御剣記憶退行(続き)5
今日は久しぶりに冥さんが作ったご飯を食べた。
お腹をおいしい食事で満たして、暖かい風呂に入って、のんびりとした夜を過ごす。
いつもと変わらない夜。
でも、明日から冥さんがしばらく留守にする。
明日からしばらく僕は、この一日の終わりを一人で迎えなければいけない。
冥さんがいない日々を過ごすことになるのが、こんなに寂しいなんて。
でも、冥さんは仕事があるのだから、仕方ない。
僕が不安な様子を見せて、彼女を困らせちゃいけない。
けれど、これだけは譲れなかった。
「今日こそはベッドで寝てください」
いつものように、冥さんがそろそろ寝ようと切り出したとき、僕はこう申し出た。
「……」
冥さんは、きょとんとしている。
そう。僕が冥さんと住むようになってから今日の今日まで、冥さんはソファで、僕はベッドで寝ていたのだ。どんなに僕がソファを使うと言っても、冥さんは聞き入れてくれなかった。
でも、明日から冥さんは出張で海外へ発つ。これから忙しい日々が待ち受けているのだから、今日くらいはゆっくり寝てもらいたい。
そう思って、思い切って言ってみたけど……
「……結構よ。ベッドはレイジが使いなさい」
やっぱり冥さんは一筋縄ではいかなかった。
「……」
いつもだったら、ここで引き下がっていたけれど、今日はそうはいかない。
「だ、だめです。僕かソファを使います、冥さんはベッドを……」
「くどい」
ひ!
冥さんの声がワントーン下がって、僕は思わずすくみ上がってしまった。
なんだ……この威圧感……き、気のせいか、構えてもないのに、ムチが見える気がするぞ。
法廷では、いつもこんな感じなのか?確かにこんな風に凄まれたら、あることないこと自白してしまいそうだ……
い、いやいやいやいや。だからここで負けるわけにはいかないんだ!
「い・や・で・す!」
強調しすぎてなんだか駄々っ子みたいになってしまったが、僕ははっきり言った。
冥さんは、目を丸くしてびっくりしている。
僕だって、(今は検事らしいけど)弁護士を目指してたんだ!ここから反撃開始だ!
「い、いま何月だと思ってるんですか!夜も朝も冷えるのに、そんな中布団で寝ないなんて自殺行為もいいとこですよ。
僕は男だからソファだろうと雑魚寝だろうとどこでも寝られるけど、冥さんは女の子だし、体冷やしちゃいけないし、毎日仕事だってあるのに、これじゃ体壊してもおかしくない!冥さんが熱で苦しむ姿なんて、僕は見たくありません!
それに、そもそもソファは寝るためのものじゃなくて座るものであって、そんな所でいつも冥さんみたいな若い女の人が寝ているって考えると、僕や成歩堂など男性陣は、非常に座りにくいです。
そう、そうですよ。ソファがソファである為にも冥さんはベッドで寝るべきなんだ。だから、冥さんがベッドを使ってくれるまで、僕も寝ませんから!」
おおよそ、こんな風に並べ立てたと思う。「あの」「ちょ」「レイジっ」と時々冥さんの声が聞こえたけど、僕は口を挟ませなかった。というか単に夢中になりすぎて止まらなかったんだけど。
まあ、証言は最後まで聞くものだし。
……でもここは法廷じゃないし、僕のコレは、法廷テクニックでも何でもないな……
「大体、僕の体調が良くなるまでって言ってましたが、僕はもう元気ですよ!一体いつになったら本調子って認めて貰えるんですか!僕の記憶が戻るまでですかっ!」
ここまでノンブレスで言い切って、ハッと我に返る。
「……」
冥さんの表情が、能面のようになっているのだ。
う、僕……何かまずいこと言っただろうか。それとも、早すぎて聞き取れなかったのだろうか。
でも頭の中が酸欠で、自分がなんて言ったのか、よく思い出せない。
冥さんの口が開いた。あああ、何て言われるんだろう。いつもの冥さんなら「うるさい」とか一蹴してきそうだ。
だけど……意外な言葉が帰ってきた。
「……わかったわよ」
「えっ」
すごく小さな声だったから、思わず聞き返してしまったけど、しっかり聞こえた。
冥さんが、了承してくれた。
よかった……!ちょっと強引だったかもしれないけど、こうでも言わないと冥さんはベッドを使わないだろう。
そうと決まれば……と僕はソファの方に一歩足を踏み出した。
けれど。
「おわっ!?」
突然、冥さんに腕を掴まれた。そのまま引っ張られてリビングを出る。
女の人の細腕なのに、がっちりと指が食い込んできていて、離してもらえない。というか……つ、爪が痛い痛い!
