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 幼い頃から、同じ家で育った少女がいたとする。
 共に学び、時に喧嘩し、常に意識していた少女がいたとする。
 やがてそれぞれ独立し、海を隔てた遥か彼方の存在となっても、頭から離れなかった女性がいたとする。

 ……そんな相手が自分の隣で無防備に寝顔をさらしている場合、一体どうするべきなのだろう。
 自分の肩に体重を預けて眠る彼女を見つめ、御剣怜侍は頭を抱えた。

 ――そもそもの発端は、数時間前に遡る。

「飲むわよ」
 執務室に入ってくるなりデスクに瓶を叩きつけた狩魔冥は、いつもの口調で堂々と宣言した。
 捜査報告書を頭に叩き込んでいた御剣は、予定ではまだ公判の最中のはずの彼女が何故ここにいるのかも、その発言の意味もわからず、呆然と彼女を見上げるばかり。
 が、視界の端に見覚えのある鷲の絵を見つけ、思わず報告書を取り落とした。
「ス……スクリーミング・イーグル?」
「1995年物。ヒゲに私の家から持って来させたわ」
 ワイントートにすら入れられていないそれに、御剣は驚愕の眼差しを注ぐ。
 スクリーミング・イーグル。アメリカの狩魔邸で何度か目にしたことがある、地下ワインセラーの奥深くに寝かされていたワインたちの名だ。
 かつて一度だけ「やはり2006年は出来が良くないな」と言われて飲まされた一口の、何と美味だったことか。
 遠い昔の味わいに思いを馳せそうになったその時、ふと先程の冥の発言が脳裏をよぎった。
「……ちょっと待て、メイ。さっき……飲む、と言ったか?」
「飲むわよ」
 先程と同じ言葉を繰り返す冥。そこには値打ち物のワインを開ける緊張感などかけらも見当たらない。
「だって、ワインだもの。飲まなくては勿体無いでしょう?」
「いやそれはそうだが……」
「ああ、安心して? いくら何でも職場で飲むつもりはないから」
 そんな心配をしているわけではない。
 そう返そうとして、御剣はようやく冥の瞳の中の冷たい光に気が付いた。
 ……そういえば、彼女は今、公判の最中のはずだった……
「まさか、敗訴したのか?」
 思わず尋ねてしまってから、己の失言に口を噤むがもう遅い。
 冥の眉間に深い皺が刻まれ、鞭を握る手に力が入る――
「ま、待てメイ! 今振り回したらワインが割れる!」
「……っ!」
 御剣のとっさの叫びで、冥の鞭は寸前でとどめられた。
 が、彼女の方はますますストレスが溜まったらしく、
「御剣怜侍!」
 細い手がそれこそ鞭のように素早く伸び、御剣の胸元のクラバットを掴み上げる。
「飲むわよ。貴方の家で。徹底的に。
 飲み物も食べ物も私の方で用意していくから、貴方は定時に帰宅できるよう全力で仕事を終わらせなさい」
「……な、……なぜ私の家で」
「貴方のマンションの方が近いのよ!」
 よほど飲みたい気分らしい。それでも今ここで飲むと言い出さない辺りが真面目な彼女らしいが。
 しかしここまで荒れているところからして、相当ひどい負け方をしたのだろう。
 愚痴を聞いてやるのも吝かではないし、そもそも彼女と2人きりで酒を楽しむなど滅多に無い僥倖だ。
 だからこの時の御剣怜侍には、断る理由など何ひとつ無かった。


