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御剣記憶退行4


「……それ、狩魔検事に聞いたのか?」
成歩堂の低い声音に、僕は思わず足がすくんだ。
「い、いや……うん、まあ、でも冥さんには聞こえなかったみたいだけど」
そう答えると、ヤツは「……そうか……」と落ち着いた様子でソファに座った。
今日は成歩堂がうちを訪ねてきた。
そんなに事務所を空けてばっかりでいいのかと聞くと、苦笑いで「まあ最近依頼人少ないし。もしお客さんがきたら真宵ちゃんがお茶とトノサマンチップスでつないでおいてくれるし大丈夫」とのことだ。いいのかそれで。
でもまあいい機会だと思い、僕は冥さん聞けなかったあの質問を、今度は成歩堂にしてみたのだ。
『僕の父さんは、なぜ亡くなったのか』と。
すると、この反応だ。
「……そりゃ、まあ、僕も事情は知ってるから説明できるけど……でもその前に一つ聞いてもいいか?」
成歩堂の態度も、なんとも煮え切らない。僕は内心面白くなかったが、一応「何だよ?」と聞いてみると。
「……お前、それ何やってるの?」
と真顔で聞かれた。
え?と僕はキッチンで首を傾げる。
「何って……料理」
「お前がか!?」
「そうだ。見てわからないか?」
僕は手に持っていたお玉を掲げて、リビングにいる成歩堂にみせた。
「冥さん最近忙しいから、料理とか頼まれてるんだ」
ちなみに今日はカレー。まあ調理実習で(集団で)作ったこともあるから、大丈夫かと思……
「……焦げてないか?」
「え?う、うわあぁあ!」
成歩堂に言われて、僕は鍋に目を向けた。するとモクモク煙が立っている!
慌てて火を消して、蓋を開けた。
「……少し焦がしてしまったけど、上の方は大丈夫かな……」
無事な部分を別の鍋に移し、焦げ付いた鍋を流しに置く。

「……狩魔検事が、お前に料理させてるのか?」
腑に落ちない口調で成歩堂が言った。
「ああ、料理だけじゃなくて、洗濯や掃除とか、頼まれてる。自分でできる範囲だけだけど、ずっと家にいるんだから、このぐらい当たり前だろう」
「いや……僕は、やるやらないの話じゃなくて、できるできないの話をしてるんだけど……」
なんて失礼な物言いだろうか。そりゃ僕だって失敗くらいたまに……いや、けっこう、頻繁に……毎回するけど。
でも、一回ごとの被害規模は小さくなっているし、全く進歩していないわけじゃないのに……
僕は焦げた鍋をガシガシ洗いながら、口をへの字に曲げた。
その時だった。
「ただいま……なあに、このニオイ……」
帰宅した冥さんが、リビングに入ってきた。
「お帰りなさい、冥さん」
「お疲れ様。今日は早いんだね……じゃあ僕はそろそろ帰るよ」
「ああ成歩堂。別にそれはいいんだけど……」
眉間にしわを寄せながら鼻をつまんで、冥さんはこちらを見た。
「……どう、うまくできた?」
「あ、はい、ちょっと焦がしてしまっ……」
冥さんからの質問に受け答えする前に、彼女は「あああああ!」と声を上げて遮った。
「何してるのよ!金ダワシなんかでお鍋擦って!傷が付いちゃうじゃない!」
「ごっ、ごめんなさい!」
「焦がした時は、お湯で浸け置きでしょー!」
鞭こそ打たれはしないけれど、凄い剣幕で怒られた。傷だらけになったお鍋を抱えて、僕は縮こまる。
そういえば冥さん、お鍋買い揃えてたって言ってたな。お気に入りだったのかもしれない……
ああ、成歩堂の方は「大の大人が二人も揃って、鍋もまともに洗えないなんて情けない!」とか言われてムチ打ちの刑を受けている。僕のせいで悪いことしてしまった。