冥さんは寝室のドアを乱暴に開けて、僕をベッドに投げ飛ばした。
「うぶっ!」
顔面から枕に突っ伏して、僕は鼻を押さえて顔を上げる。
すると、冥さんがのそのそとベッドの上に登ってくるのが見えた。
「……そのかわり、貴方も一緒よ」
冥さんは布団を被りながら、そう言った。
一緒に……寝る?
あ、そっか。そうだ。最初からそうすればよかったんだ。そうだよな。一緒に寝れば、全て丸く……
……収まらないから今まで別々に寝ていたんじゃないか……!
「冥さ……!わぷっ」
慌てて起き上がろうとする僕にも、布団が被せられる。僕と一緒の布団の中で、冥さんがもぞもぞ動く。
「ちょっと……狭いから詰めなさいよ」
言われて僕は、それなら……とベッドから出ようとする。けれどいつの間にか冥さんにパジャマの裾を掴まれていて、逃げることはできなかった。
うっ!振り向くと冥さんの目が……据わっている。
「……あ、う……」
僕が何も言えないでいると、冥さんはしばらく僕を睨んだ後、「……じゃあお休み」と、体ごと向こうを向いてしまった。
と……とんでもないことになったぞ。
一つのベッドで、同じ布団で、僕の…すぐ隣で、パジャマ姿の冥さんが寝てる。
無意識に息が止まってしまっていた。だ、だって、呼吸をしたら、息がかかってしまいそうで……
だけどやっぱり耐えられず酸素を吸い込んだら、同時にすごくいい香りが鼻の中に飛び込んできた。
これは……お風呂場にある、冥さんのボディソープの香り……
(うぐ!)
や、やばい!慌てて鼻を啜ると、喉の奥で血の味がした。
ど、どうしよう。ここに来た初日、ちょっとだけ想像したことが、現実に起きるなんて。
手をちょっと伸ばせば、すぐ届くくらいの所で、冥さんが……冥さんが……
(はう!)
お、お腹の下あたりが熱くなってきた。
変なこと考えるな僕!何か別のことを……何でもいい。別のことを考えて気を紛らわせるんだ!
3.14159265758979……
円周率百桁、寿限無、外郎売り……など、思いつくまま頭の中で繰り返すけれど、ちっとも気が紛れない。
「ん……」
スタンドの小さな灯りだけの薄暗い中で、もぞっ、と冥さんが体を動かしているのが見える。僕はギクッとして逆に固まってしまったが、姿勢が定まったのか、彼女はすぐに寝息を立て始める。
僕もゆっくり息を吐いて、体の力を緩めた。
体一つ分くらい離れた冥さんの体が、呼吸にあわせて上下していた。
もう寝入ってるのか……?
