御剣記憶退行(続き)1
風呂から上がった僕は、広いリビングにあるソファの上で膝を抱えて所在無く座っていた。
目の前には、冥さんが点けていったテレビがバラエティー番組を流していたけれど、内容はちっとも頭の中に入ってこない。
「なんて格好しているの」
後ろから冥さんの声が聞こえて、僕は飛び上がるくらい驚きながらも「はいっ」となんとか返事をする。
「もっと、楽にしていいのよ?それとも、湯冷めしちゃったかしら……寒い?」
「い、いいえ、大丈夫、です」
ローテーブルを囲うように、お揃いのミニソファに腰掛ける冥さんに合わせ、僕も座り直した。
僕に断りを入れてからリモコンでチャンネルを変え、ニュース番組を見始めた、風呂上がりの冥さん。薄いブルーのパジャマ姿で濡れた髪をタオルで拭いて、新聞とテレビに視線を往復させている。
その横顔をチラチラ盗み見ながら、僕は揃えた膝をソワソワさせた。
冥さん、キレイだな。
化粧を落とすと、さっきまでとはまた違ってなんだか可愛らしくて、ちょっと期待しちゃってたとおりだ。
さっきまでソワソワしちゃってたけど、冥さんの様子に少し安心したみたいで、身体から力が抜ける。
だが。
「もうこんな時間なのね……そろそろ寝ましょう」
彼女のその言葉に、また身体が強張ってしまったのだ。
さっき、お風呂から上がったあと、廊下から見たんだ。
少しだけ開いた寝室のドアの向こうで、冥さんがベッドのシーツを整えてた。
あれは、だ、ダブルベッドだ。一人で寝るのには広すぎて、二人で寝るとちょうど良い大きさのベッド。
ということはやっぱり、僕は冥さんと二人で、あのベッドを使っていたのか?
時々、からだが触れ合っちゃったり、寒い日なんかは、み、みみ、身を寄せあって……
あああダメだダメだ!何を考えてるんだ僕は!
こんな考え、まるで耳年増の矢張と同じレベルじゃないか!
でも、どんどん変な想像が頭の中に浮かんでくる。
誰か、だれか、止めて……!
「私は別室で休むから、貴方は寝室を使いなさい」
「……え?」
冥さんから放たれた言葉で、ようやく僕の頭のパニックが治まった。
「で、でも、冥さんいつも寝室で……」
「ちゃんと寝るところは別々に用意しているから大丈夫。貴方は何も心配しなくていいのよ」
「……」
さっきまでのことが気恥ずかしくなって、僕は素直に頷いてしまった。
何か必要なものがあったら言ってね。
そう言って、冥さんは寝室から出て行った。
一人になった僕は、しばらくダブルベッドを見下ろした後、恐る恐る座ったみる。
ふかふかだ。シーツもスベスベで気持ちいい。
布団に潜り込むと、いい匂いがした。
緊張し通しで疲れていたのか、眠くなるのに時間はかからなかった。
冥さんが布団とか干しているのかな。
うちの中は綺麗だし、今日の料理も美味しかったし、家事も得意なんだろうか。
僕はあまり器用な方ではないけど、ちゃんと手伝いとかしていたのかな。
成歩堂は何故か少し冥さんを怖がっていたみたいだけど、僕にはとても優しい人に思える。
さっきみたいに、僕を気遣ってくれるし。
なんだかくすぐったい気分のまま、僕は久しぶりに心地よい気分で眠りについたのだった。
ふと目を開けると、時計は夜中の二時を回っていた。
ずいぶん寝たような気がしたんだけどなぁ。
寝直そうとも思ったけど、なんだか喉が乾いたから、水でも貰おう。
ベッドから降りてスリッパをはき、キッチンにお邪魔する。
手探りで電気を点けると、小さな光がともった。
綺麗に磨かれたシンクに、僕の顔がぼんやり映る。
その時だった。
「?」
薄暗いリビングの中で、何かがもぞ、と動く気配がした。
目を凝らして見てみると、ソファに誰かが寝ている。
いや、誰かなんて言い方はおかしい。
冥さんだ。
冥さんが、ソファで寝ているんだ。
僕はビックリして、でも起こさないようにそっとリビングに入った。
足音を立てないように近づいてみる。
のぞき込むと、毛布にくるまった冥さんが、すやすや寝息をたてているのが見えた。
冥さんのことは何も覚えていないけど、一つわかったことがある。
このひとは、ウソがあまりうまくないみたいだ。
『ちゃんと寝るところは別々に用意しているから大丈夫』
と言ったけれど、これはちゃんとした寝床なんかじゃない。
『貴方は何も心配しなくていいのよ』
こんなの見せられたら、僕は冥さんのことが心配になるじゃないか。
キッチンからの仄かな光で、冥さんの顔がぼんやり見える。
