「狩魔さんと御剣さんは、いつ結婚するんです?」
御剣はその声に足をとめた。
あの声は美雲のもので、相手は冥のようだ。
今日は冥と美雲とあわせて三人で夕食を食べにいく約束をしていた。
検事局の駐車場で待ち合わせていて、冥と美雲は早めにきたらしい。
どうしたものかと御剣が迷っているうちに、冥が会話を繋ぐ。
「どういうこと?」
照れも怒りもなく、心底不思議そうに美雲に問いかける冥に、御剣はすさまじい衝撃を受けた。
「えっ、二人は付き合っているんじゃないんですか?」
「どうしてあなたがそう思ったかを逆に聞きたいくらいだわ」
「御剣さんがすごく狩魔さんになついているからてっきり……そっかー、御剣さんの片想いかー」
なにやら美雲に動物扱いされているのもアレだが、片想いという言葉が御剣の心臓を貫いた。
確かに冥に対して言葉で想いを伝えたことはない。
しかし御剣は彼女がわかっていてくれていると思っていた。
冥も他人には見せない年相応な素顔を見せてくれていたし、プライベートで二人で出かけたことも何度もあった。
食事や展覧会や映画館――御剣はデートだと思っていたのだが。
「御剣怜侍だって、私のことを何とも思ってないわよ」
冥の発言に強い目眩を感じて、御剣は頭を抱えた。
「ええっ、あんなにわかりやすいのに!」
それはそれで問題である。
「第一、そんなこと一言も聞いていないわ。検事が言葉で語らないなんて、つまりは何もないということよ」
少しすねたような言い方に聞こえたが、それはきっと御剣の気のせいというか願望なのだろう。
彼女の声には一貫して強い感情が含まれていない。
「そんなことないと思うけど……」
そうだそんなことはないと美雲を応援しながら、しかしどうやって登場しようか御剣が考えていると、美雲が気づいたらしい。
「あっ、御剣さん、こんばんは!」
上手い具合に声をかけてくれた美雲に感謝しつつ、御剣は二人を車に乗るよう促した。
ここ最近はあまり顔をあわせることがなかったので、食事のときの会話は近況報告がメインになった。
年下でおしゃべりな美雲がいるからか、冥は聞き役になることが多く、そんな大人な顔をする彼女を、御剣はぼんやりと見ていた。
検事が言葉で語らないのなら何もない――冥から甘い言葉を聞いたことはない。
つまり彼女は自分のことを何とも思っていないのだろうか?
さきほどとは異なる胸の痛みを覚えた。
食事を終えて、美雲を家までおくる。
玄関先で美雲はにやにやと笑って御剣に言う。
「御剣さんは、こんなにわかりやすいのに、狩魔さんはニブイですよね。
でも御剣さんもちゃんと言わないと、捕まえそこねちゃいますよ?」
動揺する御剣に、今日はずっと狩魔さんを見ていたでしょうと、美雲は追い討ちをかける。
意義を唱える間もなく、おやすみなさいとすばやく彼女は扉の向こうに姿を消した。
盗みは働いていないようだが、逃げ足の鍛練はしているようだ。
動揺を打ち消すように二、三度深呼吸をして、御剣は車に戻る。
車の中で冥は、うつらうつらと船を漕いでいた。
時差ぼけで眠いのだろう。
扉のロックをあける音で目を開き、少し寝ぼけた眼差しで、車に乗り込む御剣を見る。
「家まで三十分はかかる。寝ていていいぞ」
そう声をかけると、冥はうなずいて目を閉じた。
冥が何の抵抗もなく御剣の家に泊まるのも、何もないとわかっているからなのか。
信用されているのは嬉しい反面、複雑な気持ちも胸中にうずまく。
そうやって思い悩むうちに家に着く。
多少ねぼけた顔で車を降りて、家に入った冥はゆるやかに笑った。
「彼女、元気そうでよかったわ」
その顔は、法廷や他の誰かがいるときは、けっしてしないものだ。
そういう表情も好きだし、自分しか知らないということに、少しの優越感を感じる。
