■守護の力がなぜ強くなったのか?
建武の新政(天皇中心の政治)への不満
→足利尊氏(元御家人)が北朝を立てる、征夷大将軍となる
→守護にメリットを与えようとする(守護の権限を強めようとする)
→守護が、一国を支配する領主に成長
→守護大名となる
南北朝の内乱の時代になると、守護が、幕府の命令を受けて荘園を侵略して自分の領地にするという現象が見られるようになる
→国司にかわって、自己の領地を支配するようになる
→守護大名へと成長
守護の中には、任命された国の地頭も家来として支配(吸収)する者も現れる
→守護大名へと成長
(室町幕府は将軍家の実権が弱い政権だったので、有力守護大名の連合政権のような体制になる。地方分権的)
地頭が荘園領主ともめる
→荘園領主と土地を分け合う(下地中分)
→地頭は、相続するにつれて一人あたりの土地が狭くなっていく
→地頭の力が弱まり、相対的に守護の力が強まる
■守護大名の登場→下剋上へ
:農民などが、徳政を求めて起こした 日本最初の一揆
:将軍の後継ぎ争い
:農民や武士たちが、守護大名を追放→8年間自治
:一向宗(浄土真宗)の信者たちが、守護大名を追放→100年間自治(→織田信長によって終わる:大阪の石山本願寺降伏)
⇒地方ごとに、武力を持った戦国大名が支配する戦国時代となる
⇒戦国大名は、下剋上を防ぐために、ルール=分国法をつくった。また、築城し、城下町をつくって守りを固めた。
■勘合貿易が始まった理由
- 倭寇(日本を中心とする海賊集団)が朝鮮半島や中国の沿岸部にいた
→朝鮮や明の人々は困っていた
→明が室町幕府に取りしまりを求めた
→勘合という合札を明に与えて、それを正式な貿易船の証明として用いる勘合貿易を開始
■産業
→二毛作、稲の品種改良、糞尿を肥料に、牛馬耕、かんがい技術
→生産力向上
→鍛冶屋、結桶師(ゆいおけし)
→手工業が発達し、特産品が生まれる
→貨幣の流通(宋銭・明銭)、定期市(月6回)、運送業(馬借・車借、問)、金融(土倉・酒屋)
※土倉(質屋)・酒屋
→お金を貸してくれるところ。利子を課して設けることで、幕府の収入源になる。
■一揆(身を守るために団結し、ヨコの結びつきを強めた)
基本的には武力で解決
①正長の土一揆(@京都府) → 徳政を要求
②山城の国一揆(@京都府) → 自治を実現
③加賀の一向一揆(@石川県) → 自治を実現
※自治について
- 惣:村の自治組織
- 村単位で共同で、①用水路を管理、②年貢を納める。
- 町衆:都市にいた裕福な商工業者
- 座:同業者団体
→支配者(武士、公家、寺社)にお金を納め、営業の許可を得る
■室町文化
①北山文化(足利義満の時代)
- 幕府の移転→武家文化(禅宗の影響)と公家文化の融合
(例)金閣:寝殿造(公家文化)+禅宗様(武家文化) ※禅宗様=禅宗とともに日本に伝わってきた中国の建築様式
↓日明貿易で禅宗の影響が強くなる
②東山文化(足利義政の時代)
→節約して建物を作る
→質素 (例)銀閣、水墨画[墨一色で描かれた絵]、枯山水[岩や石で自然を表現] (どちらも「水」がつく)
→幕府権力が衰退
→幕府が保護していない宗教勢力が伸長
→多くの公家や文化人が地方に向かう
→文化が融合する
最終更新:2023年11月22日 22:26