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「有罪!」

法廷内に判決が響き渡ると、勝利した担当検事の狩魔冥は、無表情で法廷を去った。
アメリカが主戦場の彼女だが、今はここ日本に籍を置き、無敗記録を欲しいままにしていた。
成歩堂龍一弁護士との一連の法廷では、彼女も苦々しい想いをしたが、その経験が彼女を変え、更に強いものとした。

「狩魔検事!おめでとうッス!すごいッスね!」

検事局に戻ると、やたら大声で労う刑事に目もくれず、当然だと言わんばかりの態度で執務室に戻ってしまう。
彼女の予定は詰まっている。一つの法廷が終わったからと言って、一息つく暇などないのだ。

興奮していた刑事は、がっくりと項垂れ、とぼとぼと検事局を後にしようとした。
偶然、入口で刑事が最も信頼し、忠誠を誓う検事と遭遇した。
主席検事、御剣怜侍だ。

「みっ、御剣検事!狩魔検事、勝利ッス!」
「うム、そうか。良かった。」

御剣も興奮することなく、淡々と刑事の報告を聞き、自室へ向かった。

途中、冥の執務室に寄ってドアをノックしたものの、忙しいからと入室すら許されず、しかしこのようなことは茶飯事なので、気にも止めなかった。

刑事に、冥の異変を報告されるまではーー。

その日も冥は勝利した。実に鮮やかな裁判だったという。彼女の放つ優雅で尊大な空気が法廷内を支配したのだろう。彼女はいつもどおりの笑みを浮かべ、両手を広げて彼女特有のお辞儀をした。

その時に、傍聴していた例の刑事が違和感を覚え、御剣の執務室に向かった。

「メイがおかしい?」

「そッス!!何がと聞かれてもうまく説明できないんスけど、今日は鞭を持っていなかったっス!一度も振るってないッス!」

「……それは単に、鞭を使うほどでもなかったのではないか?現に、とてもスピーディーな裁判だったと聞いている。」

「そうかもしれないッス!でも、あと、あの、痩せたような気がしたッス!」

刑事の話によると、両手を広げた際に、「なんとなく」顔も上半身もほっそりしたように見えたそうだ。
狩魔検事は、もともと細身であるから、錯覚かもしれないけれど、と付け加えていた。

「ふム、わかった。確かに最近ハードのようだし、話してみよう。」

そう刑事に伝え、自分の仕事を済ますと、冥の執務室に向かった。向かいながら、仕事の虫のような、ここ最近の冥のことや、そもそもどうして日本に残ったのかなど、異変に関係しそうな節を思い浮かべた。

「メイ、私だ。話がある。入っても良いだろうか?」

ノックをして、続けてそう告げたが、反応がない。スケジュールも確認し、在室のはずだ。仮眠でも取っているのかと思い、諦めて立ち去ろうとした。
その時、

ドサッ!!ガシャン!!

何かが落ちた音、そして割れた音がした。しかし部屋主の声は聴こえてこない。御剣はドアを激しく叩いた。

「メイ!?どうした!?メイ!!」

ロックされていて開かないドアの向こうで何があったのか。御剣は急いでマスターキーを求めて走った。冷静沈着な御剣の珍しい慌てように、人が自然と集まってしまったが、構ってはいられず性急にドアを開けた。

そこには、割れたグラスの破片が散乱し、すぐそばに冥が倒れていた。御剣は駆け寄り、冥の肩を抱き起こした。

「メイ!!」

目を閉じて微かに息をする冥の顔は蒼白で、人形のようだった。御剣は、抱き起こしたその身体の軽さに驚愕していた。

「だっ、誰か救急車を呼べ!!」

ドアの向こうのギャラリーにそう叫び、誰かが「すぐに!」と応答したのを確認すると、御剣は冥を抱き上げてソファに横たえた。やはり、あまりに軽い。まるで、そう、冥が少女だったあの頃のようだ。

救急車はすぐに到着し、御剣は同乗した。そして病院に運ばれると、冥は睡眠薬の飲み過ぎだと診断されたのだった。

途中、ひどく頼りない様子ではあったが、冥は意識を取り戻して、自分の現状に驚いた。そして苦渋の表情を浮かべ、一晩は入院することに同意した。御剣は付き添いを買って出たが、冥は全力で拒んだ。

