公民とは
- 公民=公的な市民=社会の中の人間(すべての人間)=私人+公人
- 私人=プライベートとしての自分
- 公人=公共の存在
- 社会の人は誰もが「私人」と「公人」という2つの側面を持っている。
- 生まれたばかりの赤ちゃんは自分のことしか考えていないので、公人の側面を持っていないが、2歳・3歳になると少し公人の側面が出てくる。
- 中学生になれば当然、公共の役割も増えてくる。
- つまり、20歳から社会人になるのではなく、徐々に公共での役割が増えてきている。
- こうして、次第に「公人」の面が表れてくるのである。
- 裁判員制度=一般市民から選ばれた人が裁判所で裁判官と一緒に裁判に参加する制度。死刑判決を下したりする。
- 徴兵制度(韓国)=韓国の男性は、2年間、軍隊に務める。
- これらのように、公的な役割を負うこともある。
- 我々は、公的な市民なので、自由気ままに生活できるわけではない。
→好き嫌いにかかわらず、最低限の社会の仕組みがわかっていないと、「知らなかった」では済まされないこともある。
民主主義について
- 現在の日本国憲法の基本的な考え方は「民主主義」
- 民主主義には、①考え方=理念、②仕組み=機構(システム。国会や選挙など)という2つの側面がある。
- 民主主義がどういうものなのか、この考え方=理念をどう実現するかが問題。
- 民主主義を否定するのはありえない。
- 水の入った風船を転がしても必ず水は残る。
→社会には色んな姿があるが、民主主義は社会の底辺、基礎にあるものとして必ず存在する。
→自由と平等。
- この2つはなかなか否定できない。しかし、みんなが保障されているわけではない。
- 考えてみれば、自由と平等は両立しないのではないか。
みんなが自由になればみんな平等になるのか?
誰かが自由を奪えば誰か(弱い人)が破裂する。
これを防ぐためには、(強い人の)自由を制限しないと平等にはならない。
つまり、ルールを定める必要がある。
ルール=強制力やペナルティがある。(例:死刑)
- ルールは、みんなが納得する必要がある。
- 近代社会=民主主義の社会のこと(歴史的に見ると幅がある)
- 前近代社会=民主主義以前の社会(江戸時代の前、ヨーロッパの中世)
- 前近代社会は、封建社会とも言う。人間を封じ込ませることで成り立つ社会
- 前近代社会は、自由でも平等でもなかった。
→「自由」の面に関して:身分というものに封じ込められているから、自由ではない。
例:農民が百姓になることはできない。一般人が突然総理大臣になることもできない。
→「平等」の面に関して:努力しても他の身分にはなれないから、平等はありえない。つまり、自分の将来について考える必要がないから、楽。
→「自由」の面に関して:自分の将来は自由だから、自分で考えないといけない=自己決定
→「平等」の面に関して:どれだけ富を得るかは自分自身の努力にかかっている=自己責任
封建社会=隷属+身分
近代社会=自由+平等 → 両者は正反対。
→唯一存在している身分=天皇をはじめとする皇族
→例外的に日本が法律で公認している身分。皇族であることは絶対にやめられない。
※他にも、「ヤクザ」の社会は隷属だし、やめる自由はない(が、法律では認められていない)
新しい社会的地位・産業を作り上げることが元々無理。
つまり、封建社会は自由がないから発展しない。
→これを打破し、自由と平等という考え方を発展させ、
封じ込められているものを取っ払って自由にしようとした。
→こうして生まれたものが民主主義の社会。
→最初は簡単なものだったが、徐々に整ってきた。
基本的人権について
- 自由と平等を実現するためには、色んな仕組みを整える必要があった。
- 民主主義という考え方にひっくり返す際に、色んな戦いが起こり、色んな考え方が整えられてきた。
- 基本的人権には、主に、自由権と平等権がある。
- 自由権とは、「自由」に関係し、「自由」の実現のために考えられた権利。
- 平等権とは、「平等」に関係し、「平等」の実現のために考えられた権利。
- 自由権のほうが古く、平等権のほうが後から考え出された。
- 自由と平等は両立できないので、自由権と生存権の関係は微妙。
自由権について
身体の自由
- 身体の自由とは、どこへ行って何をしようが自由というもの。
理由がなくても、ある特定の土地や職場に拘束されなくていい。
- 具体例としては、奴隷の禁止、苦役の禁止、逮捕の令状主義、刑事手続法定主義、無罪推定原則、罪刑法定主義、残虐刑禁止などがある。
- アメリカには200年前、奴隷制度があったが、今は否定されている。
- 奴隷は、給料もないし、やめる自由もない。