僕はこっそり起き上がって、冥さんの顔をそっと覗き込んだ。
眠っていて無防備なはずなのに、それでも整った顔立ち。
まるで童話の眠り姫みたいだと思ってしまった。
ふいに、初めてこの家に来た日のことを思い出す。
あの夜、冥さんは泣きながら眠っていた。溢れだした涙で睫が濡れていた。
でも今はしっかりと瞼を閉じ、泣くことなく眠っている。
そのことが気になっていた僕は、安心して再び布団に入り、冥さんとは背中合わせで横になった。
なんだかおかしいな。さっきまで冥さんのことでパニックになっていたのに、今は同じ冥さんのことでホッとしてる。
布団の中はいつもより早く暖まっていて、心地よい温もりが僕の体を包んだ。
寒い夜も、二人で寝るとこんなに暖かいんだ……
とても不思議な気分だ。一人きりじゃ決して知ることが無かっただろう感覚。嬉しくて、寂しくて、安心して、そわそわして、満たされているのに、どこか、何か足りない……
あらゆる感情が僕の中に湧き上がってくる。
明日なんて、来なければいいのに。
そしたら冥さんは、出張で日本を離れることもなく、一緒にいられるのに。
そんなこと、僕が言えるはずがないけど。
僕ができることは、冥さんがいない間、自分でしっかりこの家を守ること。その間に、料理や家事の腕を上げておこう。
そして願わくば、冥さんが戻ってくる前に、僕の記憶を取り戻したい。本当は、今すぐにでも思い出したいけど。
どうして、僕は冥さんのことを忘れてしまっているんだろう。
一番忘れてはいけない、忘れたくない人のはずなのに。
でも……最近考えてしまうんだ。
もし。
僕の記憶が、一生、元に戻らなかったら、って。
その時は……僕は。
僕は……
そんなことを考えている内に、だんだん瞼が重くなって。
目を閉じると、僕はいつの間にか心地よい眠りに落ちていった。
冥さんの夢を見たような気がしたけど、はっきりと思い出せなかった。
朝、不意に意識が浮上し、僕は目を開けた。
時計を見ると、目覚ましの少し前に起きたみたいだ。
僕は眠い目を擦りながら、隣を見た。
もうとっくに起きたらしく、そこに冥さんの姿は無かった。
早起きだなぁ。そんなに早い時間の飛行機なんだろうか。
のっそりとベッドを降り、僕は簡単に着替えると、寝室を出た。
リビングのドアを開けると、いつものように冥さんが「おはよう」って……
あれ?
冥さんがいない。キッチンにいるかと思って、カウンター越しに覗いたが、姿は見えなかった。
トイレにでも行ってるのかと思ったけど、ドアの小窓からは灯りは見えなかったし、お風呂場も静かだったから、シャワーでもないだろう。
一体どこに……
その時、僕の脳裏にある可能性が浮かんだ。
もしかして……もう家を出てしまったのか?
僕が寝てる間に、何も言わず?
まさか!昨日ちゃんと見送りをするって言っておいたから、冥さんに限ってそんなことするはずがない!
でも……じゃあどうしていないんだ?
「あら、起きてたの?」
意外にも声は前方からした。バルコニーから窓を開けて、冥さんが入ってくる。
「……」
「そんな所で何突っ立ってるの。すぐご飯にするから、席につきなさい」
そう言うと冥さんは、洗濯かごを抱えて僕の脇をすり抜ける。脱衣場に入って行ったのを見届けて、僕は長い長い溜め息をついた。
びっくりした……ちょっと泣いてしまったじゃないか。欠伸と勘違いされたのか、冥さんには気付かれなかったけど。
「今日は簡単な物でごめんなさいね」と、冥さんはすぐ朝食を作ってくれた。それでもトーストに野菜スープをつけてくれる。冥さんにとってのひと手間は、僕にとってはメインディッシュを作る手間も同然なんだけどなぁ。
とにかく少なめの朝食は、食欲の湧かない僕にとっては丁度よかった。
昨日のこともあり、気恥ずかしくて冥さんの顔がまともに見られない。
冥さんも、黙々と食事を続けていた。
お互い一言も言葉を発さぬまま、静かな食事は終わる。
食器を片付ける為に、僕は席を立った。
すると。
「……紅茶が飲みたいわ」
「え?」
ぽつり、と冥さんが呟いた。
「レイジが淹れてよ、紅茶」
へっ!?