その陶器のような白い頬が、一筋、涙で濡れているんだから。
「……レイジ……」
呟きと共に、閉じられた瞳から、また一粒涙が零れた。
このひとは、僕のことを想って泣いている。
なのに。
僕の方は、申し訳ないという気持ちしか湧き上がってこなかった。
『必要なものがあったら言ってね』
冥さんの言葉がまた脳裏に蘇る。
必要なもの。
足りないもの。
そうは言っても、パジャマだって、お箸だって、歯ブラシだって、何でも揃っている。
元々、僕のものなのだから。
足りないものなんて、あるはずないじゃないか。
僕の記憶以外。
どうすれば、このひとのことを思い出せるんだろう。
このひとに、こんな顔をさせないで済むんだろう。
僕は居たたまれない気持ちのまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。
あれからなかなか寝られなかったから、つい寝過ごしたみたいだった。
枕元の時計を見ると、もう昼近く……
「!!」
慌てて僕は飛び起きて、寝室を飛び出した。
「あらおはよう」
リビングに駆け込んだ途端、キッチンから冥さんの声が聞こえてきた。
「よく眠れた?今なにか作るから」
「あ……すみませ……」
言いかけて僕はやめた。
他人の家で寝坊するなんて失礼なことを、という考えから出かかった言葉だからだ。
冥さんは、少し目が赤い以外は、至って昨日と変わった様子はない。冷蔵庫を開けてごそごそしながら、顔をこちらに向けて言った。
「今のうちに、顔を洗って着替えていらっしゃい。もうすぐ成歩堂たちが来ちゃうわよ」
「……はい」
言われるまま僕は顔を洗い、着替えの場所を冥さんに聞いて、寝室に戻ってタンスを開けた。
なんだかヒラヒラがやたら付いてるシャツがいっぱいあったが、コレ本当に男物なのか?こんなのを大人の僕が着てるのか。
その中から一番地味で楽そうなシャツとスラックスをえらんで、僕は着替えを始めた。
早く支度をしないと、成歩堂たちがこの家に着いてしまう。
……ん?
成歩堂『たち』?
着替えを終えて戻って来ると、テーブルに朝食(もう昼食かも)が並んでいた。
トーストが二枚。あとベーコンとスクランブルエッグ。
う、トマトも乗ってる。キライなのに。
大人の僕は、トマト嫌いを克服したのかな。
トーストなどでウォーミングアップしながら、一切れトマトを口にしてみる。
う……やっぱり苦手だ。
ふと顔を上げると、冥さんが目を丸くしてこちらを見ていた。
「驚いた……レイジがトマト食べてる」
……冥さんって、結構ヤリ手だ。
口直しにカリカリのベーコンをかじりながら、そう思った。
食後は、冥さんが食器を下げて、紅茶を淹れてくれた。
これはティーパックでいれたんじゃないんだろうな。すごくおいしい。
「冥さん、紅茶淹れるのも上手なんだ……」
僕がそう漏らすと、冥さんが「んー」と小首をかしげた。
「ありがとう。でもね、紅茶はレイジのほうが上手だったのよ」
え、そうなんだ?
そっか……少なくとも、紅茶を作れるくらいは、そう不器用じゃないんだ。
なんとなく自信がついたとき、チャイムの音が鳴った。
「あ、来たみたい。悪いけどレイジ、出てくれない?」
「あ、ハイ」
洗い物中の冥さんに頼まれ、僕は玄関に向かった。
扉を開けると、そこには思った通り成歩堂……と。
知らない女の人と、女の子……?
「みつるぎ検事!お見舞いに来たよ!」
「大丈夫ですか?みつるぎけんじさま」
二人は僕の顔を見上げて、交互にそう言った。
「……成歩堂、この人たちは……?」
この状況からして、多分僕の知り合いなんだろうけど……
でも成歩堂が口を開く前に、黒髪の女の人が「わあああっ」と叫んだ。
「すごい!本当に忘れちゃったんだ、私たちのこと!」
「ええ!わたくし、とてもショックです!」
な、なんだなんだ、この賑やかな人たちは。
とりあえず、あまり騒ぐと近所に迷惑だろうから、中に入ってもらった。
リビングに通すと、冥さんが女の人たちに挨拶している。
どうやら共通の知り合いらしい。
「悪い。驚かせちゃったか?」
「い、いや……」
冥さんが寝ていたソファに成歩堂が座るのはなんとなく嫌で、僕は彼を一人掛けのソファに促す。
成歩堂が彼女たちを紹介してくれた。
黒髪で、おだんごヘアの女の人が、真宵さん。冥さんと同い年で、成歩堂の助手をしている霊媒師だそうだ(成歩堂、キミは本当に弁護士やってるのか?)
