■なぜ井伊直弼が不平等条約を結んだか?
アヘン戦争やアロー戦争、インドの大反乱などによる欧米の強さがオランダ風説書によって伝わったのです。
→欧米に逆らうと、やがて日本も植民地化されてしまう危険性がある。当時は日本よりも清のほうが強かったため、日本は清と同じ目にあうと考えた。
→ならば、条約を結んで穏便に対応しよう
井伊直弼の人物像的には、よくも悪くも保守的な人物です。あくまで幕府に仇をなす勢力を対処したかったのでしょう。実際、安政の大獄によって、尊皇派を駆逐しましたから。
幕府が欧米勢力にやられるなら、ひとまず要求をのみ、幕府が無事のままのほうがよいと井伊直弼は考えました。
ちなみに、近代の条約は、対等(平等)な条約と不平等な条約の二種類に分かれます(条約の種類)。日本に対する条約は不平等条約です。
よって、日本は好きで幕末の不平等条約を結んだわけではありません。
平等条約の例は、日英通商航海条約とか。
■幕末~明治維新の時系列整理
1866年1月 薩長同盟→薩長は、天皇中心の統一国家を目指す→倒幕を狙う
1867年1月 幕府に好意的だった孝明天皇が崩御 → 朝廷では薩長が優勢に → 幕府の権威失墜
1867年11月 大政奉還 ←国難に対応できない徳川幕府への信用が落ちていき…
1868年1月 王政復古の大号令発表=新政府樹立
↓旧幕府軍の人たちは、自分が今まで得てきた権利が奪われることを恐れる=新政府樹立に納得がいかない
↓新政府軍の人たち(薩長など)も、徳川幕府を徹底的につぶし、新政府の武力的なすごさを対外的にアピールしたかった(植民地にされるのを防ぐため)
↓
戊辰戦争開始
1868年3月 五箇条の御誓文
1868年7月 「江戸」→「東京」
1868年9月 元号を「明治」に
1869年6月 戊辰戦争終了
■「大政奉還」「王政復古」の意義
→古来の日本で行われていた政治システム「太政官制」の復活
→朝廷が中心となり政治を行う
- しかし、1885年12月、太政官制は廃止され、内閣制度へ移行。
朝廷ではなく内閣が政治を行うことになる。そしてその内閣のメンバーは、国民が選んだ国会議員の中から選ばれる。(議院内閣制)
最終更新:2023年11月22日 22:28