戦国遺伝子2
あれから、長い月日がたち、姫君はたいそう美しく育ちました。
ただ未だに婿を取ってはおらず、また普通の姫君のように城で大人しく過ごしているわけでもありませんでした。
今日も男のような装束で刀を差し、馬を引き連れて威風堂々と目の前の人垣を見据えています。
ただし、いつもと違って――姫君の目は憎しみにあふれ、刀を握った手は怒りに震えていました。
切っ先の向こうには、紫の装束を纏った女たちが怯えながらも列を成し、姫君の行く手を阻んでいます。
「やめてください!ここからはあなたの国ではありません!」
年の頃は姫君と同じくらいでしょうか。
里長と名乗る少女だけは怯まずに両手を広げ、堂々とそう言いました。
「関所は鼠一匹通れないのよ。この辺は関所のある街道以外は馬を走らせることができない。
そしてここを通らないと、街道に抜けることができないの」
「じゃあ、引き返したらいいじゃないですか!」
突きつけられた刀に怯まない勇気に感心しつつも、姫君はそれを降ろそうとはしません。
「そうはいかないのよ。私はあの男に会わなければならないの。
この国の主――御剣怜侍に!」
そう――姫君が無理をしてでもここを通る必要があるのには、訳があったのです。
数日前、姫君は兄のように慕っていた若君――隣の国の若い殿様から密書を受け取りました。
『内々に会いたい。助けてほしいことがある。』――そう書かれたその文を読んで
姫君は急いで馬を駆り、たった一人お忍びで、国境に近い場所にある森へと急ぎました。
若君からこうした文が届くのは初めてのことで、それだけに姫君は心配だったのです。
しかし数日かけて向かった待ち合わせの場所に、若君は来ていませんでした。
代わりに居たのは、若君の従者としてこの国を出た大男――姫君の御付だった者でした。
顔馴染みのその男は、姫君に町娘の着物を渡して言いました。
これを着て、しばらく身分を隠して暮らすように――と。
怪訝に思った姫君がしつこく問い詰めると、大男はとうとう口を割りました。
姫君の国と若君の国の南には、両国と隣り合う小さな国があります。
なんとそこの若い殿様が、この国に攻め入ろうとしているというのです。
大男は主である若君に遣わされ、戦が終わるまで姫君を守り匿うようにと命じられたとのことでした。
それを聞いた姫君は、渡された着物を大男に投げつけると再び馬を駆り、生まれ育った城へと戻ろうとしました。
しかし時は既に遅く――姫君は立ち寄った宿場町で、城が落ち殿様が討ち取られたことを耳にしたのです。
しかも信じられないことに、兄妹のように育ったあの若君が手を貸し、姦計によってそれが成されたのだと。
姫君はその町で休むことをやめ、まっすぐに国境を目指しました。
若君に、事の真偽を問いただそうと思ったのです。
姫君はお忍びのため男装をしており、その国の姫様だとはすぐにはわかりません。
目立った場所に家柄のわかるようなものを、身に着けてたりしていませんでした。
また、ぱっと見ただけでは女子ではなく、元服前の侍の子のように見えたせいもあったのでしょう。
まだ戦の影響の少ないその土地では、行く手を阻まれることなく国境に向かって進むことができました。
それでも隣の国に入れば、どうなるものかわかりません。
隣の国にいる時間は、できるだけ短い方がいいだろう――
そう考えた姫君は、あの若君の住まう城に一番近い関所を目指して走りました。
しかし、関所は厳重に警備されており、通る隙が一切ありませんでした。
関所以外の場所は深い森に守られていて、土地のものではない姫君では迷わず通ることなどできそうにありません。
しばらく辺りを調べた姫君は、街道近くの森の中に細い獣道があるのを見つけました。
嫌がる馬を宥めながらその道を進んだところ、小さな里にたどり着きました。
里の入り口にいた番人に尋ねてみたところ、この里を通れば街道に合流できるということです。
それを知った姫君は入り口を通って中に入ろうとしましたが、番人はそれを拒みました。
清き霊に守られた場所なので、許されたもの以外を入れてはならないしきたりらしいのです。
そのため、姫君が腰の刀で番人を脅して入り口を通ろうとしたところ人を呼ばれ、
村の女たちで人垣を作られてしまい――
こうして、若い里長との対峙へと話が進んでいくことになりました。
姫君がこちらの国の若殿の名を出すと、少女はぐっと姫君を睨みつけます。
「殿様に会いたいのならば、尚更お通しできません。
お城の使いの方から、この道から来たものは何人たりとも通してはならないと言われていますから。」