 断れば良かった、と思っているのはまさに今だ。
 冥の愚痴に辟易したわけではない。相手をこき下ろすわけではなく、あくまで自分の甘さに憤慨した彼女の愚痴は、こちらとしても聞いていて勉強になる部分がある。
 彼女の用意してきた酒や惣菜にも遠慮なく舌鼓を打たせてもらったし、例のワインの方は思い出以上の味だった。
 ……問題は。
「メイ……その、こんなところで寝ては風邪をひくぞ」
 愚痴の勢いで酒もハイペースで飲んでいた冥が、そのままソファで眠ってしまったこと。
 元々、多忙で睡眠が不足がちになりやすい職業だ。そこに酒が入れば寝入っても仕方ないだろう。
 しかしそれが自分の肩に寄りかかってとあっては、起こさないわけにもいかなかった。
「メイ。メイ?」
「……んー……」
 御剣が肩から頭が落ちないよう慎重に揺すっても、身じろぎしただけで起きる気配はない。
 それどころか、一体何のつもりか猫のように頬を擦りつけ、気持ちよさそうに笑んでいた。
(…………参った)
 やはり断れば良かった、と後悔する。
 ――こんな風にくっつかれては、自制できるものもできなくなるではないか。
 頭を冷やす意味で、深く、深く息を吐く。
 それから冥の頭をそっと肩から下ろし、そのまま横抱きにして寝室へ運んだ。
 まだ深夜というほどではない時間だ。自宅に送るのは少し寝せてからの方がいいだろう。かと言って、ソファのままでは本当に風邪をひいてしまう。
(……誰に言い訳しているんだ、私は)
 ベッドに冥の身体を横たえてから、御剣はいちいち理屈をつけている自分に気が付いた。
 場所を移されても起きる気配すらない冥を一瞥してから、溜息を再びひとつ。

 幼い頃から、同じ家で育った少女がいたとする。
 共に学び、時に喧嘩し、常に意識していた少女がいたとする。
 やがてそれぞれ独立し、海を隔てた遥か彼方の存在となっても、頭から離れなかった女性がいたとする。

 ……そんな相手が自分の隣で無防備に寝顔をさらしていたということは、彼女の方は自分のことなど全く気にしていないのだろう。
 ほんの少しでもそういう気持ちがあるのなら、2人きりで酒を飲もうなどとは考えないはずだ。冥のような生真面目な性格なら、尚更……。

 こうして酔い潰れるまで飲むほど信用してくれていることが嬉しいやら悲しいやら、なんともいえない複雑な気分を抱えてしまった。
 御剣は3度目の溜息をついてから、酒宴の後片付けをすべく寝室を出ようとする。
「……ぅ……ん……」
 その足を止めたのは、後方から聞こえてきたかすかな声だった。
 振り返ると、やはりまだ眠ったままの冥の姿。しかしどこか苦しげに呻いている。
 そういえば彼女は帰宅せずにこちらへ来たのだ。服装もいつものスタイルであり、首には大きな白いリボンが巻きついていた。
 ――休ませても寝苦しくては意味がない。
 無意識のうちに理屈をつけ終えた御剣は、再び冥の枕元に戻り、慣れない手つきでどうにかリボンを外す。
 胸元を緩められて楽になったのか、やがてまた規則正しい寝息が聞こえてきた。
「……………」
 全く警戒していない、無垢であどけない寝顔。
 ――無意識の行為だった、と言えば嘘になる。
 彼女の顔を見ているうちに湧き上がった衝動を確かに自覚し、そして抑えきれなかったのだから。
 衝動に突き動かされるまま、引き寄せられるように、口づけた。
「……っ」
 すぐに唇を離したのは、冥の身体がぴくりと反応したためだ。
 御剣が息を詰めて注視していると、やがて色素の薄い睫毛が震えて目が開かれる。
 それでもまだまどろみの中にいるらしく、視線は定まっていなかった。
(気づかれた?
 ………いや………)
 いっそ、気づいてもらうべきかもしれない。
 そしてもうこんな無防備な真似は控えるよう諭すべきかもしれない。万が一、御剣以外の男に同じようなことをされては一大事だ。
 ……その隙に付け込んでキスをした自分では、どれほど説得力があるかは甚だ疑問だけれども。
「……れー……じ?」
 ようやく冥の目が御剣を移し、掠れた声が名を呼んだ。
 それでもやはりどこか焦点が合っていない。もしかしたら、寝ぼけているのかも――
「…………!?」
 御剣の思考を途切れさせたのは、彼の背中に回された2本の細い腕だった。
 そのまま端麗な顔が近づき、再び唇が触れ合わされる。小鳥が啄ばむかのような短いキス。
 呆気に取られる御剣を満足そうに眺めると、冥は再び目を閉じた。

