして、二度と近付かないだろうと。
実際には、彼はわざわざここまで来て説明を求め、飽きたと言っても納得せず、
怒らせた結果、去るのではなく報復と思われる行為に及び始めている。

抵抗する間もなく寝台の上でうつ伏せに組み敷かれ、そのまま腰を引き寄せられる。
「い、イヤ!やめて‥‥!」
「安心したまえ。手荒なことはするが、避妊はきちんとする。」
バスローブの隙間に滑り込んだ大きな手に胸のふくらみを強く握られて、冥は拒否するための声を失った。
「君とて、棄てた玩具との間に子供ができてしまっては困るだろう?」
その皮肉めいた言葉から、冥は御剣の深い怒りを改めて感じ取った。

乱暴に、だが感じることのできる加減で耳朶を噛まれ、冥は知らず知らずのうちに甘い声を上げて身体を捩った。
大きな体躯で冥の身体を押さえ込んでいた御剣は、冥の両腕をとるとひとつにまとめ、片方の腕でそれを拘束する。
そうして手での抵抗ができないようにしてから身体を離すと
彼はバスローブの裾を手にとって無遠慮にそれをめくりあげた。
下着は部屋で着るつもりでいた冥は、バスローブの下に、何も着けていない。
「や、‥‥いやっ、だめ」
日頃隠している場所が空気に触れるのを感じて、冥は足をばたつかせて抵抗する。

「やはり、こういう趣向は慣れないか」
恥ずかしい部分を曝け出している姿を見られているのを感じて、冥はどうにか身体を動かそうとするが
彼の足や手が冥の身体を固定していて、どうにもならなかった。
「君の嫌がることや負担になりそうなことは、極力避けてきたからな」
かつて一度だけ、御剣がこういう体勢での行為を試そうとしたことがあったが、冥が恥ずかしいから嫌だと言うと彼はあっさり引き下がった。
だが今はきっと、何を言っても彼は思いとどまってはくれないのだろう。

上から冥の臀部を観察するように眺めていた男が、興味深そうな声をあげる。
「ム‥‥それほど前戯もしなかったのに、それなりに濡れている」
これならばすぐに入りそうだ、という呟きと共にそこを指で軽く擦られて、冥はぞくりと身体を震わせた。

「最後に、もう一度訊いておく。‥‥操を立てたい相手ができたわけではないのだな?」
背後から覆いかぶさってきた男に恐ろしいほど静かな声に問われ、冥は背中を凍らせながら必死で答えた。
「そ、そんなの、いない」
冥の秘所には御剣の張り詰めたものが触れている。
それは中に入ることなく、探るように、そして二人の身体を馴染ませるように、ゆっくりと入口を前後に辿っていた。
「そうか」
低い声が事務的な相槌を打つと、冥の腰が高く持ち上げられる。
「それでは、遠慮なく。」
後ろから宛がわれていたものが、言葉が終わると同時に冥の中に入り込む。

まだ潤うほどには濡れていなかった内部は、摩擦を伴いながら御剣を受け入れる。
痛みと熱と、区別のつかないような強い感覚を与えながら、御剣の身体が冥の奥へと潜り込んでいった。
「ふ‥‥っく、は‥‥ぁ、あつ、い‥‥っ」
角度が違うからか慣れていたはずの挿入が苦しく感じられ、冥は必死に息をつぐ。
「まだ、きつかったか」
労わるわけではない、淡々とした言葉を呟くと、冥の手を捕えていた御剣の手が放される。
解放された手を冥が動かすより早く、御剣の両手が冥の腰を掴んだ。
そのまま間髪いれずに力を込められ、一気に最奥を貫かれる。
「は‥‥う、ああ‥‥っ」
いつもと全く違う体勢で別の場所を突かれ、冥は今までにない衝撃を感じて呻いた。
そのまま掻き回すように緩慢な動作で中を抉られると、知らず知らずのうちに甘い声が漏れていく。
自由になった手はもはや抵抗を忘れ、与えられる刺激に耐えるようにぎゅっとシーツを握りしめていた。

