はじめに
2023年10月、ガザ地区にハマスが進行して・・・というような報道が流れてきて話題になったので、パレスチナ問題が入試などに出る可能性は極めて高い。だが、この地における対立は非常に複雑なので、歴史を深く遡っていく必要がある。
ポイント
① パレスチナ地方は今は大半がY民族の国、一部がA民族の国
② 今ニュースになっているのはA民族同士の戦い(YとAの争いではない!)
③ YとAは1993年に一旦和平が成立している
④ パレスチナ地方はもとはAが持っていたが、
第二次世界大戦後に国連の意向でAとYで半々に分かれた
⑤ Yはもともと国を持っていなかったのでこのことに大喜びだが、Aは不満=中東戦争
解説
①について
- Y民族=ユダヤ人、A民族=アラブ人。
- Yの国が「イスラエル」
- Aはイラン、イラク、サウジアラビアなど、西アジア一帯にいる民族のこと
- パレスチナ地方にいるA民族のことを「パレスチナ人」と呼ぶ
- パレスチナ地方でAが持っていた土地は2ヶ所しかなかった
→一つはヨルダン川西岸地区(三重県と同じくらいの面積)、もう一つはガザ地区(福岡市より少し小さいくらいの面積)
②について
- Aの中の過激派が「ハマス」
- ハマスが暴れてガザ地区で暴動を起こしたのが今回のニュース
③について
- 和平を結んだのが「オスロ合意」。別名、パレスチナ暫定自治宣言
- イスラエル(Y)の首相ラビンと、PLO(A)の議長アラファトの間で結ばれた
- PLOとはパレスチナ解放機構という組織で、1964年にできた
- オスロとはノルウェーの首都。つまりノルウェーが介入して両者の争いを止めてくれた
- その争いとは1987年から発生していた「第一次インティファーダ」(民衆蜂起)
→ガザ地区でAが突如暴れ出し、Yに石を投げつけた
→それをYが徹底的に弾圧し、1300人以上の死者が出た
- その様子が全世界に報道されて、諸外国の注目を浴びた
- 第二次インティファーダは2000年以降で、ハマスはこの時に生まれた
④について
- 古代まで遡れば、確かにYの故郷は確かにパレスチナの地なのだが、紀元前後に他国に支配され、追放された
- そのため、歴史的に見ればAが持っている期間が圧倒的に長かった
- Yはヨーロッパ諸国で迫害を受けていた。特にナショナリズムの高揚していた19世紀は酷かった。その中で起こったのが、パレスチナに安住の地を築こうという「シオニズム運動(思想)」
- そんな中、第一次世界大戦が起き、パレスチナはトルコとイギリスの戦場にはった。この時、イギリス(の首相バルフォア)がYに財政的な支援を求めて、その際「支援してくれたらこの地に郷土を作る」と約束してしまった。これがバルフォア宣言
- それが形となったのが第二次世界大戦後の1948年=イスラエル建国
- 実際、ナチスによる迫害(1930年代)もあり、第一次〜第二次世界大戦の間にこの地へのユダヤ人の入植が急増していた
⑤について
- 第二次世界大戦後、1947年に国連がパレスチナ分割案を出して、パレスチナをAとYで半々に分けることにしたわけだが、Aからすれば、いきなりYに国をつくられて不満しかない
- 建国後、A人諸国がすぐさまイスラエル(Y)に対して宣戦布告した
- 中東戦争は1948年、1956年、1967年、1973年の4回 「世は殺されて虚しく難民」
- 3回目のタイミングで、Yがパレスチナの全土を占領してしまった
まとめ
なぜ、イスラエルとパレスチナは対立し続けるのでしょうか。その歴史は約2000年前、イスラエルとパレスチナの地に住んでいたユダヤ人が、アラブ人に侵略され故郷を追われたことに始まります。以来、ユダヤ人たちは戻りたいと思いながらも叶わずにいました。