 僅かにこびり付いていた自制心を削ぎ落とすには充分すぎるほどの出来事。

 もはや衝撃を自覚する余裕すらなく。
 本能の命じるままに再び口づけ、彼女の手首を掴んでシーツに押し付けた。



 ……最初に知覚したのは、ひんやりとした感触だった。
 まるで硝子細工を扱うように、慎重に触れてくる。火照った体には実に心地よく、たまに感じるくすぐったさも不快ではなかった。
「……っ」
 首筋に、かすかな痛み。
 そして布が擦れる感触の後、冷たい夜の空気が肌に触れる。
「…………?」
 違和感を抱いて目を開けると――眼前に、御剣の顔があった。
 そのことにほっと安堵する。ああそうか、これは夢なのね。

 だってこんなに、飢えた獣のような顔をするはずないもの――――

「っ、ぁ……ん」
 首筋に次々とキスを落とされ、くすぐったさに声を上げる冥。
 夢の中の彼の手つきは性急で、とても現実の不器用さからは想像がつかなかった。
 次第に御剣の手が胸を探り出し、びくりと身体が小さく跳ねる。
「……ッ、は……っ」
 ざらついた舌に這い回られ、元々曖昧だった意識がさらに溶けてしまいそうだ。
 しかし手も舌もなかなか肝心な場所に触れてはくれず、冥はもどかしさに身体を捩らせた。
 それを待っていたかのように、
「っ! あ、あっ」
 御剣は片方の胸の頂を甘く噛み、空いている方も指先で弄い出す。
 強すぎる刺激に身体がびくびくと跳ね、冥は声を上げることしかできなかった。
「……メイ。…………可愛い」
 耳元で囁かれた声にすら感じ入ってしまう。
 やがて胸元を弄んでいた大きな手がわき腹を滑り落ち、冥の身体を唯一覆う下着に触れた。
 夢の中の御剣怜侍は紳士ではないらしく、躊躇いも見せずに一気に引き下げられる。
 それを恥じらうほどの理性は、もはや冥にも残っていなかった。
「っ、あ……!」
 足を開かされ、身体ごと割り入れられては、もう御剣と冥の間を隔てるものは何もない。
 無骨な指先が足の間を這い、やがて奥の芽を探り出した。
「あ、ゃ、あん…っ」
 そのまま弱く擦られ、灼けるような快感が脳を突き抜ける。
 それとは別の指が、冥の中へと少しずつ入れられていった。
「あ……んぁっ、あ、だ、だめ……っ」
 外側で直接的な快楽を与える指も、内側を探り快楽を見出そうと蠢く指も、冥の制止に耳を貸そうとはしない。
 それどころかよりいっそう動きを早め、いよいよ冥を追い詰めていく。
 逃れようにも腰は押さえつけられ逃げられない。内側を擦る指はいつしか増やされ、粘着質の水音を立てている。
 やがてポイントを見つけたらしく、的確に責め立ててくる指に、背筋をゾワゾワしたものが這い上がり――
「――っあ、あぁ…っ…!」
 脳裏が真っ白に染め抜かれ、そのまま落ちるように脱力する。
 ……しかし夢の中の御剣は、冥の呼吸が落ち着くまで待ってはくれなかった。
 ぐったりとしている冥の足を脇に抱え、熱い塊を押し付けてくる。
「…………メイ」
 緊張の滲む声が何だかおかしい。やっぱり夢の中でも、レイジはレイジね。
 冥がそんなことを考えているうちに、擦り付けられていた熱が中へ押し入り――

「……っ!?
 や、なに……ッ痛……!」

 銃弾よりも鋭く強い痛みに、それまでおぼろげだった意識が一気に覚醒する。
 ――夢じゃない!
「やめ……っ、止めて……! おねがい…っ」
 身体を押しのけて止めようとするが、酒のせいか腕が思うように動かない。
 しかしこちらの異変に気づいたのか、御剣が一瞬だけ動きを止めて目を合わせてくれた。
 そしてそのまま、……キスされる。
「ん………んぅ………!」
 舌を絡め取られる快感に意識を奪われそうになっていると、再び激痛が腰を裂いた。
 御剣は冥の舌を服従させたまま、深く押し進めて彼女の中を占領する。
「……っは、ぁ……」
「……すまない、メイ」
 唇が離された時聞こえてきた声は、確かに心底申し訳ないと思っているようだった。
 だがその直後、容赦なく腰を突き上げられる。
「っ!? ぁ、や、いやぁっ!
 や、やめっ、あ、あ、あぁっ」
 灼熱の塊に身体の中を抉られ、痛みと快感に頭の中をぐちゃぐちゃにかき回される。
 痛いのか気持ちいいのかわからず、嬌声と涙が溢れ出すばかり。
「メイ……メイ、……きだ、メイ……」
 御剣はそんな様を見てどう取ったのか、あちこちにキスを落とし、熱っぽい声で囁いてくる。
 それに言葉を返す余裕などない。ただひたすら御剣の背中にしがみつき、与えられる刺激に耐えて震えるだけ。
「――…っ!」
 やがて脳を焼くほどの熱さが、身体の奥に吐き出され――