「フム、この辺りか」
嬌声と当たり所に相関を見出した御剣が、冥の感じる部分を探り当て、軽く腰を引いて突き入れる。
「あ、ひあ‥‥っ」
冥の身体が大きく跳ねると、御剣が笑みを漏らす音が小さく聞こえた。
そうしていくつか冥の反応のいい場所を見つけていくと、御剣は、冥にとって一番刺激の強かった部分を重点的に突き始めた。
良い所を何度も強く責められ、冥はただ声を上げて追い詰められていくしかない。
穿たれるうちに潤ってきた結合部から、水音と何かがぶつかるような音が聞こえてくる。
普段の彼女ならば恥ずかしさに耳を塞いでしまいそうな音が部屋中に響いているというのに
今の冥は与えられた感覚を受け入れることに必死で、それ以上何も考えることができなかった。

「気持ちよさそうだな、メイ」
不意にかけられたその声にゆるゆると振り向くと、
いつもは誠実な目をしているはずのその男が、嘲笑うかのように冷たい眼差しで口角を上げ、冥を見下ろしていた。
「君は本当に愚かだ。こんなに優秀な玩具を、簡単に捨ててしまうなんて」
彼が何を言ったのか理解できず、冥はもう一度と訊き返そうとする。
しかし、それを妨げるように御剣がストロークの速度を上げ、冥は甘ったるい息を吐くことしかできなくなった。

的確に感じる場所を責め続けられ、冥はいとも簡単に快楽の果てへと追い立てられていく。
「あ‥‥もう、くる、ああ‥‥もう、は、あっ‥‥く、ぁ‥‥っ」
もうすぐ、真っ白な何かがくる‥‥止まらなくなった震えと、全身を駆け抜けるぞくぞくとした感覚が冥の心と身体を支配する。

だが、もう少しで全てを預けられると感じたその瞬間、蹂躙していた男の存在が、冥の中から消えた。
当然、それ以上昇り詰めることも不可能となり、冥は思考が働かぬまま、ただ本能で男の方を振り返る。
「ど‥‥して‥‥」
冥の問いかけにも、御剣は相変わらず皮肉気な笑顔を見せるだけだった。

「メイ‥‥これはお嬢様への奉仕ではないのだよ」
そう言いながら、彼は冥の身体を転がして仰向けに寝かせた。
「聞きわけのない世間知らずへの、教育的指導だ。」
怜悧な目が、いつになくサディスティックな笑みを浮かべる。

「今夜は、最後まで行かせない。極限までひたすら焦らしてやろう。
 この行為が必ずしも甘いものではないと、君が理解できるようにな。」
首筋にキスをされただけで、昂った冥の身体は敏感に反応する。
だが、求める刺激はそんなやさしいものではなく、もっと追い詰められるような激しいもの――
全身が、震えるようなもどかしさを感じる。
それでも冥はやんわりと与えられる愛撫に、甘い声をあげずにはいられなくなっていた。

それから、数時間。
宣告通りに冥を焦らし続けた御剣は、椅子に座るような体勢でベッドに腰掛け
眼前から発せられる哀訴の声に気分良く耳を傾けていた。
「たすけ、れ‥‥レイジ‥‥、おねが‥‥、おね、がい‥‥」
冥は御剣と繋がったまま、座った彼の上に乗せられてベッドの上に両膝をついていた。
彼女の腕は縋るように御剣の二の腕を掴み、時折何かに耐えるように彼の肌を握りしめてぎりぎりと爪を立てる。
その痛みすらも喜びと感じながら、男は快楽に呑みこまれた若い娘を笑顔を浮かべて観察していた。

