子煩悩御剣2
御剣は食事中すら傍らにゆりかごを置いて片時も赤ん坊を離さない。
眠る時もダブルベッドで川の字が常だった。
「レイジがこんなに子煩悩になるなんてね、私の事なんてどうでもいいみたい」
赤ん坊を挟んで向かい合っていても、御剣はミルクの香りがする髪を撫でるばかり。
つい、軽口にグチっぽさが混じった。
「何を言う。君には言葉で言い表せない程感謝しているぞ」
「ウソ、貴方には本当の家族ができて…私への愛情なんて忘れちゃったのよ」
口に出すと寂しさが込み上げてくる。涙を見られたくなくて寝返りを打った。
御剣が身を起こす気配。呆れてしまっただろうか。
ベッドに座った夫は赤ん坊に「少し我慢していてくれ」と話しかけて冥とは反対側に移動させる。
間を隔てるものがなくなると、壁を向いたままの妻に上からそっと覆い被さり腕を回した。
「君を不安にさせたならすまない。
だが、私には君はかけがえのない世界にたった一人の人なのだ、それを忘れないで欲しい」
「ホントに…?」
首だけ振り返ると、久方ぶりのくちづけ。
「子どもは可愛い。あの子は私の天使だ」
「………」
「そして、天使を与えてくれた君は私にとって女神も同様だ」
「……バカ…」
「ム、女神で気に入らないなら、聖母でもよい。
世界には聖母マリアの母を信仰する所もあるというが、理解できなかった思考が今ならわかる。
先生と奥様への感謝は世界中の言語でもってしても言い尽せない」
「でも……でもパパは」
夫が、優しく笑って、涙を拭う。
頬に添えられた手の暖かさが、心に染みてゆく。
「メイ、あの事件がなければ私達は出会う事もなかったろう。君を愛する事も、あの子を授かる事も…
だから、失った事も手に入れたものも、みな定められた運命だったのだ」
冥を気遣う優しい言葉。
だがそんな悲しい言葉を受け入れる事などできず、首を横に振った。
「……貴方のお父様だって…許して下さらないわ」
「あの子が産まれてわかった事はまだある。
私は長い間、自分が父を殺したと思っていた。
だが、それと同時に…父が私以外の誰かに殺されたのなら、何故私は父の身代わりになれなかったのだと己を責め続けた」
「そんな…!それは、パパが」
「まぁ聞け。だが、我が子を初めてこの腕に抱いた時に父の思いを理解したのだ。
…父は、意識さえあれば私をかばったろう。
もし、父でなく私が凶弾に倒れたなら、父は生きていけぬ程嘆き悲しんだに違いない。
妻を亡くし、子にさえ先立たれるなど…
己の命を盾にしても、我が子を守りたいと……そう思ったに違いない」
「……でも、貴方を残して…」
「先生は確かに父の命を奪った」
「!」
こわばる冥の体を、節ばった手がそっと撫ぜる。
「だが、同時に先生は孤児となった私を引き取って下さった。
家族同然に遇するだけでなく愛娘と同様に最高の教育を施し、検事としての技を伝授し一人前以上に育てあげてもくれた。
そんな人物を、父が恨める筈もない。
感謝以外にどんな感情を抱ける?」
うつむこうとする冥を、己の体の上に乗せる御剣。
筋肉質の体が冥を捕えてはなさない。
「父がいなくなってから十五年以上、君だけがたった一人の家族、私の心の支えだった」
「私、だけ?」
「先生はあくまで師匠で、尊敬はしていたが暖かい交流はなかった。
メイだけが私に生の感情をぶつけてくれた。
君だけが私の家族、だった」
「……過去形なのね?」
「ああ、君があの子を私にくれた。新しい家族を…愛する我が子を産んでくれた」
「レイジ……私もよ。貴方だけが私の家族で、私に優しくしてくれた…貴方と、このおちびちゃんだけが私の家族よ」
真下の顔にキスを落としてから手を伸ばして平和な寝息をたてる赤ん坊を撫でると、御剣の眉間に皺が寄った。
「ム、メイ。その…急な話かも知れないが」
なんだろう。冥は御剣の上で身を起こした。
「君の体や仕事の事もあるが…この子にいつか弟か妹を持たせてやりたいと思っている」
「また…新しい家族、ね?」
「ああ、万が一私や君に何かがあっても…きょうだいがいればどれ程心の慰めになるか知れない」
「縁起でもない事言わないで!」
「すまない、だが、愛する対象をもっと増やしてもよいではないか。
この子も、私達も」
何か思考にふけっているのか、冥は無言で御剣の上からベッドに降りて子どもを抱いた。
「よく寝てるわね」
「ん?そうだな」
「後一時間くらい起きないだろうから…リビングで、いい子でねんねしてくれると思うわ」
スッと立ち上がる冥。その胸には安らかな眠りに守られた赤ん坊がいた。
「貴方のお土産のテディベアだっているもの、寂しくないわよね。おちびちゃん」
パタパタと足音が遠ざかってゆく。
なるべく長時間赤ん坊が良い子でいてくれるよう祈る自分に気付き、御剣は苦笑した。
ずっとあの子を傍に置きたいと思っていたのに、随分勝手なものだ。
夫婦の情を交した後、フト御剣は産まれたままの姿でまどろんでいる妻に言った。
「そういえばメイ、あの子が産まれてもう1つわかった事がある」
「なぁに?」
「先生は途方もなく寛大な方だという事だ。
身よりのない私などが君の側にいることを許された。
年頃の娘に馴れ馴れしい口を聞く男など、私ならば決して許さんだろう」
「もぅ…パパはそんなの関心がなかっただけよ」
「先生は私達を支配していたと言っていい程だった。
何もかもお見通しで、その上で黙認して下さったのだ。
私達ですらあの頃は気付いていなかった想いも、未来も」
うつらうつらしながら「そうかしら」と呟く冥の髪を指に絡ませていると、小さく泣き声が聞こえてきた。
起き上がろうとする冥を押さえて立ち上がる。
「私が行こう。一時間半もあの子と離れていたのだ。
心ゆくまでスキンシップをとってやらねばな」
愛し子の母親は目を閉じたまま苦笑したようだった。
急ぎガウンを羽織る背中に「お願いね、ダディ」と囁いたか、それとも言ったつもりで夢の中にいたのか……眠りに落ちた冥にはもう判別のつけようがなかった。
最終更新:2010年02月02日 01:46