「カンペキなロジック」
「うへー雨だよなるほどくん。帰りどうする?」
真宵のうんざりした声が検事局のカフェテリアに響く。
成歩堂、真宵、御剣、冥の4人が座るテーブル脇のウインドウはみるみる雨粒で覆われていった。
「夕立かな。すぐ止むといいんだけど」
「確か天気予報では今夜は荒れ模様と言っていたわ。
雷を伴った強い雨が一晩中続くとか…」
「じゃあ早めに帰らないとぬれねずみになっちゃうよ!」
「我々も今日は仕事を早めに切り上げねばならんだろうな」
言っている間にも雨足は強くなっていく。
と、その時。カフェテリア全体が強い光に覆われた。
「見た!?今光ったよ!」
「ム、私は気が付かなかったが」
「今の絶対稲光だよ。間違いないね♪」
(真宵ちゃん楽しそうだなぁ、台風のときもワクワクしてたし。
…あれ?狩魔検事、何呟いてるんだろう?)
「…5…6…」
真宵が窓にへばりついている向かいで、冥はカップを持ったまま真剣な顔で数を数えていた。
ゴロゴロゴロ…暗い空から低い音が響いてくる。
「落ちた音じゃないよねぇ。あ、また光った♪」
「怖いこと言うなよ、雷落ちたら大変じゃないか」
「何言ってるのなるほどくん、雷は落ちてナンボだよ」
「おへそ取られたら大変だろ」
「…成歩堂、君はそんな迷信を未だに信じているのか」
「いやそういう訳じゃあ……それより狩魔検事、さっきから何してるの?」
成歩堂の問に真宵も座り直して向かいに視線を送る。
だが問われた本人は
「…6…7…8…」
相変わらずカップを凝視しながら数を数えていた。左袖を握り締め、妙な気迫さえ感じる。
御剣は「またか」とでも言いたげな顔で冥を見ている。どうやら彼は事情を知っているようだが、見守る成歩堂と真宵にはさっぱりわからずただ首を傾げるしかなかった。
カウント12で雷の音が遠く聞こえてくる。
すると冥は数勘定を終え、カップに口をつけてようやく息をついた。
「…え~と、狩魔検事?」
「何よ」
「だから、何数えてたの?」
「………雷の距離よ」
成歩堂には真宵の頭にクエスチョンマークが見える気がした。もちろん、自分の上にも。
だが冥はそれ以上説明する気はないらしく、代わりに御剣が口を開いた。
「成歩堂、雷は光が見えてから音が聞こえるまでタイムラグがあるのは何故だと思う」
「そ、そんなの真宵ちゃんでも知ってるよ。なぁ、真宵ちゃん」
「そうだよ御剣検事。それは、そういうものだからだよ!」
(答えになってないぞ…)
「フッ…いや失敬。真宵くんもご存知だろうが、光は音よりも断然早い。
光は約秒速30万キロメートル、一秒で地球を約7回半回ることができる」
「へーーそ~なんだ~」
(真宵ちゃん…知らなかったのか)
「それに対して音は条件によっての差が大きいのだが…」
ナプキンを一枚とって数式を書き込む御剣。高級な万年筆がイヤミなくらいよく似合う男だ。
「331.5+0.61t?おい、tってなんだよ」
「tは摂氏温度だ。これは1気圧の時の数式だが、25度なら音速は秒速347メートル…まぁ約350メートルと考えて差し支えない。わかったか成歩堂?」
出来の悪い生徒を二人持った御剣先生は、検察席でよく見せるあの笑みを見せて数式を説明してくれた。真宵はまだよくわかってないらしい。
「ちなみに一回目の雷は8秒。約2800メートルよ。
私はこれで失礼するわ。
御剣怜侍。貴方もさっさと仕事を終えることね。」
カフェテリアからエレベーターに向かう後姿をぽかーんと見送る成歩堂と真宵。御剣は「フッ」と鼻で笑うと万年筆を胸ポケットにしまった。
「つまり、光は一瞬で届くけど音は時間がかかるから、その間の時間を計ってたら雷の距離がわかるってことだろ。
言っとくけど僕は数式までは知らなかったけど、音速より光速の方が早いってことぐらい知ってたからな」
「え?じゃあさっきは12秒だっけ?350かける12だから…御剣検事、その万年筆かしてくれます?」
「約4200メートル。今日の予想最高気温が31度、最低気温が24度。夕立で気温が下がったとしても27度にプラスマイナス2度…完璧ではないけど、許容できる誤差の範囲だわ」
「え?え?え?」