- これに関する問題として、盗難アジア(フィリピンなど)の若い女性を連れてきたりして、東京に来た瞬間にパスポートを取り上げてこきを使い、帰らせないようにするというのがあり、奴隷すれすれの問題である。
- 「苦役」は、つらい仕事を長時間やらせること。
→日本ではこれが禁止されているので、嫌ならやめることができる。
→サッカーボールを沢山つくる国=スリランカでは、子どもは学校に行けず、工場でサッカーボールを作らされる。このように子どもが無理やり労働させられる事例がある。
- 「逮捕の令状主義」とは、人を逮捕するときには「令状」(逮捕の許可状)を見せないといけないというもの。この令状を見せずに勝手に警察に連れてきてはいけない。
- 逮捕令状は、警察のつくった書類を見て裁判所が発行し、警察に渡す。
- この主義の例外が、現行犯逮捕。これは令状がなくても誰でも可能。
例:「電車の中で痴漢が見つかり、近くの女子高校生が現行犯逮捕した」は、法律上可能。(警察があとで認定する。)
- 「刑事手続法定主義」とは、刑法が関係してくるもの。
- 刑法とは、「人を傷付ける(又は殺す)」「人の物を盗む・壊す」「人の名誉を傷付ける」(名誉毀損)などといった、他人の生命や財産を損なう事態が起こったときにどのようなペナルティを科すかが細かく決められた法律。
例:車のスピード違反は、道路交通法違反で終わるが、人の車を「壊す」となると、刑法の対象になる。
- 刑法に引っかかるようなことを起こしたときに、どういう手続きで捜索、逮捕、取り調べ、裁判をやっていくかは法律できっちり決めない、という考え方のことを「刑事手続法定主義」と言う。
- 封建社会のときにはこのような考え方がなかったので、特定の個人(えらい人)が「俺が決める」と言って自由に出来ていた。
- つまり、この刑事手続法定主義がないと、無条件に身体を拘束することができてしまう。
- そこで、刑法で「逮捕者を3日間取り調べできる」「逮捕には令状が必要」というような基準が定められた。
- 「無罪推定原則」とは、裁判が終わるまで、本当に犯罪を起こしたか、罪の内容が法律に引っかかっているかは分からないという考え方。
- つまり、「容疑者」は犯人かどうか分からない。
- 判決が出て「有罪」と出たら、そこで初めて犯人であることが確定する。
- 判決が出るまでは「無罪」かもしれない。
- 「罪刑法定主義」は、刑事手続法定主義と考え方がほぼ一緒。
①何をやったらどういう刑罰をするか、は法律で決まっている。
②容疑者を捕まえた後に、新しい法律を作ってそれを適用させてはいけない。(後出しじゃんけんはダメ)
- 「残虐刑禁止」については、まずそもそも「残虐な刑罰とはなにか」を知らなければならない。
- 例えば死刑。これは、日本と、アメリカ合衆国の一部の州で実施されている。
※日本は、国連から死刑をやめるように言われているが、国民の過半数が賛成している状況。
- 世界全体で見てみると、ヨーロッパは死刑禁止。中国は、処刑(一般的には「死刑執行」を指す)されることもある。韓国は、以前まで死刑制度があったが今は行われていない。
- 死刑方法としては、中国の場合は銃殺。アメリカ合衆国の一部の州の場合は、ガスや薬や電気ショック。アフガニスタンやイランは投石。北朝鮮、台湾、ウズベキスタン、ベトナム、ベラルーン、ソマリアなどは銃殺である。
- 日本では、有罪判決が出た後、懲役(=働く)の人は刑務所に行くが、死刑判決となった死刑囚は、拘置所の処刑場で処刑される。(死刑判決から6ヶ月以内に死刑が執行される。)
- 日本の場合は、突然朝に死刑が執行される。中国では、事前に知らされる。
- 日本での死刑方法は絞首刑と言って、首つりである。
- こうした背景があるなかで、銃殺の基準はどうなっているかというと、
①銃殺など → 残虐
②薬、ガス、電気、首つり → 残虐ではない
となっており、日本における死刑は残虐ではないということになっている。
- 死刑をする側の問題もある。(死刑を執行する人の問題)
- 裁判で死刑を認めた検事・検察官は、死刑を見送らなければならない。
→法務大臣が死刑執行書にサインすることによって、初めて死刑が執行される。
精神の自由
- 精神の自由には、「内心の自由」「信教の自由」「集会・結社・表現の自由」「学問の自由」などがある。
自由権の意義(価値)について
市民革命①(イギリス)
市民革命②(アメリカ)
市民革命③(フランス)
平等権について
平等権には「生存権」「自由権の制限」「参政権」があり、生存権はさらに「生活権」「教育権」「労働権」に分かれ、労働権は「労働条件法定主義」「団結権」「団体交渉権」「争議権」に分かれる。
最終更新:2023年12月03日 04:56