「あなたに、、、迷惑はかけられないわ。」

こんな時に強がりもないだろうと、御剣も憤りながら食い下がったが、冥も譲らず、これでは休めない、ご家族でないのであればと看護師に退室を促され、渋々帰路に着いたのだった。

翌日、冥は退院が許されたものの、しばらくは静養するようにと念を押された。検事局に連絡を入れると、昨日自分が倒れたのはたいそうな騒ぎであったことを知らされ、こちらでも休むよう促された。
悔しさが込み上げて来たが、致し方なく休養することを何とか受け入れ、病院のエントランスへ向かった。

そこには御剣が腕を組んで、怪訝な顔つきで待っていた。冥の眉間にも皺がよる。

「何かしら?御剣怜侍。」

「送っていく。異議は認めない。」

「必要ないわ。昨日は悪かったわ。もう大丈夫だけれど、医師にも検事局にも休めと言われて、素直に従うわよ。」

「では尚更だ。」

続けて何か言いそうな冥を遮って、強引に手荷物を奪い、駐車場へ向かってしまった。今の冥には、奪い返す力もなく、さっさと先を行く背中に小言を浴びせながら着いて行くほかなかった。

「心配してくれている割には、優しくないのではなくて?」

観念して助手席に座り、文句をつけた。

「こうでもしないと、キミは言うことを聞くまい。」

冥の方を向くでもなく、前を見据えたまま応えるその声には怒りが混じっているように感じて、冥は押し黙った。そのまま会話することなく、車は冥のマンションへ向かった。

「…ありがとう。ここで良いわ。」

マンションの地下駐車場に車が止められ、冥が降りようとすると、手首を掴まれた。

「…こんなに細く…。メイ、何があった?何故睡眠薬など…。」

冥はすぐに手首から御剣の手を払って、至極落ち着いた調子で言った。

「忙しかったからよ。この国の検事は無能ばかり。私が身をもって本物の検事の仕事ぶりを見せてあげたのよ。でも身体に無理していたのね、反省したわ。薬も、短時間で熟睡できるようにと思ったけど、確かに誤解されるわね。」

最もらしいことを、最もらしい顔で淀みなく話す。反省などと、彼女らしくもない一節まで織り込んで、神妙ささえ演出する。
しかし御剣は騙されない。

「私に嘘が通じるとでも?」

「あら、何が嘘なのかしら?」

「何もかもだ。身体に無理をしていたのは確かだろうが、私が訊いているのは、その理由だ。キミが無能な連中のために一肌脱ぐなどあり得ないだろう。それに、やけに詰まった予定を好んで組んでいただろう。」

昨日、付き添うこともできず病院を追い出された御剣は、検事局に戻り、最近の冥の動向を調べた。
傷害や殺人といった重犯罪ばかり、しかも日程も拮抗したものを自ら志願していた。極力、他の検事や刑事、事務官に頼らず、ほとんどを自力でこなしていたという。
これ以上にない、明白で完璧な証拠とロジック。溜め息さえもれるような、彼女の「仕事ぶり」であった。

「…メイ、キミを何年見てきたと思ってる。そんな嘘、見抜けないわけが、」

ないー、そう言い終える前に冥が逆上した。険しい目付きで御
剣を睨み、大声をあげた。



「私を見てきた、ですって!?勝手にいなくなったり、置いていったりしたのは誰かしら!?私の何を知っていると言うのよ!!」

一気に捲し立てられた内容は、御剣にとって耳が痛いところで、思わず硬直した。

「あなたなんかにっ、私のっ…」

言いきれずに、冥はグラリと頭を垂れた。
思わず伸びた、御剣の腕が支える。

「メイ!!大丈夫か!」

しまった、無理をさせたと後悔しても遅く、冥は苦しげな表情で、肩で息をし、それでも御剣を睨んだ。真っ青な顔とは裏腹に、その眼差しは涙を含んで紅く染まっていた。

「…はな…して。もう、、やすみたい、わ。」

そこまで絞るように言って、冥は目を閉じた。涙が一筋、頬を伝った。
意識を失ったわけではなかったが、気力が尽きたのだろう。御剣は、冥の呼吸が少し整うのを待ってから、暗証番号には予測がついたのでオートロックを開け、彼女を抱えあげ、彼女の部屋に向かった。

