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突発的に婚約が決まった御剣怜侍と狩魔冥の祝いの場は、保護者付きなら子どもの
入店も許されている居酒屋だった。ごく普通の個室の座敷だ。庶民的なのは、その日は
元々、御剣を除くメンバーが集まる予定だったからだ。
御剣は知らなかったが、冥は帰国すると成歩堂たちと会っていたらしい。舌の肥えた
冥に最初は緊張したが、B級グルメにも興味津々で気さくだという。
「レイジが知ったら高いお店に連れて行って貰えなくなるわ」と冥は箝口令を敷いて
いたが、実にもって全くその通りだ。食事絡みの時だけは、細かく言えば支払いの
時だけは冥は「兄妹弟子」を主張するので奢らされていたというのに。

店に来る前、裁判を終えた御剣は、ロビーにて本日二度目の衝突があった。
帰国して裁判所に顔を出していた狩魔冥と、子どもの頃のような派手な口喧嘩をやったのだ。
長い片想いに疲れた冥が、話の流れでホテル生活と脈が無い御剣を待つのに飽きたとブチ切れた。
青天の霹靂、七歳年下の自分の師の娘に手を出す選択肢を持たなかった御剣は、望むならぜひ
一緒に住もうと上から目線で「同棲」を持ちかけたのだった。
一の勧誘に百の棘を持つ抵抗が返ってくると身構えた御剣の胸に、あの気の強い冥が泣き、
胸に飛び込んで来たのは驚きだった。困惑し宥めていると、口論のプロである現役検事同士の
はた迷惑な痴話喧嘩をハラハラと見守っていたその場の関係者が安堵し、大きな拍手を持って
祝福してくれた。その最中は幸せな時間だったが、さらに時間が経った今では、公衆の面前かつ
自分たちの職場での失態故に半年ばかり職場放棄したい、いっそ海外に飛ばして欲しい……と
現実から目を逸らしたくなっていた。

「おめでとう……で、いーのかな。上手くいって良かったよ」
「成歩堂」
一度でクリア出来る期待はしていなかった。カンペキを求める狩魔の娘に対して、なんとも
見苦しい告白だ。御剣も最初は、「指輪が無い」「改めて夜景のきれいな場所で交際を
申し込め」等、落ち着いたら冥は徹底的にダメ出ししてくるに違いない、どう論破して
くれようと迎え撃つ構えだった。
が、冥はまるで夢のようだ、お互い忙しいから式も旅行もいらない、しばらくは他の国の
仕事は断わると塩らしいことを言い……「同棲」ではなく、冥の頭の中は一足飛びに「結婚」
という、厳しい現実を突きつけられたのだった。
自分の人生で具体的に結婚を考えたことが無かった御剣は、酷く動揺したが後の祭りだ。
その後、冥は普段の彼女を取り戻していった。泣かれるならなじられる方がずっと彼女
らしくて安堵する。冥の怒りは自分を子ども扱いし、プロポーズを待っていたのに行動を
起こさなかった御剣に対しての恨みつらみで、一途に惚れられていたことを痛感した。
言葉は攻撃的だが、何を言われても可愛く感じる自分にも戸惑ってしまう。
それらのやりとりを思い出すと自然に笑みが漏れてしまい、御剣は慌てて咳払いで誤魔化した。