突然冥さんが言い出した事に、僕は唖然とした。
だって、いつも紅茶を飲むときは、冥さんが淹れてくれていて。僕は作ったことないのに。
あ……そういえば以前、記憶を無くす前の僕は紅茶を淹れるのが上手だった、って言ってたっけ。
冥さんを見ると、ニコニコ(ニヤニヤ?)と期待の籠もった目で、こっちを見ている。
「……やってみます」
僕はとりあえずそう返事をして、食器を下げてキッチンに向かった。
とは言ったもの……紅茶なんかティーバッグでしか作ったことないぞ。
どうすればいいんだろう……
悶々と考え事をしながらだったからだろうか。強く捻りすぎたらしく、薬缶に勢い良く水道水を注ぎ込んでしまった。慌てて水を止めると、ちょうど二人分くらいの量が溜まっていた。
火にかけて、お湯が沸騰する前に、茶葉やティーポットを準備し、ついでに洗い物も済ませる。
最近ようやく食器を割る事なく、ちゃんと洗えるようになったのだ。
茶葉は……どのくらい入れたらいいんだろう。僕と冥さん二人だから……ティースプーン二杯くらいで……むむ、なんとなく足りなさそうだから、もう少し。
お湯が沸く音がしたので、薬缶のふたを取ってカルキを抜く。それから火を止めると、茶葉の入ったティーポットに、お湯を注いだ。
喫茶店とかだと、砂時計で時間をはかったりすると思うが、そんなのは見当たらなかったので、だいたい3分ほど待ってみたけど大丈夫かな……
「……お待たせしました」
ようやく色がそれらしき物になってから、ティーポットとカップを冥さんの待つテーブルに持ってきた。
「いい香りじゃない」
カップに注いだ時、冥さんがそう言ってくれた。そうかな……よくわからないけど。
でも席について一口含んでみると、
「……?」
ちゃんとおいしい。
同じ紅茶を使っているはずなのに、冥さんが淹れた時と違う味がした。
なぜだろう、体が紅茶の作り方を覚えていたのだろうか?
初めて作ったはずなのに、まともに飲める物が出来てしまった。
料理だと、こうは行かない。
「……」
冥さんもカップに口をつけて、目を丸くした後、頬を綻ばせた。
「……おいしい」
溜め息と共に呟かれた言葉に、僕は嬉しくなった。
僕でも、ちゃんとできるんだ。記憶を無くしていても、冥さんを喜ばせられる。
こうなったら冥さんがいない間の課題に、紅茶を入れる練習も追加だ。
こうして、またのどかな時間を二人で過ごせるように……
僕は、美味しそうに紅茶を飲んでくれる冥さんを見つめながらそう思った。
その時だった。
プルルルルル!
穏やかな空気に水を差す電話の音。僕達は一斉にそちらを見た。
サイドボードの上にある固定電話が鳴っている。携帯が主な連絡手段の冥さんだから、FAX送受信がメインで、通話に使われることは滅多にない物。
しかし、今日はなかなかFAXに切り替わらない。
そして何故か、冥さんは険しい顔をして電話を見つめている。
「……出ないんですか?」
「……」
僕の問いには返事をせず、冥さんは立ち上がって、電話へ向かう。そしてゆっくり受話器を手に取り、耳に当てた。
「……」
その姿勢のまま数秒。相手は男なのだろうか。よほど大声を出しているのか、僕の耳にも微かに聞こえてくる。
結局冥さんは、相づちすら一言も発しないまま、電話を切った。
「間違い電話よ……ちょっとゆっくりしすぎたみたい。そろそろ準備しなくちゃ」
僕の視線に気がついて、冥さんはそう言うと、パタパタと足早にリビングを出て行った。
「……」
静かな室内に独りきりになり、急に周りが冷えた気がした。
半分以上残っている紅茶のカップを下げるべきか悩んだが、僕はもう一つ気になることがあった。
さっきの『留守番電話』が、何故か心に引っかかる。
「……」
立ち上がり電話に近づいた。冥さんが置き損ねたのか、受話器が少しズレて浮くように置かれていた。それを元に戻し、着信履歴のボタンを押す。
するとディスプレイには、さっきの着信時刻と『イトノコギリ ケイジ』の文字。
誰だろう?男の人だろうか。それとも『ケイジ』だから、刑事からの電話?
どちらにせよ、名前が登録されているなら、間違い電話ではなさそうなのに……?