1歩部屋に入ると、その乱雑さに絶句した。潔癖で整頓の類いが得意な彼女の部屋とは思えない。床に散らばる書類を踏まないようにしながら、寝室に冥を運んで、皺だらけのシーツに彼女を横たえる。
冥は抵抗することもなく、そのまま寝入ってしまったようだ。

それにしても何だこの部屋は。床の書類を拾い上げながら、リビングへ戻り、ローテーブルに書類を置いた。何気なく書類に目を落とすと、飛び込んできた文字に思わず目を疑った。

「殺人検事」

誹謗中傷のファックスだった。慌てて他の書類も見てみると、冥に対する、陰湿極まりない内容ばかり、脅迫とも取れるものもあった。それは、彼女の父親ーー伝説の検事であり、殺人犯ーーに起因したものだとわかった。

中には御剣の名が入ったものもあった。御剣に近づくな、彼に償え、彼によって粛清されろといった内容だ。
冥の父によって殺された、御剣の父と、孤児となった御剣自身を慮ってのことか。

余計なお世話だと呟いて、冥の謎の行動と、この誹謗中傷。このロジックを頭の中で組み立てる。

ーきっと、メイはー

真っ向から戦おうと思ったのだろう。
批判の矢面に立って、堂々と自分のやるべきことをただひたすら遂行する。
あえて重い事件を選び、姑息な手段は使わずとも、狩魔の教えは通用することを証明する。
アメリカでも彼女への風当たりは厳しいが、彼女が残してきた実績は、同僚達からの信頼を厚くしており、日本よりは彼女を守ってくれる環境にある。しかしそれは選ばず、日本で心身に傷を追ってでも戦う。
それが、贖罪。

ロジックが完成し、落ち着いた御剣は、部屋を少しだけ整え、また冥の寝室に向かった。
冥は幼少の頃のように、膝を折って丸くなって寝ていた。小ささに、あぁまだ少女だったなと思い出す。

ベッドに腰掛け、冥を見下ろし、そっと髪を鋤いてやると、冥が「パパ…」と呟いた。
複雑な感情が沸き上がり、この娘も、また独りなのだと思った。

(ご家族でもないのであれば、お引き取り頂いて…)

昨日の看護師の言葉が蘇った。そんなことを言っても、この娘に、すぐ駆け寄ってくれる家族などいないのだ。

「私もだ…。」

そう思った時には声になっていた。眼下の冥は起きたようだった。

「…レイジ…?」

「すまない、起こしてしまったか。悪いが勝手に入室した。」

寝入る前のやりとりを思い出したのか、冥の表情が曇ったが、すぐにふうっと息をついて、上体を起こした。

「…汚い部屋でしょう。」

完璧でない自分の醜態をさらし、開き直ったのか、諦めたのか、冥は穏やかな口調で言った。憂いがこもった声だった。

「いろいろ見てしまったようね。」

中傷の文書、嫌がらせを受けていた事実を御剣が気づかないはずもない。

「あなたの、ご想像のとおりよ。」

そして、ふっと笑い、細くなった手首をさすった。すると、黙って聞いていた御剣の手がのび、掴んだ。
冥に緊張が走った。

「メイ…、家族に、ならないか?」

「は?」

冥は目をしばかせ、心から意味がわからないという顔をした。よく聞き取れなかったのだろうと思った。
しかし、御剣は大真面目だった。

「キミを独りにはさせない。こんな目に遭わせない。」

強く言い切った言葉は聞き間違いようもなかった。ごくりと、冥の喉が鳴った。御剣は続ける。

「キミは以前、私がキミを置いていくと言っていたが、私はあの日以来、キミを置いていったりするものかと誓った。」

あの日ー。
成歩堂龍一に敗れ、帰国の途に着いた空港。そこで見た、狩魔冥の真の姿。御剣にとってはそれこそよく知る、メイという少女の姿だった。

「しかし、私と距離を置こうとしているのはキミではないか?」

冥が日本で法廷に立つと決まって以降、何かと気にかけてきた。しかし、冥は何もかも自分でやろうとし、余計な事するなと言わんばかりであった。
強がりや照れ隠しではない、その強い拒絶にお手上げだった。