最近、冥さんのテンションがやたら高い。
そして僕に対しては、以前のように優しいだけじゃなくて、叱るようにもなった。
また「男たるもの、家事もそれなりにこなさなければいけない」と、料理なども任されている。
今まで肩身が狭かった僕としては、その方がありがたい。なんだか本音で接してくれてるような気がするし。
「あれ、成歩堂。もう帰るのか?」
「ああ、このまま居着いても身体がもたないし、夕食も期待できそうにないし……」
ボロボロの体を引きずるように玄関へ向かう成歩堂。ヤツを見送りに行き、再び戻ってくると、冥さんがキッチンでカレー(の無事だった分)を味見していた。
つい緊張して、その場で背筋を伸ばす。
「……やればできるじゃない」
こちらを向いて、ニッと笑う冥さんに、僕も嬉しくなって笑い返した。
もちろん、誉めて貰えたのも嬉しい。
だけど、冥さんが笑顔を見せてくれるのが、何よりも嬉しいんだ。
今みたいに口の端を上げるだけでも、頬を綻ばせるものも、目を細めての笑顔も、僕は好きだ。
……でも、冥さんが本当の笑顔を見せるのは、きっと僕が冥さんの事を思い出した時なんだろう。
だから、早く。
早く思い出さなくちゃ。
「これなら、一人でも大丈夫そうね」
「?」
食器の用意をしながら、冥さんは言った。
「出張で、来週から海外へ行かなきゃいけないの。しばらくは一人にさせちゃうけど……ごめんなさいね」
え……
僕は固まってしまった。
どうやら、アメリカで複雑な事件が起きて、担当できそうな検事が冥さんくらいしかいないらしい。
「まあ、私天才検事だから」と、冥さん。自分で言ってしまうんだ……
「成歩堂達に様子を見にきてもらうよう言ってはあるけど……戸締まりや火の扱いにはくれぐれも注意してね」
そう言って冥さんはテーブルについた。僕も「……はい」と返事をして、向かいに座る。
……そうか……冥さん、しばらくいないのか……仕事だし仕方ないのかな。
でもやっぱり寂しい。そう思いながら、僕はカレーを一口食べた。
……やっぱり冥さんのカレーには、かなわないなぁ。







クリスマスも終わり、今年もいよいよあと数日という時期。
冥は一人、駐車した車の運転席で、ぼんやり外を見つめていた。
カーステレオからは、ノイズ混じりのクラシックがかかっている。
クラシックを聴くと、よく昔のことを思い出す。狩魔家で父・豪と、御剣と暮らしてきたあの日々を。
情操教育、と小さい頃からピアノやバイオリンを習わされていた。唯一御剣に勝てる特技だった。
検事になるため、父に教えを請うために、単身狩魔家に住み込んだ御剣を、始めは冥は疎ましがっていた。
勝手に後からやってきて、冥と一緒に勉強し、同じ物を食べ、同じ屋敷で眠る。
自分より年上で才能溢れる御剣。
そんな彼を弟呼ばわりすることで、冥はプライドを保とうとした。
……それが、恋心に変わったのは、いつからだっただろう。
男女の仲になったのは二人は御剣が24、冥が17の頃だが、それよりずっと前から好きだったのは確かだ。
彼の方から愛を告げられ、舞い上がるほど嬉しかったことを覚えている。
それでも、優位に立ちたくて「しかたないわね、アナタの最初の恋人になってあげる」と、上から目線で答えるのが精一杯だった。本当は『最初で最後』の恋人でいたいくせに。
けれどその頃は、きっとそれも可能だと思っていた。
自分達の未来に、何の不安も無かった。

御剣が逮捕される、あの事件が起こるまでは。

カーステレオから流れるメロディーが止んだ。次の曲の解説が始まり、冥は現実へ引き戻される。
ちゃんと吹っ切ったはずなのに、どうも感傷的になってしまっているらしい。
それもこれも、あのバカな弁護士に言われた言葉のせいだ。