御剣の両手ががっちりと冥の細い腰を押さえこんでいるため、冥は自由に動くことができない。
散々焦らされているにも拘らず、その衝動の行き場を無くした身体が
まるで御剣の動きを誘うかのように、時折不随意に跳ねた。
その身体の持ち主はすでに明瞭な言葉を失い
救いを求めるように、いつもより視線の近い位置から御剣を見上げている。

その劣情を醒まさぬようにと、忘れた頃に腰を突き上げてやると
冥は虚ろな目を見開いて苦痛と心地よさの入り乱れた声を洩らす。
「レイ‥‥、も‥‥、や、っあ‥‥やめ‥‥て‥‥っ」
「何が、“もうやめて”なのだ?‥‥メイ」
御剣が身体を揺らしながら問いかけると、冥が悲しい声で小さく喘いだ。

「こうして私が押さえていないと、勝手に動いてしまうというのに、やめてほしいのか」
そのまま耳朶を甘く噛むと、冥の上半身がぴくりと身震いする。
「やぁ‥‥っ、だめ‥‥」
御剣の手の中で、冥の腰がもどかしそうに揺れようとする力を感じた。
「言っているそばからこんなに乱れていては、全く説得力がないな」

そう言いながら、御剣は心の中で思う。
自分が彼女をそうなるように仕向けたというのに、よく言えたものだ‥‥と。

いつか御剣を捨てると告げられてからしばらくして、御剣は考え始めた。
できるだけ長く、できれば永遠に、彼女から離れずにすむ方法がないかと。
考えた末に得た結論は、簡単なことだった。

捨てたくないと思わせてしまえばいいのだ。
心が手に入らないのであれば、離れたくないと感じるくらいに、その身体に快楽を覚え込ませてしまえばいい。
思いを込めて尽くせば、いつか冥の心も御剣を求めてくれるかもしれない。
そんな望みのない賭けのような願いが、そのうちに強い切望に育ち、
いつしかあるべき未来のように信じてしまったことに、御剣自身気付いていなかった。
ただ誠意をもって、小さな希望を持ち続けているだけのはずだったのに。

今宵、そうして育った根拠のない確信を突如突き崩され、挙句「いらない」と言われ
現実を認めたくない思いが‥‥そして抉られた心の空洞が、御剣を突き動かした。
どうしても彼女に自分を求めて欲しくて、彼は冥を組み伏せたのだ。

目の前には、御剣が望んだ通りにただひたすら彼を求める冥がいる。
この夜が終わってしまえば永遠に離れてしまうのだとしても、もういいと思えた。
これだけ甘い苦痛を与えてしまえば、自分との時間は彼女の記憶から消えないだろう。
それで、納得してしまおう‥‥御剣はそんな風に結論を導き出そうしていた。

冥の首筋や肩のあたりには、今宵御剣がつけた赤い跡が無数に散らばっている。
誰にも渡すまいと心で呟きながらつけていったそれを眺めつつ、御剣は苦笑した。
――我ながら、これほどに独占欲が強かったのだな。
同じ思いで何度も噛みついた胸の頂は、すっかり腫れ上がり充血している。
身体を屈めてそこに舌を這わせると、冥が可愛らしい声を上げて小さく啼いた。

その声と姿に湧きあがる愛しさを抑えられず、御剣は唇を重ねようと冥の顔に近付ける。
‥‥その時、彼は見た。
それまで熱を帯びたようにぼんやりと御剣を見ていた冥の瞳が見開かれ
突然醒めたように光を取り戻したことを。

慈しむような、温かい顔の接近を、冥はぼんやりと知覚した。
散々焦らされ、果てることだけを望んでいた心身は、接吻を求める空気を
新たな快楽を与えるものと認識して受け入れようとした。

だが次の刹那、彼女は急速に背中の方から静かに冷えていくような感覚にとらわれる。
虚しい思いが、冥の全身を駆け抜けていった。

御剣が冥を抱く時、必ず穏やかで、それでいて熱を帯びた目で冥を見る。
そこにはまるで愛情があるかのようだった。
しかし実際には、二人の間にあるのは愛情ではなく、打算の含まれた約束のみ。
行為が終わった後、冥は徐々にその事実を思い知り打ちのめされる。
それに耐えられなくて、冥は彼を手放すことを決めた。

