アットウィキロゴ
先週から、御剣と冥は同棲を始めた。
きっかけは、冥の日本の検事局への正式な転勤だった。
日本で働くならばそれまでに二人で住める物件を探しておこう、御剣がそう言ったのはおよそ三ヶ月前。
忙しい合間を縫って探した部屋の候補を二人で見て廻り、とうとう正式に入居することになったのだ。
冥が日本に転勤する日も待ち遠しかったが、入居する日も待ち遠しかった。
そしていざ二人で生活をしてみて、寝ても覚めても冥がそばにいるという生活は、幼い頃のそれとは比べ物にならないくらい甘美な幸せの日々だった。
そして、今日は同棲開始から初めての週末だった。
寝ても覚めても、一日中冥がそばにいる。
その幸せを享受するため、週末は極力予定を入れないよう努力したが、午前中だけ、御剣は前から決まっていた用事があった。
朝早くから出向き、今まさにその用事を片付け帰宅してる途中だ。
少しだけケチはついたが、それでも今日は初めての二人だけの週末なのだ。
何をしてても、何をしてなくても冥がそばにいる、そんな一日を、幸せと呼ぶのだろう。
降車した時、サイドミラーに写った自分の顔のあまりの締まりのなさに若干呆れつつ、御剣は家の扉を開けた。
「メイ、帰ったぞ」
返事がない。
どうしたのだろうか?
機嫌を悪くしているのだろうか?
鍵は開いていたため、いないということはないだろう。
靴を脱ぎリビングへ繋がっている扉を開けた。
そこに広がっている、朝とはあまりに違う光景に御剣は絶句した。
ラックの上の薄型テレビはなぎ倒され、下には掃除機のコードとテレビのコードが絡まっているのが見える。
掃除機のコードの先を辿っていくと、本体は倒れた本棚の下敷きになっていた。
地震対策兼完璧な収納によりぎゅうぎゅうに詰まっているはずの本棚の本たちは、見るも無残にバラバラに落下していた。
(な、何なのだこれは!?)
冥はどこにいるのだろう。
キッチンに視線をよこすと、食器棚から落ちたであろう皿が数枚、割れて飛散していた。
しかし、そこには冥が料理をしようとしていた後がある。
途中としか思えない。
非常に中途半端に食材と食器がキッチンには出ていた。
ここまで確認して、御剣は様々な可能性を考えた。
地震…ではない。
今日出かけた先はここからそう遠い場所ではなかった。
もし家がここまで滅茶苦茶になるほどの大きな地震があったなら、自分だって当然気づいたからだ。
ならばこれは人為的な所業であると考えるのが妥当だ。
泥棒による家荒らしか、もしや検事である我々の何かを狙ったものによる犯行か。
なら冥は?
冥はどうしていたのだろう。
侵入者に気づき、料理を途中でやめ、うまく逃げ出せただろうか。
だがもしそうなら、なぜ私に連絡が来てない?
警察だって到着していない。
冥は、連絡をとれる状態にないのだろうか?
そういえば、玄関は荒らされてなかった。
…もし、リビングの様子が家探しの後ではなく、暴漢が冥を襲った痕跡だとしたら。
そこまで考え、御剣は青ざめる。
「メイ!!!」
―――その最悪の可能性だけは、あってはならない!
仕事部屋、バスルーム、トイレ…全てに駆け込み冥を探す。
最後に確認した二人の寝室の、ひとつしかない大きなタブルベッドの上に、冥はいた。
枕に顔を伏せ、眠っていた。
「メイ、メイ!大丈夫か?」
優しく揺すり起こす。
ベッドの下にはエプロンが落ちていた。
仰向けにさせた顔には、涙が伝った跡がある。
冥が眼を開ける。
「メイ…!なにが、あったのだ」
寝起きのとろんとした眼が御剣を捉えると、冥の瞳には涙が滲んだ。
「レイジ…、ごめん、なさい…」
やはり、最悪の可能性が、起こっていたのか。
御剣はそう考えた。
「メイ、すまない!私が、そばにいながら!!肝心なときに…守れずに…!!」
冥の体を強く、強く抱きしめる。
その体は、少し強張っているように感じた。
「すぐに、警察に連絡を…!大丈夫だ、必ず犯人は捕まえる…!」
鼻息を荒くし、興奮しながらまくし立てる御剣に、冥はすがりついて止めた。
「ち、違うの!やめて!」
その様子に、御剣は冥の心の傷を知る。
冥は、知られたくないのだ。
他の男に襲われたことを、世間に。そして、御剣に。
「メイ!…だが、しかし、キミが泣き寝入りする必要はない!私はキミがたとえ…「だから!!!」
御剣の言葉を冥が大声で遮る。
そして、はずかしそうに、イタズラがバレた時のように…、上目遣いで、冥は言った。