用事を済ませた、もう一人の主役が到着すると、歓声が上がった。
強制的に御剣の隣に座らせ、ニヤニヤと他のメンバーが祝いの言葉で取り囲む。
「プロポーズされて仕方なく受けた」「まだ若いし私はもっと後でも良かったのよ」などと
醒めた口調なので、ほっけを解す作業に集中するふりをしていた御剣は次々出てくる偽証に
吹き出すのを堪え、酸欠状態に陥った。
――検事を見たら嘘つきと思え。
「式や指輪の相談は、次に帰国した時ですか?」
と霧緒が冥に尋ねる。冥は明日、別の国に発つからだ。後が怖いので御剣は何一つ省く
つもりは無かったが、隣で冥が拒否した。
「いらないわ」
「えーっ、かるま検事、せっかくだし最初がカンジンなんだからたこ焼きくらいの指輪
貰っちゃおうよー。お宝はいくつあっても困らないし」
唆すような真宵の言葉に、冥は首を振った。
「レイジが私を選んでくれたっていう、その自信が私の宝石なの。これ以上飾る必要はないわ」
幸せそうに微笑む冥にその場の女子が悲鳴を上げ盛り上がり、過去散々鞭打たれて来た
男性陣はまるで人格の変わってしまった冥の発言に引き気味になっていた。
「悟りの境地の狩魔検事がなんだかブキミッス」
「イトノコ刑事、他人の婚約者をブキミとか言うな!……気持ちはわかるけど」
「安心したまえ。この私もキミたちに限りなく近い心境だ」
成歩堂たちと一緒の時は、冥は安酒も普通に飲むという。自分に奢らせる時は煩いほど
銘柄に拘るのにと御剣は面白くない。が、ワインやシャンパンのグラスを気取って口に
運ぶ彼女とは違い、楽しそうに焼酎や国産ウィスキーをロックで呷る男前な飲みっぷりは
気持ちが良く、惚れ直しそうだった。

お約束の「いつから好きだったか」の問いに、冥は「一目惚れよ」と即答した。
御剣の方は、初めて会った時の冥の印象は薄い。というのも、挨拶する御剣の顔をじっと
見つめた後、冥は無言で自分の部屋に消えてしまったからだ。
「王子様が我が家に来た!って、幼い私には大事件だったの。恥ずかしくて隠れたわ」
(第一印象から睨まれ、敵対視されてると思っていたのだが)
「目に浮かぶようだ……」
成歩堂は顔を引きつらせ相槌を打つ。小学生ですら女子が御剣を見る目は違かった。
鈍感・御剣の総スルーの天然タラシっぷりは、冥の場合も健在だったらしい。
「レイジは恥ずかしがり屋で、せっかく私が勇気を出してアピールしてるのに、検事に
なる勉強で忙しいっていつも逃げてたのよ!」
想い出して憤怒する冥のその横で、御剣は一人、首を傾げてしまった。
(無言で背後から六法全書で殴られれば、逃げて当然ではないか)
祝いの席で異議を申し立てるのは大人気ないので、御剣は「その節はすまなかった」と
棒読みで謝っておく。偽証の裏づけ発言をしている気分だ。
「勉強の話題の時だけは話を聞いてくれたから、レイジを私に振り向かせたくて、
さらに私も勉強に力が入るようになったわ」
それは、彼女の力であって、自分は良い競争相手になっただけだ。感謝するとしたら、
御剣の才能を信じ育ててくれた師と彼女の家族にだ。右手にテディベア、左手に絵本
ではなく六法全書を携える七歳年下の天才少女の存在は常にプレッシャーだった。
あの非日常的で特殊な環境が、今の自分の下地を形成している。
「あ、あの。わたくし、みつるぎ検事さんのお話もお聞きしたいです!」
逃げるつもりだったのに、質問者が頬を赤らめた子どもの春美だったので出来なくなった。
御剣の回答に期待し目を輝かせる女子に下手なことを言えば袋叩きで、慎重に言葉を選ぶ。
「私は、見ての通り勉強と仕事以外の事は一切排して来た。潜在的にはおそらく、
メイが初恋の相手だと思う」
強引に、そういうことにしておく。脳裏に狩魔家で迎えたクリスマスの夜、冥に宿木の
下に引きずり込まれ奪われたファーストキスの記憶が蘇った。そのキスは拒めないという
風習を知らぬ御剣は憮然として、冥と口論になった。しかも、男女の条件が逆転して
いるのだから、当時から今日まで御剣は全く成長がない。
再びテンションの上がった女子を横目に思考する。少なくとも、検事になった後も冥とは
滅多に顔を合わせる環境ではなかった。自覚したのは……今日だ。
(私が初対面で冥に惚れてたら犯罪だというのに、女性の気持ちは理解しかねる)
テーブルの下で、冥の右手が御剣の膝に置かれた。グローブ越しで感触や体温は
伝わらないが、異性のそれを知っている身は、脱がせたい触れたい欲求に駆られる。
現在の冥は、左手に鞭、右手は甘い砂糖菓子だ。指を重ね返した御剣には軽く一瞥くれた
だけでガールズトークに参加していた。計算ずくの行為にモヤモヤしそうになる。
この日の冥はたくさんの笑顔を見せ、酔い潰れ、御剣の膝で眠り込んでしまった。
いろんなことが一度に起こり過ぎて、御剣自身まだ実感が沸かない。一方的に冥が喋る
ばかりで、殆ど発言せず来年籍を入れる話に決まっていたからだ。
一生独身でも何の問題も無いが、冥が相手なら逆らうよりいっそ流される方が楽だ……と、
冥に負けず劣らず、素直ではない自分に御剣は苦笑した。