「…あなたに、迷惑はかけられないのよ。わかるでしょう。もう昔のように、それこそ家族には戻れないわ。」

「違うぞ、メイ。誰が家族に"戻る"などと言ったのだ。確かに我々は家族同然で過ごしたこともあったが、あくまで兄弟弟子だ。私が言ったのは家族に"ならないか"だ。」

「…あなたの家族を奪った私と?」

その言葉を飲み込むかのように御剣が叫んだ。

「キミをそんな風に思ったことなど一度もない!!真実を知ってからもだ!!第一、キミが奪ったのではない!!」

あまりの形相と剣幕に、冥は震えた。御剣は怒りを露にした。自分も、中傷するような輩と同列に思われたのなら心外にも程がある。

「見くびるな、狩魔冥。……私はキミを守りたいだけだ。」

少しの間の後の言葉は穏やかだった。冥は反らしがちだった視線を御剣に合わせた。そこには精悍な、そして優しい、冥がずっと求めてきた顔があった。

「…わっわたしはっ…」

今にも泣き出しそうな冥は、それをこらえるように肩を震わせている。御剣は冥の手首から手を離し、今度は抱き寄せた。

「メイ、言っただろう。キミのことはずっと見てきた。何もかも、すべて、引っくるめて受け止めたいのだ。だから、キミの心配など不要なのだよ。」

「…っ。レ、イジっ、、私、わたし、」

そして堰を切ったかのように、冥が大声で泣き出した。これが、この過酷な運命を歩む少女の真の姿だ。小さくてか弱い、普通の少女。

「すまなかった、異変に気づいてやれなかった。もう、もう大丈夫だ。」

御剣は、泣きじゃくる冥の背中をさすりながら、昔を思い出していた。人一倍負けず嫌いの少女は、打たれ弱く、泣き虫で、甘えたくても不器用で。でも御剣はすべてを見抜いて、彼女の気が良いように受け入れてきた。きっと、この少女には、素をさらけ出せる場所がない。自分はその場所になり得る、唯一の存在かもしれない。

冥の泣き声が次第に治まり、少し落ち着いた頃、御剣は再び訊いた。今度は囁くように。

「メイ、私と家族にならないか?」

御剣の胸の中で鼻をすすった冥は、しばらく押し黙り、そして俯いたまま呟いた。

「…ねぇ、それさっきも思ったのだけれど、どういう事なの?…あなた、私を養女にでもするつもりなの…?」

想定外の言葉に、御剣は白目を剥いた。冥を抱いていた腕も思わず離れる。それに驚いて、冥が顔をあげた。

「…レイジ?」

心配そうに見つめてくる冥が視界に入り、御剣は気を取り直した。そして、咳払いをひとつして、目の前の無防備な、油断だらけの小さな唇に、自分のそれを落とした。
はじめ触れるように。すぐに押し付けるように。

冥は驚きのあまり抵抗もせず、指先まで硬直させた。一瞬の出来事が永く感じられたかと思うと、自分から離れていった御剣の唇が言った。

「…こういう事だ。」

冥は金縛りにあったかのよう動かない。白い顔に朱色が差したかと思うと、勢いよく御剣の胸に顔を押し付け表情が見えぬようきつく抱きついてきた。

「…レイジ、もしかして、私を…好きなの?」

狩魔冥とは思えない、少女漫画かのような幼い台詞に、御剣は愛しさを覚えた。思わず口角が上がり、でも、笑われていると知ったら少女が憤慨するだろうと思い、気づかれぬように返事をした。

「ああ、メイ、キミのことが好きだ。」

それを聞いた冥は顔をあげて真っ直ぐ御剣を見つめ、今度は腕を首に絡めるように抱きついた。

「レイジっ!」

御剣はようやく胸をなでおろし、自分にしがみつく少女の気が済むまで、ずっと抱き締めていた。

「…じっくり休養をとって、身体の回復に努めるのだぞ。」

(こんなに細くては抱き心地が良くないからな)

邪な気持ちは言葉にせず、飲み込んで微笑んだ。

その日から、冥はしばらく休養し、心身のリフレッシュに専念した。不在になって、いかに冥に依存していたかを痛感した検事局では、次第に冥への嫌がらせはなくなっていった。休暇中の仕事のフォローは御剣が率先した。

後日、顔色も良く、本来の抜群のプロポーションを取り戻した冥が検事局に出勤すると、そこにはバラの花束を抱えた御剣と、例の刑事のほか、多くの同僚が笑顔で待っていた。おかえりなさい、と言う声を聞きながら、御剣から花束を受け取った冥の指には、美しい指輪が輝いていた。

(おわり)
最終更新:2014年03月25日 22:58