愛しげに近付く目の光を信じて唇を許し合えば、きっとまた同じ錯覚に囚われてしまうのだ。
穏和な性格の彼が冷徹に怒るほどに、その忠義を踏み荒らして彼を拒絶したのに。
――結局、何も変わらないというの‥‥?
そこから湧きあがる感情は、絶望に等しかった。

「いや!」
明瞭な声を上げて、冥が御剣のくちづけを拒む。
御剣の二の腕を縋るように握っていた冥の両手が、己の唇を守るかのようにその顔を覆っていた。
指の間から零れ落ちていく涙を茫然と眺めていた御剣は、徐々にやるせない思いに駆られていく。
顔を近付けただけで醒めてしまうほど、自分は嫌われていたのか‥‥と。
だが一方で、きっぱりと諦めがついたような気もした。

冥を抱きあげて、繋がっていた己を引きずり出す。
そのままゆっくりとベッドの上に降ろしてシーツを肩にかけてやると、
力なく項垂れた冥が小さく呟く声が聞こえた。

「あんなカオで‥‥キスなんか、しないで」
その頬から数滴のしずくが落ち、ベッドの上に無色の染みをつくる。
「あんな、顔?」
「上辺だけでその場限りの、甘い表情のことよ」
「そういう顔をしていたのならば、私は本当にそう思っていたのだ」
その言葉に弾かれたように、冥が上を向いて御剣を睨みつけた。
「‥‥うそつき」

濡れた視線が咎めるように御剣を突き刺す。
「私のことなんか何とも思っていないくせに‥‥本心からあんな優しい顔をできるはず、ないもの!」
詰るようなその声に、御剣は反射的に言い返そうとした。
だがその直前、彼は何か引っかかるものを感じて口をつぐむ。
彼女が今日になって豹変した理由の、重要な手掛かりを掴んだような気がしたからだ。

彼女は、確かに優れた頭脳を持ち、それに見合う特別な教育と経験を与えられて生きてきた。
そういう意味で、彼女は普通の娘ではない。

だが御剣の知っている冥は、無邪気に父を慕い、留守がちな父を思って寂しがり
母親や歳の離れた姉の華やかな服を眺めては大人の女性に憧れ‥‥
クリスマスの朝には誰よりも早く起きて、ツリーの下に置かれたプレゼントを熱心に紐解いていた。
彼女はごく普通の心をもった女の子なのだと、御剣はその度に思ったものだった。

御剣や冥が暮らす社会では、このような行為は基本的に信頼や愛情の伴ったパートナー同士で
行われることが前提とされているはずだ。
「私のことなんか何とも思っていない」男から、保身を理由に抱かれていると認識していたとすれば‥‥
彼女はどれだけの苦痛や虚しさを感じてきたのだろう。

今日になって彼女がいきなり荒んだように感じたのは、御剣が気付いていなかっただけで
彼女はずっと水面下で葛藤し続けていたのかもしれない。

だが、自分は愛情をもって彼女に接してきた。
そのことを知ってもらうために、隠してきた思いを伝えるべきなのかもしれない。
だが、愛してもいない相手からの愛情など、かえって重荷にならないだろうか?
御剣が躊躇いながら黙っていると、冥の方が先に口を開いた。

「‥‥私ばっかり好きなのは、もう疲れたの」
溜息と共に、冥がその言葉を吐き捨てた。
「ま、待ってくれ、メイ。君は今、何と」
慌てて問い返すと、冥は投げ槍な笑みを浮かべる。
「私があなたを好きだと、そう言ったの。‥‥もちろん、本心から、男性としてよ。」