「わっ!?」
ぼんやり考えていると、再びコール音が鳴った。発信元は、やっぱり『イトノコギリ ケイジ』。
少し考えて、僕は受話器にそっと手をかける。
「もしもし……」
『いきなり切るなんてヒドイッス、狩魔検事!』
受話器を耳に当てた途端、すごい大声が聞こえて、鼓膜が破れるかと思った。
『ん?その声は……御剣検事ッスか!?』
頭の中をぐわんぐわんさせていると、男性の野太い声で名前を呼ばれた。
『お久しぶりッス!何やら事故に遭われて休養中らしいけど、大丈夫ッスか?自分、地方に捜査に行ってたもので、お見舞いにも行けなくてスマネッス!』
「あ、その、はい。大丈夫です」
『ふごっ!?』
何やら奇声が聞こえた。僕、何か変なこと言っただろうか?
でもとにかく、電話の相手は僕と冥さん共通の知り合いであることは間違いなさそうだ。ということは、やっぱり刑事?
「あのー、どういったご用件で……」
『はああッス!』
僕が切り出すと、相手はまた変な声を上げる。どうでもいいけど、イチイチうるさいなこの人。
『そうだったッス!狩魔検事は!狩魔検事はどういうつもりッスか!?』
冥さんの名前が出てきた。こんな朝早くから電話をかけてくるということは、何か緊急の用事なのか?
でも冥さんは今、準備で忙しそうだからな……
「あの……冥さんは今忙しくて……」
代わりに僕が伝言をできるなら、と思ったが、
『狩魔検事はいるッスね!?代わって欲しいッス!どうして狩魔検事が、検事局にいないッスか!?』
相手の言葉に、僕は首を傾げる。
「……は?」
我ながら、間の抜けた声が漏れてしまったが、すぐにこの人が言っていることに思い当たった。
「ああ……冥さんなら今日から出張で海外に。だからしばらく日本を空け……」
しかし、彼は納得しなかった。そして僕も、
『出張……?ならどうして狩魔検事の辞表が提出されてるッスか!?』
彼の言葉に、一瞬思考が止められた。
辞表……?
狩魔検事の?
「なにを……」
そう言うのが精一杯だった。
『……御剣検事も、何も聞いてないんッスか……?』
……イトノコギリ ケイジは、先ほどよりも声のトーンを落とし、話を続ける。
『……自分が久々にコッチに戻ってきて、御剣検事達に挨拶しようと、今朝検事局を訪ねたッス。いつものように執務室の掃除でもできればと、早めに向かったッスが、着いた途端に、職員の噂話が聞こえてきたッス……狩魔検事が、二日前突然、検事局を止めた……と』
がつん、と頭を殴られたような衝撃を受けた。
二日前……父さんの墓参りに行った前日だ。
『ペースアップして仕事をこなして、狩魔検事が受け持っていた案件をすべて終わらせてから、局長に辞表を提出したらしいッス。自分は信じられなくて、狩魔検事の執務室へ飛んでいったッスが……部屋の中からは、狩魔検事の仕事道具が綺麗に片付けられてたッス……』
心臓が早鐘を打つ。
口の中が渇いてくる。
何を……言ってるんだ、この人は?
『確かに狩魔検事は元々、世界を飛び回る人だったッス……でも今は日本に拠点をおいてるッス。その狩魔検事が日本の検事局を辞めた今、狩魔検事はどこに、何の出張に行くッスか!?』
『出張』だって言ってた。
『しばらく』、日本をあけるって言ってた。
それは、真実ではないのか?
じゃあ冥さんは、どういうつもりで、何のために日本を発つんだ?
いつ戻ってくるつもりなんだ?
まさか……
「!!」
その時、隣に気配を感じた。
気がついたときには、受話器を奪われていた。
視線を向けると、そこには冥さんがいた。
コートを着て、いつもの皮手袋をつけて、しっかり身仕度を整え、その片手に、僕から奪った受話器を持って。
黙って、僕を、見上げていた。
僕を映すその瞳からは、何も読みとることができなかった。
最終更新:2010年03月17日 15:48