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検事5話後


「これが例の資料なのね」

ヤタガラスの資料を手にした満足に、思わず顔がほころんだ。

「うむ。君の役に立つだろう。――しかし、夜通し駆け回っていたというのにさっそく裁判の準備か。少し休んではどうだ?」
「立証にかける時間を惜しんではいられない。狩魔は完璧に事件を追い詰めてみせるわ」
「ふっ、変わっていないな」
「当然よ」

――と、威張っておいてなんだが、正直なところ疲れていて今読んでも頭に入りそうにない。
少し悩んだ後、資料を御剣の方に押しやった。

「……そういうことだから御剣怜侍、この内容を掻い摘んで説明しなさい」
「ム、なぜそうなるのだ」
「あら忘れたの?あなたは今日一日、私の部下でしょう」
「日付はとうに変わったような気がするが」
「でもまだ24時間ではないわ」

上司命令よ、とデスクに凭れ掛かって顔を覗き込むと、向かい合う御剣は僅かに身を引いた。

「……狩魔検事」

御剣の言葉遣いが変わった。
少し眉を顰めてこちらを見つめている。――呆れられただろうか。

「随分と上司ごっこがお気に召したとみえる」
「ええ、なかなか新鮮だったわ。言動をもっと馬鹿の馬鹿らしく馬鹿丁寧な部下になりきってくれていたら、さぞかし楽しかったでしょうね」

馬鹿馬鹿しいと言いたげに御剣が肩をすくめる。

「たとえばイトノコギリ刑事のように?それともロウ捜査官の部下の黒服連中か?……どちらにしても悪趣味なことだ」
「失礼な事を言わないでちょうだい、御剣怜侍。これは心構えの問題だわ。仮にも私の部下を名乗るのなら、TPOを弁えた態度を、ということよ」

胸を張って主張しているが、冥もそれが詭弁だということは分かっている。本当は御剣怜侍が一日部下という事態が気に入っただけだ。
事件が無事解決して気が緩んでいる。その上、徹夜明けとあって少々ハイになっているのかもしれない。いつもの冥ならば絶対に言わない類の悪ふざけだった。

「狩魔は完璧をもってよしとする、か」

そのことに気づいているのかどうか、御剣は納得したように呟いた。

「上司の命令とあらば従うにはやぶさかではない。だが人に言うからにはもちろん、君も上司らしく振舞ってくれるのだろうな」
「…………生憎だけれど、給与査定はできないわよ」

現実の冥はこの国の上級検事である御剣に対して何の権限もない。できることといえば「ご苦労だったわね」とねぎらうくらいだ。
まさかそんな子供だましの要求はすまい。一体何を考えているのだろう。

「フッ、そう睨まないでくれ。そのようなアレではない」

別に睨んだつもりはなかったのに、御剣は苦笑して組んでいた腕を解いた。
そして証拠品を突きつけるかのように冥を指す。その鋭さに思わずぎくりとした。

「私はイトノコギリ刑事と違って、犯人を検挙した」
「え?ええ、そうね」

一連の事件における御剣のめざましい働きは記憶に新しい。
それを見せ付けられたためか、その指が自分の方を向いただけで、なぜか居心地が悪くなってくる。
そして一見繋がっていないような論理の飛躍。だからこの男は一体何を言おうとしているのだろう。

「――それで?」

続きを待ったが、その先の言葉はないようだった。

「だからなんだと言うのかしら、御剣怜侍!」

業を煮やして声を荒げると、御剣の顔から笑みが消えた。
自分の方へ押しやられた資料を横へ退かすと、そのまま手を伸ばして、冥の鞭をもぎ取った。  
痛みに顔をしかめた一瞬の隙、足を掬われて冥は悲鳴を上げそうになった。
やがて自分が所謂お姫様抱っこをされているのだと分かると、今度こそ叫んだ。この状況は予想外もいいところだ。

