ここでは、私の「現代文熱」がどのようにして生まれてきたのかについて、
過去をたどりながら執筆していきたいと思っています。
どんな方にも興味を持って読んでいただけるように、エッセイ風に語ってみようと思います。
皆さんの心に少しでも響くものがあれば嬉しいです。
そして、現代文教育に興味・関心を持ってくださる方が一人でも多くなることを祈ります!
序章 ~LiveClassを作るまで~
2014年3月28日。
「LiveClass」を開設した日である。
LiveClassとは、無料の大学入試対策の動画を提供するサイトである。
私はわくわくしていた。
4月から大学1年生。そろそろYouTubeにも顔出しをしよう。そして授業をしよう。
これまで早稲アカで3年間受験勉強をしてきた。そこで学んできたことを全部吐き出そう。
大手予備校レベルのものを無償で提供しよう。
田舎の受験生を助けよう。
いや、都会の受験生の注目も浴びてみたい。
「予備校の授業行かなくてもスイショウさんの授業があるから安心!」と言われてみたい。
とにもかくにも、私は予備校レベルのハイクオリティーの授業がしたかった。
これが、私の原点である。
昔から教えることが好きだったのだ。
自分の頭の中のアルバムの中から、「教える」という営みを遡っていくと、小学生の頃の思い出が開かれる。
小学校5年生の頃、社会科のテストの前日に友達の家に行って勉強を教えていた。
メモ帳を使って作成した渾身のプリントを持参して。
さらに、このとき幼稚園の年長だった弟に、私は受験対策をしていた。(弟は小学校受験である。私もだが。)
確か、面接練習などをした。
小6や中1の頃には、弟に「授業」をするようになった。「授業」を。
当初は、プリントに書き込ませる授業をしていた。
とある無料のワープロソフトを見つけて、そのおかげで、
文字を大きくしたり、書体を変えたりして、自分の作りたいプリントを作ることができた。
このときの喜びは今でも忘れない。
読解問題を1日1枚、弟にやらせていたような。
公文式みたいだ。……そう、私は公文式に通っていた(小2~中3)。その影響かもしれない。
確か、中1の夏休みぐらいだろうか、
ダンボールを広げて、それを黒板にした。
どうやって壁にダンボールを貼ったのかって?
ダンボールの左右に穴をあけて、そこになわとびを通して、部屋の廊下をぐるっと一周させて…とか、まあそんな感じだ(説明しにくい)。
チョークを使って本格的に授業した。
時間配分も考え、学校の授業同様「50分」でやってみた。
一番印象に残っているのが「家庭科」の授業かもしれない。
(地理や歴史もやったが、かみ砕くのが難しい。そこで、家庭科にしたのだ。)
定期テストも本格的に行った。
その採点が最高に楽しい。私は丸付け大好き人間であった。
いかにカッコイイ「丸」をつけるか、を普段から考えていた。
そして、テストには記述問題を出しまくった。
記号問題をたくさん出しても、「どのくらい出来ているのか」という量的情報しか得られない。
記述問題にすることで、子どもの思考過程が見れたり、自分の授業への理解度を肌で実感できたりする。
そして、記述問題は部分点を入れることもできる。部分点を入れるのも楽しかった。
日本語力の問題もあるし、こちらが期待する理想解答が出てくることはなかなかないが、
それでも相手は頭を使いながら最低限の何かを答案に書いてくる。それを採点することが楽しくてたまらなかった。
しかしこれらはすべて自分の自己満足であった。
これで弟が「楽しく」授業に参加してくれていたなら、もっと続いていたのだろうが、
だんだんと弟は「嫌々」私の授業に参加するようになった。
休みの日に「授業やるよ!」と言っても「やだ!やだ!」という反応。
私が中1の頃のおそらく2学期ぐらいに、「弟に授業する」という営みは終了した。
余談であるが、弟は小3ぐらいから急に喋らなくなった。
当時の自分は「もう思春期?早!」とか思っていたが、去年ぐらいから弟が緘黙症(?)と診断されて自立支援のスクールに入ったことを考えると、
どうやらこの頃から緘黙症の兆しは出ていたのかもしれない。
私と弟の思い出は、本当に10年前ぐらいまででプチッと切れている。
(部屋に兄弟が一緒にいるのに、一言も口を交わさない状態が何カ月も続く。皆さん、考えられますか?)