いきなりまくしたてる冥。すっかり混乱してしまい計算どころではなくなってしまっている真宵を置き去りにして立ち上がる。
「ちなみに一回目の雷は8秒。約2800メートルよ。
私はこれで失礼するわ。
御剣怜侍。貴方もさっさと仕事を終えることね。」
カフェテリアからエレベーターに向かう後姿をぽかーんと見送る成歩堂と真宵。御剣は「フッ」と鼻で笑うと万年筆を胸ポケットにしまった。
「それにしても、なんだって狩魔検事は雷の距離なんか計ってたんだろうね?」
借り物の傘を差しての帰り道、成歩堂は答えを期待するでもなく真宵に問いかけた。
「う~ん、やっぱり雷って裁判に関係する事もあるからじゃない?で癖になっちゃってたとか。
それより私がわからないのはさぁ」
「何?」
「1気圧ってなに?摂氏温度って?」
どうやら真宵は理系に弱いらしい。
(茜ちゃんだったらうまく説明できるかなぁ…でもあの子はカガク専門だし…)
科学と化学の違いも判らない成歩堂は、自分で説明することを諦め、事務所に帰ったらわかりやすい説明を求めてホームページでも探してみようと決意した。
その日の夜。
予報通り雨は吹き荒れ、時折雷鳴も聞こえてきた。
昼間より、随分と音が大きい。
御剣は持ち帰った資料の整理が一段落付くと、冥の自室の扉を叩いた。
返事がない。
が、まだ寝るには早い時間だ。
「メイ?入るぞ」
声をかけてからドアを開けると、冥はヘッドホンをしながらムチの素振りをしていた。
部屋のカーテンは合わせ目をクリップで留めて隙間をなくすという念の入れようだ。
御剣はフッと笑うとオーディオの電源を落とした。
「何をするのよレイジ」
「これでは話ができんではないか」
「それは今しないといけない話なの?」
オーディオを入れようとする冥の手を止めて、代わりにヘッドホンをはずす。
「ちょっと!」
「もう平気になったのではないのか?昼間は悲鳴をあげてはいなかったが」
「そうよ、もう何ともないわ!だから」
反論は、窓を振るわせる雷鳴に封じられた。
「きゃああ!!」
冥は悲鳴をあげて御剣にしがみつく。
「なんだ、やはり平気ではないではないか」
「う、う、うるさいわよ!!」
そう、冥は雷が苦手だった。
幼い頃は今よりもっと。
恐怖心をやわらげてやろうと音速の数式を教えた事を御剣は懐かしく思い出す。
“ほら、何秒もかかっただろう。だからあの雷はずっと遠くで鳴っているだけなのだよ”
そう言って頭を撫でてやったのはいつのことだったろう。
あの時冥は新しく手に入れたロジックをいたく気に入り、“じゃあこれで雷は怖くないわね”と涙目で言ったものだった。
が、完璧と思われたロジックには落とし穴があった。
「確実に350メートル以内に落ちてるのよ!誰だって危険を感じて当然でしょ!」
雷光と雷鳴の間に時間差がないと、余計に恐怖に駆り立てられてしまう。
「ム、今のもののタイムラグが一秒以内とは限らんではないか」
「さっきはそうだったのよ!
きゃあーー!
もう嫌!昼間よりずっと近付いて来てるわ!」
別に冥めがけて雷が近付いているわけでもないのだが、雷鳴に悲鳴を上げながらも反論する姿はどこか滑稽さを感じさせた。冥が必死な分余計に。
「わかったわかった。今の君にはこれが必要なのだな」
一度は取り上げたヘッドホンを掛けてやり、オーディオの電源を入れる。
冥が外の音を遮断しようと両手を添えても音が漏れ出ている。それほどボリュームを大きくして耳を悪くしなければよいが。
先ほどまでは自分にしがみついていたのに、今や必死に音楽に集中しようとする冥を見ていると不意に悪戯心が頭をもたげてきた。
冥の顎に手を掛けて深く口付け、そのままソファに押し倒す。
「ちょっ何を……んっ」
「君は光、音の両面から雷を遮断したが、意識はまだ雷にいっているのだろう?なら、別の事に集中して恐怖心を克服する手助けをしてやろうと思ってな」
ヘッドホンをしたままではこのロジックは届いてはいないだろうが、聞こえていたとしても異議を唱えられることには違いない。
聞こえないとわかっていても、足元に転がるムチを確認してから囁いた。
「雷を怖がる姿も、かわいいぞ」
最終更新:2010年03月17日 15:36