七夕ミツメイ
アメリカ生活が長くても、時折ふと日本食が食べたくなる時がある。今日の冥がそうだった。
寿司が食べたくなり、日本食レストランの集まるビルに足を踏み入れる。一階の回転寿司屋には目もくれず三階のカウンターのある寿司屋を目指す。
冥は回転寿司が苦手だった。寿司が回っているのがまず落ち着かないし、目の前を流れる皿を取るタイミングも難しい。
何より普通の寿司と共にハンバーグ握りやらチキンナゲット巻き、果てはプリンにパフェにケーキというデザート類まで同時に回っているのが気にくわない。
子供がオレンジジュースやコーラを片手に寿司を頬張るのも腹立たしい。
要するに、冥にとっては職人が目の前で寿司を握る寿司屋だけが完璧な寿司屋であり、回転寿司は完璧とは程遠いのである。
それでも、この日は回転寿司屋の入り口で足を止めてしまった。
大きな笹に色とりどりの飾り、沢山の願いを捧げた短冊…
笹飾りの横には解説パネルもある。
冥はそこでようやくもうすぐ七夕なのだと思い出した。
働き者の織姫と彦星は結婚してから遊びとおし。織姫の父である天帝の怒りをかい、天の川の両岸に別れ別れになり、年に一度の7月7日にだけ会うことができる。
なんて完璧じゃない夫婦なんだろう。
こんな夫婦が出会える日に願いをかけて叶うのか、冥には幼い頃から疑問だった。
しかも七夕の物語にはまだおまけがある。
雨が降れば天の川が氾濫して二人は会えなくなってしまうというのだ。
日本では雨の多いこの時期にわざわさ会瀬の日を持ってくるなんて、天帝とはなんと意地が悪いのか。
逢える日を心待ちにして日々の仕事をこなす。それがどれ程待ち遠しいか、冥には骨身に染みている。
勿論御剣との会瀬は年一度よりは頻度は高い。しかし二人は常に忙しく、次の機会が一月先か半年先かもわからないまま別れるのが常なのだ。
冥から約束の日の三日前にヨーロッパに出張に行かなければならないと断りの連絡を入れたこともあるし、御剣からは約束の時間の16時間前にどうしても外せない公判が入ったと言われたこともある。
お互いの事情がわかっていても、‘どうしてダメなの’と喉元まで出かかってしまう。非難の言葉を飲み込むのにどれ程精神力が必要か―――
「らっしゃいませー」
店員に声を掛けられてはっと我に返る。
「一名様ですか?」
「結構よ」
靴音も高らかに、回転寿司屋から本格割烹も出す寿司屋に向かった。
7月7日、冥はふと思い付いてパソコンでワールドウェザーサイトを覗いてみた。
日本は曇りか雨。
東京をクリックして拡大すると…大雨だった。
何故か腹が立ってウィンドウを閉じる。
冥のオフィスの外はまだ明るく晴天が広がっているのに、御剣は雨の夜を過ごしている。
自分達の距離を思い知ってしまう。
でも今は仕事中だ。
鳴り響く電話を補佐官が取ったと同時にそう自分に言い聞かせた。
「Miss Karuma.Calling from Interpol」
「OK…Hello?」
「ようアネさん。元気かい?誰かさんに会えなくてパワーが足りなくなってねぇか?」
馴染みの捜査官は冥の故郷の言葉を使う。前置きが長いのまで日本風だ。イライラしながら冥は受話器に機嫌な声を向ける。
「セクハラで訴えるわよ。何の用?」
「おっと、用があるのは俺じゃねえんだ。今代わるぜ」
「……冥か。仕事中すまない」
「なっ…!」
思わずガタリと音を立てて立ち上がってしまい、補佐官が何事かとこちらを見る。冥は咳払いを一つして椅子に座り直した。
「…レイジ!?どうして貴方がアメリカにいるのよ!」
補佐官には日本語はわからないのに、やや小声で話してしまうのはプライベートな話だからだろうか。
「ム…狼捜査官に渡す重要な書類があったのだ。別に私でなくともよかったのだが、丁度公判を抱えていなかったからな」
「という訳でアネさん、今からこっちへ来るだろ?」
既に決定事項のように話す狼が憎らしい。
「私にだって抱えてる仕事があるのよ」
「アネさんが今日は公判がないのも急ぎの仕事がないのも調査済みだぜ。国際捜査官のリサーチ力を舐めちゃいけねぇな」
連携しての捜査もする相手に誤魔化しは通用しない。
悔しい気持ちを押さえて「わかったわ」と通話を終了すると、冥は補佐官に「狼捜査官に会いに行ってそのまま戻らず直帰する」と伝えた。
出向いて行くと、狼のオフィスに主はおらず、御剣が狼からの伝言メモを預かっていた。
‘狼子曰く、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ!