「だったらどうして、そんな顔をして言うのだ。」
嬉しいはずの言葉なのに、皮肉と諦めの混ざったような表情で告げられたことが
御剣の理解の範疇を超えていて、素直に喜べなくなる。
「第一、君はその言葉は本心ではないと言い続けてきた。どうして今まで‥‥」
顔を覗き込んで問い質すと、冥が不機嫌そうにぷいと顔を背けた。
「どちらも答えは同じね。あなたにとって、迷惑なことだからよ」

「そ、そんなこと‥‥どうして君が断定できるのだっ!」
肩を掴んで揺らして問い詰めると、そっぽを向いていた冥が、正面を向いて御剣を睨みつけた。
「あなたが言ったんじゃない!‥‥好きではない、って」
御剣には、全く覚えがなかった。
「いつの話だ」
「‥‥はじめの夜に」

それはもう随分前の話だったので、詳細なやりとりは覚えていなかった。
こんな関係は良くないと、考え直すよう諭した記憶は残っていたが、そのことだろうか‥‥。
だが、尋ねてみても、冥はただ拗ねたように「好きじゃないって言った」と言うばかり。
受け取った言葉だけが強く残っていて、それ以外のやり取りは忘却してしまったようだ。

そうなると、過去の行き違いを修正しようと議論を続けても
きっと話がややこしくなるだけだと感じる。
そうなると、重要なのは今の思いを伝えることだろう。

御剣がぎゅっと抱き締めると、腕の中の冥が再び暴れた。しかし。
「愛している」
御剣が彼女の耳元で言葉を伝えると、冥の身体から急速に力が抜けて大人しくなる。

「う、そ‥‥、うそつき」
「本心だ。ずっと前から、私も‥‥君を想ってきた」
その言葉を聞いたからか、冥の身体が再度暴れだして御剣から離れようとする。
そうはさせまいと、御剣は冥を抱く腕に一層の力を込めた。

「だって‥‥だって!今までそんなこと、一言も言わなかったじゃない」
叫ぶように問う声に対して、御剣は冷静に答えを返す。
「細心の注意を払って隠してきたのだから、当然だ」
「どうして、隠すのよ!」
「君にとっては迷惑な感情だろうと思っていたから」
そう答えると、暴れていた冥の全身がその動きを止める。

「真似、しないで」
泣きそうな声が愛しくて、御剣は少し腕の力を緩めて優しく抱きしめる。
「それくらい、私たちは互いに同じことを思ってきたということだ」

腕を解いて覗きこむと、冥は下の方を見つめてぽろぽろと涙を零していた。
そのまま顔を近付けても、今度は拒まれることはなかった。
軽く、触れるようにキスをする。
いったん離れると、強がったような、しかし心細そうな冥と視線が合った。
その様子が愛しく思えて、御剣は再びキスをする。

柔らかい唇を味わいながら頬を指先で撫でてやると、冥の身体が跳ねるように揺れた。
二人の繋がりが解かれてから、まだ15分も経っていない。
冥の身体は、どうやらまだ先程の昂りを忘れていなかったようである。
気を良くして首筋や耳元を指や手のひらで辿ると、肩が揺れ、くぐもった鼻声が至近で響いた。

その様子をしばらく楽しんで、ゆっくりと顔を離す。
まるでスイッチが入ったかのように、冥が蕩けた顔で御剣を見上げていた。
誘うような濡れたその瞳と唇に、御剣は急速に欲情を駆り立てられる。
「君が、嫌でなければ‥‥先程の続きをしてもいいだろうか」
頬に触れながら目を見て問いかけると、とろんとした表情が戸惑うように揺れた。

「‥‥焦らすの?」
その少し怯えた表情に、御剣は笑って答える。
「それも‥‥君が嫌でなければ。」
「あまり、苦しいのは嫌よ」
それから冥は御剣に抱きついて、小さな声で言葉を継いだ。
「でも、レイジの好きなようにされるのは‥‥悪くなかった」
自我を無くすか追い詰められるまで、決して胸の内を語らないはずの彼女にとって
おそらくそれが精一杯の素直な表現なのだろう。