「あれ…全部私のせいなのよ…」
「は」
「だ、だから、その…」
ベッドに座り、向かい合う。
もじもじと冥は続ける。
検事局の同僚や警察の部下たちが見たら卒倒するだろうが、この恥じらいながらぽつぽつとしゃべる、というのは、幼い頃から冥が、御剣と二人の時によく見せる姿である。
大抵、御剣に謝罪する時、イタズラがバレた時、ひいてはソレを一緒に謝りに行って欲しいと強請る時だ。

「……ケーキ、焼こうと思って……」
「……………………………………………それで」
「途中までは良かったんだけど、食器棚から、お皿、落としちゃって」
「……………………………………………………ああ」
「あの、掃除機、使おうと思って。でも、キッチンにコンセント、ないでしょ?」
「………………………………………………………うム」

「リビングの、テレビの下のコンセント空いてたからそこに差し込んで、掃除機引っ張ったら、テレビとコード絡まっちゃって」
「……………………………………テレビが、倒れた、と」
「そ、そうなのよ。それで、よく確認してなくて、無理やり掃除機更に引っ張ったら」
「……………本棚に思い切りぶつかり、掃除機は下敷きになった、と」
「………ええ」
「そのあとは?」
「…すごい音がしたから、リビングに確認しに行ったの」
「そして、今の惨状を見て」
「全部、イヤになっちゃって…」
「ベッドで、不貞寝か」
幼い頃から、冥はイヤなことがあるとよく部屋に篭り、不貞寝していたものだ。
完璧主義で知られる狩魔冥ではあるが、幼い頃から母親に仕込まれた料理以外の家事は、実は一切できない。
そもそも、掃除も洗濯も、すべて使用人がやっていたので、冥はする必要がなかったのだ。
冥の姉も似たようなもので、彼女が結婚した直後は、狩魔邸にひっきりなしに電話がかかってきたものだ。
やれ洗濯機が泡を吹いて倒れただの、やれ掃除機が爆発しただの。
師も電話を受けて「いい加減にしろ」と姉を叱責したが、「でもダーリン私のディナーは完璧だって!」と嬉しそうに言われ、何も言えなくなった様子を御剣は目撃したことがある。
まあとにかく、そのような冥のお姉さんの姿を知っていたので、同棲の際にルールを決めたのだ。
冥は料理、私は掃除と洗濯をする、という家事のルールを。
極力、冥と相性の悪いそれらを近づけないようにしていたのだが…。
……………まさか、ここまでひどいとは。
脱力し、御剣は冥に覆い被さる。
「ちょ、ちょっと」
力を込めてる訳ではないが、御剣が全体重で冥にもたれかかってる以上、冥はベッドに倒れ込む。
抱きしめられてるため、冥から御剣の顔は見えない。
「その、怒った?…呆れた?」
「いや、なんというか、その…」
力が抜けた。
冥が無事で良かった。
心配させないでくれ。
どれから言うべきだろうか。
「…なぜ、ケーキを?」
結局、最初に出たのはこれだった。
「ママが、その、レシピ、教えてくれて…」
冥が御剣の背中に腕を周り耳元で囁く。
「誕生日おめでとう、レイジ」
―――ああ、すっかり忘れていた。
「そうだったな。…忘れてた」
「もう、そんなことだろうと思った」
冥はむくれながら言う。
「誕生日だというのに、キミが心労をかけさせるからだ」
御剣は冥の鼻をむぎゅっと摘んだ。
「んなっ!」
「お仕置きだ」
「レイジ!」
鼻声で抗議する冥の姿は可愛かった。
「全く…キミには本当に驚かされるな」
手を離し、肩をすくめながら御剣は言った。
冥は自分の行いをさすがに反省しているらしく、随分としおらしくなっていた。
そして、こちらがドキドキするくらい、じっと見つめてくる。
まだ昼だというのに、冥をどうにかしてやりたい衝動に駆られてしまった。
ベッドの上で、小動物のようにこちらの反応を伺う冥。
可愛かった。
御剣の邪な視線をどう誤解したのか、冥は項垂れる。
「大丈夫だ、怒ってない」
頭をワシャワシャと撫でてやる。
「あなたの、誕生日なのに…」
それがよほど気になるらしい。
多分、御剣が帰宅したら料理ができていて、サプライズ的に祝う、というのを前から計画していたのだろう。
そんな冥が愛おしかった。
「片付けてくる」
名残惜しかったが、冥の頭から手を離す。
「私も…」
「キミは、そこにいたまえ」
「でも!」
「これ以上、家がとんでもないことになったらさすがに心臓に悪い。キミが片づけの時に怪我でもしたら、それこそ私の誕生日は台無しだ」
その一言で、冥は抗議する気力は失せたらしい。
じっと、見上げてくる。
この視線は、謝っている時の眼だ。
…可愛い。
衝動的に、御剣は冥の唇を奪った。
最初は触れるだけ、繰り返すたびに深くなる。
せっかく上げかけた重い腰は無駄になり、御剣は再び冥とともにベッドになだれこんだ。
「レ、レイジ!片付けはいいの…!?」
こんな状態でできると思うか。
それくらい、いじらしい冥を見て御剣は興奮した。
「後回しだ」
長い、休日になりそうだった。
最終更新:2012年05月27日 12:45