そして、後ろで髪を結っている女の子が春美ちゃん。真宵さんのイトコらしい。
「なるほどくんに聞いて、ビックリしちゃったよ。心配したんだよー」
「はぁ……」
真宵さんはそう言うが、心配しているというか、どこか楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「でね、コレ持ってきたの。コレ見たら思い出すんじゃないかって」
そう言って真宵さんは、持ってきた紙袋をごそごそして、中から何か箱みたいな物を取り出した。
ん?なんだろうコレ。DVD?
『大江戸戦士トノサマン・ファーストシーズンDVDBOX』って書いてある。
手に取って概要を見てみると、どうやら特撮ヒーローモノのようだ。
「まあでもコレ、元々みつるぎ検事から借りてた物なんですよね。ゴメンね~長い間借りっぱなしで」
「え!?コレ僕のなんですか!?」
「そんな!みつるぎけんじさま、トノサマンまで忘れてしまったのですか!?あんなにお好きでしたのに」
「え!?僕、こんなの好きだったの!?」
僕が『こんなの』呼ばわりしたせいか、真宵さんはすごい勢いで僕を非難してくる。
成歩堂に助けを求めるも、彼は深刻そうな顔をして、
「……御剣がトノサマンをそんな風に言うなんて……重症だな」
と言うばかりだ。
お、大人の僕はヒーローオタクなのか?
検事で、イイ大人して、こんなの買っちゃってるのか?
なんだか、大人の僕の人間像がわからなくなってきた。
「せっかくだし観てみれば?時間もたっぷりあるし」
持ってきた飲み物をローテーブルに置きながら、冥さんが言った。真宵さんが「そうだね!」と湯のみに手を伸ばす。
「トノサマンにかかれば、みつるぎ検事の記憶なんて、チョイチョイって戻っちゃうよ!」
「ええ、そうですとも真宵さま!」
オレンジジュースのグラスを持って、春美ちゃんが笑う。
二人がテレビの真ん前に陣取るのを、成歩堂はコーヒーに口を付けながら苦笑いで見ている。
最後に紅茶を二つ置いて、冥さんは僕の隣に座った。
「冥さん、リモコン貸して~」
「ハイハイ」
昨日までは全然想像できなかったくらい賑やかな雰囲気の中、トノサマンとやらの鑑賞会が始まった。
主題歌が流れ、本編が始まる。
真宵さんと春美ちゃんは、さっきまでの騒がしさとは反対に、画面を食い入るように見始めた。
その表情は、まさに真剣そのもの。
でも無理もない。
面白いんだ。
この、トノサマンってやつが。
子供向けの作品だと思ってナメてかかってたけど、今じゃその考えは見事に覆されている。
凝りまくったセットや映像効果。
どこか涙を誘う、哀愁漂うストーリー。
アクダイカーンやその刺客との、大迫力のバトル。
そして、必殺技を繰り出すトノサマンのアクションに、いつの間にか僕もすっかり夢中になっていた。
「おのれ、アクダイカーンめっ!」
「ああっ、トノサマンさま危ないですっ!」
「いけっ、そこだトノサマン!……ん?」
ふと気がつけば、僕はソファから降りて、真宵さんたちと並んでテレビの前で身を乗り出していた。
確か今は第13話だから、かれこれ五時間以上はトノサマンを観続けていることになる。
「まだ観るの~?少し休もうよ~」
疲弊した成歩堂の声が、背後から聞こえた。
……ど、どうしよう。
冥さんも、退屈してるかもしれない。
いや、それどころか、呆れてもうこの場にいないかもしれない。
怖くて振り向けない。
僕は……こっそりテレビ横の窓ガラス越しに、反射しているリビング内に目を移した。
冥さんは、ちゃんとそこにいた。
ソファに座って、脚を揃えて一緒にテレビを観ていた。
いや、ちがう。
僕のことを見ているみたいだ。
とても優しい目をして微笑んでいた。
綺麗だと思った。
「いやー、やっぱりトノサマンの第一期はたまらないね!」
真宵さんの言葉も、今は耳に入らない。
僕はトノサマンを観るのも忘れて、ガラス越しに冥さんを見つめた。
最終更新:2010年02月02日 02:11