ところが、第二次大戦後、イスラエルが建国されると、今度は逆にアラブ人たちが故郷を追われる立場になってしまいます。反発したアラブ人たちは4回にわたる中東戦争を起こしましたが、いずれも敗退。いまやヨルダン川西岸とガザ地区の狭い居住地域に追いやられています。
東京23区より狭いガザ地区で、人々は苦しい生活を強いられています。この監獄のような地区を実効支配するのが、イスラム原理主義組織ハマスです。
練習問題
※解答はこのページの一番下
1896・・・( ① )思想が生まれる
1914・・・( ② )が勃発
1917・・・( ③ )が結ばれる
1920・・・パレスチナが( ④ )の委任統治領となる
1947・・・国連がパレスチナ分割案を決議
1948・・・( ⑤ )が建国される。第一次( ⑥ )が勃発
【 A 】
1956・・・第二次( ⑥ )が勃発
1967・・・第三次( ⑥ )が勃発
【 B 】
( ⑦ )・・・第四次( ⑥ )が勃発
【 C 】
1987・・・第一次( ⑦ )が発生
1993・・・( ⑧ )を締結
2000・・・第二次( ⑦ )が発生
中東問題の起源となったのが( ③ )の締結。それが紛争となって始まったのが1948年から。緊張が緩和したのが( ⑧ )以降。
問1 空欄( ① )〜( ⑧ )に入る語を答えよ。
問2 ( ① )思想が生まれる背景と結びつくものを以下の中から一つ選べ。
ア 民主主義 イ 国民主義 ウ 資本主義 エ 共産主義
問3 ( ② )から第二次世界大戦の間、ユダヤ人がパレスチナに流入するきっかけと最も関連している国を以下の中から一つ選べ。
ア イギリス イ アメリカ ウ ドイツ エ ロシア
問4 「パレスチナ解放機構」について以下の問に答えよ。
1)この組織の成立は【 A 】〜【 C 】のどこに入るか。
2)この組織の議長の名前を答えよ。
3)2の人物と和平交渉を結んだ( ⑤ )首相の名前を答えよ。
4)3は、和平交渉が成立した翌々年に暗殺されている。西暦何年か。
問5 以下の文が正しければ○、間違っていれば×と答えよ。(2011年・センター試験)
イスラエルは、建国と同時にアラブ諸国の承認を受けた。
余談
入試に出るか微妙な内容であるが、「イェルサレム問題」というのを知っているだろうか。せっかく和平交渉が成立したパレスチナ地方であったが、それをまた揺るがす事態が2018年頃に起きた。そのきっかけを作ったのは、イギリスではなく、アメリカだ。まず前提として、エルサレムを知っているだろうか。イェルサレムとはパレスチナ地方にある、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の聖地である。第2回中東戦争の時にイスラエル(ユダヤ人)がイェルサレムを占領していたが、国際的にはずっと認められてこなかった。実際、イスラエルの大使館は全てイェルサレムではなく、イスラエルの最大都市テルアビブに置かれていた。そんな中で、アメリカのオバマ首相が2017年12月、エルサレムをイスラエルの首都と認め、翌年2018年に大使館の移転が行われた。背景としては、そもそもアメリカ人とユダヤ人は歴史的に見ても仲がよく、イスラエルのバックには常にアメリカがいた。つまり、イスラエルからの圧力で起こった出来事だと言える。実際、アメリカ最大の宗教勢力であるキリスト教福音派には、ユダヤ寄りの考えを持つ人が多数いて、彼らの指示を得たくてとった行動であり、という政治的な判断だった、と言われている。いずれにせよ、トランプはアメリカに無用の混乱を招いてしまったのだ。
【練習問題の解答】
問1 ①シオニズム ②第一次世界大戦 ③バルフォア協定 ④イギリス ⑤イスラエル ⑥中東戦争 ⑦インティファーダ ⑧オスロ合意
問2 イ
問3 ウ
問4 1)B 2)アラファト 3)ラビン 4)1995年
問5 ×(承認を受けているなら中東戦争なんて起こっていない!)
最終更新:2023年12月26日 15:09