――やはりあの男は、無関係ではないのだわ。
そう悟った姫君の口から、何故かくつくつと笑い声が漏れ始めました。
「そう――だったら、貴様らを斬り殺してでも、ここを進まねばならないようね!」
殺意を込めて剣を構えた姫君の纏う空気の変わりように、人垣から次々に小さな悲鳴が上がります。
しかし結局、その刀が人を殺めることはありませんでした。
「相変わらずのじゃじゃ馬だな――狩魔の姫君」
里の中から、不意に一人の男が姿を現しました。
「殿様!」
里のものが口々に若殿の登場を喜ぶ中、姫君だけが苦虫を噛み潰したような顔で小さく呟きました。
「――御剣、怜侍‥‥!」
「迎えにやった男から話を聞いて、君が私に会いに来るとすればここを通るかと思って来てみたが‥‥
どうやら、当たったようだな」
若君は人垣を割って、懐かしそうに姫君に笑いかけます。
姫君は苦々しい表情のまま、棘の付いた言葉を若君に投げつけました。
「よく恥ずかしくもなく、私の前に顔を出せたものね」
「――その様子だと、父君のことを知っているようだな」
若君はそう言って、悲しそうに目を伏せました。
「貴様が手引きをして、城に攻め入った――そう、聞いたのだけれど?」
問いかけると、若君は「やはり、そこまで知っているのか」と呟きます。
それから姫君の方を向き直ると、見たこともない強張った表情で若君は、はっきりと告げました。
「間違いではない。君の国に数多の兵を潜入させ、その上であの城の門を開けさせたのは私だ。」
「父様の、仇――」
そう呟いた姫君は、改めて刀を握り直します。
そして、若君に向かって斬りつけるために足を踏み出そうとしました。
しかし、その刹那――
「――待った!」
門の向こうから大きな声が聞こえてきました。
「御剣は手を下していない。君の父上を討ち取ったのは、僕だ」
人垣からもう一人、若い侍が姿を現しました。
その緊張感に欠ける顔には見覚えはありませんでしたが、とがった形の頭はどこかで見たことがありました。
そして、彼の装束に染め抜かれた家紋は見覚えのある――南隣の国の殿様のもので――。
姫君の城に討ち入ったという南の若殿だと気付いた瞬間、姫君はその男に飛び掛っていました。
「父の仇――!」
全力で駆け、その力をもって振り回された刀は男に届くより早く、がきんと大きな音を立てて鋼のようなものにぶつかりました。
見ると――仇の男より手前にいた若君が、男を守るようにして刀を構えているではありませんか。
その刀に圧されながら、姫君は額にぎりぎりと皺を刻み込んでいきます。
「邪魔を、するな‥‥っ!」
「この男は私と互角か――それ以上の腕の持ち主だ。
まずは私に勝たぬと、おそらく一太刀も浴びせることも叶わんだろうな」
「だったら――まずは、裏切り者の貴様を殺してやるっ!」
声と共に振り下ろされた刃は、本当に人を殺めようとする意思と力をもったものでした。
「――フム、1年で30人の婿候補を次々に追い返したという剣技‥‥なかなかのものだな」
攻撃をかわし、間合いをとって楽しそうに笑う若君に、姫君は再度、容赦なく斬りかかりました。
「私より弱い男を、婿と認める気は、なくて‥‥ね!」
渾身の一撃だったはずのそれは、あっさりと若君の刀に止められてしまいます。
姫君は、知っていました。そしてわかっていました。
一緒に暮らしていた頃から、剣技でも知略でも、この男には絶対に今一歩及ばなかったことを。
そして万一この男に勝ったところで、疲弊した身体ではその後ろの男を殺すことなどできないということを。
それでも姫君の心は――父君の仇を討つことを、諦めるわけにいかなかったのです。
「どきな、さい!」
「それは、できない!――君‥‥こそ、剣を、引け!」
絶え間ない攻防を続けながら、二人は言葉を交わしあいます。
若君が自分からは斬りかかってこないことをわかっていて、姫君は攻撃に全ての力を込めました。
憎悪に燃え決死の力で剣を振り回しますが――悔しいことに、全て止められてしまいます。
それでも――
「父様の、仇‥‥絶対、許すわけに‥‥いかない、の、よ!」
姫君の言葉に、若君は戦いの中にもかかわらず、何故か感慨深げな表情を浮かべます。
「――仇、‥‥か‥‥」
そう呟いた若君は、唐突に昔のことを話し始めました。
「私の父は、戦で、討たれたと、聞いていた。
父を、失った私を‥‥君の父上が、厚意を‥‥もって、育てて、くれたな。」
「それが、どうしたと、いう、の!」
――それに対する若君の答えは、姫君の心を十分に揺るがすものでした。
「だが、実際には‥‥共闘、していた、はずの、君の父上に!
