①平城京遷都
②律令制
③律令制のくずれ
④天平文化
①平城京について
- 場所は奈良(この次の平安京は京都)
- 写真を確認:碁盤の目←唐の長安にならう
- 東西に「市」がおかれ、さまざまな品物が売り買いされる
→「和同開珎」が使われる ※一番古い貨幣は「富本銭」
- 各地方に道、途中に駅
- つくった理由:律令国家の完成をアピール/貴族を住ませる
②律令制について
〈政治〉
(1)天皇がトップにいて、その下に太政官(政治)と神祇官
(2)太政官=太政大臣、左大臣、右大臣
(3)太政官の下に8つの省
(4)「二官八省」
(5)政治が行われる中央政府=朝廷 ※政府=国を統治する機関
(6)政治をする人たち=役人(官僚)、貴族(元豪族) ※豪族には「貴族」という身分が与えられた
- 地方→国(国司)>郡(郡司)>里(里長) ※国は60あまり
〈農民〉
(背景)公地公民(土地と人民は国家のもの)
→租[稲の3%]、調[特産物]、庸[布]
雑徭[土木工事] →労役
衛士[都]、防人[九州] →兵役
③律令制のくずれについて
〈原因〉
- 人口増加による口分田不足
- 自然災害による土地の荒廃
- 重い税負担による逃亡(cf.山上憶良『貧窮問答歌』)
※人口増加の理由
勧農政策により鉄製農具が普及し墾田が推奨されることで、食料が大量に生産され、
その結果、食べ物が安心してたくさん手に入るようになり、
人々が子孫繁栄を狙って子どもをたくさん産むようになったから。
(子どもがたくさんいれば、家族の誰かが死んでも大丈夫。その状態を作りたかった)
〈結果〉
墾田永年私財法:新たに開墾した土地は永久に自分のものにしていい (目的…確実に税収入を確保する)
→貴族や寺社が私有地(荘園)を増やす
→公地公民のくずれ
※これまでは「班田収授法」により、国から与えられた土地しか開墾できなかった
→つまり、新たに土地を開墾することは許されていなかった
※一般の農民は開墾する力なし
→なぜ?
①耕す人を雇う力がないから
②才能がないから
※一部の農民は、開墾して有力農民となる
→なぜ?
①たまたま自分の土地が稲作に適した土地だったから
②才能があったから (例「バケツ稲」→小学生の頃やったよね。うまくいった?)
※貴族や寺社はなぜ開墾できたか?
→たくさんの農民を雇えたから
※有力農民は、生産した稲を、力のない農民に分け与える
→その代わり、その農民に働かせる
→収穫がますます増え、ますます有力になる
※結果的に国司の不正が増える
→収穫高の多い(増えた)国からは、律令の規定以上の稲をとるようになる
→律令制が崩れる一因に
④天平文化について
(例)螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)
- 仏教文化が主流になった
- 神話、風土にまつわる史料などが作られた
↓
覚えるべきもの
- 鑑真、唐招提寺
- 東大寺→大仏、正倉院
- 国分寺、国分尼寺
- 古事記、日本書紀、風土記、万葉集
※古事記は完全に神話で、日本の始まりを示したもの。(
江戸時代の「国学」とつながる。国学=日本古来の精神に戻るために、古事記や日本書紀などを研究する学問)
※日本書紀には、天皇に関する神話などが多く載っている。
→そのことにより、天皇の支配の正当化を示す
※風土記は、大仏の材料集めにも使われた。
→どこで銅がとれるのか、鈴がとれるのかなどが分かり、大仏の材料集めが効率よく進んだ
※万葉集は、防人の歌が試験に出る。
→律令制下における生活による貧困さが描かれている。
最終更新:2023年11月22日 22:25