 耐え切れず、冥はそのまま意識を手放した。



 どうしよう。
 爽快感と共に目を覚ました御剣の脳内は、今やその単語に占領されていた。
 目の前には、ベッドの上で眠る妹弟子の姿。毛布にくるまってはいるものの、その下が裸体であることは既に目撃済みだ。

 現職の検事が、年下の同僚を、泥酔しているのをいいことに、力ずくで手篭めにした。

 何だかもう新聞各紙が思う存分ネタにしそうな現実だ。泣きたい。

(いや、泣きたいのはメイの方だろう!)
 昨夜の一件は酒のせいかあまり鮮明には覚えていないが、それでも冥が泣いて嫌がっていたことは記憶に残っている。
 信用していた相手に裏切られ、無理矢理コトを結ばされたのだ。起きた時どれほどの絶望が彼女を襲うことか。
 せめてもう少し、今だけは平穏な眠りに……
「ん……」
 御剣の願いを皮肉るかのようなタイミングで、冥の瞼がゆっくりと開かれた。
 どうしよう土下座かいやそんなもので償えることではいやでもやはりまずは謝罪の態度を
「……レイジ? 何で床の上をのた打ち回ってるの?」
「いや、その……」
 取り乱さない彼女の態度に御剣の頭も冷え、ひとまず床の上に正座する。
「……申し訳」
「申し訳ない、とか言わないでね?」
 まずは謝罪を、としたところで出鼻を挫かれた。
 見上げると、そこにはいつもと全く変わらない、自信に満ちた笑みを浮かべる狩魔冥がいる。
「こういうコトになったのは、際限なくアルコールを摂った私にも責任があるのだから。
 それとも、私が自分の非を認めずに、一方的に責め立てるような女に見えるの?」
「い、いや、そのようなことは思っていない!」
 慌てて首を振ると、冥はおかしそうにくすくす笑う。痛みが残っているだろうに、それを全く感じさせない態度。
 御剣は謝ろうとした自分を恥じた。それはきっと、誇り高い彼女のプライドを傷つけることに他ならなかっただろうから。
「……いや、しかしだな。
 その……つらくはないのか? 相手が、私などで……」
「…………。
 ……やっぱり気づいてないのね……」
 若干低くなったその声に、御剣は身を竦ませる。
 冥は美しい微笑みを浮かべているが、どことなく怒気を感じるのは気のせいだろうか?
「では、質問に質問で返させてもらうわ。
 ――貴方、どうして私にこんなことをしたの?」
 直球といえば直球すぎる質問に面食らう。
 が、彼女の目はあくまで本気だった。それも悪を断罪する検事ではなく、ひとりの人間に評価を下そうとしている目。

(何故、こんなことをしたか……?)

 直接的なきっかけは冥からのキスだったが、それは理由にならないだろう。
 酒が入っていたから? たまたま目の前に都合よく女がいたから?
 ――そんなわけがない、と一蹴する。

 そして御剣は、答えを述べた。



 実のところ。
 冥は既に、望む答えを得ていたのだ。
 だからこの問いは多少アンフェアなものだったが、あれほどの痛みを味わわされたのだから、これくらいの仕返しは許されると思う。
 昨夜の終わりの直前、彼が囁いたあの言葉――。

『……好きだ、メイ……』

 熱に浮かされてあまり覚えていない一夜の記憶の中で、最も鮮明に残る声を思い出し。
 そして冥は、答えを聞いた。
最終更新:2010年11月10日 18:18