俺はまだ命が惜しいぜ。
検事さんと仲良くな。’
御剣は内容は確認していないらしい。
何もかも見透かされているようで益々腹がたち、当人の代わりにデスクに鞭を振るった。
「冥、今日は何の日か知っているか?」
「…さあ。独立記念日はもう終わったわよ」
やれやれと肩をすくめる御剣。
「今日は七夕だ。よい素麺がある。君の部屋で食べようではないか」
「ソーメンなんてヒゲじゃあるまいし」
「織女は織姫の名の通り機織りの名手だ。彼女にちなんで七夕には素麺を食すのが日本の習わしなのだよ」
「仕方ないわね、レイジがそこまでいうなら食べてやらなくもないわ」
視線を反らして腕を組んだ冥の隣で、御剣はくつくつと喉を鳴らして笑っていた。
日本から持参しためんつゆをガラスの器に入れ、箸を並べる。
素麺を茹で終えた冥は着替えの為に自室へ行ってしまったので、テーブルセッティングは御剣の役目だった。
素麺だけでは完璧な栄養は取れないと買い足したサラダやローストビーフもトレーから皿に移す。御剣にしては見目よく盛り付けできただろう。
軽めのカクテルをさてどうするか…そう考えていたらリビングのドアが開いた。
「冥、グラスは……その、格好は?」
「折角だから雰囲気を出してみたのよ…どう?」
冥は見慣れた部屋着ではなく、浴衣に身を包んでいた。
紺地に金銀の星が散らばる浴衣に、帯にはレースとビーズアクセサリーが揺れ、アップにまとめた髪には簪も差している。
御剣は言葉を発するのも忘れて見とれてしまった。
「…何よ、変なら変って言えばいいじゃない!」
「あ、いや違う!…よく、似合っているぞ」
「当然よ!私は完璧なんだから!」
どうやら冥はすぐに答えて貰えなかった事に腹を立てているらしい。
向けられてしまった背中から腕を回して抱き締めると、冥のトワレが鼻孔をくすぐる。
「浴衣姿も完璧に美しい。伝説の織女も君の前では霞んでしまうさ」
「…そうね、雨が降っても逢えたんだからレイジは彦星より凄いわ」
「なんだと?」
機嫌を直した冥の言葉に御剣が問い返す。
「雨が降ると二人は逢えないんでしょう?わざわざ梅雨の時期に日を決めるなんて、天帝は意地が悪いわ」
幼い頃からの不満をぶつけると、御剣は冥を離して腕を組んだ。
「フム…冥、君は七夕伝説の知識が完璧ではないらしい」
「何ですって!?」
いきり立って顔を向かい合わせる冥。その愛しい顔の前で御剣は人差し指を左右に揺らした。
「旧暦の7月7日は今の8月にあたる。梅雨も明けて、夕立はあっても晴れが多い時期だ。梅雨にあたるようになったのは明治の新暦採用後の話になる。天帝は寧ろ二人の会瀬が叶いやすい時期に日を定めたのだよ」
「…つまり、日本人の勝手な都合で織姫と彦星は逢えない年が多くなったってことね」
「それからもう一つ!」
勢いよく人差し指を鼻先に突きつけられた冥は少し腰が引けてしまった。
「雨が降って天の川が渡れなくとも、かささぎという鳥が橋の代わりに二人の会瀬を助けてくれるそうだ。丁度…この鳥に乗って逢いに来た私のように、な」
提示された証拠品は一枚のケット。
日本を代表する航空会社の搭乗券には、シンボルマークの鶴が印されていた。
証拠品を確認してくすっと笑った冥が御剣に抱きつく。
「でもレイジは彦星より優秀よ。だって年に何度も太平洋を渡って来てくれるのだから」
「そうか?なら…それはきっと、君が織姫よりももっともっと魅力的で、私が君に逢わずにはいられない程に惚れ込んでいるからだろう」
いとおしそうに背中を撫でる御剣。そのまま接吻を交わして帯に手をかけようと―――
「ダメよ!ソーメンがのびちゃうでしょ!完璧な茹で具合なんだから早く食べないと!」
ぴしゃりと手を叩かれて御剣は苦笑した。
まあいい、七夕の夜はまだ宵の口だ。
天上の星々が輝きをなくす朝まで、冥を独り占めする。
それは笹飾りに託すまでもない、御剣の何よりの願いであり…冥の願いでもあるのだった。