昨日裁判所で仕事を終えた後、成歩堂龍一と鉢合わせした。
二言三言、言葉を交わしたのち彼から、御剣から父の死について聞かれたが答えられなかったことを聞かされた。
冥は思わず目を伏せ、自分も答えることができなかったこと、いつかは伝えなければいけないと思っていることを告げた。
「なに今にも死にそうな顔してるんだよ」
成歩堂の言葉の意味が一瞬わからなかった。普段通りに振る舞っているつもりだったのに。
「そりゃアイツも、いつか真実を知らされなければいけないさ。それも多分、君の口から。だけど、その前に御剣の記憶が戻る可能性もあるだろう?」
顔をあげると、法廷に立つ時のように真剣な表情の成歩堂がそこにはいた。普段の頼りない感じとはちがう。
「キミが言えなかったのなら、きっと今は言うべき時じゃないんだと思う。だから、あまり思い詰めるのは止しなよ」
「………」
わりと人のプライベートには無関心な成歩堂が、珍しく口出ししてくる。
そのため、ついこちらも可愛くない態度で返してしまう。
「キサマにそんなこと改めて言われなくても結構よ」
鼻で笑ってあしらおうとするが、彼は引き下がらなかった。
「心配なんだよ。料理やら、御剣に急に慣れないことさせてるみたいだし……妙なこと仕出かすんじゃないかって」
「じゃあ手伝ってやれば。どうせ暇でしょ?」
「そうだな。その内お鍋とか爆発させそうだし……って、そうじゃないって。僕が気掛かりなのは、キミの方」
「……」
「真宵ちゃんも、心配してるよ」
以前の自分なら、頭に血が上って鞭を振るっていたところだろう。他人からの心配など、不要どころか邪魔なものでしかなかったのだから。
けれど、今の冥は鞭を持った左手を全く動かせなかった。
人に心配されることの心地良さを知ってしまっているから。
御剣の友人達が、自分の知人達が友人へと変わり。
彼らから気にかけてもらえること。慕われること。
初めは、自分が弱くなった気がして、たまらなく嫌だった。
しかし、それは決して馴れ合いなどではなく、絆なのだと。
検事の自分がいるのは父のおかげだけれど、自分らしくいられるのは、成歩堂や真宵たち、そして御剣のおかげなのだと、共に過ごすうちに気がついた。
「……ありがとう」
自然に言葉が溢れた。声は小さかったから、成歩堂には聞こえなかったかもしれないが。構わず冥は、彼の横をすり抜けて、そのまま歩き出した。成歩堂もまだ何か言いたげだったが、そのまま呼び止めず反対側へ歩き出す。
そういえば、彼と顔を合わせておいて、鞭で叩かなかったのは初めてかもしれない。そう考えると冥は思わず吹き出してしまった。
そして、彼が御剣の親友であるということが、素直に嬉しかった。
一度は父が引き裂いてしまった友情。
しかし今は、真実を追い求める同志として、共に歩んでいる。
そんな彼らの姿を、見てきたのだ。今まで。

砂利を踏む音がかすかに聞こえた。窓の外を見て、冥は車のロックを外す。
やがて、コートを着た御剣が、車に乗り込んできた。
助手席に座る御剣は、なんとなく新鮮だ。
「寒かったでしょう」
声をかけると、彼は手袋を外し、シートベルトをしながら答える。
「はい。でもおかげで人も少なかったから、落ち着いて父さんと話ができました」
12月28日。今日は御剣の父・御剣信の命日である。
冥は、信が眠る墓がある霊園へ、御剣を連れてきたのだ。
冥さんも一緒に、と御剣からは申し出があったが、それは断り自分は車で待ち、墓参りには彼一人で行かせた。
「お父様と、どんな話をしたの?」
「え……秘密、です」
問いかけてみたが、御剣は瞬きをしたあと、顔を背けて誤魔化した。その横顔に、冥はハッとしてしまう。

かつて、同じやりとりを彼としたことがあった。
過去に一度だけ、御剣と一緒に信の墓参りに行った時だ。まだ彼と恋仲になったばかりで、何も知らなかった頃のこと。
二人並んで墓前で手を合わせた後、冥は今と同じ質問をしたのだ。
『お父様と、どんなお話をしたの?』
その時も御剣はやはり、気まずそうに『秘密だ』とそっぽを向いたのだ。
しかしその後すぐ『そういうキミは、何か親父と話してくれたのか?』と問い返されたので、自分も『……秘密』と言葉を濁すことしかできなかった。
『天国から見ているのかしら。レイジは元気です。立派な検事になりました。まあ私には劣るけど……だから安心して下さい。レイジは私が幸せにします』
こんなことを思って手を合わせていたなんて、恥ずかしくて言えやしなかった。
けれどその時の想いは、確かに本物で。
そしてそれは、今も変わっていない。

「……」
ハンドルへ手を伸ばし、真っ直ぐ前を見た。
「帰りましょうか」
「あ……はい」
御剣の返事と同時にアクセルを踏み込んで、車を走らせる。
御剣信が眠る墓地を背にし、冥は心の中で詫びた。

そして、今度こそ彼を幸せにすると、改めて誓った。


冥が日本を発つのは、明日。
最終更新:2010年02月01日 21:42