ラストオーダーの時間になった。今後も当然のように部下の糸鋸の手を借りるつもり
だった御剣は「婚約者なのに」「自覚は無いのか」と総攻撃を受けた。
自力で運ぶのは面倒なので、仕方なく起こすことにする。
薄目を開けた冥はぼんやりと御剣の顔を見つめ返し、目を凝らしていた。
「……夢、だったの……?」
悲しそうに冥が呟く。婚約のことを言っているらしい。
「プロポーズの話なら夢ではない。帰ろうメイ」
「……レイジ!」
寝ぼけているにしては力強く胸倉を捕まれ、冥が首に抱きついて御剣の口を塞いだ。
油断していたために、御剣は冥に圧し掛かるような体勢になりジタバタする。
「御剣検事、目に毒ッス!場所を弁えるッス!」
積極的になった冥はなかなか離れようとせず、その場でふしだらな何かが始まりそうに
なるので、御剣は説得を試みた。
「ぐ。メイ、こんな場所で、そのようなアレは困る」
「ふふっ。照れてるレイジ、可愛い……」
酔いが醒めてない冥は御剣の手を自分の胸に押し付けて来た。元々年齢よりは大人っぽいが、
女の顔で自分を誘う冥に大人の御剣ですらドキリとさせられる。
クールな天才検事にはそぐわない情熱的、扇情的な振る舞いに「さすが海外経験の
ある検事さんは大胆ッスー」とマコからも感心されてしまった。
「イ、イトノコギリ刑事……」
御剣がまとわり付く冥を引き剥がそうと助けを求めるが、
「正気に戻った後の狩魔検事の制裁が恐ろしいッス!」
醜態を見られたことを冥が知りどれだけ荒れるか。その想像で糸鋸は身震いしていた。
「な、成歩堂……」
「悪いけど眠った春美ちゃんが背中にいて手が離せない。……帰ろう、真宵ちゃん」
「えーなるほどくん、おもしろそーだよ。無料だし」
「真宵くん!これは見世物では無いッ!」
二人の邪魔をしてはいけないという遠慮なのだろう。「不要だ、そんな気遣いは不要だ!」
という御剣の必死の訴えは却下され無視されてしまった。
「おやすみ御剣。今日はお祝いだから、ぼくらからの奢りだ」
「失礼するッス」
「おやすみなさいッスー」
「指輪はゼッタイですよー、みつるぎ検事」
「末永くお幸せに」
彼らの声が遠ざかっていく。この日は恥をかき倒す運命だったのかもしれない。
いつのまにか、御剣の下で冥が静かになっていた。さすがに暴れ疲れたらしい。
冥の証言は御剣の視点ではムジュンの塊だが、もし冥が被告人なら検事側ではなく
あの時と同じように弁護側に回り、冥を信じ抜いてみせよう。
自分が冥を口説き落として花嫁にするという「真実」も悪くない。
「帰るぞメイ」
念のため声をかけたが、「うるさい」と怒られた。本来の冥だ。
起こすのは可哀想だし、担ぐなり抱えるなりしてタクシーを使うことになる。それは
構わない。新たに抱えることになった問題は、中途半端に冥から誘惑されたお陰で、
御剣は部屋に連れ帰り大人しく一人で寝るのは不満だという現実。
大人の自分を挑発し弄んでくれたこの小娘に、お返ししないと気が済まなかった。
裁判、口喧嘩に続き、本日三本目の勝負。最初がカンジンだ、と真宵も言っていた。
(今夜はこのまま平和に寝てられると思うなよ、狩魔冥)
フィアンセという立場になった妹弟子に対し、御剣は心の中で挑戦状を叩きつけるのだった。

おわり
最終更新:2010年12月06日 19:43