騙し討ちに、あって‥‥殺された、の‥‥だっ!」
攻勢に出た若君の勢いで、姫君の身体が数歩後ろに飛ばされました。
間髪なく繰り出された一刀で手の中の刀も弾き飛ばされ、姫君は残った脇差を鞘から抜き取ります。
――しかし、それ以上は身体を動かすことはできなくなりました。
「かかれ!」
その音と同時に突然後ろから両腕を掴まれ、ぐいと頭を押さえつけられてしまったのです。
どうやら姫君の身体は、二人がかりで押さえ込まれてしまったようです。
その場に居るのも里の女たちではなく、戦いを知る侍たちへといつの間にか替わっておりました。
きっと、侍たちが女たちを村の中に避難させたのでしょう。
若君から言われたことに驚いて、知らぬ間に隙ができてしまった――いや、その前から怒りに我を忘れていたのか。
そう気が付いて、姫君は忌々しい気持ちになりました。
顔を上げようと首に力を込めると、上から不愉快な声が降ってきます。
「動かないで。動くと首が切れてしまうから。」
視線だけ声の方向に向けると、足元に仇である若殿の足が見えました。
そして、さっきを感じる反対側に目をやると、
顔のすぐ隣に研ぎ澄まされた刀が当てられています。
「貴様ら‥‥!」
目線を上げると、先程より遠く感じるところに若君の顔がありました。
若君は感情の見えない目で、姫君のことを見下ろしています。
「暴れて――少しは気が済んだか」
気など済むわけがない――そう思った姫君ですが、
それよりも先に訊かねばならないことがあったので、そちらを声に出しました。
「父様が‥‥貴様の父上を殺した、ですって?」
「ああ、そうだ」
若君は、抑揚のない声でそう断言します。
「父様が、そんなことを――!」
「知っているはずだ。君の父上は領土のためなら何でもする男だと」
確かに、姫君の父はあらゆる手を尽くして領土を広げてきましたし、
姫君自身、父上から国を動かすときはそうするように教えられて育ってきました。
けれど、若君と過ごしてきた日々を思うと、どうしても信じることができません。
「嘘‥‥嘘に決まっているわ!騙されないわよ!」
「嘘も何も、僕と御剣が討ち入ったとき、君の父上がはっきりそう言ったことだ」
そう言われて若君を見てみると、表情なく姫君を見て頷き、口を開きました。
「証拠もある。殺された時に失せたという父の刀を、その場にいるはずのない君の父上が持っていた。」
若君が差し出した刀を良く見ると、それは確かに父君の部屋で見たことのある美しい刀でした。
もっとよく見てみると、目の前の若君の家の紋がその柄に彫り込まれていて――
しかも、若君が腰に下げている脇差と瓜二つの姿をしているのです。
「父、さま――」
証拠を理解し、力なく呟いた姫君の声に応えたのは、若君ではなく間近に立つ男でした。
「君の父君は無敗の将と言われていたが、一方ではひどい暴君だった。
ぼくたち周辺の国の人間にまで理不尽な圧力をかけ、とても困っていたんだよ。」
父君の仇の若者は、刀を姫君に当てたまま前にしゃがみこみ、
やたらと静かな目で姫君の顔をを覗き込みました。
その言葉に続けて、今や仇同士となった若君が口を開きます。
「私は国に戻りそのことを知って、しばらく悩んだが――
多くの国と民を救おうとする成歩堂の心意気に打たれ、助力を誓うことにしたのだ。」
言葉の最後に、「すまない」と呟く音が姫君の耳に流れ込んできました。
「我々が救われるためには、狩魔の名と信条をこの大地から消さねばならない。
いくら女子と言えど、その名を継ぐ君に情けをかけるわけにいかぬのだ」
首筋には刀を当てられ、両脇から腕を拘束され、目の前には刀を構えた男が立ちはだかっています。
――自分の父を仇とする、深い因縁で結ばれた男が。
姫君は、もはやこれまでと悟るしかありませんでした。
「家臣たちは――」
「反逆の意思を示さぬ限り、悪いようにしないと約束する」
「――頼んだわよ」
姫君は小さくそう呟くと、拘束された腕の先に握られた短刀を、ゆっくりと指から離しました。
からん、と鋼が音を立てて地面を転がる音がします。
「さあ、殺しなさい!」