――しかし本当にそうだろうか。
かつては毎日一緒にいたが、日本とアメリカとで暮らすようになってからは年に数回も会っていなかった。
話にのぼることはないが、親しい男友達の一人や二人、あるいはボーイフレンドだっていてもおかしくはない。
冥はかなりきつい性格をしているが、きついだけではなく優しく、かわいらしいことは御剣は知っている。
綺麗な容姿もしていたし、そして実力がある女性を好む男にとっては、とても魅力があるだろう。
じっと見つめてくる御剣に、冥は首をかしげた。
「どうしたの、御剣怜侍。今日は随分ぼうっとしていたわ。風邪でもひいたの?」
冥の右手がそっと御剣の額をなでた。
細いやわらかい手は、ひんやりとして気持ちがよかった。
御剣は左手でその手をとり、無意識のうちにその手のひらに口づけていた。
「!!」
驚いた冥が手を引き、顔を真っ赤にする。
自分がなにをしたのか自覚した御剣は、冥とかわらぬほど顔を赤くして、彼女から視線をはずす。
「す、すまない、つい……」
「つい、ですって?」
冥の怒りのボルテージが上がったことが、声でわかった。
「誰もがホイホイと上級検事さまについていくわけじゃないわよ!」
身に覚えのない言葉に、さすがに御剣もむっとした。
「そんなことはしていない」
「じゃあついていきそうな女限定でしているってこと?」
「誰にもそんなことはしない!」
「なんにせよフケツだわ」
反論をしようと口を開きかけた御剣の脳裏に、ふと美雲の言葉がよぎる。
(御剣さんもちゃんと言わないと)
確かに彼女がわかっていないなら、ちゃんと言うべきだろうと御剣は思った。
しかし今この最悪ともいえるムードで、気持ちを伝えてもいいものだろうか。
急に黙った御剣に、なによと冥が不機嫌そうに言う。
何にせよ、彼女にはさっきの行動の理由を説明しなくてはならない。
ひょっとしたら手遅れかもしれない――そう思いながらも、御剣は冥を抱き寄せた。
「何を考えて……!」
腕の中からもがきでようとした冥を押さえつけて、御剣は必死に言う。
「キミだけだ、メイ。キミにしかこういうことはしない」
「なんですって?」
顔をあげる冥に、御剣は若干あきれると同時に、こういったことに慣れていないことを知って嬉しくもなる。
この状況で顔をあげる意味を、教えてやらねばなるまい。
御剣はそのまま顔を寄せてキスをした。
冥は目を見開いたまま硬直する。
唇からじわじわと伝わる熱が、御剣の心を満たしていった。
ずっとこうしたかったのだ、と思う。
冥が動かないのをいいことに、頬や鼻、まぶたや泣き黒子にも唇を落とす。
しばらくしても冥が体を硬くしたまま動かなかったので、顔を離して様子を伺う。
そうなってやっと彼女は我に返ったようだ。
口をぱくぱくとさせて、体を震わせている。
「な、な、な……」
証言と証拠で示したのだ、いくらなんでもわかるだろう。
彼女のほうといえば、こうやって抱きしめていても抵抗しない。
顔を今まで見たことも無いほど赤くして、わなわなと震えてはいるが、それが怒りや拒否ではないことが伝わってくる。
手のひらにキスをしたときに、何故あんなことを言って怒ったのかも今ではわかる。
それだけで充分といえば充分だったが、証言も聞きたかった。
「メイはどうなんだ?」
問われて、冥はぎこちなく視線をはずす。
「今まで、何も、言ってこなかったくせに! だからきっと私のことなんてって……」
「それはキミもだろう。お互い言葉を忘れるなんて、検事失格だな」
くつくつと笑う御剣を冥はにらんだ。
それでも手のひらで頬を包むと、とまどうように瞳を閉じる。
「メイ、好きだ」
口付ける寸前に、冥の唇が、わたしもと小さく動いた。
最終更新:2012年08月02日 20:45