その姿がとても愛おしく思えて、御剣はぎゅっと巻きついた細い腕に手を添えた。
そのままゆっくりと自分の身体から離すと、恥ずかしそうに俯いた冥の額にそっと唇を寄せる。
「では、君が悪くない程度に、好きにさせてもらうとするか」
そのまま冥を後ろに押し倒すと小さく、バカ、と呟く声が聞こえた。

先程は相当な時間を使って焦らし続けていたので、今度は楽にさせてやりたい。
唇を重ねながら冥の秘所に指を沈めると、それはすんなりと呑みこまれていく。
「ん‥‥はっ、あ、ふあ、あ‥‥っ」
様子を窺いながら、指を増やして中をかき混ぜると、冥は唇を離して空気を求めるように声をあげた。
それを無理矢理引き戻して唇を奪うと、冥の方から縋るものを求めるように舌を絡ませてくる。
しばらくその感触を味うと、御剣はいったん冥から身体を離しゆっくりと指を引き抜いた。
「ん‥‥っ」
抜かれる時の気持ちよさそうな表情が、御剣の熱をさらに煽っていく。
彼女に付き合うつもりで我慢を続けてきた御剣の昂りは、すでに痛いほどに張りつめていた。

それを冥の濡れたところに宛がうと、一気に腰を沈めていく。
最奥を強く突いて冥を啼かせてから、御剣は華奢な身体を優しく抱きしめた。
耳元で愛の言葉を告げると、冥は熱に浮かされたような声で、私も、と囁いた。

「レイ、‥‥は、ん‥‥ああっ‥‥レイ、ジ‥‥っ」
衝動に任せて何度も突き上げると、冥はすぐに我を忘れたかのような声をあげ始めた。
長い時間をかけて慣らされた身体は、心地よさだけを追うように身体を仰け反らせ、揺らされるままになっている。
そんな状態でも名前を呼ばれることを、御剣は嬉しく思った。
「メイ‥‥」
声をかけると、蕩けた瞳が御剣の姿を捉えて微笑む。
「レイジ、っあ、ふ、ああ、はあ、ああああっ」
何か言おうとしていたところを、わざと遮るようにスピードを上げて攻め立てると
冥は声を殺すこともできずに、ひたすら身体を震わせた。
痙攣に近いその反応、そして強い力で包んでくるような中の動きに彼女の限界が近いことを悟り
御剣は知り尽くした弱いところばかりを狙って、引いた腰を何度も打ち付けていく。
「あ、ああ、レイ、‥‥ああ、あああ‥‥!」
もはや言葉にならない声をあげて、冥の身体が引きつったように固まり、そのままガタガタと大きく揺れる。
背中に回された手に痛いくらいに爪を立てられ、包み込む内部は御剣を締め付けながら誘うように蠢いた。
「‥‥っ」
抗うことなど考える間もなく、御剣は冥の中で募った欲望を解放した。

腕の中でぼんやりしていた冥が、ふいに両手で御剣の右手を取る。
大きな手をゆっくりと持ち上げると、冥は恭しくその甲に唇を寄せた。

忠義の証として逢瀬の度に彼が行ってきたのと同じことをされたというのに
何故か、言葉よりもはっきりと愛していると言われたような気がした。

驚いてまじまじと冥を見ていると、その視線に気がついた彼女が口を開く。
「一度、してみたかったのよ」
冥はそう言って、悪戯っぽく笑った。
「レイジがどんな思いでこうしてきたのか、知りたくて」

「伝えられない思いを、込めてきた」
くちづけを受けた手で彼女の左手をとり、同じことを返す。
近付いた顔に、いとしい、と小さく告げると、冥は涙ぐんだまま、微笑んだ。
最終更新:2010年02月01日 18:32