話を戻そう。
私はそのぐらい教えるのが好きだった、ということが伝わっただろうか。
そして、弟に勉強を教えるのを中断するようになってから、私は「ネット」に教える相手を見つけるようになった。
もちろん、定期テスト直前になると、「学校の友達」が私のところに勉強を教わりに来る。
定期テスト1週間前には、毎日、同じ学校のY君の家に行き、夜9時とか10時まで勉強を教えていた。
(帰りの真っ暗な中の自転車20分は、つらかったなあ。どこでもドアほしかった。)
しかし、定期テストが終わった瞬間に、友達は私のもとを去る。
私は居場所を失う。
私の中学校生活はそんな感じだった。
なんとなく伝わるだろうか。
友達がいないわけではないが、「基本一人ぼっち」というこの感じ。
遠足などでグループを作ることになれば、すぐに友達とまとまることはできるが、休み時間中は友達の会話に入っていけないこの感じ。
一時期、友達に合わせて、無理やりオンラインゲームをやるようになったが…。これはこれでいい経験だったかもしれない。
とにかく、私の関心の先にあるのは、「勉強」。もっと言えば、勉強を「教える」ことだ。
定期テスト期間以外は、ひたすらネットを使って授業を試みた。
どうやって行ったかって?
お絵かきチャットを使ったのだ。
お絵かきチャットの存在は小4とか小5から知っていた。
思えば、小5のとき、自分が作っていたホームページの中のお絵かきチャットを用いて、友達と授業ごっこを行っていた。
本格的に時間割も作って。
1カ月しか続きませんでした。笑
懐かしいなあ。T君の授業がくだらなかったなあ。「今から黒板に書くことを覚えてください。"加藤はバカ"」。(「加藤」という、調子に乗るタイプの子がクラスにいたのだ)
中2のとき、私はお絵かきチャットで本格的に授業した。
そもそも私は小4の頃からずっと、スーパー正男というゲームに関するホームページを作り、そこに、作成した正男のステージを公開していた。
その流れで、2009年11月頃から「正男学校」というサイトを作った。(確か、2010年度から「共同総合学校(JCS)」に改名。)
そこに集まった人たちは、当然、「正男」界隈の人たち。当然、学習意欲もそんなにない。
私と同じ「勉強好き」の奴が一人だけいたが。
これはなかなかいい思い出。詳しく知りたい人は
ここを参照したまえ。
この動画を見ても分かる通り、正男学校・共同総合学校は、最初はある程度人がいたが次第に過疎を極めていったのである。
高1になる。中3が終わった後の春休みから私は早稲田アカデミーSuccess18に通うようになる。中3の3月31日に公文式を卒塾した。
ここで初めて集団授業を体験する。感想は……「楽しい!」「新鮮!」の一言。
正直、春期の体験授業で受けた数学はあまりついていけなかった。しかし、英語の授業がとても楽しかった。
高校に入ってから習う五文型についての理解が深まり、受験勉強に対するモチベーションが高まった。
私は、教わったことはすぐに吐き出すタイプである。どんどん人に教えていきたいのだ。
これは、言ってみれば私の自己満足かもしれない。
しかし、最近「ノブレス・オブリージュ(=持つ者の使命。持っている知識は、持っていない人に広めるべきだという考え)」という言葉に出会ってからは、
私はこの考えに染まった人間なのだろうと勝手に思うようにしている。
2011年8月21日。
「五文型」について、動画にして吐き出した(
こちら)。
まあ、この動画は「試しに投稿してみた」という感覚の動画である。
その4日後、8月25日。
塾の夏期講習(前期)で習った「時制問題」について、動画の形で吐き出した(
こちら)。
この動画の一番の見どころは、私が関西弁を喋っているところ。
もっと言えば、Web玉塾の玉先生(出身は熊本県)の喋り方を完全に真似ているということである。(久々に聞いてみたが、意外と似てないか?笑)
2011年12月。
塾の冬期講習で習った「関係詞」に大変刺激を受け、それをそのまま動画にした(
こちら)。
全部で6本ぐらいあると思う。
このうち最初の1本目の再生数が、現在1万7000回を超えている。
2012年度ぐらいからは、地理の動画も投稿するようになった(といっても、地形と気候ぐらいしか投稿できなかったが)。
このうち一番再生数が多いのが、ケッペンの気候区分の動画である(
こちら)。