「なな、なんなのレイジ!!」

暴れる以外何の抵抗も出来ない冥の耳元で、御剣が低く笑った。

「手柄にはゴホウビがなくてはな」
「……っ!?」
「飴と鞭――だ。当然、人心掌握術も心得ているだろう、狩魔検事殿?」

降ろしなさいと叫びかけた冥の口を御剣が塞いだ。




もう何度目か分からなかった。

「は……ああっ」
「まだ足りないだろう、狩魔検事」

冷ややかな声が響いたかと思うと、長い指をくっと曲げて内を引っ掻かれる。刺激に思わず背中が反った。
ぞわりと肌が粟立つ。

「あぅ、ああ…、やぁ……もう、おねがい」

楽にして欲しい。

絶え絶えな冥の訴えを御剣は気づかぬ素振りで受け流す。
先ほどから容赦ない快感を与えるかと思えば、達する直前で手を止め焦らされている。
身体に蓄積される燻りだけが出口を探して弾けそうだ。
翻弄される冥が言葉すら操れなくなっているのに、この男は冷静を通り越して、いっそ冷酷に冥の乱れる様を眺め、的確に嬲っている。

「狩魔検事?」

先ほどからのわざとらしい呼称に、冥の意識が浮上する。
わかっている。挑発するような事を言ったのは自分の方だ。でも。

『狩魔検事』

御剣からそう呼ばれるのは嫌いではなかった。
いつも自分より先を歩いていた御剣。その御剣が公的な場で、冥を一人前扱いしてくれる大人の証だった。
今の自分は彼と対等なのだと、呼ばれる度に冥は誇らしく自分に言い聞かせてきた。

でも、本当にそれだけの意味だったのだろうか。
他人行儀な響きが今、冷ややかな視線よりも何よりも冥の心に突き刺さる。
他人行儀というより先にそもそも冥と御剣は赤の他人だ。
それが数年一緒に住み、同じ男に師事し、今もその関係が残滓のように二人を?ぎとめているだけ。

「あん、あああっ」

くちゅくちゅと音が大きくなる。
御剣の意のままに踊らされながら、冥はただ声を上げる。耳元の囁きをかき消すように。

「――、検事」
「その、呼びかた、いや……。…ッ、れいじ……あ、はあ……」

父の――狩魔豪のことがあった後、一度失踪した後の御剣は確かに変わった。
御剣が時折見せる、狩魔への冷ややかさに冥は気づいていた。

この行為に溺れる時、彼は自分と違う人間だということを、どうしようもなく思い知らされる気がした。
違う人間だから、わざわざ一つにならなければいけないのだと。
何度身体を重ねても、想いを囁かれても、どこかで冥は与えられるそれらを否定していた。
もし全てが彼の復讐だとしたならば、彼に心底溺れた瞬間に奈落へ突き落とされるだろう。
信じたいけれど信じた途端に全てが消えてしまいそうで、失ってしまいそうで、ずっと怖かったのだ。

「レイ、ジ……」
「……何か言ったかな?狩魔検事」

こんな行為の真っ最中だというのに、御剣は日ごろと同じ理性を保ったまま冥を嬲ってくる。
自分が憎まれていると思うのはこんな時だ。
もしかして、彼は『狩魔』を許していないのではないだろうか。
これまで過ごした時間の全てを否定しているのではないだろうか。
言動も部下になりきれと煽ったのは自分なのに、言われたとおりに振舞う彼が怖い。

わかっている。自分が勝手に想像しているだけだと。
悪い想像にとらわれて、御剣と向かい合えなくなっているだけなのだろう。

「ああっ……あッ、も、だめ……」

乱れる自分を黙って見ている御剣の視線に、すべてが射抜かれるような気がする。
弱さのすべてが。

望み通りに御剣を与えられた頃には、難しいことは何も考えられなくなっていた。

「……レイジ、レイジ」

うわごとのように名前を呼ぶ。広い背中に縋り付いていても心細い。手を離すのはもっと怖い。
自分と同じところへは落ちてこない男。
失わないために、自分はどう変わらなければいけないのだろう。

「どこにも、行かないで……、っ」

そう泣きじゃくったのが、その日の記憶の最後だった。




だから冥は知らない。
メイ、と愛しげに呟いた男が「どこにも行かない」と約束してくれた事を。
そして、彼女の恐れを知っていながらどうしていいかわからないと嘆いた事も。


(終)
最終更新:2010年02月01日 23:26