若君に向けられた姫君の目は、死を覚悟しているにも関わらず憎しみに満ち溢れていました。
その身体は震えていましたが、それが怒りなのか死への恐怖なのかは誰にもわかりません。
姫君の憎しみを受けた若君は、冷たい目で姫君を見返します。
「簡単に、父君の後を追えると思ったか」
若君は、刀を一寸たりとも動かそうとはしません。
「――どういう、意味かしら」
「君は非常に、武士としての才覚に恵まれている。殺すには勿体ない逸材だ。」
その場にいた誰もが、若君が姫君を従えようとしているのだと思い、空気がざわめきました。
姫君も、噛み付くように吠えて、それを拒もうとします。
「私が、貴様の配下になるとでも――」
しかし、若君は非常に冷静な声で、姫君の動きを止めてしまいました。
「君には私の妻として、優秀な跡継ぎを産んでもらうことにする」
それを聞いた姫君は一瞬目を見開き、次いで何かを叫ぼうと口を開きましたが
それよりも先に、周りにいた男たちが口々に大きな声をあげました。
「と、殿っ!それはあまりにも危険です!」
「狩魔の血を残すとおっしゃるのですか!」
「忌むべきは行いであって血ではない。」
抗議の声が大いにあがっていましたが、若君は動揺せずにそれを一蹴しました。
「むしろ、この女の血は優秀な子を成しやすい貴重なものだ。
刀を奪ってしまえば、少し頭がいいだけの弱い女に成り下がる。牢に繋いでおけば脅威にもならんだろう」
「ですが‥‥」
「産まれた子をこの女から離し、一生会わせずに私が養育すれば問題ない」
若君はもう心を決めてしまったようでしたが、尚も反対しようとする家臣は少なからずいます。
若君と家臣の間に、穏やかではない空気が流れそうになったその時――
「まあまあ。ここは殿様の考えに従ってみたらどうかな」
姫君に刀を突きつけたまま黙っていた男が、口を開いて若君に助け舟を出しました。
主の盟友まで味方をするので、それ以上何も言えない者が大勢出てきましたが、
それでも一人の男が、勇気を出して二人の殿様に抗議の声をあげました。
「成歩堂どの!あなたまで――」
「僕は情けをかけているわけじゃなくて、単に興味が湧いただけだよ」
そう言うと、とがった頭の殿様は、それまでの人の良さそうだった顔を一変させてにやりと笑みを浮かべます。
「今まで男のように勇ましく、大きな顔で振舞ってきた大国のお姫様が、属国扱いしていた国に囚われ
父が殺した男の息子の慰み者として、生き恥をさらす姿に‥‥ね」
少し下から向けられる鋭い視線などものともせず、とがった頭の殿様がさらに笑みを強めます。
すると、それまで反対していた臣下たちが、それぞれ腑に落ちたような表情を浮かべて引き下がっていきました。
それを見ていた若君は、しばらく家臣と盟友と姫君とを見比べてから、
にやりと人の悪い笑顔でこう言いました。
「――ご協力、感謝する。」
収拾がついて落ち着いたその場ですが、それでもなお、姫君だけが唇をかんで怒りに震えていたそうな――。
捕らえた姫君を引っ立て、列を成して御剣の城へと向かう道すがら
とがった頭の殿様が、馬ごと若君に近付いてこう囁きました。
「何の大義名分もなく、欲しいものを欲しいと素直に言えればいいのにな。」
「――何のことだか、見当がつかんな」
しらばっくれる盟友を眺め、とがった頭の殿様が苦笑いをします。
「そうだな――先代を騙し討ちにした狩魔を良く思わない家臣もいるようだし‥‥
せっかく君を中心に国が纏まってきたばかりのところで、不穏の種を撒く訳にもいかないよな。」
その言葉に若君は何も言わず、親友から離れて馬を進めます。
尖った頭の殿様から見ると、盟友の半生はとても悲しいものでした。
慕っていた父上を早くに殺され、信頼していた養い親に、はじめから裏切られていたわけですから。
それだけに、殿様は祈らずにはいられません。
一番の友が、幸せそうに語してくれた初恋の姫君と、
密かにでも心を通じ合わせて、仲良く幸せに暮らしていくことを。
ただ先程口にしたように若君が一国の主である限り、それはとても難しいことだと思われます。
それを重々承知しているだけに、南の殿様は哀れむような思いを抱かずにはいられないのでした。