再生回数が現在5万8000回を超えている。私の知る限り、自分の投稿動画の中で最も再生回数が多い動画である。
2013年度は、受験期(=高校3年生)だったので動画投稿はほぼしなかった。
そして、大学合格後の2014年3月末に、LiveClassというサイトを開設し、
YouTubeへの動画投稿を本格的にしていこうとしたわけである。
これで、本章の冒頭の話にやっと戻った。
第1章 ~現代文ブーム~
私がYouTubeに投稿している現代文の動画に、頻繁に寄せられるコメントがある。
それは、このようなものだ。
「スイショウは、林修のセリフをパクって喋ってるだけwww」
「林修の真似して何が楽しいん?」
「そろそろ訴えられてもいい頃」
私のもとに、「スイショウさんの動画は、東進の林先生の模倣度が相当高いと思います。問題はないのですか?」と本気で質問が来たこともある。
このような指摘が来てしまうぐらいに、私の授業は東進ハイスクールの林先生とそっくりらしい。
まあ、最近は真似したくて真似ているわけではないし、いろんな先生の教え方を参考にしてより良いものを追求しようとしているが、
当時は、「とにかく真似よう」ということばかり考えていた。
本章では、そのきっかけについて語っていきたいと思う。
林先生を一番最初に知ったのがいつなのかについては、残念ながら明確には覚えていない。
が、2013年の年明け以降、やけにテレビに林先生がたくさん出るようになり、それに私が注目していたのは今でも覚えている。
(たぶん、東進のCMについてはこれよりも前から見ていたと思う。)
金スマという番組で林先生の過去が紹介されていたが、あれはかなり真剣に見た。
そして学校の友達とも休み時間中に話のネタにするぐらいだった。
放課後、自分と友達の2人しかいない教室で、黒板に「林修史」を書き上げたこともある。
懐かしい。
2013年度の1学期のどこかで、母親が、林先生の処女作「受験必要論」を私に買ってくれた。
次第に林先生の考え方に影響を受けるようになった。
「勉強法を押し付ける講師は嫌い」
「友達は少ないほうがいい」
「勉強に効率などいらない。勉強は無駄だらけ。いろいろやっていくうちに頭の中にネットワークが出来、足腰が強くなり、応用が利くようになる」
などといったものである。
LiveClass開設当初(2014年3~4月あたり)は、まだまだ林先生についての知識も薄かったが、
次第にYouTubeなどで林先生の出ているテレビ番組の録画をたくさん見たり、
ネット上で見れる林先生の動画をひたすら見たりしているうちに、
林先生の授業の説明の仕方、話し方・喋り方、そして解説の仕方などについての情報がいろいろ手に入るようになった。
2014年の下半期ぐらいだろうか、
一時的に、林先生の講座「センター試験対策現代文(90%突破)」の中の一部の回(2004年の評論の解説)がYouTubeに投稿されており、
解説の一部始終をそこで見ることが出来、完全に授業の雰囲気や説明の仕方などを押さえた。
それを、実際に2004年の解説をしたときに私も活かしている(
こちら)。
2015年度からは「センター対策現代文」という授業を開始したが、
ここでは良問を厳選して、しっかりと授業準備をするとともに、
雑談や毒舌なども入れて林先生的な授業を意識してするようにした。
そうしていくうちに、無意識に林先生的な喋りができるようになってしまったのである。
ちなみに、他にも、他科目で今井宏先生、安河内哲也先生、志田晶先生、富田一彦先生の真似をしている。
(続)
授業の際に重視していること
①分かりやすさ
②楽しさ
③安心感
①は絶対条件です。分かりやすい説明をするために、全員が100%分かる話から入ること(=前提の共有)は常に意識しています。
②により集中力をキープさせたり、その科目の楽しさ・面白さに気付かせたりします。
③は、いろいろあるのですが、例えば「黒板の字が読みやすく安心できる」「先生の表情がよく安心できる」「授業時間の延長がなく安心できる」などといった状態です。裏を返せばその反対=不安感を作り出さないことを強く私は意識しています。
- 中堅層以下も引き上げる
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最終更新:2023年11月25日 06:43